5ー1 欲しいのは涼しさで


 もう夏休み嫌いだわ。


 そんなこと思うことが俺の人生にあるなんて。いやあるな。『そんなこと』って思うことは割とある。それが人生。


 鮮血帝は超優等生だし、高嶺の花綺麗な薔薇には棘どころか毒まであるし、いまや窓ガラスを割るのは野球部でも不良でもなく女子高生だし。


 だから夏休みに休んでもいいと思う補習二日目。そんなことが許されてもいいと思う青春二年目の休み二日目。


 一夏の経験なんて言わない。


 あるいは海外に旅行して人生観を変えたいとまでは言わないけど。ちなみに海外旅行が下だ。男子高校生的には上の発言が至高っていうか嗜好。他人の経験まで気になってマウント取り出すまでが一夏。


 そこまでは行かなくとも! むしろどこへも行きたくないで終わる。うん。部屋でいい。


 寝心地のいいベットマットに別れを告げる以外の選択肢を消してくれ、ガムダム。人類滅んじゃう系じゃん。


 やってくれ。


「なにぶつくさ言ってんのよ。ほら、早く起きて行きなさい。母さん達なんて休みでもないんだからね」


「あいたっ」


 頭に風穴が。


 ドチュンという効果音を響かせて頭がブレる。閉じていた目を開けば視界が揺れているという非現実感。まだ夢かな? 実の母親が投げてよこした鞄に追撃を掛けられ、非情な現実だと認識した。


 起こしたいのか、寝かせたいのか、ハッキリして欲しいものだ。


 他の学生が二度寝を貪っているであろう時間に体を起こす。一昨日までは普通だったのに、もう耐えられる気がしないこの不公平感。


 もう皆で補習したったらええやん。


 撃ち抜かれた頭を触って、まだ中身が詰まっていることにガッカリしつつ投げられた鞄を脇へと避ける。


 ここで二度寝できるんならもう何も……あぶね。これフラグでしょ? 長いことヲタクやってるとそういうの分かるから。具体的には補習のプリントが二倍。


 流石にこれ以上は超過勉強なので仕方なく制服に着替える。


 勉強しないために勉強するっていうのはどうなんだろうか?


 仕事のための人生か人生のための仕事かみたいなもんだな。あるある。大人になりたくないまである。


 制服に着替えて階下に降りると、既に家人の姿は無く、一瞬だけこのまま部屋に戻ろうかなぁー、なんて、思ったり思わなくもなかったり……。


 この、直前までの憂鬱さってなんなんだろうね?


 学校に行く前だったりバイトに行く前だったり、始まってしまえば後は帰るまでのカウントダウンだと思えるのに、行く前がどうしようもないんだよなぁ、行く前が。


 冷蔵庫から取り出した牛乳が重たい。


 1リットルの開封済みだというのにだ。もしかしたら病気かも?


 コップに注いで、テーブルに山と積まれていた菓子パンを一つ取ったら準備完了。行きたくない。


 もはや出発まで秒読みとなってしまった朝食に食らいつく。アンパンには牛乳だよね。ほんと人生が苦くて辛いのだから、パンとコーヒーだけは甘くてもいい。くる? これくる?


 なんて考えていたら携帯から着信。キットクル。


 ノータイムで電源を落とし鞄に投げ込んで朝食を再開した。いやー、出掛けに電話は取れんよね、ほんと。しょうがない。これはほんとしょうがない。


 口の中に残ったパンを牛乳で流し込み、時計を見つめてボーッとする。


 ギリギリまで粘る、それが俺スタイル。あと四十秒あるから。それまで立ち上がれないから。


 チクタクと秒針を刻むアナログ時計が今日も十三階段。あと三十秒。


 補習は二週間、ボランティアは十日というスケジュール。実際に数に直すと途方も無い。数字が嫌いになりそうだ。


 補習の方は休学や出席日数などを考慮して設定してあるので長め。俺はどちらにも当て嵌まらないというのにフル出勤。大したことしてないのに……。これが義務か義務じゃないかの教育の違いなんだろう。去年としてることに大差はないというのにこれだ。


 やはりバレなきゃいいというのが真なんだろう。タケッちは上手くやってる。いつか奴の所業をバラそうと思う。俺に被害が無いか、被害があっても気にならないぐらい底に落ちたら。あと十五秒。


 もう一つパンいけるかな? やめとくかな? あと十秒。


 いや止めておこう。パンを咥えたまま外を走っていいのは女子か転校生ぐらいのものだから。あと五秒。


 四、三、ニ……。



 ピンポーン



 大して力を使う訳ではないけど、足を振って勢いをつけなければ立ち上がれないので、カウントに合わせて足を振っているとタイミング良くなったチャイムに立ち上がる機会を失くす。


 来客だ。


 ……なんつータイミングだよ。もう時間も時間だというのに……。しかしこれは仕方ないね。来客だもの。


 俺はやれやれとばかりに溜め息を付くと立ち上がり――――



 裏口から外に出て学校へと向かった。


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