第13話 古典的なやり方にも、限度がある

 ショート君が、りばあねっとのホームページにアクセスすると、この寝返りの結果が早速反映されていました。迷彩柄の制服を着た船大工さんが、得意満面のドヤ顔で、何やら作業している写真が、掲載されていたのです。仙台卸町の機械屋さんたちからパーツは買い揃えたし、技術者も確保したしで、りばあねっと側でも、搭乗用人型ロボットを組み立てる条件は整ったということでしょう。

 ヤマハさんからの連絡を受けたてれすこ君が車庫にやってきて、ロボット最終調整の場が、急遽、船大工さん対策の緊急会議になりました。

 てれすこ君が、難しい顔をして、言いました。

 もちろん再度寝返らせるように工作はするけれど、コンペまでには間に合わないだろう、と。

「ふうむ。同じ機体で勝負なら、差が出るのはオペレーターの腕と全体の運用によるでしょう。ショート君、てれすこ君、頼みましたよ」

 声をかけなかったわらびさんが、二日酔いじみたガラガラ声で、質問しました。

「そういや、もう1チーム、あるんだよね。そっちのほうは、どーなんさ?」

 私の代わりに、てれすこ君が答えます。

「め・ぱん、か。仮審査の時と、一緒だよ、わらびちゃん。審査員を抱き込むのに、一生懸命みたいだ」


 め・ぱん幹部たちの、コンペに対する基本方針は全然変わってはいません……これをネタに、グループのマドンナ、リリーさんの機嫌をとって振り向いてもらいたい……ただ、それだけです。

 何が何でも勝利して賞金をもらうのが、「姫」のご機嫌とりの最重要課題です。陸上から、重機やダンプ等での大綱引きという、大雑把な方式では、我々ロボット勢に圧倒的不利と誰か気づいた人がいたのか、最近ブレーンを抱き込んだ、とも聞きます。

 例によって、てれすこ君のレポート。

「三陸大津波の後、今回みたいにロボットを投入して海底清掃にあたる、というのは、単なる思いつきにとどまらず、現実にもなされてきました。ネットで検索すれば一番上に志津川での実績なんかが出てきて、搭乗用人型ロボットという夢とロマンにあふれた機体ではなく、例えば掃除機のルンバの水中版みたいな現実的なのが投入されてきているみたいです。どのレポートを読んでも、水中での見通しが問題とされているところを見ると、結構な海流潮流を前提とする我らが海碧ロボットよりも、穏やかな海域を前提としているんでしょう。で、なんといっても過去実際活動したという実績がありますからね、手あたり次第……かどうかは分からないですけど、め・ぱんでは先行するそれら企業や研究チームに連絡をとって、どうやら大阪のロボット会社を仲間に引き入れたらしいです」

 かに道楽スペシャルと名付けられた水中ロボは、姿形が某料理店グループの名物看板とそっくりのロボットで、浪花の人特有のシャレが利いたネーミングに騙されそうになりますが、性能はなかなかのもの、とか。

「でもさ。てれすこ君。仮審査の時には、め・ぱんでは水中ロボなんて言ってなかったわけだし、申請になかったことを今更やろうとするのは、いかんでしょうが」

「僕に言わないでくださいよ、海碧屋さん。め・ぱんも、そのへんはマズイと思ってるんでしょうね。前回仮審査を通したときの町議たちに加えて、他の脈ありそうな議員を丸めこむのに、必至になってるとか、聞きました」

「あいかわらず、斜め上の解決方法だなあ」

「ホレたハレたのほうも、あいかわらずらしいです。古川ロッパ……じゃなく、アチャカラ・ケンさんが抜け駆けして、リリーさんと単独ドライブデートを敢行したとか」

 波止場のテリーさん、パチカンさんらに突き上げを食らったケンさんは、単なるアシ代わりに過ぎないと苦しい言い訳で、言い抜けようとしたとか。

「どういうこと?」

「リリーさんの亡くなった旦那さんのお墓、気仙沼にあるらしくって、お盆にはまだだいぶはやいけれど、海底清掃コンペがあるからって、今度ははやめにお墓掃除に行くことにしたんだそうです。で、行き帰りのアシ代わりにって、ケンさんが車を出してくれたらしいんですけど。独断専行で他の誰にも内緒で、二人っきりで出かけたもんだから、他の面々のやっかみがすごいらしくって」

 もちろん、ケンさんは墓掃除もきちんとしたけれど、お昼には大島汽船のクルージング船でフカヒレを食べ、帰りには一円パチンコでたっぷり遊んで……と「デート」を満喫してきたそう。調子に乗ったケンさんは、後日リリーさんのご亭主の位牌に線香を上げに来たのを機に「彼女はボクが幸せにしますから」と誓いを立てたとか、自分の名前が入った結婚届を持参してきたとか、薬指のサイズをリリーさんに聞いた指輪をあつらえたとか、あることないこと、噂が流れたそうです。

「すごいなあ」

「行きつけの石巻駅前のパチンコ屋で、恋のさや当て、またしてもやらかしたらしい、です。三角関係か四角関係か知りませんけど、リリーさん以下、メンバー全員が出禁になったっていう情報もあります。エキセントリックなお客さんには慣れっこなパチンコ屋店員さんたちも、ジジババのこの色恋沙汰にはさすがにあきれ返って、やるなら女川でやれや、と塩をまいたとか。で、駅前で遊べなくなって、大街道や石巻バイパスまで足を延ばしたいリリーさんが、送迎サービスが欲しいからと、再びケンさんの車に頼りだしたもんだから、ますます混沌と嫉妬の嵐、だとか」

「そこまで内輪もめがヒドいんなら、もう、分裂の一歩手前では? 少なくとも、コンペどころじゃないでしょう」

「それがそのう……複雑怪奇でして」

 確かに組織の分裂ではあるけれど、ケンさん対、それ以外のメンツという構図になったそう。

「ま。当たり前ですが」

「姫の反応は、どうなのかな? ひょっとして、思い切って、ケンさんと身を固める覚悟を決めたとか」

「それが……今度のコンペに勝利した場合、一番貢献した人と、丸一日デートすると宣言したとか。それも、ケンさん以外の男性と約束して」

 リリーさんは、未だファムファタールの看板を下ろす気はないようです。

 ケンさん以外のメンバーは、ここで初めて二手に分かれたそう。そう、大津波以来の実績ある技術者を抱き込もうという「正統派」と、買収する町議を増やそうとする「邪道派」と。

「邪道って……ずいぶんとストレートなネーミングだ」

「でも、いかにも、らしいでしょう、海碧屋さん。それで、事前審査のとき買収された……まあ実際にはお金は動いてなかったそうなんで、脅されたと言ったほうがいいかもしれませんけど……その、当の町議さんたちからSOSが来ています。足抜けしたいって」

「足抜け?」

「なんだかんだ言って、女川の将来のためのコンペですから。誰が勝つとしても、公明正大にやりたいって」

「なんだか、今更って感じもありますけどねえ」

「脅しのネタは、組織票の問題っぽいです。町議の一人、桃生屋さんは、前回選挙、リリーさんの手下の、金華山衛生の社長に応援してもらって、当選したとか。で、この金華山衛生さん、消防団副団長をやっていた人で、やめてもう10年になるけれど、今でも顔が利いて有能な集票マシーンなんだとか」

「で。ウチにどーしろ、と?」

「海碧屋っていう会社自体ではなく、社長本人に割って入ってもらいたいっていう話でしたね。海碧屋さんも、確か消防団員で、経歴長いんでしょう?」

「20年やってて、未だにヒラの団員ですよ。副団長までやった人の集票力を止められる感じはしないけど……溺れる者は藁をもつかむっていう心境なんですかねえ。でも、まあ、コンペに必要なら、ワラはワラなりに、頑張ってみますかね」

 ここでも、わらびさんが活躍することになりました。


 め・ぱんとわらびさん、初激突の場は、なんと新築家屋の棟上げ式の場で、でした。場所は、女川町役場裏の高台、白山神社の近くです。め・ぱんに最近加入した新人メンバーの息子さんが新築した家、だとか。棟梁と禰宜さんと施主さんが中心になってモチ蒔きゼニ蒔き等一連の祭祀をしたあと、神主さんのご厚意で境内を借り、ささやかに酒肴をふるまいました。学校が休みとあって、施主さんの子どもや友達が多数参加、賑やかな雰囲気でした。町議さんたちは、ここが地盤の一つらしく、主賓として招待されていた、とか。

 町内のミニニュースを世界に発信するユーチューバー、と称して、わらびさんはデジカメ片手にのこのこのと棟上げ式に出かけていきました。ご近所住まいでもなし、当然、施主さんとは縁もゆかりもない赤の他人です。露骨に煙たがるリリーさん一党に、めでたい席だから……とご近所さんたちが取りなしてくれました。海碧屋のおっぱいギャルとして、わらびさんを見知ってる人も、少なからずいたからです。

 彼女のターゲットはもちろん、金華山衛生社長に見込まれた町議さんたちの「救出」です。

 せっかくの祝いの席だから、余興をしましょう、とわらびさんは、め・ぱんの面々を誘いました。

「野球拳で、勝負で、どう?」

 おっさんたちは、神主さんも含めて、みんな盛り上がったそう。子ども連れのお母さんたちは難色を示しましたが、下はビキニの水着だ……と例の向日葵柄のを、お母さんの一人に見せました。

 神主さんがそれとなく、わらびさんの提案を擁護します。曰く、「天岩戸の前でストリップしたウズメの話もありますし」

 そうしているうちに、余興はなんとなく本決まりになりました。

「あーしの裸……ていうかビキニは、皆の目の保養になるからいいけどさー、誰もオッチャンたちのステテコ姿なんか見たくなくね? あーしが負けたらビキニなるまで脱ぐけど、オッチャンたちが負けたら、他の罰ゲームにしてもらわないと」

 お神酒をしこたま飲んで、鼻の頭を赤くしていた棟梁が「そうだ、そうだ」とヤジを飛ばします。手酌で静かに飲んでいた施主さんが、「で? その罰ゲームって?」と尋ねました。

「金華山衛生の社長に、消防団後援会、止めて欲しい」

 わらびさんは、め・ぱんの一行を遠目に睨みつつ、言いました。

 当の金華山衛生の社長が、頓狂な声を上げました。

「なんでワシが? 関係ないじゃろ?」

 余興の賭けにしてはヘンだと気づいたオバサンの一人が、栗団子をつまんでいた手を止めて、わらびさんに理由を尋ねます。

「もう、啖呵切っちゃったから、言っちゃってもいいよね? いいよね?」

 彼女が同意を求めた先には、町議の桃生屋さんがいます。彼は、集中する視線に困惑しながら、しぶしぶうなずきました。

「選挙の票田を理由に、金華山衛生さんが、町議に困った要求を突きつけてるからさ」

「困った要求?」

 わらびさんは海底清掃コンペの件を、かいつまんで説明しました。

 気まずい雰囲気の中、金華山清掃社長が、わらびさんに至極最もな質問をしました。

「何もこんなめでたい席で、そんな生臭いこと、持ち出さんでも、よかろ?」

 ここの施主さんのお父さんが、最近め・ぱんに加入したばかりだから、どんな組織なのか、知って欲しくって……とわらびさんは悪びれず続けます。

 アチャラカ・ケンさんや、波止場のテリーさんが、抗議の声を上げました。

 新築のシルエットを眺めながら、いい気分になっていたらしい施主さんが、目覚めた顔になりました。

「そういや、ぱちんかす……」

「遊ぶ金に困って、孫の貯金箱にまで手をつけた不良老人の話、聞いたことない? 炎天下の車の中に孫を置き去りにして、蒸し焼きにしそうになったボケ老人の話は?」

 テリーさんが、大声を上げました。

「シャラップっ」

 金華山衛生の社長が冷静に、わらびさんを睨みつけます。

「あんた、海碧屋の回しモンなんだろ? そうだろ?」

 わらびさんは両手を腰に当て、金華山衛生社長を見下ろして、言いました。

「そうだよ。回し者だよ。でも、議員さんに不正をしてくれって言いに来たわけじゃない。逆に、不正なんかしないでくれって、頼みに来たんだ。もち、あーしらがそれで不利になっても構わんから、公明正大にやってくれって」

 金華山衛生の社長は、ニヤニヤ笑いながら、なおもカウンターを食らわせます。

「工作が成功したら、海碧屋から、いくらもらうんだい? 裸を賭けてやるんだから、たんまりもらうんだろ? それとも、オモラシビデオが世界中に広まった女だ、そんなの恥ずかしくもなんてもないってか?」

 わらびさんは、キッとエロ親父どもを睨みつけ、言いました。

「ビタ一銭も、もらわないよ。当たり前のことを、当たり前にやってくれって頼むのに、なんでカネをもらって引き受けなくちゃならないんだよ」

「当たり前のことを、当たり前に?」

「そうだよ。判定を依怙贔屓してくれ、場合によっちゃ良心を捻じ曲げでもウチを勝たしてくれっていうのは、当たり前の頼みじゃないだろ。邪道だろ。でも、あーしらが負けても構わないから、正々堂々とやってくれっていう頼みは、わざわざ頼み込むまでのことじゃない、当たり前のことじゃん」 

 甘酒に手を出そうとして、手首を叩かれていた洟垂れ小僧が、感嘆の声とともに、わらびさんを見上げました。

「ねーちゃん、かっけえ」

 わらびさんは、洟垂れ小学生に鷹揚にうなずいて見せると、再びカッコイイ啖呵を切りました。

「で。どーするんだい? 勝負するの? しないの?」

 わらびさんの計算では、ここで、見るに見かねた良心的オバチャンやオッチャンが助けに入ってくれ、わらびさんのストリップを押しとどめてくれる予定でした。桃生屋さんにも事情を詳しく尋ねる人も出てきて、金華山衛生の社長の大人げない態度をたしなめ、コンペへの横やりもなくなるはずでした。め・ぱんの鼻をあかし、桃生屋さんにも恩を売れる、一石二鳥の作戦と彼女は自負していたのですが……。

 誰も、助けに入ってはくれなかったのです。

 代わりに、鼻の頭どころか白目まで真っ赤にした棟梁が、「オラが相手すてやっぺ」と、ふらふら立ち上がりました。

 わらびさんは天を仰いで叫びました。

「えーっ。なんで、誰も止めてくんないのよーっ」

 金華山衛生の社長が、さも当然といった、したり顔で言います。

「あんたは一体、何を期待してたんだ。ここは東京じゃない。女川だぞ。内容がどうとあれ、勝負を挑まれたら、ウケるに決まってるじゃないか」

 わらびさんは、憤然と反論しました。

「ここに、正義はないってわけね」

「何を言う。勝負を挑まれて、受けてたつのが、正義じゃないのか」

 神主さんも、なぜか金華山衛生の社長に加勢します。

「神前ですから。勝負は勝負、正義は正義と割り切るのが、正義です」

 リリーさん一行も、ここぞとばかりに囃し立てます。

「勝ったほうが、正義よ」

 かくして、誠に不本意ながら、わらびさんは棟梁と野球拳するハメになったのです。ぐでんぐでんに酔っぱらっているくせして、棟梁はめっぽうジャンケンに強く、最終的に、わらびさんはビキニのパンツいっちょうになりました。たわわな胸を左腕で隠し、彼女はフンドシいっちょうの棟梁と最終勝負に挑みました。

「アウト。セーフ。よよいの、よいっ」

 負けた棟梁は、額にキリリとねじり鉢巻きを締めており、フンドシの代わりにハチマキを取ったら……と、め・ぱん一行がアドバイスしました。けれど「何を言う、負けは負けだ」と彼はあっさりフルチンになりました。

 棟梁は裸になったついでだ、となぜか安来節を踊り、棟上げ式が終わるまで、そのままフルチンで酒を飲み続けました。まさか本気で野球拳をするとは思わなかったと、施主さんがわらびさんを褒めました。褒めなくともいいから、止めてくださいよお、とわらびさんは唇のハシを尖らせました。子どもの教育に悪いものを見せて……とお母さん連が、なぜかわらびさんではなく、神主さんに食ってかかっていました。先ほどの悪ガキたちが、わらびさんによってたかってきて、裸になるのが好きなのか、と聞きました。

「あんたたちのタメだよ。あんたたちの未来のために、体を張ったんじゃないか」

 女川のために脱いだんだから、そこんとこヨロシクね、と言いながら、彼女は服を着ました。彼女がどんなに蓮っ葉でも、もう女川交番のお世話になるのは、こりごりだったからです。わらびさんの侠気に感ずるものがあったのか、施主さんは、その後、オヤジさんを「パチンカス集団」から足抜けさせたそうです。桃生屋さんは足抜けしたがっていた他の同僚と一緒に、わらびさんに向かって柏手を打ちました。「これで良心の呵責なしに審査に臨める」と感謝しきりだったそうです。金華山衛生さんは、もとより消防団後援会を辞めはしませんでしたが、この棟上げ式の一コマに尾ひれがついて町中に噂が広がると、さしもの神通力も衰え、彼のために票集めしてくれる人は、いなくなったということです。


 翌日、勝ち誇ったドヤ顔で、わらびさんは事務所に顔を出しました。

 武勇伝は聞いてるよ、とヤマハさんが珍しく彼女を褒め称えました。我らが工場長コンビ、両・昭子さんたちも石巻渡波で甘焼きをいっぱい買ってきて、彼女の勝利を祝いました。けれど、残念ながら、私やてれすこ君の表情は、晴れないままでした。

「何、しけた顔してんのさ、社長さん?」

「うん?」

「あーしが身体を張って……いや、オッパイを張って勝ち取った勝利に、もっと喜びなさいよっ」

 てれすこ君が、私の代わりに、答えました。

「資金がショートしそうなんだよ」

 銀行からも、漁協からも目いっぱい融資を受け、県の中小企業助成金も受けてはいますが、それでも資金繰りが苦しくなってきていたのです。

「コンペまで、あと一週間なんでしょ? どーすんのさっ」

「とりあえず、水を飲んで暮らしますよ。水道の水より、近所のお寺さん、照源寺の湧き水のほうがうまそうだから、明日から毎日くんでくることにするかな。今のところ、これが唯一の決定事項」

「決定事項なの?」

「ダイエットの続きと思って、わらびちゃんもつきあってくれ」

 てれすこ君の投げやりな一言に、さしものわらびさんもため息をつきました。

「破産したら、どーすんの? 漁港だし、やっぱ、マグロ漁船の乗組員?」

「それは一昔前……いや、二昔か三昔前の話ですよ。今なら、福島原発の除染作業関係かな。女川にも原発ありますしね、ツテをたどって、中抜きナシの割のいい仕事を探す、と」

「ブラックジョークにしても、ヒドすぎ」

「いや、マジメにです。破産したら、借金、億の単位ですし。でも、首をくくるくらいなら、危険な仕事でもなんでも引き受けて、お金を返してから死にたい。零細だけれど、社長としての、ささやかな矜持です」

「そんなミエ、馬に食わせて、泥棒でも夜逃げでもしなさいよ」

「あ。夜逃げか。いいですね。勉強が生きる」

「勉強?」

 女川出身の有名タレント、中村雅俊の「夜逃げ屋本舗」をビデオで何度も見た経験が、図らずもここで役立ちそうです。

「情けないこと、言わないでよ。社長さんたちがマジで夜逃げしたら、あーし、なんのために、野球拳やったのさ」

 それは、そうでした。

「じゃあ、パチンコでもして、稼ぎますか」

「それだけは、絶対イヤ」

「珍しく、わらびちゃんと同意見です、海碧屋さん」

 てれすこ君のみならず、工場の全員が、口をそろえて、それだけはイヤと否定します。

 ま、め・ぱんのこともあるし、当然かもしれません。

 沈んだ雰囲気を打ち破ってくれたのは、遅れてやってきた中学生オペレーター、ショート君でした。

「……でも、社長。お父さんと、15年越しでようやく形になった夢が、実現しようとしてるところなんでしょう。もう1週間だけ待ってくれって、金貸しどもに、掛け合いましょうよ。勝てば、オカネ、入ってくるんでしょう? 勝てば、官軍ですよ」

「しかし……」

 父親が、息子に、明日のご飯のお金にも困る事を、告げました。

「小乗漁港とか、石浜の船着き場とかで釣りをしている観光客の人たちから、魚をもらってきますから。ネコにやるくらいなら、僕らに分けてくれって」

「私たち、猫以下なのか……」

「もー。社長さんっ」

 その後、噂を聞きつけてくれた篤志家の人たちから、差し入れがありました。

 どこでどんなふうに情報が伝わったのか、例の棟上げ式をした家の施主さんからは、「猫用缶詰」セットが贈られてきました。中身は高級マグロだの舌平目だのの豪華なものでしたから、イヤミや悪意や皮肉ではなく、純粋な善意で……間違えて、贈ってきたのでしょう。

「よし、これを食べてガンバルかー」

 コンペ前日、私とてれすこ君、二人のオペレーターで缶詰をモリモリ食べました。人間が食べても大丈夫なモノ、ではあったはずなのですが……。

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