3ー1 登校中に


 タケっちの生死を八千代ちゃんに託して家に帰り、もう返す必要がないノートをそれでも亡き友人との約束を優先して写し終えたのが昨夜。


 珍しく宿題なんてやるもんだから眠気が凄い。


 七時間ぐらいしか寝られなかったよ……。


 これは健康を害す。いけないね。


 将来の為にも、精神の為にも、ここは自主休校にしようと断腸の思いで決意したのに……。


 これが命の安らぎか? と布団の暖かさから世界平和の道が模索されるかもしれないというところで、母親が部屋に乱入。


 プライバシーは? 鍵は? 世界の安寧は? そんな疑問の声を上げる前に、頭から被っていた布団にしがみついたのは防衛本能の為せる技だろう。


 しかし布団は剥がされ、顔をベチベチと殴られ、顔に水をブッ掛けられ……いやいや。


 あの……せめて一言、「起きて」ぐらいあってもよくない?


 ここまで無言って。


 作業感が凄い。


「愛が……愛が欲しい」


 水じゃなく。


 ポタポタと雫を滴らせながら起き上がる。


 洗顔の手間を省いてくれたんだね? 便利。


 とはならない。


「なに? お小遣い値上げしてほしいの? 嫌です。母さん朝から仕事になったから、あんたさっさと仕度して鍵閉めて出てね」


 愛って金なんだね。うん。まあ金だよね。


 いや嫌て。


 テキパキと洗濯物やらを補充して洗い物を纏める母親に、俺は物憂げに話し掛ける。


「聞いてくれよマム。実はひょんなことからある重大な秘密を知ってしまった俺は学校に登校することで消されてしまう可能性が」


「戸締まりもよろしくねー」


 ……ほんとなんだ。ねえ……聞いてよ。


 残されたのは湿った枕と負け犬だったという……。




 戸締まりを確認して家を出る。


 勿論、学生服であるブレザー姿だ。


 よく考えたら次の日に休みって怪しさ爆発なので登校することにした。


 なにより補習を思い出したので。


 いやー、起き抜けって思考能力低下するよね。水ブッ掛けられるのも当然とか思ってしまうもの。


 あれはおかしい。


 母親がおかしい。


 あんな両親だからこそ反面教師でこんなモブが育ったんだろうな、やれやれ。


 今日も同じ服装の男女が列と成して学校と名の付く建物に吸い込まれていくのに、それとなく溶け込みながら校門をくぐる。


「おはようございまーす」


 今週は挨拶強化週間とやらで、数名の教師と風紀委員と生徒会役員と希望する生徒が門の左右に散って朝の挨拶をかましてきた。


 それに適当に会釈をしつつ、いやに多い人数に心の中で首を傾げていたところで、視界に入ってきた大和撫子(毒女)。心の首も一回転。捩じ切れた。


 いや、うん。いるよね。こういうのに参加しそうというか、させられそうというか。歴代の行事からも分かっていたことじゃん。


 落ち着け、深呼吸。ヒーヒーひぃ?!


 よしオーケー。


 いつもと変わらず鑑賞用さ。


 周りの男子と同じようにチラリと高城へと視線を送る。


 当然ながら目が合うことはなく、高城は一言毎に丁寧に頭を下げていた。


 指導する先生も、これには文句を付けられず高城をスルーするしかない――――こともなく。


「うん! いいぞ高城! ただもう少し元気を出した方がいいな? こう……胸を張って、おはようございます!! こうだ!」


 空気を読まない体育教師が高城の横に割り込んだ。


「剛田先生……おはようございます」


「ああ、おはよう!」


 場所を空けるために一歩引いた高城に、気をよくした剛田の笑顔。先生に気遣った生徒に見えるんだが……。


 高城が体内に溜める毒を知ってるせいか……剛田の臭いを嫌がって一歩引いたように見える。


 ちなみに剛田は自己中理不尽的な性格のため、生徒一同から憎しみと共にタケシと呼ばれている。いつか母親を呼んで叱って貰わねば。


「剛田先生、昨日はお忙しかったんですか?」


「うん? バスケ部の練習が長引いたことか? いや指導に熱が入り過ぎてしまってな。ただ問題になるようなことは何もないぞ? 俺の体の心配とかなら尚の事な!」


 いやいや。


 そんなこと聞いている訳じゃないと思うんだが……それより高城の言葉の後に……。


(だからお風呂に入れなかったんですか?)


 という毒発言が後にあるような気がしてならない。


 執拗に洗脳されたせいなのか……高城の言葉に別の含みを感じてしまう。


 ノート怖いノート怖いノート怖い、って違う。俺は何も見なかった、そうだろ? ノートなんてなかった。俺はあそこにいなかった。だから何も聞いてない見てない知らない。優等生が見せた剛田への心情も教頭先生の性癖も、全部が全部なかったことなんだから!


 なんて事を考えている間にも、傍目には和やかな高城とタケシの会話が耳に届く。


「しかし……ご無理なさらず……」


(いつでも引っ込んでくれて構いませんので。居ても居なくても問題がないというか、居ない方が問題がないので)


「ははは! 心配するな! 常日頃から体を鍛えているからな! 体力には自信がある。そこらの小僧どもとは比べものにならんよ!」


「それなら……」


(女性である私に同じ声量を求めないでくれませんか? ご自慢は体力しかないのですか? その無神経さの方が珍しくはないですか?)


「ああ、問題ないぞ! ……しかしどうしても心配なら運動後のストレッチなんかを手伝って欲しかったりはするな。あー……ほら、基本的に顧問は一人であるから……生徒がストレッチをしている間は見回っているせいでストレッチができないからな、うん」


「……私には無理かと」


(生理的にも物理的にも。この距離を見て分かりませんか? 近づくこともできません。凄いですね? どうぞ一生御一人でご随意に)


「そんなことないぞ。補助がいるだけで大いに助かるからな。なんなら俺が教えてやるから……なんだ?」


 おおう。


 思わず立ち止まって聞き耳立てちゃったよ。


「いや、あまりのパワハラとセクハラに思わず……すいません」


 なんという絶滅危惧種か。どうぞ続けてください。


 タケシの視線は高城の程よいバストに釘付けだったからな。声を小さくしたところで周りには聞こえてたし。


 傍目には赤ずきんと狼の会話だったが、昨日の先入観があるせいか……福音声的な言葉が聞こえてきた気がして……そのずきんの赤は血なのかな? とか思ってですね、はい。


 幻聴ですね。早退しなきゃ。


 こうしちゃいられないとばかりに手で続きを促しつつ撤退する。


「待てこら!」


 そそくさと逃げるモブを体育教師が捕獲。ガッシリとエリを掴まれた。


「おま……教師に向かってなんだその言い草は! ちょっと指導室……いや職員室までこい!」


 激高していたタケシだったが、周りの視線を思い出したのか途中で呼び止めた理由を方向転換しつつ俺を引っ張っていく。


 連れていく場所も他の教師の目があったせいか変更になったようだ。


 勿論だ! 早く連れてってくれ!


 周りからの注目を浴びてなんとも居心地が悪い。


 特に関係者に入るであろう毒の人の視線が怖い。見てるかな? 見てるだろうなあ。ああ……。


 変に印象に残りませんように!


 いや……だって、余りに見事なセクハラだったから……つい。


 ここが異世界なら剛田先生はテンプレの餌食と成り果てていた筈なのに。


 リアルなんて大嫌いだ。


 誰か! 誰かこの中に主人公さんはいませんか! 早く……早くモブを助けてあげて!


 今ならヒロインも付いてくる!

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