1ー2



 ――なんて思ったこともありました。 


 なんだよ、にやり、って。ばか! 一年の時の俺のばか!! いや若かったからな。うん。


 その時に『こいつは都合のいい場所見つけたぜ〜、へっへっへっ』なんて山賊みたいなこと考えなければ! いざ誰かが来た時のために、ダンボールの中身を全部出してしかも直ぐに駆け込めるように底を切り取って被せられるように加工なんてしなければ! 蛇のようにチャンスを待つんだ……なんてあの時思わなければ!


 しかし秘密の基地化は男の本能なんだ! 堪えられない衝動なんだ! 仕方なかったんや。いやこれは不可抗力だな、うん。


 せめてあの時に大人しく見つかっておけばなあ……。


回想開始!


 お菓子と漫画を持ち込んでエンジョイしていた俺の耳に、誰かが階段を登ってくる足音が聞こえた。


 別に部屋に突入されるとは思わなかったが、せっかく作ったのだしと気分が盛り上がったので荷物を持ってダンボールにイン。


 すると開かない筈の扉がガチャリ。しくじった。


 どこが開かずなのか。出会ってから今まで開かなかったことがないぞ開かずの扉。


 誰だ? 先生か?


 一先ず様子見をしようとスマホをサイレントに。


 緊迫シーンで着信、そんなあからさまなミスはしない。


 ダンボールの元々の中身は使われていない資料で、これを求めて来たということはないだろう。更に上の蓋はガムテープで止められていて、パッと見、要らない中身の詰まったダンボールだ。わざわざ開ける訳がない。


 くっくっくっ、まさか人が入ってるとは思うまいて――


 なんて、余計なことを考えていたら、聞こえてきたよ?


 耳に心地良く残る、柔らかくて響きの良い――




 ――ギャラルホルンの笛の音が……。


回想終了。


 どないせえ言うねん。


 ふと聞こえてきた声に、その人物に、思い当たって少しドキッとしたのも束の間。


 その内容が脳に染み込んできたら……あれ? 俺なんでこんなとこにいるんだっけ? あ、もうこんな時間やん。門限に間に合わなくなる……間に合わなくなっちゃうからあ! ねえ帰して?! もう帰してえ!! とか思っても仕方ないよね?



 ……これ、聞いたらアカンやつぅ……。



 とか思って顔を青くしても仕方ないよね。ねえ?!


 知りたくないんだけど……完璧女子の黒いとことか。


 あ、黒って言っちゃった? 間違い間違い!


 無明の闇、とでも言いますか……あァーー!!


 黒より暗く血よりも濃いよ、この毒ツイート。消滅しちゃう。


 ていうかどんだけストレス溜めてんだよ! もしかしてこれ一日で溜まったとかじゃないよね? なんでツイート途切れないの? 即レスなの? モルボルなの?


 美人で金持ちで能力最優秀なのに不満は出てくるというんだから、人間はなんて業が深い生き物なんだろうか……。


 もっとこう……もっとこうあったと思うんだ。こう……高校生らしい展開とかさ。


 放課後の一室。偶然の出合い。女の子と二人きりで……待ってたのはドキドキ。とかさ?


 ……いや合ってんな。ちくしょうかよ。


 遠い目をしつつ現実を見ないようにしてみたが……これはもう無理かもしれへん。


 だってに耳に流れてくんねん。


 絶えず、呪詛が。


 脳が女性に対する恐怖を覚えてしまうかもしれへん。


 結婚できんようになってまうかもしれへん! 責任とってよね!


 よし脱出だ!


 いや無理! ほんともう無理!


 このまま聞いてたら自我が崩壊する前に余計な情報ことまで耳に入ってきそうやもん! なんだよタケシ(体育教師)のやらしい視線って! 男ならあるよ! そういうことも! でも教頭先生(女性)が肩に手を置いてどうしたって?


 やめて。そっちに引き摺りこまないで。


 ワンチャンこのままやり過ごそうとか思ってたけど、へへっ、体の震えで見つかっちまうよ。


 精神が侵食されてしまう前に、行動開始だ。


 俺はゆっくりとポケットからスマホを取り出した。策がある。


 ゆっくり、ゆっくりとだ。


 蟻の足音より静かに、月の動きのように穏やかに。


 ……なのに!


 ピタッと止まった呪言にペンを走らせる音。


 思わずこちらも急停止だ。


 うっそだろ?! 耳までいいのかよこの超人……! 美人! 大和撫子!


 ドキドキしながら様子を見る。俺がどっかのキングならこのエンジン音でバレるまであった……パンピーで良かった。


 ……外の様子を確認できないが、どうやら音を殺して立ち上がり、扉を開けているようだ。扉が開く音だけ聞こえてきてドキッとした。今移動してたん?! ってね。足音を殺すのが癖になってるんだろう。


 どこの暗殺一家所属ですかあ?


 おかげで外の様子が見えないというのに、ゆっくりと机の下を覗き込んでくる高城を想像してしまった。恐い。むしろ見えなくて良かったまである。


 だってそんなん目視したら死んでまうやん。


 俺の女性観が死んでまうやん……!


「……気のせいですか……」


 ふと溢れた独り言に、思わずホッとしそうになったのも束の間。



 ――――バンッ!



 扉を荒々しく閉める音に心臓が止まりそうになった。高城さん?


 掴んでいたスマホを強く握り締めて耐える。パキッ。あ。


 ……こ、この女ぁ〜! わざとだな? 炙り出すためにわざとやってるんだな! しかしやらせはせん! やらせはせんよお!


 今度は足音高くゆっくりと部屋の反対に回り込んで、空のロッカーを開け始めたようだ。どんな音かって? カツカツカツカツバンバンバン怖い怖い。


 ヤラセとか嘘ですスイマセン勘弁してください。


 なんというポルターガイスト。心臓止まる。


 こ、これはヤバい。疑り深い性格なのか自分でもヤバいことを言ってる自覚でもあったのか、部屋の捜索を始めたようだ。彼氏のスマホ覗くタイプですか?


 どうやら人の潜んでいる可能性の高いところから探してるっぽい。おおお落ち着け、大丈夫だ! ダンボールはいくつかあるし、ガムテープで封がしてあるから流石に中を確認したりは……。


 ビィーーーーーー


 はい知ってました。そうだろうなって。


 十中八九、ガムテープを剥がす音ですね。スマホの着信音とかじゃなく。


 あまりのことに表情が消える。


 もはやスマホに文字を打ち込むことだけに集中した。時間がない。カウントダウンが始まった。素早く静かにタップした後は、天に望みを託すように顔を伏せる。粛々と。見た目土下座。頼んます、マジ頼んます!


 するとどうだ、聞こえてきたのはドサドサという音。ばっか、ドナドナじゃねえよ。冗談じゃねえよ。……。冗談じゃないんですよ!


 ……どうやら箱をひっくり返して中身を出しているらしい。心配してるのは二重底の可能性か……。いやどこまで疑り深いんだよ? 疑り深さってのは総資産の額と比例するの? どうなってんの上流階級。


 しかしお陰で時間を稼げた。


 ふっ、貴様の敗因はその用心深さと知りな。じっくり調べればいいとか思ってんだろ? 甘いな。時にそれがドサドサドサドサドサドサ!! は、早く! タケっちハリーアップ!!


 音が隣のダンボールまで来た。今日のご飯はナニカナー、ウヘヘへ。


 緊張と焦燥と恐怖と恐ろしさと怖さを飲み込んで、審判を待つ。人は何故争うのだろう?


 すると聞こえてきた、天井の調べ。ピンポンパンポン。


 『2年1組、高城さん。2年1組、高城さん。至急職員室までお願いします。2年1組、高城さん、至急職員室までお願いします』


 校内放送。


 ど、どうだ?



 やったか?!



「……」


 沈黙が耳に痛い。嘘だ。心臓に痛い。


 もういっそ楽にしてくださいよ! あ、嘘、ごめん、早く行って。


 ドキドキしながら様子を聞く。まだ居る。いやいない? 絶対居る! お化けかな? 


 緊張で顎から滴り落ちる汗、って危ね。すんでのところで手で受ける。外にいるのは耳までイカれた毒女だぞ? 油断すんな俺。心臓の鼓動も止めるんだ!


 それは見つかったら外にいる方がやってくれるね。


 勝手に。


 フゥと息を吐き出す音が聞こえてきて鼓動が一段と跳ねる。なんだよ心臓? ビビってんのかあ?


 ちなみに俺はビビってる。


 しかし心配するような事態はなく、高城は部屋から出て行ったようだ。


 鍵を掛ける音と、静かに遠ざかる足音が聞こえてきたので間違いない……。


 と、思う……。


 ……ひ、引っ掛けか? いやしかしここで時間を無駄には……!


 …………っ!


 な、なんというメンタルトラップ?! あの毒女の疑り深い性格のせいで怖くて外に出られない! もしやこれを見越しての捜索だったのか?! なんて孔明!


 まあ、戻ってきたらどっちみち死ぬので気にせずにダンボールをヒョイ。


 ガタガタと机の下から這い出す。鳴ってるのは歯の根だ。机ではない。いや怖くてつい。


 立ち上がって部屋を見渡す。


 なんてビフォーアフターだろうか。泥棒もドン引きだ。


 ロッカーや棚の引き戸やらは開け放され、ダンボールの中身が散乱し、机の上には瘴気を噴き出す禍々しいノート……。これいっぱい名前が書いてあって、載ってる人が死んでたりしないよね? 大丈夫?


 読んでみたい欲をギリギリで抑える。それいつの間にか背後に回られるパターンだから。お約束とかいいから。


 いくらするのか分からないぐらい高そうなペンケースなのに入っているのは安物のシャーペンなんだな、と他の事を考えて視界にあるノートを頭の外へ。


 チラリ。いやパラリ。


 よし帰ろう。


 ふう。俺は何も見なかった。


 そろりそろりと出入り口に近寄り、ゆっくりと施錠を解除して恐る恐る扉を開く。


 ここで、にっこりと微笑みながら高城が待っていたら死ぬ自信がある。


 しかし扉の外は無人。


 まだ生きろって言ってんだな? よっしゃ任しとけ!


 忘れ物はないな? ここでやらかすのが主人公だ。俺はモブ。超能力は持ってない。


 持ち物は鞄にスマホ。鞄の中には持ってきた漫画、完璧。教科書? なにそれ?


 生還の喜びに満ち満ちて階段を下る。


 もうここで高城にすれ違おうともバレることはない! 有象無象の一人ですよ! 勿論俺が!



 だからって会いたいわけじゃなくってね?



 あと少しで下駄箱! というところで、1組の担任と高城が何かを話していた。


 勿論、他にも生徒はちらほらと居る。部活終わりだったり、今帰りだったり。


 ……溶け込める、大丈夫溶け込めるとも! どこだと思ってんだ! 背景はモブの独壇場やぞ! やらいでかあ!


 ドキドキしながら羨望の視線を一身に受ける高城を右手に見つつ廊下の端を歩き……通り過ぎる。


 ……ほら、見って! 見ってほら! 全然余裕! むしろ気にしてるのに気にしないふりしてる高城ファンっぽくいけたんじゃん? なにこの演技力。天才か? 俳優になろ。


「あ、おい低田。低田ひくた 太洋たいよう


 ティーチャー……。


 声が掛かったのは、廊下の端っこを隠れるように歩いていた男子生徒。


 俺だ。


 声を掛けたのは1組の担任。


 つまり魔女と話している奴だ。


「……うーっす。お疲れーっす」


「いやどこ行くんだ? 挨拶がないとかじゃないぞ。お前に言っとくことがあるから呼んだんだ」


「今度聞きますね?」


「それじゃ遅いんだよ!」


 ちぃっ!


 自然な感じで頭を下げてやり過ごしたが、それも高城を視界に入れないようにしたおかげだ。


 呼び止められたら無理だ。


 額に滲む汗をさり気なく手の甲で拭き取り振り向く。


 振り向いた先には、視線に呆れを滲ませる無精髭のオヤジと――――見るだけで人を惹きつけてやまない蠱惑的な笑みを浮かべる美少女が、そこにはいた。


 しかし毒属性だ。


 大和撫子もかくやと云わんばかりの立ち姿は、背筋をピンと張ってしかしながら嫋やかで、控え目な笑みと相まって百合も爆発するレベチ。制服を着崩すことなくパリッと着こなし、染められることのない長い黒髪を引っ詰めにしている。


 でも毒物だ。


 そうしっかり言い聞かせないと、先程までの毒発言も幻聴なのでは? とか思ってしまいそうでね……。


 いや美人だよ美少女だよ嘘だよやっぱり幻聴だったんだよ。


 大体姿を見たわけじゃないんだし……うん。別人だったんだ!


 渋々と嫌そうに近付く俺だが、高城の傍に先生がいるので、傍目には叱られるのが面倒な生徒といった風体に見えるだろう。


 実際は隣の鬼女が怖いのだが。


 でも大丈夫……あれは勘違いあれは勘違い……そう思えば近づくのは訳ない。


 俺が目の前まで来ると、先生が口を開く。


「お前、今、提出物二回連続忘れてるからな。リーチだぞ? 次の提出、明日だからな? 分かってるか?」


「はい。ええ、はい。それはもう大変遺憾に思う次第でして、はい」


「政治家か。いいか? 三回で罰則があるからな。放課後強制補習だぞ? 嫌だろう? 嫌なら忘れんなよ」


「そこはぜひとも先生の御力で、どうぞ一つ!」


「政治家か」


 政治家に恨みでもあるんだろうか?


 なんの用かと思ってみたら、原因は俺だった。


 ……ぐぐ! ほんのちょっと眠気に負けて宿題出さなかったことが、まさかこんなことになるなんて……! そういや1組の担任って数学担当じゃん。


 どうにか執行猶予を獲得しようと応酬していると、凛とした声に遮られる。


「――須藤先生」


 お、おう。


 間違いない、さっきまで聞こえていた呪詛師の声だ。こえー。


 チラリと視線が横滑り。思わず背筋が正された。


 ガッツリ視線が合ってしまったので、そのままスライドノンストップ。首がグキる。


 楚々とした微笑みが今は怖い。お次は熱いお茶が怖い。


 こちらのキョドりに軽く首を傾げるだけなのは慣れているせいか。うん。びっくりするほど美人だもんな。緊張で固まる奴や視線を外す奴も多いんだろう。俺もガチガチになりそうだ。


 無論、歯の根が。


「あー、高城。それだけだ。時間取らせたな、すまん。もう行っていいぞ」


 ティーチャー! 俺、信じてたよ!


「そうですか。それではこれで」


「悪かったな」


「いえ」


 丁寧に頭を下げる高城に、悪かったと手を振る須藤ティーチャー。そしてドキドキしながら台風が過ぎるのを待つ農民。


 な、何も印象に残ることはやっていない筈だ。大丈夫、大丈夫……。もう何が大丈夫なのか大丈夫。体の大きい人って意味で大丈夫? いや大丈夫。


 俺があそこに居たという痕跡なんてありはしない……! そしてここにいるのは宿題忘れて叱られているモブオブモブ。高城の目に止まらない程の存在力。二秒後には記憶にすら残らない完全犯罪者だ。泣いていいかね?


 ゆっくりと廊下の角に消えていくスタープレイヤーを見送って溜めていた息を吐き出す。


 ノートには書かないでね?


 楽なミッションだった筈だというのに……。


 こうなった原因は分かってる。


「先生……」


「あん?」


「俺……今度から宿題、真面目にやるよ」


「それ、普通の事だからな?」


 高城を視線で追っていた俺を、空気を読んで見守ってくれていた先生が、どこか呆れたような声で返してきた。

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