第14話 勝負のとき

「わらびおねーちゃーん。まーだー?」

 ドンドン、ドドン。

「うっさい。レディに向かって、トイレをせかすもんじゃないわよ、少年」

「また漏れそうなんだよー。もうすでに、パンツ二枚汚しちゃってるし、そのうち替え、なくなっちゃうよ」

「コンビニまで走って、トイレ借りて来なさいよ」

「一番近くのセブンイレブンは、父さんが行って、占領しちゃってるよ」

「工場の端っこを借りて、野ぐそでも、してなよっ」

「そーんなー。わらびおねーえちゃんの、薄情者ーっ」

 ご飯の代わりに水ばかり飲んでいたせいか、はたまた猫用缶詰をたらふく食ったせいか、コンペ当日の朝、我々海碧屋チームの面々は、ひどい下痢に苦しむことになりました。

 一つしかない工場のトイレは満員御礼で、ヤマハさんをはじめとした工場のジイサン連中は、そこかしこで立小便を始めました。皆と同じ食事をしていたはずなのですけど、なぜか私だけが腹下りに見舞われることなく、逆切れしたわらびさんに、ナゾの謝罪を求められました。

 10分だけでいいから、少年に便座を譲ってあげなさい、と私はドアの外で叫びました。

 工場長が陀羅尼助を、副工場長が百草丸を持ってきて、てれすこ君親子に飲ませます。

 それ、どっちも同じモンだぞ……とヤマハさんがペプトというピンク色のハイカラな薬を持ってきました。メリケンの大味な薬は日本人に利かないと副工場長が言い出して、舶来趣味のヤマハさんとケンカになりました。収拾がつかなくて困っていると、トイレの中から、か細い声がしました。

「ねえ、社長さん。開会式まで、あと、何分?」

「30分くらいですかね」

 幸い資材やロボットは、前日までのうちに全部、コンペ会場に搬入済です。

 身一つでいけばいいだけですし、会場の石浜海浜ヤードは女川地方卸売市場のすぐ隣です。あたり近所は水産加工工場がひしめき合い、参加者全員が金隠しにまたがっても大丈夫なくらい、豊富にトイレはあります。

「そういう問題じゃ、ないでしょっ」

 そうでした。

「あーし、パイロットのユニホームに、お祭りの法被と締め込みで申請してんのよ。ウンチもらしちゃったら、それこそ、すぐにバレるっ」

 それこそ、そーゆー問題でもないと思いますが。

「絆創膏、ない?」

「何に使うんです、わらびさん?」

「穴を、ふさぐ」

 工場長が、大きくて、長いのを提供してくれました。

 大腸直腸の働きは、そんな簡便な医療テープひとつで止まるようなモノとは思いませんけど、わらびさんは「気休め以上の効果はあるっ」と言い張ります。そして、ショート君をトイレ個室内に「招待」すると、「手当」を頼んだのでした。

 ゴクッと大きくツバを飲む音が、します。

「ふっふっふ。どーした、中学生? コーフン、したか?」

 ショート君の上ずった声が、答えました。

「ぎょう虫ペッタン、思い出しました」


 スポーツだろうが文化の祭典だろうが、日本でこの手の行事を開催する際の仰々しい開会式の様子は、変わりません。主催者・海洋プレート災害監視団の挨拶、町長の挨拶、県の復興支援関係者の挨拶と、お偉方の挨拶が延々と続きます。描写しているだけで眠くなってしまうような儀式の詳細は、この際、省きましょう。

 コンペは、石浜の小型ボート係留場の北、通称「赤灯台」周辺の海域で敢行されることになりました。隣の桐ケ崎浜までは高い懸崖が続き、釣りのメッカで、水深もそれなりにあります。大津波では、この赤灯台も倒れ、コンクリート・ガラをはじめとしたガレキも、残ってはいます。コンペは、この海域の徹底清掃で、作業を難しくするために、わざと、破れた漁網や廃ロープ等をあちこちに沈める形で、行われることになりました。作業船では無理なところの清掃、というコンセプトに則って、干潮の、一番潮が下げた時間帯を狙って開始です。狭い海域ではありますけど、特に懸崖下の部分などは、普通の海底清掃が難しいところという意味で、おあつらえ向きだとは言えましょう。

 時間が30分と短く設定されているのも、私たちには好都合でした。圧縮空気のアシストがあるとはいえ、海碧ロボットは基本人力で、やはり長時間の稼働には向いていません。ましてや、オペレーターのお腹の具合がイマイチの状態なのですから。

 各々のロボットが台船に乗せられ、現場に移動することになりました。

 わらびさんは、りばあねっとロボットを見て、ハッと気づきました。かのロボットが、海碧ロボットと全く同一の型をしているところは、当然の帰結です。船大工さんがエンジニアとして控え、オペレーターの一人として富永隊長が乗船しているのも、予想できました。けれど、メインパイロットが、縄文顔さんなのです。富永隊長のフィアンセとしての抜擢か、それとも鼻の下を長く伸ばした船大工さんが、彼女じゃなきゃダメだとゴネたのかどうかは、分かりません。彼女のピンクと白を基調としたエロ可愛いパイロットスーツに、わらびさんは少しく劣等感を覚えたとか。そして、丸出しの尻を縄文顔さん冷笑されて、わらびさんはカチンときたとか。陀羅尼助の効きがイマイチなのか、腹を抑えたままのてれすこ君に、わらびさんは激しく詰め寄りました。

「あーしが、やるっ」

「しかし……」

 わらびさんは、そそくさと、そもそものメインパイロット、ショート君に近づき、耳打ちします。

 何を言われたのか、彼は顔を真っ赤にしました。

 そして、炎の光背が見えるかのような気迫でもって、「ショートも、サブパイロットでいいって言ってる」と、てれすこ君を口説きます。彼は、おずおず、しぶしぶ、OKを出しました。

 女性2人が火花を散らしている傍らで、め・ぱんチームが淡々とタラバガニ・ロボット……いや、ズワイガニだったか……の準備をしていました。リリーさん取り巻きの、いつもの濃ゆい面々ではありません。実直そうな、中年エンジニアの集団です。2日前に女川入りしたばかりという、この大阪の町工場チームは、リリーさんたちと打ち合わせもしたそうですけど、結局、彼女や彼女の手下たちがいないほうが、ナンボかマシ、という結論に達したとか。で、アチャラカ・ケンさんが道理を説こうが、波止場のテリーさんが仁義を通そうと頑張ろうが、自分たちだけでやる……と息巻いて、本家本物たちを全員追い出した、と言います。

 ドラム缶ほどのウキが、30メートルほどの間隔で、ロープでつながれ、コンペ海域を仕切っていました。女川小学校の備品だという、運動会用の音しかしないピストルの発射音が、スタートの合図になります。町職員で、このピストルを扱ったことのある人はいないとかで、小学校の先生がスターターとして駆り出されていました。女川在住の若い男性なのに、救命胴衣を一度も着たことがないとかで、彼はモタモタと準備に手間取っていました。

 チームには、町消防団から借りてきたというトランシーバーが、チームごとに3、4台ずつ貸与されました。私にとっては、勝手知ったる備品です。

「わらびさん、てれすこ君、ショート君。うんち、もれそうになったら、言ってね」

 女川唯一のドラッグストア、ツルハの開店時間に合わせ、私は浦宿に戻り、下痢止めを大量に買ってきたのでした。

「ねえ、社長さん。トランシーバでの、せっかくの第一声が、うんちの話って、なによ?」

 でも、体調の話は、大事です。

「ピッピー」

 ホイツスルの音。

「位置について」

 3体のロボットが、船べりに脚をかけ、静止しました。

 波の音がやけに高く聞こえる、静寂の時間です。

「よーい」パンっ。

 ドボン、ドボンと、まず、りばあねっとロボが、続いて我が海碧ロボットが、海中に飛び込みました。少し遅れて、タカアシガニ・ロボットが海に入ってきます。機体の大きさから当然ですが、このカニ道楽ロボットは乗用タイプではありません。台船に残った4人のエンジニアたちが、ラップトップパソコンのモニターに見入ったり、発電機械の調整を開始したりしました。

「こちら、わらび。早速、廃ロープを発見。なんか、折れた電柱みたいなのに、からまってるみたい。ナイフで切って、引き上げる」

「いいぞ、わらびちゃん」

「一つ目のガレキ成功。あっ。りばあねっとのヤツ、もう、2つ目……3つ目のガレキに取り掛かってるじゃない。なんか取り巻きのダイバー、いっぱい、いるんですけど。ズルよ、ズル」

「違うよ、わらびちゃん。そもそも、牟田口総裁が提出した計画書では、そうなってるんだ。隊員たちの補助作業つき。あちらは、人も金も豊富にあるからね。そんなことより、目の前の作業に、集中してっ」

「らじゃー」

 め・ぱんのタラバガニ・ロボットは、外見通りのカニ型だけあって、ハサミの使い方には一日の長があります。モタモタしている我が海碧ロボットの倍以上の速さで、次々に、爽快に、漁網やロープを断ち切っていくのです。

「うーん。ズルイ、ズルイ」

「わらびちゃん、集中、集中」

「だってえ。あーし、最下位だよー」

「焦ると、ますます遅れていくよ。婚期と同じだよ」

「ちょっと、てれすこのオジサン。こんなところで、結婚の話なんか持ち出さないでよ。ちょっとくらい遅れたってなによ。ちゃんとした彼氏さえ捕まえりゃ、そんなもん、すぐにできるんだからねっ。残り物には福があるっていうじゃない」

「あー。もー。分かったから、集中して」

「このロボットにも、あの毛ガニみたいなハサミとか、装備してないの? でなきゃ、三面六臂にヘンシンできるとか」

「それは、12号にバージョンアップしてからじゃないと、ちと、ムリかな。ズワイガニ・ロボは、確かにロープ切りは速いけど、重量物を持ち上げたりはできないはずだよ。いわば、パワーを犠牲にして、ステイタスをスピードに全振りした、みたいな。作業量そのものは、だから、体感より大きくないさ。それより、直接のライバルは、どー考えても同型の、りばあねっとロボのほうなんだ。気にしないで、ドーンと続けて」

 白い天幕テントで設えられた本部来賓席には、私と牟田口総裁の他、リリーさんが詰めています。

 コンペの最中だということで、天気の話一つするのもぎこちなく、町役場設置の公式モニターを視聴したり、トランシーバを使ったり、落ち着きません。リリーさんご本人は、なんとパチンコ柄のド派手な銘仙着物姿で、空気を読まない、はっちゃけたところがいかにもこの人らしい。取り巻きの老人たちは、反面、落ち着いたスーツ姿です。ただ、皆が皆、山高帽にポーラータイでキメているのは、彼らなりのダンディなのでしょうか。町政ゴロの花谷氏が、なぜか来賓席に顔を出し、コトワケを教えてくれます。なんでも、コンペの勝利を当に確信して、彼らは既にシーパルピア商店街『IZAKAYAようこ』に貸切予約を入れているのだとか。今度の席順は、ネクタイと帽子の似合う順、という姫の意向を知り、統一のオシャレを決めてきた、とのこと。全く、こっちは会社の破産を賭けてやっているのに、悠長なことだ、と私はため息をつきました。よくよく見ると、トランシーバーにしがみついているケンさんやテリーさんの他に、短波ラジオを聞き入っている、パチカンさんのグループもいます。パチカンさんは、何もパチンコだけをたしなむ人ではないらしく、同好の士と一緒に、競馬中継に聞き入っているのでした。赤灯台沖での「死闘」に関係なく、馬券片手に喚声を上げている彼らを見ていると、疲れがドッと押し寄せてきます。

 実況中継中の町建設課職員が、中間成績を発表しました。

「一位。丸の内りばあねっと。二位。め・ぱん連絡協議会。三位。海碧屋」

 ショート君の落胆の声が聞こえます。

「あちゃー。やっぱり、最下位か」

 けれど、りばあねっとのリードは、ここまででした。

 ゴボゴボゴボ。

 突然、りばあねっとロボの「顔面」部分を覆っていた「スキン」がはがれ、大量の空気の泡が出てきたのです。来賓席モニターの端っこでは、船大工さんが、懸命に、携帯電話をかけている姿が映っていました。後で判明したことですが、彼がSOSを求めていた相手は、ヤマハさんでした。この寝返りロボットエンジニアは、外骨格を組み立てるのはお茶の子さいさいでも、ペンキ塗りに関しては、全くの素人だったのです。

 コンペ終了後、ヤマハさんに改めて聞いた話。

「……ただ単に、市販のペンキを塗ったくれば、完成ってもんじゃねえからな。後で聞いたら、下地に使ったFRPに大きな亀裂が走ってたってよ。たぶん、防水膜の細工をするとき、樹脂と硬化剤の割合、間違えちまったんだな」

 ドヤ顔で、30分以上、ヤマハさんは講釈を垂れてくれましたが、詳細は省きましょう。

「浸水のふさぎ方? ポンプでもあって、水を汲み出しながらならともかく、あんな小さな機体で、応急手当もあったもんじゃねえ。穴の大きさにもよるけどな、それこそ数分で首までずっぼり水に浸かっちまうさ。さっさと引き上げなきゃ、アンタの美人が死ぬぞって、あのジジイに行ってやったのさ」

 アドバイスは的確で、だからこそ、船大工さんはトチ狂ったように反応しました。

 牟田口総裁に許可を取り、主催者に事情を説明し……と杓子定規に悠長かつ融通の利かないことを言っている富永隊長を張り倒し、船大工さんは一喝しました。「アンタっ、婚約者が死んじまってもいいのかっ」

 躊躇なく台船の船長に合図を送り、彼は、りばあねっとの棄権を告げたのでした。

 もちろんこれは、牟田口総裁に対する越権行為、命令違反には違いありません。が、彼が素早く富永隊長を張り倒さなかったら……いえ、棄権しなかったら、縄文顔さんの命が、今ごろなかったかもしれないのも、事実です。

 トランシーバーから、わらびさんの甲高い声が、響いてきました。

「やったー」

 敵失とはいえ、2位に浮上です。

 てれすこ君の指示で、わらびさんは、大型ガレキを集中的に狙うことにしました。毛ガニ・ロボットがスピード重視で作業を進めていくなら、こちらはパワーで量を稼ごうという算段です。けれど……。

「ギャーっ。てれすこのオジサン、ロボットの首のところから、水、もれてきたーっ」

 こちらも、どーやら、ピンチです。

「わらびちゃん。落ち着いて。空気ボンベで、息を確保するやり方、教えたよね」

 てれすこ君が指示を出している間、私は手早く、ヤマハさんに連絡をとりました。

 携帯電話を右手に、トランシーバーを左手に、情報のリレーです。機種が消防団で普段使い慣れている型だからできる芸当であり、過去何度か、消防ポンプ送水演習中にやったことがあるからこそ、とっさに出来たことなのかもしれません。

 彼は、ちょっと前の船大工さんからの相談で慣れていたのか、鼻くそをほじくっているような落ち着き過ぎの質問をしてきます。

「海碧屋さん。あの娘っ子に、その水漏れが起きてる箇所、正確に特定できるかどーか、聞いてくんねえかな?」

 私は、そのまんまの言葉を、正確にわらびさんに伝えました。

「うん。上のパーツには、エリアシ、への5番、2尺2寸って書いてある。下のパーツは、チェスト、アッパー、4インチ」

「あっ……」

「どーしたんですか、ヤマハさん」

「海碧屋さん。単位の換算、間違ったかもしんねえ」

「ちょっ、ちょっとーっ」

「オレのせいじゃないぜ、前持っていっておくと。船大工のヤローが、和洋中華、全部ごっちゃにして、仕事をしてるのが悪いんだ。全く、技術屋の風上にも置けねえ」

「和洋はともかく、中華は混じってないでしょう」

「ちっ。まぜっかえすないっ。あのヤロー、最後の仕上げ、やらずに寝返ったもんだから、結局、オレが見様見真似でやるしか、なくってなあ……」

 トランシーバーが、ギーギーガーガー言って、私たちの打ち合わせをさえぎります。

「海碧屋さん、ヤマハさん。悠長に昔話しているヒマ、ないですよ」

「すまん、てれすこ君。そっちの様子は?」

「裂け目から、魚だのヒトデだのが入ってくるとか。ヒトデに刺されて肌荒れしたら、どーしようって嘆いてます」

「なんか、わらびさん、結構余裕あるみたいですね……」

 ヤマハさんが、毒舌を隠そうともしません。

「つかよ、我らがネーチャン、サンマ船の乗組員みたいにコンガリなってるんだ、今さら、肌荒れの心配なんかしたって、仕方なかろ?」

「ひどいなあ。……結局海水流入、止める手段、ないんですね?」

 コンペ中でも選手交代は認められているので、水抜きついでに、ショート君に代わってもらうべし、というのが、ヤマハさんの建策です。

「ヘルメット部分は内側からも、外せる仕様だ。普通に脱出して、ロボット自体を圧縮空気と人力で逆さにひっくり返して、いったん台船に上げる。で、あんたの息子に乗り込ませるんだ。親子二人がかりでやりゃ、3分とかからず、引き上げられる。これで、船大工たちみたいに、棄権せんで、すむ」

「てれすこ君。彼女に、伝えて」

 てれすこ君は、ヤマハさんの言葉を、そのまんま、わらびさんに伝えました。

「ムリよ。あーし、泳げないっつーの。埼玉には、海がないんよーっ」

「あっ」

 しくしくしく。

 初めて、わらびさんがしおらしく、泣く声が聞こえてきました。

「ねえ。エリアシ、ヘの5番じゃなく、オシリ、ミの1番、超ヤバくなってる」

「は? ミの1番?」

「うん。へ、じゃなくて、ミ……おなか、冷えてきた」

「えっ」

「絆創膏、はがれた」

「えっ」

 しくしくしく。

 ブボっ、という大きな破裂音がします。

「違うの。違うのー」

「何が、違うのは、わらびちゃん?」

「……お魚さん、ゴメンなさい。でもさ、そんなに、そーんなに、臭かったの?」

「わらびちゃん、何が起きてるの?」

 どうやら、聞かない優しさ、というのを、てれすこ君は持ち合わせていなかったようです。

「白い腹のほうを浮かべて、お魚さん、死んじゃってるよ。てれすこのオジサン、あーし、同じ死ぬとしても、自分のうんこまみれで、死にたくはないよーっ」

 しくしくしく。

「海碧屋さん」

「分かった……審判席はすぐ目の前だから、待っててください……海碧屋、棄権します。台船の船上クレーンで、ウチのロボットを引き上げてくれませんか」

 私とてれすこ君のやり取りに聞き耳を立てていたヤマハさんが、ケッと舌打ちしました。

「絆創膏なんかじゃなく、アナルプラグにでも、すりゃよかったんだ」

 単に偶然通りかかっただけでしょうが、副工場長の頓狂な声がしました。

「あな……何? ヤマハさん、横文字の難しい言葉、知ってんのね」

 どういう意味?

「知らないほうが、いいと思いますよ」

 私は、携帯電話のスピーカーに向かって、目いっぱい声を張り上げていました。

 そう、この90になるオバアサンが卒倒しないように、毒舌エンジニアの饒舌を、やんわり止めたのでした。


 閉会式次第は、20分くらいの予定で、本当に形式的なものです。

 むしろ大事なのは、その後の事務作業、融資相談のほうです。

 ぶり返した下痢のせいか、はたまた手痛い惨敗のせいか、てれすこ君一行は、開会式会場に、げんなりして戻ってきました。目の下にはクマができ、ほほはこけ、心なしか青ざめた顔いろです。

「海碧屋さん、借金の件……」

「それは、明日から考えましょう。今日はお疲れ様でした。反省会会場として、成田屋さんを抑えておきました。今日のところは牛タンで酒を飲んで、イヤなことはスッパリ忘れるってことで」

 ショート君が、お腹をおさえたまま、言います。

「ボクは、お酒の代わりに、下痢止めを飲みます」

 私は慌てて、頓服を差し出しました。

 お通夜みたいに沈んでいる我が陣営の隣では、め・ぱん連絡協議会の面々が、万歳三唱をしています。実際に作業に当たってくれた、大阪のオペレーターの人たちを労いもせず……というか、半ば無視さえしています。賞金分配の件で話がある、とタラバガニ・リーダーがアチャラカ・ケンさんを呼び止めました。め・ぱんは、その輝かしい成績とは裏腹に、早速険悪な雰囲気になっていました。「敗軍の将、兵を語らず」といいますが、せめて、女川の人間として恥じない行動をしてもらいたいものだ、と私はひとりごちました。

 万歳三唱が終わると、金華山衛生さんが、わらびさんにイヤミの一つも言うつもりなのか、背後から近づいてきました。

「ふふん。せっかくの裏工作も、これでお仕舞だな。桃生屋がどれだけ贔屓の引き倒しをしたところで、結果はくつがえせんぞ」

 わらびさんは、下唇を噛んで、うつむきました。

「……あら、それはどうかしら?」

 金華山衛生さんのさらに後ろから、縄文顔さんの爽やかな声がしました。

「これは、これは。最下位チーム、りばあねっとのパイロット殿」

「まだ、最下位って決まったわけじゃないわ」

「何を言ってるんだ、娘っコ」

「嬉しいけど、私、娘扱いされるくらい、若くはないわよ、金華山衛生さん」

「なんじゃ、そりゃ。そもそも、最下位じゃないってのは……」

 縄文顔さんは、金華山衛生さんの長広舌を無視して、わらびさんに話しかけました。

「直前に、ショート君とパイロットを交代したの、私が、りばあねっと代表として、出場したから?」

 そうだ、とわらびさんは、答えました。

「どーして?」

「……船大工さんのところで、熱心に勉強してたアンタを知ってたから。単なる産業スパイにとどまらない情熱だと、思ったから。ねえ、アンタも、本当は、搭乗用人型ロボット、好きなんでしょ? いい年した、オバサンなりかけの女のくせに」

「……あなたもなんでしょ、わらびさん」

「そうだよ。だから、アンタがロボットに乗ってるのを見て、戦いたいと思ったんよ」

 縄文顔さんは、ニヤリと笑いました。

「そう。ライバルってわけね。その理由、気に入ったわ。あなたの社長さんに、伝言を頼まれてくれない?」

「伝言?」

「倒産寸前なんでしょ。海碧屋が、今後、搭乗用人型ロボットに関する権利を全部ウチに譲ってくれて、もう、2度とロボットを作らないって約束してくれれば、ウチで、そっちの借金を全部肩代わりしてあげるって」

「言うだけ、言っておく」

「あと、船大工のジイサンは、返しておくわ。偏屈なのも、口が臭いのもスケベエなのも我慢できるけど、海碧屋を懐かしんで、昔話をするのは、我慢できないから」


 キーンというハウリングとともに、今回の主催者、海洋プレート災害監視団の理事長の紹介がありました。そう、講評と結果発表です。

「では、牟田口廉次郎様、ご登壇ください」

 牟田口?

 聞き覚えのある……どころか、このところ毎日聞いている苗字に、イヤな予感がして顔を上げると、そこには、どこかで見たことのあるような人物が、いました。そう、りばあねっとの牟田口総裁をさらにヤクザっぽくしたような、イカツイ雰囲気の人物。白いスーツに黒いシャツ、赤いネクタイにサングラス。頬に傷こそありませんが、オールバックにしている髪型の両のこめかみには、明らかにソリが入っています。

 てれすこ君が私の後ろにそっと立ち、耳打ちしてくれました。

「牟田口総裁の、実弟ですよ。風来坊で、武闘派で、どこで何をしているのか、全然分からないっていう噂の主です」

 牟田口理事長は、懐から丁寧に折りたたまれた便箋を取り出すと、おもむろにマイクに近づきました。

「まずは、結果発表から……優勝、丸の内りばあねっと」

 め・ぱん連絡協議会の面々が、当然ながら、一斉に抗議の声を上げました。

 実家を飛び出して以来、愚連隊にも加わったことがあるという経歴からか、パチカンさんが、理事長の如何にもの風体にも恐れず、演題に近づきました。

「お手盛りの、出来レースじゃないかっ。詐欺の分際で、警察に訴えてやるからなっ」

 牟田口理事長は、目だけが笑ってない笑顔を見せると、パチカン氏にガンを飛ばしたまま、言いました。

「ほほう。天にツバする、というのは、あんたたちにふさわしい言葉のようだ。め・ぱんのジイサンたちが、白山神社前の棟上げ式で、町議たちを買収・恐喝しようとして、そっちのお嬢さんにやり込められた顛末、今じゃ、女川で知らない人は、いませんよ」

 そんな「正論」にひるむパチカンさんでは、ありません。

「買収どーのこーのっつーのは、ワシらが勝負で負けたのに、最終判定の段階で逆転勝ちした場合のことを、言うんだろう。しかし、め・ぱん連絡協議会は、そもそも、実際の試合の時点で勝っておる。なんせ、他の2チームとも、棄権しちまってるからな。そもそも、買収ナシでも優勝確実な点で、アンタの批判は当たらないぞ」

 パチカンさんに続き、波止場のテリーさんも、渋い声をあげます。

「白山神社前の棟上げ式の騒動を知ってるっつーことは、あそこで、ウチの金華山衛生さんが、海碧屋のおっぱいギャルにやり込められて、アンタの言う買収が失敗に終わったってことも、承知してるんだよな。そうゆうのを前提に、ウチにイチャモンをつけてきたんだろ?」

 アチャラカ・ケンさんが、まあまあと仲間二人をなだめ、私に話を振ります。

「どっちの理屈が筋が通っているか、公平な第三者に聞いてみるっていうのは、どーです? ちょうど、ここに海碧屋さんがいます。コンペの参加者なら、ある意味当事者だから、判定に参考意見を述べてもおかしくはない立場だし、それに、いかに彼らが図々しくとも、自分たちが勝利したとは、口が裂けても言わないでしょうからねえ」

 妙な流し目に気色の悪いウインクで、ケンさんは私たちに発言を促しました。もちろん、彼らに肩入れする気は毛頭ないですが、どちらの理屈がよりマシかと考えると、め・ぱん側に軍配が上がる気がします。

 私は、思ったままのことを、淡々と、そのまま伝えました。

 牟田口理事長が、少しく顔を黒して、すごみました。

「なんですか、海碧屋さん。あなたのところのガングロギャルと、りばあねっとの女子が揉めたことを根に持っての意見ですか、アアン?」

 ヤクザそのもののすごみ方に、私はひるんでしまいました。

 本来中立な審判の立場なのだから、実兄の組織の肩を持つような言い方は、ダメだろうとも思いました。

 町建設課の幹部たちが、険悪な雰囲気を察してか、私たちの話合いに割って入りました。そして、彼らも、言葉を選びながらも、牟田口理事長の裁定はおかしいんじゃないか、という意味のことを、言いました。

 牟田口理事長は、小指で耳穴の掃除をしながら聞いていましたが、やがて、耳垢をフっと息で飛ばすと、言いました。

「やれやれ。一番の味方であるはずの、アンタたちにまでそんなことを言われるとは、ね。一から説明せにゃいかんのか」

「コンペ参加チームの一つが、あなたのお兄さんのチームで、無理やり一番にしようとしている時点で……」

「違うっ」牟田口理事長は、大音声で言いました。「じゃあ、逆に聞くが、このコンペの主旨は、なんだ?」

「主旨?」

 意外な質問をされて、皆が一瞬言いよどみます。牟田口理事長は、自ら答えを言いました。

「三陸大津波への、備えだろう」

 そうでした。

 もっと正確に言えば、津波後の被害の回復のために、海底清掃の技術を競うコンペでした。

「賞金が、その海底清掃機械への融資という形になっているのは、次の万一の場合に備えて、機材を用意しておいて欲しい、という主催者側からのメッセージの意味になっている」

 これも、コンペが始まる前に、さんざん聞いたことであります。

「しかるに、だ。め・ぱん連絡協議会、海碧屋、両組織の諸君には、この、次の大津波への備えという、大本の前提がすっぽり抜けている。いわば、コンペのためのコンペ、ただ勝ちさえすればいいというふうになってしまっている」

「は?」

「具体的に、問おう。たとえば、今から1週間後に、また1000年級の大津波が来たときに、め・ぱんはどうするのかね?」

「そりゃ。タカアシガニ・ロボットで、海底清掃を……」

「大阪に、技術者ごと、帰ってしまっているはずだろう? イザという時に、役立たないじゃないか」

「それは……」

「そもそも、コンペに参加する条件として、女川在住の組織で、それなりの技術やノウハウを持つ組織と限定したのは、この実践的な意味合いからだ。しかるに、諸君はそれを曲解無視し、パチンコのタネゼニを稼ぐ道具にしてしまった」

「心外だっ」

 間髪おかず叫んだテリーさんを、ケンさんがなだめます。

 私のほうは、やはり興奮ぎみの牟田口理事長を落ち着かせます。

「海碧屋さん、君らも同罪だ。もう、倒産寸前なんだろう? 大規模融資を受けたところで、それをまず、借金返済に流用してしまうんじゃないのかね? イザというとき、会社の運転資金がなくて、海底清掃ができないとなってしまったら、本末転倒だろ」

 ぐうの音も出ません。

「反論があるなら、言ってみてくれ」

「いえ……どっちにしろ、ウチは負けてますから……コンペ勝負においても、その後の屁理屈においても」

 私は、ロボットを回収すべく、ヤマハさんに電話をかけて、ユニックの回送をお願いしました。後ろから聞こえる、牟田口理事長とめ・ぱんメンバーの怒鳴りあいに耳をふさぎ、岸壁に向かいました。そう、我がロボットにも、ご苦労さんと言わねばなりません。不甲斐ない経営者の下、よく頑張ってくれた、と。いつの間にか私に追いついたてれすこ君が、言います。

「……もっともらしい屁理屈だけど、このコンペが出来レースだったってことに違いはないですよ、海碧屋さん。やる前から、ウチが倒産しそうだっていうのは明らかでしたし、め・ぱんが大阪からカニ道楽ロボットチームを呼んだのだって、周知の事実でした。あとは、これを利用して、りばあねっとだけを勝たせるための屁理屈を考えればよかったんですから」

 てれすこ君の推論は、おそらく正しいのでしょうけど、正しいだけではどうしようもない問題もあります。

 私は、てれすこ君と一緒に、初めて搭乗用人型ロボットを考えた日のことを、思い出しました。

「正義は勝つ、のはロボットアニメの中の話だけ、なのかなあ」

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