8ー1 影から
ポケットに入れていた鍵を取り出しながら帰宅の挨拶を述べる。
「ただいまー、っと」
「おじゃましまーす」
普段は続かない追従に『どうしてこうなった?』的な言葉が脳裏に浮かぶ。
あ、ほんとだー。ほんとにそういうこと思うんだー。ふーん。
予定外のハプニングに、人は責任の所在を求めてしまう。大抵は余計な一言を放つ己のせいなのだ。詳しい事は二次元で学んだ。漫画が僕らの参考書。
玄関のドアに鍵を差し込みながら振り返ると、まぁ〜〜目つきが悪い女子高生がピタリ背後に控えていた。
第三者から見れば『なーにあの人? 刺されるんじゃない』とでも思われかねない目つきだ。うん、それで合ってる。
「……なに?」
「いや、音を聞いてるんだ」
「それ……家の鍵じゃないの?」
ぶっきらぼうな言い方に刺すような視線、つい振り向いた言い訳を獲得するために玄関のドアに耳を当ててしまった。だって怖かってん。
鍵開けする泥棒みたいに見えたかもしれないが、警戒してるだけだ。
中も外も。
油断すると親が息を殺してコンニチハする玄関だけに、前門の虎後門の狼という状況で間違いないだろう。おっけー、もう一回だ。
どうしてこんな目に……!
「ちょ、ちょっとー。ほんとにあんたの家なんでしょうね? あたしまで悪いことしてる気になるじゃん。早く開けてよ!」
「ひぃ!」
「おい。なんで今『ひぃ』って出てきた?」
グイッと腕を押すようにして近づいたキツ目に、思わず本音が漏れてしまった。ごめんね、正直で。これ以上の抵抗は問題がありそうなので知らん顔して鍵を捻りドアを開ける。
「ようこそ、低田邸へ」
恭しく一礼して先に促す。
普通の一軒家です。
「……まあ、あとで詳しく聞けばいいか。とりあえず、入るわよ? なんかさっきから……ここのご近所さんにチラチラ見られてるような気がして……落ち着かないっていうか……」
「ああ、それはいつものことなので気にしなくていい」
「なんて?」
聞き返してくるキツ目さんの背後で扉を閉める。
恐怖演出っぽいかもしれないけど内情は逆だ!
檻の中にいる虎と鶏。
そんな感じ。
「虎さん……失礼。寅さん、スリッパをどうぞ。リビングにご案内します」
「なんて?」
どうやら聴力の方は目つき程鋭くないらしい。
一発で聞き分けろよ。やれやれ、これだから普段から声のデカい人間は。
口に出すなんてミスを犯さない学習能力が高い俺は、体で表現するだけに留めた。具体的には溜め息を吐いて軽く頭をフリフリ。
俺の気遣いが留まるところを知らない。
「痛い」
廊下を先導して歩いていたら、キツ目さんが肩をポカリ。間違ってもスポーツドリンクのことじゃないので誤解無く。なんだろう? ああ。
「これは失礼を。飲み物ですね? 水道水と氷入り水道水がございますが?」
きっと水のリクエストだ。ポカリと水を掛けるなんて……オジサンかな? おっと。オシャレかなと言い間違えた。
「そうじゃ……って、タダ水じゃん。確かに喉は渇いたけど、それならまだお茶漬け出される方がマシだわ」
「ではお茶で」
「わーお、ダンケ。……って、そうじゃない。そうじゃなくない、低田くん? あたしたち、い〜〜っぱい話し合うことがありそうね?」
「まあ、うん…………課題とかね……」
「……思い出させないでよ」
ごめん。
女子を実家に招き、気分が盛り下がったところで暑さに耐えながら勉強という。
この世の地獄かな?
リビングに入ると、真っ先にエアコンを起動させてからソファーに置いてあったクッションをローテーブルの前に設置。猫を被っているのか立ったままのキツ目さんを座るように促す。
「適当に座ってくれ。お茶持ってくるわ」
「お腹減ったんですけどー」
あれれ? 猫が取れてますけどー?
「ではお茶漬けで」
「わーい」
あれれ? 意味が通じてないんですけどー?
もしかして……相手がこの行為の意味を知らなければただの歓待になるのでは?
なんてね。そんなバカな話はないよね。ははは。
鼻歌交じりで鞄から課題を取り出すキツ目さんを置いて、キッチンに向かう。
冷蔵庫からキンキンに冷えた麦のアレを、棚からは洋風お茶漬け的な立ち位置にあるカップラーメンを、それぞれ取り出す。
グラスに氷を入れて、カップラーメンにお湯を入れて、セットアップ。
二分が美味しいなんて知らない俺は、オヤジが衝動買いした三分しか測れない砂時計を裏っ返す。
と、そこで。
ピンポーン
タイミング良くインターホンが鳴る。
三分だ。
砂が落ち切る前にケリをつけてやる。
宗教なら神を殺し、勧誘なら音を殺し、親友ならタケっち殺す。
四十秒も掛かりゃしない。任せとけって。
勢い勇んで黄泉の門を開き――――
「――――ごきげんよう」
絶望を知った。
誰とは言わないけど……三分は無理やて。
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