エピローグ


 週明けはなんでこんなに憂鬱なんだろう。学校に行きたくない……。


 ちゃんと仕事をした目覚まし時計を睨む。


 ギリアウト、そんな時間だ。


「……」


 しかし目を覚ました限り行かない訳にもいかない。なにそれ。行くの行かないの?


 ……行かない、訳にもいかないよなぁ……。


 行かないとあらゆるところから圧力が掛かりそうだ。そんな多方向から圧を掛けられたら潰れてしまう。


「……行くしかないよなぁ」


 渋々ながら立ち上がると顔を洗うために洗面所へと赴く。


 酷い表情だ。え、もしかして病気? やだラッキー。取り出した体温計で体温チェック。平熱だからって休めないのは悪習だと思うんだ。ちくしょう。


 適当に洗顔と歯磨き。雑なモーニングルーティンをこなし再び部屋へ。


 ベッドからの誘惑を断ち切り制服へと着替える。そろそろ夏服に換わりそうなブレザー。縛り方をうろ覚えのネクタイをして終了。


 放置してあった鞄を手に取る。


「……ハア」


 自主的に幸せを逃がす所存。俺のところにいてもいいことないぞ。むしろ幸せが最初からないまである。


 ならいくら溜め息をついてもいいと論破。勝っても負けるディベートだぜ。


 部屋を出て一階に下りて、リビングに置いてあった弁当箱を鞄に収納。珍しいことにメッセージカード。


『頑張って!』


 何をだよ。


 ケッ、と反抗期のようなリアクションでカードをゴミ箱に。履き潰し気味のスニーカーを突っ掛けて家を出る。玄関に鍵を掛けて学校へ。


 通学路は出勤や登校の時間が過ぎようとしているためか人が少ない。


 まばらに歩く人の中に同じ制服の奴はいない……。


「おっはよ!」


「痛い」


 いやいたよ……。


 後ろから声を掛けると共に背中を叩かれる。そんなテンプレをかましてくる知り合いに思い当たりがないのだが?


 現れたのは内巻きさん。今日も肩に掛かる髪が内巻きだ。弾けんばかりの笑顔で気安い挨拶をしてくる。


 ヘニャっと中途半端に上げた右手が可愛らしい。


「……おいすー」


「なーに? まだオコな感じ? ごめんってー」


 いや怒ってはない。


 戸惑ってるだけで。


 こんな軽々しい挨拶を女子と交わしたことがないからどう返すのがイキらず自然なのか分からない。レクチャー求む。言葉少なになるのも許してくれよん。


「……遅刻なんだけど?」


「お揃いだねえ」


 エヘッ、と笑う内巻きさんにズキュン。あれれ? もしかして騙されていいのかもしれない。通帳と番号を渡すのも一つの選択なのかもしれない。


「それでさー。雫、なんだって?」


 続く言葉に盛り上がり掛けた気持ちも萎え萎えだよ。


「そういや内巻きさんって高城さんと友達なん?」


「うん、まあ。幼なじみ。同小おなしょう同中おなちゅう。いや内巻きて君ぃ」


 ビシッとしたツッコミを返されつつも納得。


 ……大変だなあ、内巻きさん。


「それでそれで? 雫なんて言ってたの? 気になる~。教えてよ!」


「秘密で」


「えー?!」


 そう言われたので。


 驚いた反応も束の間、キョロキョロと辺りの人影を確認してボソボソと声を低く話し掛けてくる。


「……告白的な?」


「ノーコメントで」


 マスコミを遮断する政府関係者のように手の平を向けて首を降った。


「あ、それはなさそうだね。わかりやすっ」


 ど、どこで判断したんですか?!


「視線泳いでるし不自然な汗」


 政府関係者対応が裏目に出た。


「ま、追々おいおい話してくれたらいいけどー。追々さ! ね?」


 おいおい。


 話したら今度こそ命がないかもしれないのだ。そんな簡単に命を投げ出せるほど無頼じゃない。安くはあるが。モブなので。


 話題をあっちこっちどっち? と飛ばしながら遅刻確定した通学路を内巻きさんと共に歩いていると、見えてきた正門に先生の影。


 昨日の今日で持ち物検査というわけもなく、ただ単に遅刻者を捕まえているだけのようだ。


 その横を軽く手を上げて横切る。


「ご苦労様でーす」


「でーす!」


「はーい、じゃここに名前書いてレポート用紙受け取っていってくださいねー」


 ちっ。


 立っていたのは城ヶ峰先生だ。


 ガシッと掴まれた肩が痛い。まだオコなのか笑顔に青筋が浮いている。


「あはは、ダメだったね~」


 あまり期待してなかったのか、内巻きさんは大人しく言われるがままに名前を書いてレポート用紙を受け取っている。


 そんなんじゃいけない!


 今、大人しく受け入れる癖がついたら、大人になったらブラックに言い様にされてしまう! かもしれない!


 無駄でも無理でも抵抗するのが男!


「……先生に騙されたことで俺、傷付いたなぁ……」


「うっ?!」


 ボソリと呟く。


 正確には騙したのはタケっちだが。


 押せばいけそうだ。


「とてもレポート用紙に反省文なんて書けませんよ……」


「低田くん……」


 傷付きを表すように力なく顔を背ける。笑顔を見られないためでもある。


「し、仕方ないですねぇ……」


 チョロい。


「先生……!」


 勝ちを確信した俺が顔を上げると、目の前に突き出されるレポート用紙。


 二枚。


 紙の向こうで城ヶ峰先生が冷たく笑っていた。


「書けるまで増えていきますけど? どうしますか? 二枚? それとも四枚?」


「あ、二枚で」


 声を殺して笑ってる内巻きにイラっときた。


 味方なんていねえ。


◇◇◇


 こってり絞られた午前中。


 ……もう息すら出やしねぇ。


 それ死んでるねえ。


 一人故、ツッコミすらセルフ。へへ、もう寂しくなんかない。何年ボッチやってると思ってるんだ? 三ヶ月だ。


 時刻は四時間目終了時、昼休み。


 自分の机の上に突っ伏して屍ごっこ中。


 積み上げられたレポート用紙に放課後の補習まであるというのだからハハッ、教育熱心な高校だよね。


 逃げようかなぁ。


 空は快晴。いつか見た青空だ。具体的には先週。


 また痛い目見たい訳じゃないのでやめておく。お腹が減っているから思考が傾くのだ。腹を満たせば変わる……はず!


 鞄の中から、唯一を誇っていた弁当箱を取り出して席を立つ。ガヤガヤと騒がしくなり始めた教室を抜け出して階段へ。


 一つ――下、の階に降りて校舎の端の教室へ入る。


 2年1組。


 ここも自分のクラスと変わらない賑わいを見せている。


 目当ての人物がいたので、ヌルッと教室に入り込み近付く。これだけ騒がしいと気にもされない。いやモブが増えたところで、ですよ。


「タケっち」


「おーう」


 適当に声を返す元不良優等生の席に、隣の空席から椅子を拝借して座る。


 お昼タイムだ。


 教室の一番後ろ窓際というベストプライスなタケっちの席。目立たず落ち着く。羨ましい。


 特に会話もなく弁当箱を広げる。一年前は当たり前の景色だったが、今となっては珍しい。


 緑がメインのうちの弁当箱に――……なんだろう? 何色がメインっていうの? タケっちの弁当箱。ドドメ色?


 とりあえず笑顔で肯定しておこう。


「美味しそうな弁当だね」


「替えてやるよ」


「社交辞令だ! そんなこともわからないのか?!」


 そんな物体エックスが食えるか?! ローマ数字表記してみろ! バツだ! つまり罰だ! お前が食え裏切り者!


 タケっちは珍しく反論することなく力無さげに予備食であろうパンの包装を破きながら呟く。


「……だよなー」


 おや? 本気で参ってる時の顔だ。パンを噛みきる姿も煤けている。燃えつきちゃったの?


「……これ、ヤチが作ったんだよ」


「お前、またなんかしたの?」


 八千代ちゃん、兄殺しを未だ実行中なのだろうか。


 ぜひ頑張って欲しい。


「……わからん」


 嫌われてるか愛されてるか、この弁当からなら半々だな。もしくは全黒ですよ。


 横取りされては叶わんと高速で弁当を消化する。タケっちもパンを黙々と食べる。


 バクバクと食べる俺に視線を刺しながらタケっちは鈍い笑みを浮かべる。


 壊れたかな?


「へっ。……お前もいずれこうなる」


「おいおい、そんな隠し味オンリーの弁当を食べる機会なんて中々ないぞ?」


「最近は毎日だな。間違った。毎食だな」


「……エビフライやるよ」


「……ううっ」


 こいつこれで元不良なんだぜ? 嘘みたいだろ?


 八千代ちゃんに頼めば意外と早く更正したんじゃなかろうか?


 俯いて震える友の背中を優しく叩きながら、俺は唯一残ったメインのおかずであるエビフライを――タケっちの弁当箱に、そっと置いた。ネチョってしてる。


 さあ帰ろう。


 この震えが哀しさから怒りに変わる前に。


◇◇◇


 一日の終わりとなるはずのホームルームを越えて、うちのクラスはそのほとんどの生徒が未だ勉学を続けていた。


 うん、補習。


 クラス上げてのサボりを学校側は許容してくれず、ブーイングの末にプリントが増えるという経過を得て、我々は黙々とペンを動かす置物になった。


 その集中力は普段の授業の何倍か。


 同じ環境に放り込まれた我々、立場は違えども心は一つ。


 早く帰りたい、それだけだ。


 ……終了した奴から帰っていいという先生の発言はどうかと思う。競争になれた俺たちは無駄なく勉学に励むしかなかった。


 プリントを全部正解するまで帰れまてん。


 ルールはこちら。


 辞書と解き方のヒントが乗ったノートは一つずつ。先生の机の隣に置いてある。解らない奴は席を立ってそこで調べてから戻ること。辞書と解法ノートは自席に持ち込めない。


 全て終えたら先生の机で生採点。


 満点で合格、帰ってよし。


 こんな頭のいい奴が早く帰れるなんてシステム間違ってる?! 平等はどこにいったんだ?!


 合格者のプリントは、その場で回収になるので未だクリアしてない奴に回すこともできず、先生の監視を掻い潜ってカンニングも難しい。なぜなら獄卒よろしく剛田先生が机の間を回っているので。頼んでないのに大手を振るって参加してくれてらしい。担任は生徒の監視せずに採点に集中できるからとこれを許諾。我々は勉学の徒になった。


 ちなみに補習を免れたのはクラスに二人。


 鈴木くんと内巻きさんのお友達。


 クールショートカットだ。


 クールショートカットについては追い掛けっこを楽しみながら見ていたらしいのだが、参加はしてないというロジック。


 高みの見物を地でいったそうで、中庭スニーキングを上から見てたのか一言頂いた。


「爆笑」


 うるせえ。


 鈴木くんは……ああなんか鈴木くんだし。あるある。


 なのでクラスほぼ参加の補習。


 先だって抜けていくのは成績のいい奴らだ。内巻きなんて主犯なのにもういねぇ。


 そして残るのは……辞書などの助けを借りなければならない成績劣等者だ。


 普通科高校の劣等生だ。


 一番成績が悪いって訳じゃないんだが、この後に控えているイベントに気が重くてなって足が進まず、俺は最下位に甘んじることになった。


 いやほんと言い訳じゃなく。


「頑張ったな!」


 タケシがそう言って背中を叩いてくれたのも、最後だからだろう。決して俺の将来を想ってではないはず。


「低田ぁ、お前もうちょっと頑張れよ。先生疲れたぞ」


 採点をしてくれた担任も会話の中に頑張れが入っているのに励ましに聞こえない。戸締まりと片付けをする先生方を後目に鞄を持って教室から出ていく。


 階段に差し掛かると――その歩みを上へ。


 約束のために。


 ……破っちゃおうかなぁ。


 とても決戦に向かう勇者の足取りには思えないだろう。事実違うし。


 苛めっ子の呼び出しを受ける苛められっ子……それだ!


 ああ、うん。違う。コンプライアンス的に違うって言っとくのが大人。


 まあ、今から超の付く美少女に会う男の足取りではないわな。


 中身大事だよ中身。


 中学の頃に「なんだかんだ言っても外見が一番でしょ?」なんて言ってた自分をぶっ飛ばしたい。


 両方いい方がいいに決まってんだろ!


 はあーあ……。


 足取り重く抵抗しつつも一段一段と残りが減っていく。魔の十三階段って階段があったな。今二十八段目なので死ぬ通り越したから転生でいいだろうか? あれは十三段目だけ無いというやつだったかな? それただの数え間違いだから。


 やがてたどり着く最上階。


 ……もう階段がない。見えるのは二つの扉だけ。


 一応念のため屋上に繋がる扉を開けてみる。開かない。残念。こっちが開けばこっちで待ってたのにという言い訳が使えたのに。使えたか?


 残るは一つ。


 こっちも開かないのは分かってる。


 そして……開け方も知っている。


 強めのノック。それだけでガチャリ。


 それが嬉しかったのは先週の今日までだ。


 なにせ今は……。


「どうぞ」


 まさか返ってくると思わなかった返事にビクリ。


 逃げ出したい。


 ゆっくりと扉を開けば――飾り気のない粗末なパイプ椅子だというのに、その人が背を伸ばして凛と座っているだけで別の何かに見える。湿気臭く澱んだ物置だというのに、その人が居るだけで華々しい空間に見える。


 容姿端麗、才色兼備、山紫水明……。


 高城 雫が、そこにいた。


 ニコリと華やかな笑みを浮かべて――


「随分遅かったのですね。待ちくたびれました」


 ――毒を吐きながら。


 それに頷きを返して応える。


「今の幼なじみが拗ねてる感じでお願いできる?」


 できれば頬を膨らませながら。


 お互いがお互いをやれやれと思いながら、これから話す内容を考えて扉を閉めた。




 直ぐに終わる予定の簡単な約束が、中々に長引くものだと知るのは――あと少し後の話。


 いや後の祭り。


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