8ー2


 滝に掛かる虹を見たことがあるだろうか?


 雄大で峻厳な大自然。それは震えるほどの感動と己の矮小さを教えてくれる。


 飲み込まれんばかりの根源的な恐怖を抱かせる滝に、しかし一瞬でもそれを忘れさせる虹というコントラスト。


 それはきっと……。


に居たんですね? 連絡も出来ないようだったので、心配してしまいました。あなたは些か粗忽なところもあるので、もしかしたら携帯電話を忘れてしまったのではないかと……部室で、、……待っていたのですが……」


 自然界の罠だと思う。


 心鬱こころうつ感動って言うのかなぁ? うん。大体合ってる。まさに震えんばかり。


「ごめんなさい」


「どうして謝罪されるのですか? まるで悪いことでもしたみたいじゃないですか」


「勘弁してください」


「どうして許しを乞うのですか? まるでこれから裁かれるみたいじゃないですか」


 目礼から最敬礼まで進化した謝罪が土下座に達せんばかり。いや落ち着け。ここで後ろ首を晒すのは悪手。ギロチンという処刑方法が存在する限り危険だ。握手シェイクハンドと同じ読みだというのに何故こうも平和から遠いのか? 不思議。とにかく謝罪は効いてないご様子。というか許す気が無いみたいなんですけど? ほんとなんて奴なんだ?! ちょっとすっぽかしただけなのに! そんなの「待つのもデートの内だから……」とか健気な笑顔で許してくれる彼女ばりに不問にして然りだろう?! 彼女でもなくデートでもないからね! 知ってた!


 とにかくこのピンチをどうにかしないことには――――


 カップラーメンが、食べられない!


「実は……親戚に不幸があったらしくてさ、色々としなきゃいけないことがあるから今時間が無くて……」


「そういうこともあるかと、先程あなたの親類縁者に関する冠婚葬祭を調べておきました。皆さん健康な様で……幸いですね?」


 うん。ほんと辛い。


「ごめん間違えた。兄弟のように共に育った親友のことだったからそう言っちゃった。俺が……、俺が行かなくちゃ! タケっちが?!」


 ごめんタケっち。俺の為に死んで?


「急ぎのようですから警察関係者に連絡を入れて交通規制を掛けさせますね? 勿論、当家の車をお使いください。医療スタッフも呼び寄せましょう。あなたの言う親友さんの所在地も既に判明していますので、安心してくださいね?」


「うん。よく考えたらあんな奴死んだ方が世の中のためになるからやめておく」


「まあ、お優しいですね?」


 蜘蛛っているじゃん?


 奴らの巣は一目には隙間だらけで容易く通り抜けそうに見えるっていうのに実は糸が粘着性を帯びていて藻掻く程に絡みつくという残酷な仕組みを持っている。


 しかも姿を晒した上でこちらを捕えるという恐怖を演出するばかりか獲物を糸でぐるぐる巻きにして逃げられないという絶望感まで与えてくる悪辣。


 その運動能力は遥かに高い癖に罠を張るというところに性格の悪さを感じるよね。


 別に今の状況と関係ないけど。


 ニコニコと極上の笑顔を浮かべる絶世の美少女。しかしその背後からゴゴゴゴ言わんばかりに何かを幻想出来る。


 幻覚だ。病院行かなきゃ。


「どうかしました?」


「うん。ちょっと待ってくれる? 今、良い言い訳考えるから」


「構いませんよ? これだけ待たされているんですから、あと数秒なんて大した時間じゃありません」


 カップ麺よりも早いじゃん。


 こちらの事情を慮ってくれてるんだろうね。これが優しさ。


 だとしたら愛なんていらねえよ。


 じんわりと汗が滲むのはきっと暑さのせいさ。


 漂ってくるのは冷気だけど。


「全面降伏したら許して貰えます?」


「いやですね? まるで争っているみたいじゃないですかぁ」


 嫌なのね?


 朗らかなのは口調と雰囲気だけだ。つまり全てだ。


 ――だというのに、一言ごとに精神が刺し貫かれていく。


 不確定な集まりをすっぽかしただけでこの有り様さ。へへ、嘘みたいだろ? スマホ切ってただけなのに?!


 非常にマズいぞ。具体的にはラーメンが。ノびる。益々マズい。なんだそのスパイラル。


 なんという失態なんだ……。俺はミスを犯したことを認めねばなるまい……!


 お湯を入れるの、もう少し遅らせておけば良かった……!


「低田さん低田さん」


「ひぃ」


「いま失礼なのはどうかと思いますよ?」


 いやだって……いつもそんな呼び方しないじゃん。


 大抵が『あなた』とか『ゴミ』とかでしょ? 旦那様からチンピラまで対応出来るでしょ?


「悪い悪い。暑さで脳みそ茹だってんじゃないかと思ってさ?」


「そう思っているのに軒先で対応を続けていたのですか? 凄いですね」


 そこはねぇ? ほら? 中に虎を飼っていてですね? 龍と喰い合いになるとか困るじゃないですかぁ。ねぇ?


 どうやったら帰ってくれるんだろう、もう強引な宗教の勧誘員と同じ対応でいいかな? なんて考えていると、



「おーい、低田ぁ? もしかしてお客さん?」



 などとリビングの方から声が――足音と共に響いてきて。


 判断は一瞬でした。


 を無くした扉がガチャリと閉まると同時に、廊下に面したリビングへの扉が開く。


 出て来たのはキツい目つきの髪にラインが入った彼女。


「……どしたの? なんかめっちゃ汗掻いてない?」


「あああ暑くて」


「でしょうね。なんか長々と話してたみたいだったし? もし誰か来たんなら帰ろうかと思ったんだけど?」


「いやいや! そんなそんな! ゆっくりしてってよ! 中身増量したカップ麺も作ってるから!」


「それノビてるだけでしょ! ……なーんか対応変わってない?」


「ないないないない!」


「そこまで怪しいと逆に怪しくなくなってくるわね……」


 高速で左右に首を振っているので、右と左の景色がよく見える。


 右側には、リビングの扉から顔を出したキツ目生首。




 ――――そして左側。


 階段側へと強引に押し込んだ修羅が、影《闇

》より、笑顔で――――

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