第8話 弥生と縄文

「わらびちゃん。お客さんだよー」

 働かざる者、食うべからず。

 毎食お昼を海碧屋で、従業員の皆さんと一緒にいただくようになっていたワラビさんは、この日もウチの工場のお手伝いをしていました。てれすこ君の呼び声に、彼女は自問自答しました。

「いったい、誰?」

 ユーチューバーとしての活動で多少とも町内で顔は広くなりましたが、一緒に遊びに行ったりするほどの親しい友達は、まだできていない、とは本人の弁。

「彼氏じゃないの?」

 わらびさんと一緒に針金加工をしていた木下工場長が下世話にほくそ笑み、「車がないと、デートもままならないからねえ、女川って」と斎・副工場長も下世話に心配してくれました。

「そもそも、恋愛適齢期の男子、女川にはいないでしょーが」

 わらびさんは二人に軽口を叩きながら、駐車場で待っていた人影に向かいました。ハンカチで汗をぬぐいながら、女性が二人、話し込んでいました。背の低いほうの女の子が、迷彩模様の見知った制服を着ているのを見て、わらびさんは少し警戒しました。白いTシャツにジーンズ、パンプスだけの女子のほうは、既に見知った顔でした。「りばあねっと」の元隊員、居酒屋ダイヤモンドヘッドで牟田口総裁にセクハラを受けていた、弥生顔さんです。初見の「りばあねっと」制服に身を包んだ女子のほうは、目鼻立ちがはっきりした美人でした。便宜上、彼女のことを縄文顔さん、と呼んでおきましょう。

 弥生顔さんは、わらびさんがおもらしした夜のことを持ち出し、あの日はありがとうございました、と深々と頭を下げました。わらびさんは困ったような恥ずかしいような気分になりました。話の接ぎ穂もないので、一応、近況を尋ねます。

 いったん東京に逃げ帰ったものの、やはりどこかでボランティア活動をしたくて、再び女川に戻ってきたのだ、と弥生顔さんは言いました。今度は、りばあねっとに頼らない、フリーのボランティアとして、皆さんのお手伝いがしたい、と言います。それで、同じような志の同志が欲しくて、りばあねっとの旧知に連絡をとったところ、縄文顔さんが意気投合してきた、と言うのです。

「なに? りばあねっとに対抗して、『まうんてんねっと』とか、他のボランティア組織でも、立ち上げるとか?」

 あーし、協力はしないよ、とわらびさんはニベもなく、言い放ちます。

「違うくて。そういうのじゃなくて。彼女も、牟田口総裁のセクハラ被害者なんですよ。正確には、未遂だけど」

 わらびさんは、縄文顔さんに、アゴでクッイと合図しました。

「話して」

 縄文顔さんが「りばあねっと」入隊して10日、女川に来てから三日目のこと。彼女は牟田口総裁に誘われて、「りばあねっと」所有のクルーザーに乗り込みました。口実は、江ノ島近辺の離島、ウミネコ繁殖地に上陸して、キャンプファイヤーをやらかす不逞のヤカラたちを、取り締まるというものです。釣り客でもある、そのDQN集団は、テグスや釣り針だののゴミも片づけずにいき、好奇心でゴミ漁りをしたウミネコが命を落とすこともある、と言います。

 船からの警告や海保への118番が主な活動だけれど、場合によっては海に潜るかもしれない……と言われ、縄文顔さんは、水着を持参しました。なぜかクルーザーに乗り込むときに着替えさせられ、なぜか、ビキニでなく競泳タイプの水着だったことにがっかりされました。そして、なぜか、そのままの恰好に救命胴衣をつけたままの姿で、乗船させられました。彼女の他は、全員男子でした。そして彼ら全員が、水着ではなく、カッターシャツにスラックス姿でした。当の牟田口総裁は、なぜか派手な赤いアロハシャツに白いハーフパンツ姿で、リゾート気分丸出しでした。

 女川港を出、江ノ島や他の無人島に向かう航路は、常に右手に陸地が見えたままの沿岸ルートが常道です。ところが、りばあねっとのクルーザーは、いつの間にか陸地の見えない沖合に出ました。そして泣けど叫べど助けなんか来れないことを、牟田口総裁は部下たちに確認しました。出港までは猫なで声で、なにくれと優しくしてくれた彼は、いきなり高圧的になって、セクハラ以外何者でもない命令をしてきたのです。

 東京でのボランティア募集のため、宣伝に使う写真を撮影する。最初はその色気のない競泳水着でいいけれど、そのあと、別の水着に着替えてもらう。そうやって、牟田口総裁、手ずから渡されたのは、単なるヒモと変わりない、過激な露出ビキニでした。さすがにこれはちょっと……と縄文顔さんが辞退しようとすると、なぜか牟田口総裁はキレたのです。曰く、君だけじゃなく、他のメンツも恥を忍んでエロ水着を着、モデルを務めるのだぞ、と。牟田口総裁の合図で、他の乗組員が、一斉に服を脱ぎだしました。Tバックのヒモ・ビキニパンツ一丁の、ハレンチな恰好です。牟田口総裁は、畳みかけました。

 クルーザーの運行費用も安くないし、撮影機材のレンタル料だってバカにできない。拒否するっていうことは、莫大なお金をどぶに捨てるのと一緒だ、君は弁償できるのか……勢いに飲まれた縄文顔さんは、反論の余地も与えられず、結局ヒモ水着に着替えたのでした。見渡す限りの大海原を背景にできるのに、なぜかカメラマン役の牟田口総裁は、ローアングルからばかり、お尻や胸のクローズアップ写真ばかり撮ります。30分も撮影につきあって、ほとほとイヤになった縄文顔さんでしたが、残念ながら上に羽織る上着1枚、持ってこなかったのです。オレンジ色の救命胴衣を胸に抱き、もう帰りたいという彼女を、しかし牟田口総裁は許してくれませんでした。

 面積的に言えば、そのヒモ・ビキニを着ていようがいまいが、隠れてない広さはあんまり変わりないだろう。だったら、思い切ってそれを取っちゃって、ヌード撮影とシャレこもうじゃないか……と、鼻の下をぐーんと伸ばして近づいてきたのです。

 縄文顔さんは、断固拒否しました。

 総裁に命じられるまま、男どもがフルチンになって、縄文顔さんのヒモ・ビキニを狙ってきました。彼女は偶然手にした水中銃を手に、めいっぱいの抵抗をしました。船をこのまま女川港まで戻さないなら、総裁を撃つ、と脅して、何とかミサオを守ったまま、帰還したのです。

「なまなましいなー。で、それから?」

「下船してすぐ、そのまま脱退してきました。もう、一秒たりとも、あんな組織にいたくなって思ったからです。でも、あとから後悔しました。その、例のヒモ・ビキニで撮った写真、取り返してから辞めれば良かったって」

「今からでも、返却してくれって、ねじ込んだら? そもそも、襲われそうになったんだから、警察に被害届出して、告訴しないと」

「裁判所勤めしてたわらびさんは、簡単に告訴、告訴って言いますけど、普通の女の子にとっては、警察に行くのだって、ハードル高いですよ」

「そんなもんかなあ。そのへんの感覚、よく分かんない」

「それに……リベンジポルノされたりしたら、イヤですし。法的にやっつけるんなら、まずハレンチ写真を取り返してから」

「でもさー。あーしらが、正面切って返せってたって、ハイよって言うような、お人好しじゃないでしょ、あのカバ男」

「だから、わらびさんに頼りに来たんです……怪盗ごっことか、どーでしょう」

「どーでしょうって、なに?」

「りばあねっとが根城にしている宮ケ崎のプレハブの合鍵、色々と手を回して、ゲットしました。金庫はなくともパソコンが置いてあります。セクハラ被害者の秘密の写真や映像が、ハードディスクに入ってるはずです。なんとかして、中身を破壊するか、奪い返さないと」

「でも、それって、あからさまに犯罪だよね」

「目には目を。歯には歯を。そもそも、先に犯罪してるのは、あっちのほうです」

 縄文顔さんに続いて、弥生顔さんも、わらびさんに食いついてきます。

「わらびさんの失禁した時の動画のオリジナルも、あるはずです。ネットに上げた場面より、もっとエゲツないのも」

「えっ」

 縄文顔さんに再度確認すると、確かにもっと恥ずかしい映像が残っているはすだ……という返事です。

「ゲロを吐いたり、大きな音をたてて、ながながとオナラをかましてる映像、あるかも」

 さらに決定的なことに、ウンチを漏らした場面もある、と縄文顔さんが言います。

「ウソ」

「本当、です」

「でも、海碧屋事務所に担ぎこまれた朝、おもらしの後はあったけど……」

 弥生顔さんが、ウエットティッシュで始末してくれた顛末を、遠慮しいしい、語りました。

「そーか。そんなことまでさせてたか。ごめんね」

「助けられたのは、こっちのほうですから。それより……」

「……わーった。あーしも、リベンジポルノされるっつー、ことだよね」

「え。あれって……ポルノなのかな」

 恥ずかしいのは、確かだけど……と縄文顔さんが、首をひねります。

「ポルノ、だろ?」

「えー。だってー。ゲロゲロゲーと、ぷっぷーススス……」

「だーかーら。ナマナマしい擬音、すんなっ。……ともかく、あーしも乗るから、計画を、聞かせてよ」


 わらびさんたちが、こうしてドロボーの相談をしていた、同時刻。

 私は町役場にて、コンペの二次審査に臨んでいました。

 会場は新庁舎の生涯学習センターホールです。津波前のに比べて、各段にハイテクになったものの、勾配のきつい観客席で、個人的にはあまり好きではありません。関係者だけの出席だったので、客席は三分の一も埋まっていませんでした。わざわざ新式のスクリーンを使うために、こんな広い会場を選んだと聞いて、私たちは身を引き締めました。

 3週間前の一次選考は、書類提出だけの形式的なものでした。応募用紙に、組織の所在地・代表者の氏名、法人になっていれば定款等、法務局からみの書類、それから、暴力団とかかわりがないことを示す誓約書。いわば、準備するのが当たり前の書類を準備していっただけです。

 けれど、この日の二次審査は違っていました。企画のプレゼンテーションをしたあとに、質疑応答の時間もたっぷり設けなければ、なりません。参加者は、最終的に融資を引き受けることになる銀行団、間接的にせよ仕事を依頼することになる漁協の幹部職員、そして技術評価をする町建設課の土木担当者。そうそう、主催者たる『海洋プレート災害監視団』の理事たちも来ています。

 審査に通れば、最終的にもらえる賞金の一部を、いわば「手付金」として、無利子で融資してもらえることになっています。五年間の返済猶予、その後の月次のローンもリーズナブルで、ぜひとも欲しいお金です。経営者である私は、もっぱら、この融資に関心がありましたが、遅れてやってきたてれすこ君は、違いました。なんせ、本番では、彼が現場の総指揮を執るのです。他の公募者が、どんなビックリ箱を用意してきているか、彼の関心は、ライバルたちに向けられていました。

 エントリーナンバー一番は、りばあねっとで、発表者は制服姿の富永隊長です。ホームページで宣伝していた通り、彼は搭乗型人型ロボットにての海底掃除を発表しました。我々の計画とちょっと違うのは、ボランティア動員能力を最大限に生かし、ロボットの補助者として、多数のダイバーたちを同伴させることでしょう。ミリタリーマニア丸出しのこのプレゼンテーターは、「戦車に歩兵が随伴するような」というマニアックな説明をして、審査員たちをケムに巻いたのでした。ところが、方法論はだいたい分かりましたが、肝心のロボットの中身や性能については、全く触れないのです。漁協の職員や町役場の土木担当たちも、そこのところを指摘しましたが、当の主催者「海洋プレート災害監視団」の理事たちが、手放しでりばあねっとのアイデアを褒め称えました。

 エントリーナンバー二番は、私たち海碧屋です。

 私たちの企画は、搭乗用人型ロボットを使うところまでは、りばあねっとと一緒です。しかし、基本的に補助者ナシの作業です。アイデアを盗んだりばあねっとのほうが、私たちの改良版を出すのは容易なわけで、人海戦術の分、負けていると言われれば、負けています。てれすこ君も、そこのところを意識してか、発表の時にはロボットの駆動システム等について、くわしくプレゼンしました。基本動作はすべてマスタースレイブ方式、つまり、オペレーターの手足の動きが、そのままロボットの動きにつながる方式です。いわば、着ぐるみのロボットバージョンです。機体の重みぶん、動かすのには筋力がいりますが、それは空気圧を利用した機械で、パワーアシストする予定でいます。他、こまごました注意点を述べると、漁協からはとりあえず及第点の評価が下りました。銀行団も見積もりに満足したようでしたが、りばあねっととの時とは逆に、海洋プレート災害監視団の理事たちが、猛反対しました。りばあねっとの二番煎じに過ぎない、というのです。アイデア泥棒はあいつ等のほうです、という抗議の言葉をグッと飲み込んで、私とてれすこ君は監視団のイヤミの 嵐に耐えました。最終的に役場職員が仲裁に出てくれ、私たちの二次審査通過は紙一重のところで決まりました。

 エントリーナンバー三番、最後は「め・ぱん連絡協議会」です。

 機械やらなにやらに疎い老人たちの集まりが、どんな手を使うか、まあお手並み拝見……と、私たちは興味津々、少しだけ余裕を持って、見守りました。中央ステージに上がる人数は別段決められているわけではありませんが、りばあねっとも海碧屋も二人ずつだったのに、なぜか、め・ぱんの老人たちは、おそらくほとんど全員、一ダース近くの演者が登壇したのです。

「目的のゴミに、長い網をつけて、ひたすら、引っ張るっ」

 波止場のテリーさんが、開口一番、それだけ述べると、ドッカと席に腰を下ろしました。アチャラカ・ケンさんが入れ替わりに立ち上がって、「女川人の、努力と根性を見せるときが、きたっ」と大音声で続けます。マイクにハウリングが起きて、私は思わず耳をふさぎました。三人目、四人目と次々に老人たちが叫ぶのを見て、いったいなんだと、審査の人たちも首をかしげました。実は、ステージ斜め下にデジタルビデオカメラが用意してありました。彼らが映像映えを意識して、ポーズをとっているのだと分かったのは、発表が終わり近くになってからです。マイクの前で決めポーズをするくらいならまだしも、自分の順番が終わったあと、無理やり作った笑顔とともにピースサインをかます老人もいます。そう、彼ら、め・ぱんの発表者たちが意識していたのは、カメラでも他のコンペ参加者でも審査員でもなく、カメラの向こうのリリーさん、そのひとなのでした。後日、この映像をもとに、居酒屋で打ち上げするときの席順を決めた、と聞きました。リリーさんの両隣や対面という、特等席を狙って、老人たちは熾烈な争いを繰り広げていたのです。

 肝心の、海底ゴミ掃除のほうは、単なる思いつきの域を出ない……いや、単純素朴、極まるものでした。 陸から引っ張るとして、肝心のトラックや重機の調達はどうするのか? 船でやるなら、浅瀬やバンカーの対策は? 海中で50m引っ張るためには、陸上でも50m、山側に向かって綱を引っ張らねばならないという理屈だけれど、女川はリアス式海岸にできた漁港だらけなわけで、岸壁に平行にならともかく、直角に直線道路をとる余裕があるところなんぞ、ないぞ? それに、引っ張り上げるのには、海水の浮力や海底との摩擦、そしてロープ自身の重さ等の影響を考えねばならないわけで、それなりの物理計算もいる。

 審査団のひとたちの、こーした質問に、め・ぱんの人たちは、異口同音の返答を繰り返しました。 

「努力と根性で、なんとかなる」

 その後、審査とは全く関係のない、演説会……いや、演芸会が、始まりました。

 浪花節的に、戦後復興期、休日も休まず夜も寝ず、突貫で仕事をしていた思い出を語るひと。昭和中期、サンマやカツオなどが大漁続きで、一夜のうちにお大尽になり、仙台国分町で豪遊してきた武勇伝を語るひと。

 我々は、いったい何を見せられているんだ……審査員の人たちも、もろちん私たちも、目を白黒させて、老人たちの懐古話、自慢話を聞かされ続けました。これが、私たち向けでなく、リリーさん向けだという知識がちょっとでもあったなら、もう少し事態を飲み込めたでしょうに。各々の組織の代表者が、無言で顔を見合わせていました。結論は、誰の目から見ても明らかで、二次審査失格、これしかないと思われたのですが……。

 年配の町議会議員が二人、そっと大ホールに入ってきました。

 最初は誰も、気づきませんでした。

 これ幸いとばかり、彼らは、め・ぱんの老人たちが、コンペと関係のない昔話を脈絡なく垂れ流している間、審査員の人たちを、一人一人、口説き始めたのです。町職員と漁協代表には、二言三言、言葉をかわしただけ。銀行団のひとたちは、交渉こそ冷静でしたが、とにかくしゃべっている時間が長かったです。そして、主催者の海洋プレート災害監視団の人たちは、声なき声で、激高していました。

 め・ぱん3番目の発表者、後日「パチカン」というニックネームである事が判明する老人が、この邪道な工作の元締めでした。町議の弱みを握っているのか、それとも彼らの有力な後援会会員か何かなのか、パチカン氏が壇上から鷹揚に手を振ると、町議たちは深々敬礼して、去っていきました。

 通らないはずの審査を通過して、め・ぱんの老人たちは、ドヤ顔でステージを降りました。閉会にあたて、県の震災復興計画からのお偉いさんが挨拶してくれましたが、誰も聞いちゃいませんでした。め・ぱんの人たちは、波止場のテリーさんの携帯電話に、みんなですがっていました。

 どうやら、二次審査通過の報告をリリーさんにしたところで、お褒めの言葉をいただいていたらしいのです。町議を呼んでの最後の逆転劇を話すと、姫はことのほか上機嫌になり、パチカン氏は彼女と一対一で1分間話すという、栄誉を授かったらしいです。

 私とてれすこ君は、茫然自失していました。

 我々は、なにを見せられたのだ、と。

 町議や、他のお偉いさんの鶴の一声で勝敗が決まるというのなら、ロボット作りをいくら頑張ってみてもムダ、ということになってしまいます。りばあねっとのほうも、競争相手の不正に、さぞや悔しい思いをしているだろうなと思い気や、存外冷静でした。牟田口総裁こそ、身近にいた審査員たちを手あたり次第に捕まえて、チクチクとイヤミを言ってはいましたが、富永隊長のほうは、顔色一つ変えていません。散会の際、彼はわざと私たちの席の後ろを通って、出口に向かい、私たちだけに聞こえるように、強烈な皮肉を放ったのです。

「これが女川ってものでしょう。違いますか、女川の人?」


 海碧屋にボランティアは、必要ない。

 再三、言ってきかせたのに、二人の女の子が定着してしまいました。

 そう、弥生顔さんと、縄文顔さんです。

 わらびさんと3人して、何かたくらみがあるようで、てれすこ君がやんわりと二人を断り、追い出そうとするたび、彼女が盾になって、阻止するのです。弥生顔さんは、そのうち、町の「つながる図書館」での幼児への読み聞かせや、NPOカタリバの学習塾のお手伝いに呼ばれるようになり、我が工場にくる頻度は、減っていきました。他方、縄文顔さんは、海碧屋に入り浸りです。特に、船大工さんにまとわりついて、離れません。彼女は、我が海碧6号に感動し、組立中の海碧7号を操縦してみたいと言い出し、船大工さんを困らせました。犬でも追い払うように、シッシとわらびさんを追い払った実績からすれば、作業日程を遅らす見学者なんて、簡単にはねのけるだろう、と思っていたのですが……我らがガンコジジイは、結局、エキゾチックな風貌の美人に、篭絡されてしまったのです。

 あんなに好きだった小豆バーが、いつの間にかパピコに代わっていました。和風アイスも毎日食ってりゃ飽きる、というのが彼の言い分でしたが、2Pのアイスを半分こして、美人な見学者にさりげなくおすそ分けするためでした。毎日着ていたラクダ色のツナギが、黒と赤を基調にした派手で若々しいモノに代わりました。さらには、中に着ていたTシャツが、かわいい猫イラストのプリントものに、代わりました。朝のミーティングのとき、目ざとく見つけたわらびさんが、「うわ、気色悪っ」と歯に衣着せず言い放ち、「お孫さん、ひ孫さんに見せるためなんだよ、きっと」とてれすこ君がフォローしました。せっかくのてれすこ君の親切でしたが、船大工さんは、あんまり空気を読むのが得意ではなかったのです。

 縄文顔さんが猫派だって言うから、彼女の趣味に合わせて着てみた……と、この80に手が届くジイサマは、目じりをヤニ下げて、臆面もなく言ってのけたのです。

 これには、さすがのてれすこ君も、ドン引きしました。

 船大工さんによると、縄文顔さんは、たいそう海碧ロボットの動力機構に関心があるのだ、と言います。毎日、車庫の廃タイヤの上に座って、船大工さんの様子を、じっと眺めているのだ、と言います。

「シリンダの動きとか、マスタースレイブをつけての歩行とか、根掘り葉掘り聞いてきやがるんだ」

「ほほう」

「いやさ。毎日、ワシと一緒にいるからって、あの美人がワシに惚れてるとか、自惚れたり、勘違いしちゃ、いねーよ。なんせ、こっちは年金もらい始めてから10年以上になる立派なジジイだし。かたや、あのねーちゃんは、大人になりたてのピチピチギャル、だもんな」

「ピチピチギャル、ねえ……もう死語だと思ってた……さすが昭和ヒトケタ」

「ヒトケタじゃねえ、フタケタだ。まったく、同じ若いねえちゃんでも、かわいげねーな。あれ。社長、なんでアンタまで、げんなりしてんだ?」

 いいから、しゃべりたいことがあれば、続けてください、と私はコメカミを揉みながら、促しました。

「今度、仙台まで遠出して、ソレノイドバルブだの、ベアリング軸受だの、買ってこようと思うんだけどよ。それで、折り入って、相談がある」

 話を持ち掛けられたのは、私でもなく、てれすこ君でもなく、もちろん工場長たちでもヤマハさんでもなく、なぜかわらびさんでした。

「あーし、そういう、機械の部品なんて、分かんないよ」

「いやさ。着ていく服と、昼飯を食う場所について、ご教授願えませんかね」

「は?」

「あんた、顔こそヤマンバだけど、都会の女なんだろ? な? な?」

 どうやら、縄文顔さんも連れていくらしい、と分かったのは、てれすこ君が小半時、しつこく尋問してからです。

「あー。はいはい。何十年ぶりかの、デートってヤツね」

「分かってるじゃねーか、ねえちゃん」

「……ただの、色ボケジジイじゃん。セクハラで逮捕される前に、目を覚まさせないと。ね、てれすこのおじさん」

 しかし、船大工さんは、ドヤ顔で言い放ちました。

「人の恋路を邪魔するヤツは、馬に蹴られて、死んじまえ、だぜ、てれすこ君」

 め・ぱんの連中の悪口は言えないなあ……タイレノール、とってくるよ……私は頭を抱えながら、早々に早退を決めたのでした。


 我らがエンジニアが「老いらくの恋」に目覚め始めたのと、同じころ。

 本家本元、め・ぱんでも、スペクタクルな恋愛模様が繰り広げられていました。

 波止場のテリーさん、アチャラカ・ケンさん、そして姫という三角関係に、第三の男が飛び込んでいったのです。新しくリリーさんのお眼鏡にかなった男は、例のパチカン氏です。頭は毛一本も残さないツルツルの剃髪、リリーさんよりかなり低い背丈、そしてガリガリに痩せた貧相な体躯。しかしながら、彼には天性の愛嬌と占いの腕がありました。彼は、もともとは仙南の出身で、お父さんは有名な神主、ご本人も神職を継ぐように期待されていた人です。それが何を血迷ったか、中学高校時代に愚連隊に加わり、学校を中退した後は、日雇いの仕事をしながら、ドヤ街を点々と渡り歩きました。飲む・打つ・買うという男の遊びも派手にやり、借金で首が回らなくなると、原発の下請け会社に「売られ」、最終的に女川に来たのです。昔取った杵柄とばかり、彼は飯場で仕事仲間を相手に占いをしたり、拝み屋をしたりして、小遣いを稼ぐことにしました。これがよく当たると評判になり、自動車解体屋さんの娘さん、スクラップ小町と呼ばれた美人をめとって、結局、この町に根を下ろすことにしたのです。パチカンというニックネームは、このスクラップ屋の娘さんをめぐって、恋のさや当てをしたライバルからの蔑称です。「パチもんの神主」が語源とも、「パチンカスの神主もどき」の略称だとも、言われています。若かりし頃、こうして幾多の恋敵を押しのけて、トロフィー妻を得た彼の運と愛嬌が、今、再び、発揮されようとしいたのでした。

 イマイチの容姿と、それをカバーする一芸を売りにする男、ということで、属性のかぶるアチャラカ・ケンさんが、最初は彼を警戒していました。自他ともに認めるハンサムガイ、波止場のテリーさんは、これを機に二人まとめて蹴落としてしまえ……と策をめぐらそうとしていたらしいです。しかし、パチカンさんが、一枚も二枚も、上手でした。

 彼は、町の教育委員会生涯学習課主催「老壮大学」にて、波止場のテリーさんの奥さんと仲良くなり、旦那さんがパチンコサークルで何をしているのか、あることないこと、しゃべりまくったのです。テリーさんの奥さんは、面食いで、やきもち焼きでした。町一番の色男の嫁になった宿命と自分を慰めたりもしましたが、しかし、テリーさんの浮気は、どーしても許せません。年金をもらうような年になってからは、旦那さんが他の女とイチャついたとしても、「男と女」の関係はとうに卒業してるだろうし……とタカをくくっても、いました。けれど、町で評判の占い師が、「今度の旦那さんの恋愛は本気の本気」だの、「今回ばかりは離婚再婚を真剣に考えている」だの、吹聴してくるのです。ざわつく心が抑えきれず、パチカン氏に手引きされるまま、テリーさんの奥さんは、め・ぱん連絡協議会の定例ミーティングに乗り込みました。大昔、連れ込みだったという北上川河畔の旅館の一室を借り切って、め・ぱんは、会議とは名ばかりの宴会の真っ最中でした。イモ焼酎3杯で、鼻の頭まで真っ赤にしたテリーさんは、彼の膝の上に横座りしたリリーさんを抱き寄せながら、カラオケで橋幸夫の「今夜は離さない」をデュエットしていました。この旅館には、名物ラドン温泉があり、お風呂を堪能した二人は、浴衣姿でした。お揃いの「寝巻」姿が、旅館の前歴を思い起こさせたのか、奥さんの嫉妬は爆発しました。「この、ドロボー猫」とリリーさんの顔にツメを立てようとしたのです。キャットファイトはお手の物、修羅場上等、とリリーさんは応じようとしました。けれど、間一髪のところで、アチャラカ・ケンさんが出張り、リリーさんをお姫様だっこして、隣室に避難させたのです。アチャラカ・ケンさんは、騎士道を発揮したついでとばかり、「不倫前提の恋なんて、止めちまいなさいよ」と姫を口説きました。けれど、彼氏候補の奥さんが、イチャついているところに怒鳴り込んでくるという修羅場は、リリーさんにとって、恰好の恋愛スパイスだったのです。「美しさは、罪なのね」。彼女は、自分の女王様かげんに、酔いました。「愛妻持ちの、町内一のイケメンを惑わせるなんて。魔性の女でごめんなさいね、テリー」……。


 てれすこ君の、この長い長いレポートを、午後3時のうだるような暑さの中、聞いたのは間違いでした。

 集まってもらった工場の幹部の人たちはもちろん、わらびさんも、体中の力が抜けたようです。

「美しさは罪なのねって……もうすぐ80になる、バアちゃんなんでしょ……恋の本命も、ライバルも、横恋慕占い師も、みんな、イイ年したジジイでしょ……ギャグ?」

「不謹慎な。ご本人たちは、みんな、本気も本気だよ、わらびちゃん」

 船大工さんが、ドヤ顔で、てれすこ君に言います。

「ふふん。勝った。なんせワシのほうは、20代の美人だからな」

「ちょっと。ストーカーで逮捕されたりしないでよ、ジィちゃん。てか、彼女のほう、全くもって、100パーセント、そういう感情ないからね。手を握ったり肩を抱いたりしたら、ヘンタイセクハラジジイ扱いされるからね。キモに銘じなさいよ」

「余計なお世話だよ、娘っこ。人間いくつになっても、惚れた腫れたは、できるもんさ。年の差なんて、関係ないゾ」

「はー」

 せっかく話が盛り上がってきたところ、悪いのですが、てれすこ君が、わざわざ調査しに行った、肝心な情報が出てきません。

「……結局のところ、め・ぱんの、海底掃除作戦の準備の進展というか、計画の進捗状況とかは、どーなんでしょうね、てれすこ君」

「ナシ。全くのナシですよ、海碧屋さん」

 皆で1日中、パチンコ屋にシケこんでいるか、お昼のメロドラマもどきのドロドロの三角関係、四角関係、五角関係……をやっているだけ、というのです。

「仕方ないので、代わりに、人間関係を調べてきたら、大当たりだったってことです」

「大当たり、ねえ」

 その調子だと、最終審査でも、町議頼みの茶番をやりそうな気配です。

「パチカン氏の横やりのほうは、せんだって、りばあねっとの連名で正式抗議をしてきました。同じ手はもう使えないはずだから、今度は、リリーさん自身の色仕掛けでくるかな」

「……想像したくない」

 てれすこ君には、引き続き、調査を頼みました。

 若い女の子の尻を追いかけるのはほどほどにして、機体の完成を急いでください、と私は船大工さんにも忘れずに声をかけたのでした。

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