第11話 オペレーター養成講座、3回目
「座学の3回目は、海碧ロボットそのものの特徴を勉強します。一般論も、少しは語ります」
現物を見ながら語るほうがいいだろうということで、3回目の講義は車庫で、当のロボットを目の前にして、ということになりました。我が技術陣が突貫工事で仕上げてくれたおかげで、8号機は完成済み。「進水式」を済ませた後、内骨格はそのままで「スキン」部分を手直し、9号機にすることになりました。建物の容積を考えれば、クーラー等を使うのは現実的でないので、たえず水分を……そしてアイスを補給しながら、レクチャーをしましょう、ということに決まりました。船大工さんは、10号機組立まで少し間があるので、渡波の接骨院に通って、痛めた腰を直すといいます。
これまでも、ショート君は船大工さんのお手伝いをして、たびたび車庫作業をしてきました。経験がモノを言うのか、彼は私が何も言わないのに、首巻きの冷感タオルを用意してきました。わらびさんのほうは、最初の10分でグロッキー状態になると、ダラダラと服を脱ぎだしました。びっくりした私に彼女はウインクをし、ビキニの水着だよ、あっはっは……と元気に笑ったのです。大胆にデフォルメされた向日葵の柄の水着は、サンバイザーやサングラスとあいまって、わらびさんの小麦色の肌によく似合っています。講義を始めようとしましたが、ショート君の視線がわらびさんの巨乳に釘付けになったままです。年下の美少年に見つめられて、まんざらでもないふうのわらびさんは、「見るだけで満足なのかよ、ショート」と彼を挑発しながら、後ろから抱きしめました。首にあたる柔らかな感触に、我が中学生オペレーターは顔を真っ赤にしましたが、やがて「社長、始めてください」と大きな声で開講を求めたのでした。
「では、まず、搭乗用人型ロボットの適正価格について、です」
「はい、しつもん」
「わらびさん」
「海碧ロボットは、コンペのために作った、いわばオンリーワンなロボットなわけでしょ。値段とか、関係あんのかなーと思って。ひとつしかないんだから、売っちゃったら、そもそもコンペに参加できなくね? と思うわけよ」
「わらびさん。前回の講義内容、忘れてますね。実は、この海碧ロボット、まずロボットありきで、せっかくアイデアを出したはいいけれど、使い道がなくて探してた、モノなのですよ。そしたら、ちょうど海底清掃のコンペをやっていて、応募した……というのが、話の流れなのです」
「そうだったっけ」
「そもそも、なんでこの海碧ロボットが、人力メインの動力でやっているか、という根本原因が、この適正価格うんぬん、なのです。というか、この価格うんぬんというのが、すべてのスタートなのです。さて、わらびさん。あなた、よく、工事現場にいる土砂積み専用10トンダンプの値段、知っていますか?」
「へ? ……分かるわけないじゃん、そんなの」
「じゃあ、ウチで使っているようなフォークリフト、三陸水産業界標準の2トン半から3トン半のリフトの値段は? あるいは、女川魚市場付近の復興工事で現在でも稼働中の、コンマ6のユンボの値段は?」
「だーかーらー。分からないって」
「コンマ6のユンボ、工事現場では標準的な大型のユンボですけど、だいたい1800万くらいです。たいていは土砂を掘るためのバケットがついていますけど、この先端部分はアタッチメントと言って、他の様々な作業ができるアタッチメントに交換可能になってます。知人のユンボ・オペレーターさんたちに言わせると、本体よりのアッタッチメントのほうが割高、なんて言いますけど、1台何役かさせるために、フルイのヤツとか、コンクリートブレーカーとか、バケットの他に数種類購入したりします。トータルで、2000万円を超えるのは確実です。さらに、このコンマ6サイズの大型ユンボになると、工事現場に出入りする一般的なトラックで、輸送移動はできません。低床幅広の、ユンボキャリアという特殊な専用トレーラーが必要になります。この、ユンボキャリアーのほうも、実は2000万円越え、です」
「ほっへー」
「土砂専用のダンプは、昨今、15トンや20トン積載可能な超大型が出てきたり、トレーラータイプのが出現してきたり、実に様々なバリエーション展開をしてきてはいます。でも、標準は10トン積の、やや寸詰まりしたようなシルエットのヤツです。これも実は、新車で購入すると2000万円くらい」
「皆、似たり寄ったりの値段なわけか。ねえ、社長さん、じゃあ、ひょっとして、ここの工場にあるようなフォークリフトも、新車で買うと2000万円くらい?」
「まさか。値段はずっと安くって、様々なアタッチメントをつけても、300万円から400万円ってところですよ。ちなみに、10トンの標準ロードローラーで1000万円、クレーン関係はトン100万円と言われていて、20トン吊れるクレーン車両なら2000万円、という具合です。なぜ、こんなふうに、作業用重機の価格についてしつこく調べているかというと、実際に搭乗用人型ロボットを量産したときに、顧客は、どんな購買スタイルをとるかということに関心があったからです。いわば、搭乗用人型ロボットそのものに対する関心というより、搭乗用人型ロボット『工業』や、搭乗用人型ロボット『市場』に対する関心です。まあ、現実には未だ存在しない市場であって、脳内シュミレーションに過ぎないですけど。ちなみに、わらびさん、今現在売りに出ている搭乗用人型ロボット、どれくらいの値段なのか、知っていますか?」
「だーかーらー。そーゆーの、全然知らないって」
「有名なクラタスで、腕ナシのスターターキットで一億二千万円だとか。また、他にスケルトニクスという外骨格ロボットで、一千万円。ifootとか、他の有名どころも調べてはみましたが、具体的な値段のついている搭乗用人型ロボットって、ほとんどないんですよね。ちなみに、クラタスですけど、アマゾンのレビューは、冷やかし半分で、本当に購入して運転した人によるコメントかどうか、分からないところがあります。日本国内で、お金持ちの好事家が買っているとして、実際に乗用して動かして遊んでいるところの動画や写真というのが、ネットで検索しても出てこない。アラブの石油王が買っている、なんていう噂も、噂の域を出ていない。そして何より、建設土木会社や貨物運送業、その他、現業の会社が購入して現場で役立ててます、なんていう情報は、皆目出てこない」
「何が言いたいのさ、社長さん」
「現在存在する搭乗用人型ロボットが、ホビー目的に作られたものだから、現業の会社での購入がないものだとして、もし、完璧に荷役作業や建設土木の現場に耐えうるスペックになったとしたら、実際に、ロボットを購入する会社は、どれくらい現れるだろうか? です」
「仕事で使うんなら、どんなに高くても、買わざるを得ないんじゃないの?」
「違いますよ、わらびさん。私の話、聞いてませんでしたね? 前回の講義を思い出して下さい。搭乗用人型ロボットは、あくまでも汎用型であって、特化型の重機には、作業効率では勝てないのです。でも、ホビー目的ではなくて、ある程度の作業ができる搭乗用人型ロボットができたとして、夢やロマンや少年時代の冒険心と言った、経済経営の範疇外の動機を抜きにして、試しに買ってみようかという会社が、もどれくらい現れるか、ということなんです」
「最初から、効率が悪いって分かってれば、わざわざ買ったりはしないんじゃない? 夢や希望やロマン抜きっていうことは、いわば、現実主義者の社長さんに、ロボットを買わせようってことでしょ? 今どき、この手のロボットをマジメに買うひとがいるとしたら、夢やロマンを追い求めてる人がほとんどに決まってるのに、あえて、そういう人たちを排除して考えるって、ことでしょ? 明らかに仕事ができない機械を買う意味って、あるのかなあ」
「実際に、そういう選択肢をしている人は、多いですよ。ちょっと説明が分かりにくかったですね。ええっと。たとえば、中古モデル。旧式、あるいはセコハンなために作業効率は確かに落ちるけれど、手持ち資金が少ないがために、そちらを選ぶというのは、普通にある購買パターンです。あるいは、こういう、貧乏な……もとい、資金節約型の購買行動を起こすユーザーのために、メーカー側も、エントリーモデルとか、エコノミーモデルとか、色々と名前をつけて、低スペック、低価格な商品ラインナップを展開していたりします」
「ふーん。要するに、安けりゃ、役立たずのロボットだって、買う社長さんが出てくるよ、と」
「ぶっちゃけ、言いたいのは、そういうことです。けど、搭乗用人型ロボットが、既存の重機機械の下位モデル並みの働きをして、さらに他に応用できると分かっていても、単純に、現場使用目的で、ロボット購入を決める人は、あんまりいないでしょうね。保険の問題があれば、労基署・県の建設課・警察等、各種の監督監査機関の問題もあります。また、ロボットそのものの性能が、なんらかの公的機関で保証されていないと心配、という人もいるでしょうし」
「保険て?」
「未知の機械には、保険料の算定が難しいんですよ」
海外のタレントさんが、胸やお尻に何億という保険をかけるという例もありますし、労災事故保険の算定技術も進んでいるでしょうから、搭乗用人型ロボットがいきなり現場で使われ出しても、各種保険料が天文学的に跳ねあがったり、そもそも保険引受を拒否したり、はないとは思いますが。
「さらに、現場作業員の保守性という問題もあります。新規の、毛色の変わった作業や機械にチャレンジして苦労したところで、日当は変わらない、というのが普通ですから」
「結局、社長さん、なにが言いたいのさ」
「価格がかなり安くとも、実際に搭乗用人型ロボットを現場投入する社長さんは、あまり多くないだろう、ということです。夢やロマンに満ちあふれ、新規の事業展開の可能性があったとしても、現実に会社を切り回している人なら、冷徹な計算が優先してしまうのでは?」
こういう前提条件のもと、じゃあ、実際に搭乗用人型ロボットを、「会社のカネ」で買わせる、そう、個人のポケットマネーではなく会社のカネで、そのための適正価格は、いかほどか?
「そこで、ユンボやダンプ、ユンボキャリアの2000万っていうのが、ひとつの目安じゃないかと、思うんです」
「2000万円かあ。普通のサラリーマンには、まず無理なお値段よね」
「搭乗用人型ロボットが普及して、中古市場が成立すれば、また少し状況が違うんでしょうけど。具体的なストーリーにすると、こんな感じです。サラリーマン経営者じゃなくて、オーナー経営者、しかも少しワンマンぎみの社長さんが、社員の反対を押し切って、ロボットを購入。社長のオモチャにとどめておいてくださいよ、と社員たちが念押しするのに、無理やり現場に投入。労基署の抜き打ち検査が来て、根掘り葉掘り事情を聞かれる、法令違反にならないか、あら探しされる。そのうちに、労災その他の事故が起き、警察や保険屋の現場検証。搭乗用人型ロボットの導入を決めた社長さんは、そのすべてに対して説明する義務が出てきます、といったところですかね」
「うわ。めんどくさそう」
「はい、しつもん」
「ショート君」
「何かの重機を基準にして値段を決める、という考え方は分かります。でも、なんで、2000万円ですか? なんで、ダンプやユンボ基準なんですか?」
「これ以上高価な重機になると、代替不可能な作業をしていることが、多いからです。搭乗用人型ロボットに比較すれば、重機はどれもこれも汎用性が低いですけど、高価で大型になるほど、その融通の利かなさはキツくなる。重量や形状といった点で、これしかない、という形の機械になってしまう。今まで説明で使っていた『特化型』という言葉は、『汎用型』という言葉との対で、説明のために比較的そういう傾向があって、というニュアンスでしたけど、価格が高く、少数しか生産されないような特殊な重機は、文字通りの意味で、ガッチガチな特化型であることが、ほとんどなんです」
たとえば、100トン吊が可能で、高さ100メートルまでジブが上がるクローラクレーンがあったとします。同等の性能、同等の作業をこなせる代替機械は存在せず、A社の100トンクレーンがイヤだったら、B社の100トンクレーンを使うしかない、そういう現実があるとします。クレーンがどんなに嫌いでも、同じように100トンを持ち上げられて、地上100メートルまで上げられる他の機械、たとえばフォークリフトとかが、一切存在しない。こういう場合に、たとえば社長さんが、社内の反対勢力を説得する時に『100トンクレーンの代わりにならないか、ロボットを試してみたい』という説得の、説得力が弱いということです」
「たとえ、高さ100メートルのロボットでも?」
「試しに買ってみる、という値ごろ感を、大きく越えちゃうと思いますね。また、安全基準や移動方法その他でも、難が出てくる」
「ダンプやユンボなら、大丈夫?」
「正確には、これ以下の価格帯の機械重機類には、代替手段や代替機械がある場合が多い、ですね。たとえば、ユンボで漁港の雪かきをするという仕事があったとします。ユンボ以外では今まで漁港の雪かきが不可能だったのに、いきなり、搭乗用人型ロボットにやらせてみる、というのはムリなチャレンジに聞こえるでしょう。他方、この作業はユンボだけではなく、フォークローダーやブルドーザーでもできる、となれば、他の機械が導入されたときの作業内容の想定も、難しくありません。搭乗用人型ロボットでもできるかどうか、フォークローダーやブルドーザーに引き続いて実験してみる、というのは、じゅうぶん説得力がありうる、と思うのです。たとえこの、雪かきの効率で他の重機に劣り、価格もおっつかっつの値段だったとしても、保管に場所を取らないとか、他の作業にもロボットを流用できるとか、汎用型ならではのメリットが説得力を持つのも、この代替性が力を発揮してからではないか、と思うわけです。
結論。
搭乗用人型ロボットは、ある重機が他の重機で代替できるような状況があってこそ、さらにこのロボットでも代替できるよ、という言い方が説得力を持つ。そして、この、なんとか代わりになりそうな機械重機の値段の上限を考えると、2000万円くらいである、と」
「うーん。なんか、タヌキやキツネに化かされているような」
「埼玉のキツネは分かりませんけど、女川のキツネは、こんなに屁理屈こねませんって。……ユンボやダンプトラックは、どんな建設土木会社でも、たいてい持っている、ありふれた重機だから、基準にしやすい、というのもあります。ロードローラーや大型クレーンになると、それなりに特殊な仕事をする会社しか、持ってないことも多いです」
「基準は分かったわよ。てか、実際、そういう土木建設会社に勤めたことがないから、ピンとこないけど、そーゆーことに、しておいてあげる。で、その、ロボットの値段2000万……決めたところで、意味あるの?」
「海碧ロボットは、単に、搭乗用人型ロボットそのものを考えているだけでなく、『工業』『市場』をも意識しているのだ、という話、しませんでしたっけ? いずれは量産して『工業』『市場』形成を視野に入れることを考えて、価格の上限2000万円に収まることを第一目標にて、設計製造を開始したんですよ」
ちょうど、さきほどあげたスケルトニクスが1000万円で売りに出ているので、基本の駆動システムはこれを採用、です。パワーアシスト機構に、水密構造の「スキン」をつけて、だいたい、2000万円に、おさまる感じなのです。
「てか、ロボットの中身、一から自社で作るんじゃ、ないんだ」
「既にあるものを利用しないのは、時間と開発費の無駄になりますよ。それにこれは、ロボット工業のあり方への提案でもあります」
「というと?」
「一メーカーが、多数の数次下請けを持つにせよ、完成品という形でユーザーに引き渡す方式は、搭乗用人型ロボット工業に、最適な生産様式なのか? です」
「ごめん。ますます、分かんない」
「ロボットより、パソコン市場の例を引いたほうが、分かりやすいかもしれません。OSの分野で、二つの会社が競争しているのだ、という話なら、わらびさんだって、聞いたことがあるでしょう? マイクロソフトと、アップルです。アプリケーションを動かす基本ソフト同士の争いで、当然、プログラムの在り方とか、ソフトウエアの違い等はありますけど、それ以上に、業態に相違点があるんです。すなわち、アップルのほうは、OSのみならず、ハードウエアも一貫して自社で手掛けているのに対して、マイクロソフトのほうは、基本OSのみ扱うソフト屋だということです。そう、ハードについては他社任せ、OSをインストールしてもらうという販売形式なのです。実は、搭乗用人型ロボットの生産販売についても、このような、一貫生産タイプか、プラットフォームを準備するためだけのタイプか、というふうに、生産の在り方の選択肢があるんじゃないか、と思うわけです」
「まだ……分かんない」
「つまり、一つの会社で、搭乗用人型ロボットを、一貫して完成品にまでして出荷するやり方と、自社ではロボットの基本フレームに徹するやり方です。後者のほうは、オプション、アタッチメント、その他という形で、各々の作業に適する架装を、他のメーカーに任せる。さっきのパソコンの例で言えば、全部手掛けるアップル・タイプのやり方ではなく、マイクロソフト的な、基本のロボット機構と架装メーカー、別々のタイプです。で、ウチでは、基本、この架装メーカーをやろうかな、と思っているということです」
「アニメやマンガでは、どんなにリアルを追求するヤツでも、だいたい一社提供ですよね」
「ははは。いいところに気がつきましたね、ショート君。アニメなんかでは、説明があまり複雑にならないようにという配慮があるのだと思います。それに、実際の重機メーカーでも、一社で提供というのが普通ですから。でも、たとえばトラック・バスメーカーなんかは、この、基本フレーム・プラス・架装メーカー方式が普通で、パソコンに例えれば、マイクロソフト方式なのだ、と言えます。実際に、まだ搭乗用人型ロボット市場ができていないから分かりませんけど、だいたいの予想みたいなのは、できます。その一、搭乗用人型ロボットを作る基本メーカーそのものに資本力がなければ、分離架装方式になっていく可能性が高い。その二、ロボット架装のバリエーションの種類が多く、また、その振幅が幅広いほど……つまり、形状等がかけ離れていて、共通の部品や構造等が少なければ少ないほど、分離架装方式のほうが有利有望だろうと思われます」
「はい、しつもん」
「わらびさん」
「じゃ、さ。海碧ロボットは、基本フレームを作るメーカーが、一貫生産タイプで製造するのは、難しい?」
「先ほど挙げた予測通りですよ。資本力、バリエーションによります。あ。あと、同じ種類のを大量生産するかどうか、にも左右されますね。海碧ロボットは、ある程度、海中に使って仕事をするのが前提です。基本メーカーが、ロボット一体だけのために水中試験をするとしたら、ずいぶんとコストがかかってしまうんじゃないでしょうか」
「そうだ。その水中試験というか、進水式、どうするんですか?」
「あれ? ショート君、船大工さんから、聞いてないですか? 浦宿駅裏、サンスイっていう水産養殖会社から、幸勝水産という海産物加工会社まで、五十メートルほどある岸壁の沖合を使う予定です。そう、万石浦の奥三分の一、市町村境では女川になっている海域を利用します。万石浦は、渡波の祝田や万石町のあたりで外洋につながってますけど、基本、山に囲まれた、湖みたいになっている内湾です。サメだのシャチだのの危険生物に遭遇することもありませんし、海面も静か、離岸流に流されて漂流する心配もありません。しかも、沖合にいくほど浅く、逆に奥のほうほど深いという内湾です。つまり、万石浦一番奥にあたる、浦宿駅近くが一番深くて、ロボットをどっぷり沈めるのにも、好都合というわけです。実験プールみたいな条件を備えている海域というのは貴重で、淡水のプールなら不可能な、海藻だの貝だのヒトデだの、海中生物付着の具合も観察できますし、塩害や金属の腐食具合もチェックできる。船底塗料の選定や、どれくらい厚塗りするかというのは、実践さながらの海中活動で調べるに限る、ということです」
「いや、あの……使っていい海域とか、ダメな海域とか、色々と規制があるんじゃないかなって、思って」
「心配性ですねえ、ショート君。実は、公明正大に実験するために、自分たちのための漁協を作ろうと思ってるんですよ」
「漁協?」
「正確に言えば、作るっていうより、復活させる……いや、休眠していたのを、起こすっていう感じでしょうか」
平成19年に宮城県内の漁協大合併があり、いくつかの例外を除いて、県は単一漁協となりました。しかし、これ以前は、各々の「浜」ごとに、小さな漁協が乱立しており、女川も例外ではありません。現在は女川町支部の一漁港扱いになっている針浜、大沢の2漁協の他に、実は、この万石浦(女川町区分)には、もう一つ漁協がありました。浦宿漁協です。現実には、漁師さんが少なくなっていき、自然消滅……いや、休眠中な漁協なのです。
「ほうぼう、他の漁協が合併しちゃってるなら、休眠中もヘッタクレもないんじゃ」
「わらびさん、それは言わない約束でしょ」
「はあ」
「かつて、その、浦宿漁協が存在したときに、実際に組合員であった人が、まだ、漁師のマネゴト……地元の言葉でコ漁師コと言うんですが、日曜園芸の漁師バージョンみたいな形で、やっています。要するに、趣味的な魚獲りです。ウチのオヤジのイトコで勝又さんという人。もう、80になるかな。幸勝水産の用水路水門近くでに、1トンパレット数枚と単管パイプを組み合わせた手製の桟橋を作って、和船を係留しています。幸勝水産の社員さんたちも、仕事の関係でなんやかや船を利用することもあるとかで、勝又さんとの関係は良好とか」
「漁協は休眠しているのに、勝手に魚を取っても、いいんですか?」
「漁協のあるなしと、漁業権のあるナシとは、違いますから。で、この浦宿漁協を復活させて、独自の海面区画漁業権を獲得、搭乗用ロボットの水産養殖をやろうと、というわけです」
「えー。ロボットの養殖? でも、ロボットは食べられませんよ」
「三重県の真珠とか、食べられない海産物の養殖もありますよ」
「そもそも、ロボットって、海産物ですか」
「まあ、そういうことにしておいてください……実は、浦宿駅裏から針浜にかけての一帯は、女川町有数の工業地帯で、都市計画の区分も、準工業地域や工業地域になっています。女川町商工会の事務方トップの青山さんという人が、この勝又さんの婿さんなんで、そちらにかけあって、工業港扱いにしてもらうっていう手もあるんですけど、名前がどうあれ、オカミのお金が入って整備されるっていう可能性はゼロですからねえ……漁港でございます、というふうにしておけば、ヨソの人に利用させてくれというお願いも拒否できるし、なんせ、タタミ一畳ぶんのパレット桟橋で工業港というのも、恰好が悪い話で」
ジュースもアイスも切れてしまったので、買い出ししてくる間、小休止となりました。わらびさんが、ビキニの恰好のまんま、コンビニまで行くと言い出して、止めるのに手を焼きました。私は仕事の電話が何本か入っていたので、てれすこ君に指示がてら、買い出し係を買って出ました。戻ってくると、なぜかわらびさんがショート君の膝の上に横座りしています。わらびお姉ちゃん、重いよ……とショート君が足をバタバタさせいました。レディーに向かって体重の話なんてするんじゃないの、とわらびさんは彼の耳を引っ張りました。
「切りの悪いところで中断しましたけど。続き行きましょうか、ショート君」
「ええっと。じゃあ、重さの話から。プラスチック・パレットの桟橋じゃ、ロボットの重量に耐えられないんじゃ」
「ああ。そもそも、パレット桟橋自体、利用しませんから」
「しないんですか」
「進水式は、桟橋からではなく、幸勝水産の用水路水門を利用します。実は毎年四月、勝又さんに頼まれて、彼の和船の陸揚げと陸送のアルバイトをしてるんです。船を海に浸けっぱなしにしておけば、船底にフジツボがついたりヒトデがついたりして、どんどん重くなっていきます。年に一回くらいは日干しにして、これら付着生物を削り落とし、ペンキを塗り直す。勝又さん自身は、クレーン車を持っているわけではないので、作業は全部、私がやってきました。このときの和船の陸揚げですけど、満潮時の用水路水門を利用するんです。ちなみに、この勝又さん家、道路を挟んで、この工場の真向かいです。というわけで、工場出荷から万石浦までの輸送は非常に慣れていますから、安心してください」
「ちょっと待って……はい、しつもん」
「わらびさん」
「ショートの質問で、ちょっと思ったんだけどさ。海碧ロボットって、ひょっとして、結構重いの? 女の私が操縦しても、大丈夫なくらいの重さなんでしょうね? 確か、全部、人間の力で動かすロボットなのよね?」
「基本機構のスケルトニクスは確かに全部、人力で、なんですけど、海碧ロボットには補助動力をつけようと思っています。圧縮空気による空気圧駆動アシストです。問題は、結構大きな空気ボンベを背負っても、圧縮空気のパワーや持続時間は限定的だということです。頻繁にタンク交換可能なような工夫の他、海碧ロボットを太らせる工夫がいるかな、と思っています」
「ロボットを、太らせる?」
「アルキメデスの原理ですよ。海碧ロボットは、ボディ全部とは言わなくとも、常に何割かは水中に浸かった状態で使用するがデフォのロボットですから。体積が大きければ大きいほど、浮力が利用できます。補助動力を、あえて空気圧にするのは、四六時中動力に頼らなくてもいいという、半水中ロボットとしての、この特性のためでもあるし、油圧装置等だと、故障したときに海を汚してしまうアクシデントを避けるためでもあります。また、万一、海碧ロボットが海中から上がってこれなくなくったとき、そしてオペレーターがコックピットで酸欠状態に陥ったとき、酸素不足を補う助けにする、という意味でもあります」
「事故の想定か……たしかに、タンカー事故みたいに、海面が油だらけになったら、賠償金がハンパなくなりそう」
「心配してくれてありがとうございます、わらびさん。実は、その点、他の漁港には根回し済なんです。針浜のほうは、小学校中学校の同級生が組合員として、今や中心人物の一人として牡蠣剝き場を切り回しているので、根回し済。そして、大沢漁港のほうは、十年ほど前まで、この海碧屋の従業員だった人の娘さんという人かいるので、まあ、目下交渉中なんです」
「なんか。人間関係の濃さっていうか、つながりがハンパないなあ」
「そりゃ、まあ、東北のド田舎ですからね……逆に言えば、地縁血縁をたどられない人は、実験用の海域を見つけるのだって一苦労するだろうな、と……いや、事実上、見つけられないでしょうね。最初にショート君が心配してくれたように、なんの線引きもしていないように見える海でも、漁業権が設定されていたり、海路で作業が禁止されていたりと、色々規制ありますから。だから、逆に、りばあねっとの連中が、どんなふうに浸水実験をするのか、気になると言えば、気になるところです」
「はい、しつもん」
「わらびさん」
「今、スケルトニクスについて、ネットでググッてみたんだけどさ。手とか足とか、連動式だから、二時半も練習すれば、誰でもモノになる、みたいなこと、書いてあるよ。機体一つ乗り潰すくらいして、訓練する必要、あるの?」
「ルーチンワークについては、わらびさんの言う通りでしょうね。動かし方のほか、作業も少し覚えてもらえれば、大丈夫でしょう。訓練の主な内容は、浸水したときの脱出のしかた、機体が壊れたときの補修の仕方、それにパラシュートアンカーとドローグの使い方、とかですよ」
「パラシュートアンカーって?」
「船が海流等で流されないようにするための、錨の一種、って言えばいいかな? 港にいれば係留柱につなぎます。少し沖で停泊するときには、錨を投入します。しかし、位置を完全に固定させないまま、海流等に流される動きを緩やかにするための、アンカー、と言ったらいいかな? 名前の通り、パラシュートみたいな形のを、海に沈めて海流を受け止めるんです。海碧ロボットも、半ば以上海中に浸かったままの作業がある以上、何らかの形で位置固定ができる技術というか、道具が必要になります。最初は、普通に船の錨、プレジャーボートとかに使用されているのの、流用を考えていたんですけど。実際に漁協の人たちに取材して聞いてみると、それよりはパラシュートアンカーのほうがいいのでは、というアドバイスをもらいました。海底清掃の作業につれて少しずつ移動する必要はあるし、錨そのものが結構重い、ということもあるしで、結局、この、海面に浮かべて……半ば沈めて使うのを、選択することにしたんです」
「海碧ロボットそのものを小さくすれば、その、鋼鉄製の錨だって、使えるでしょ? パラシュート型だかなんだか知らないけど、そーゆー難しそうなのは、カンベンしてよ」
「海碧ロボットそのものを小さくしたら、浮力を利用できません。非力な女性や子供でも動かせるようにするために、アルキメデスの原理を利用するのだという話、思い出してください。パラシュートアンカーはハイテクな布製であることがほとんどなので、軽さという利点もある。ただ、あまり大きなものを広げるパターンにすると、回収するのも大変だし、作業の邪魔でもあるしで、複数個の組合せでできないか、色々と検討しているところです」
「一個でも難しそうだけど」
「まあ、努力あるのみ、です。残りの二つのうち、補修作業については、一通りレクチャーして終わり、です。これは、コンペ対策というより、海碧ロボットが、日々の作業に組み込まれるようになる、まあまあ遠い将来に必要になるスキルですし」
「修理は、船大工さんやヤマハさんがやるんじゃ、ないの?」
「ははは。わらびさん、だから、これは、搭乗用人型ロボットそのものより、『工業』『市場』を意識しての訓練内容ですよ。コンペに勝ち抜いて、女川だけでなく、全国津々浦々に海碧ロボットが普及したとき、その修理をどうするか? という問いに対する答えなんです。核心の機械部分、スケルトニクスの部分が壊れてしまった場合には、メーカーに問い合わせてもらうしかないですけど、架装部分、ウチで艤装した部分については、ウチが責任を持つ、当然ですが。それで、故障の程度に応じて、何段階かに分けて、修理できるようにしたいと思ってるんです。まず、ボディ表面です。スキンの部分が傷ついたり、ひびが入ったりした場合。これは、ユーザーさんたちに補修キット・補修マニュアルを案内してて、自力で直してもらう予定でいます。必要なのはガラス繊維マットと、FRP樹脂です。人間がケガをしたときに、患部を消毒してガーゼをあてがってサージカルテープで固定して……と治療しますけど、それと一緒の感じです。キズの部分をパーツクリーナーで洗浄して、ガラスマットを適当な大きさ形に切ってあてがい、FRP樹脂を塗って完成。そもそも、このガラスマットとFRP樹脂というのは、漁師さんのみならず、他の漁業関係者でも、仕事をしているうちに一度は扱ったりする、非常にポピュラーな代物です。硬化剤の割合とか、乾燥するまでの日時とか、こちらが詳しく説明しなくとも、我々以上に知っている人も、多いです」
「ふんふん」
「これよりキズが深い場合、たとえばFRPのスキンが完全にはがれて内側の甲殻部分が壊れてしまった場合、あるいは穴が開いたりして浸水してしまった場合。これは、最寄りの造船所に持ち込んでもらうという形にしようかな、と思っています」
「造船所?」
「アニメやマンガに出てくるロボット、あるいは今実現しているノンフィクションロボットのほとんどは、ユンボ等の重機、あるいは戦車等の兵器を意識して、ロボットのデザインや製作をしていると思います。けど、海碧ロボットは違います。小型船舶、特に三陸地方で使われているような漁船を意識して設計工作しているんです。実際の艤装にあたっている二人、船大工さんとヤマハさんも、船舶製作修理にかかわってきた人たちです。二人に仕事を頼んだ時には、わざと意識して、船舶製作の技術を流用してください、と頼んであります。で、もともとが船なんだから、ユーザーが自力修理できないくらい破損した場合には、造船所で直してもらうことにする、と」
「海碧屋で、出張修理サービスは、しない?」
「販売先が、たとえば宮城県内だけで、販売数も数十体とかいうなら、現有の技術陣でサービスマンのチームを作ってコトにあたる、とかできるんでしょうけど。全国津々浦々に、何万何十万という数を販売するという、大いなる野望を実現させるには、オカネも人手も足りない、ということになりそうですし、実際、自動車の修理車検を考えてみれば、メーカー直営工場やディーラーが修理を全部引き受けるなんてことはなくて、町工場が代わりに活躍する、というのが普通ですよね」
「船の技術の流用であっても、完全に船と同じではないんでしょ? いきなりロボットを持ち込んで、ハイ直して、とか言われても、造船所のほうでは困ってしまうんじゃ」
「特約店契約みたいなのを結んで、技術指導と、パーツ換装の指導から始めますよ」
今回の海碧ロボットは急に持ち上がったコンペなので、木工工作によって甲殻、スキンの下の鎧構造を作成してあります。けれど、ゆくゆくは、3Dプリンタで、パーツを印刷する方式にする予定です。もちろん、フォークリフトやユンボ並みに普及したときには、パーツ作製は下請け企業を募って頼むつもりではありますが。
宮城県内にも、3Dプリンタを扱う会社はいくつかありますので、パーツごとのデータを作成してもらい、インターネット上に流す。海碧ロボットの修理を頼まれた造船会社は、いちいち女川に連絡しなくても、ネット上のデータを印刷するだけで、パーツを入手できる。海碧ロボット普及の最初期、事務量の爆発的増加にマンパワーが追いつかなくなったとき、そして必要な運転資金をどうしても確保できなくなったとき、やりくりするための裏技です。他にも、ロボット販売でメシを食っていくための方法は、種々、考えてありますよ」
「ずいぶんと、先読みしてるんだなあ」
「先読み、というより、今、搭乗用人型ロボットについて、できること……いや、語られうることを語った結果、というべきかもしれません」
「語られうること?」
「一回目の講義に、さかのぼりましょう。搭乗用人型ロボットは、その描かれ方の進化によって、語る人が増えてきている、という話をしたのを、覚えていますか? 70年代にはプロデューサー、80年代にはディレクター、そして00年代にはエンジニア、10年代にはスポンサー。語る人が増えるにつれ、語り口もバリエーション豊かになってきたのだ、という話です。この、ロボットを語る際の『今』を考えると、20年代は、現実化したノンフィクションロボットを、どんなふうに産業化するのか、という語り口になるんじゃないかと、思うんです。実際、搭乗用人型ロボットと限定しない各種ロボットについて、経済産業省がシステムイングレーターの育成強化という形で、今後の計画をぶちあげています。
ここにあるのは、もちろん、『語られ方』という一種の批評ではなく、ロボット・コンサルタント企業を念頭においた、産業への実際応用なんですが。
ちなみに、この20年代に語る『語る人』は、コンサルタントというより、ロボット産業と非ロボット産業をつなぐ、業際的なベンチャー企業人、その人になっていくんでしょうね」
「社長の語り方が、その決定版ってこと?」
「まさか。違いますよ、わらびさん。あくまでも語り口の一つであり、どんなふうに語らればいいのか、その切り口の一つだろうと……いや、そういうのを目指している、ですね」
てれすこ君が息子さんを迎えにきて、この日の講義は終了しました。
座学、座学でなかなか進展しないロボット論も、一応の決着です。わらびさんが、またまた、息子さんにちよっかいを出しているのを見て、小言の一つもかますのかな、と思い気や、彼は神妙な面持ちで、私に耳打ちしてきました。
「スパイ、判明しましたよ」
やはり、私たちの情報は、「りばあねっと」側に漏れていたのです。
縄文顔さんです、と、てれすこ君は、さらにさらに小さい声で、犯人を指摘してきたのでした。
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