卒魚式で泣けないと

にら

第1話

 朝、いつも通りバタバタと家を出て、ギリギリにホームに駆け込みなんとか電車に間に合う。呼吸を整えて、あ、今日が卒魚アルバムの個人写真撮影であることに気がついた。いけない、すっかり忘れていた。一生残る物なのに。鱗のお手入れをちゃんとしてくれば良かったな〜と少し後悔しながら、私は卒魚後、つまりは半年後のことを考える。高校卒魚を迎えると、魚たちは完全に人間となる。それから先は、魚ではなく人間として純人間と共に生活を送り、この国を支えていく大切な人材となるのだ。





 時は20XX年、少子高齢化に歯止めがかからない我が国、日本は、世界でも類を見ない政策を打ち出した。魚類の遺伝子操作による改造だ。素人には何が何だかさっぱり分からないが、どこかの誰かがそんなことを可能にした。成功例は次々と増え、20XY年には、500万もの魚類が、18までには完全に変態が完了する個体に改造されていた。改造直後から18までの期間は、魚類から人間への変換期であり、この期間は魚人という名が付いている。

 改造直後の魚類は、まさしく人間で言うところの新生児。しかし、見た目は完全に魚類のままで、このままでは改造されているか否かの判別は不可能だ。そのため魚人庁は、改造された魚類の身分証明のため、魚拓を添付した身分証の発行と携帯を義務付けている。魚類は、自身がその証明証を持ち歩くことで、共食われを防いでいるのだ。

 また、先述の通り、改造直後の見た目は完全に魚類であり、段々と人間の姿へ変態が進む。そのため、人間、魚人共に義務教育を受けなければならない年齢に達するまでの期間では変態が中途半端なところまでしか進んでおらず、同じ学び舎に入れることはかなり困難を極めた。そこで、魚人庁は大量の予算をつぎ込み魚人専用の義務教育施設を建築。その時に建てられたうちの一つが、私の通うこの学校という訳だ。当時のまま残っているのは、ここと、あとは離島の方に二つだけだと、聞いたことがある。魚人の普及は、供給量が圧倒的に多い離島や海岸沿いから広まったのが大きな要因であろう。





 そんな伝統ある我が校には、卒魚生は自分の鱗を一欠片だけ、体育館の屋根に括り付け、自分がこの学校で過ごしたことを遺していくという伝統がある。私の代で56年目となるその伝統は、大きな屋根を煌びやかに飾り立て、一枚一枚違う輝きを放っているその鱗の群れは、何にも替え難い魅力がある。日の傾いた頃は特に、色づいた空と波長の長くなった光で照らされた鱗の輝きとが、見事に溶け合い、素晴らしい景観を生み出す。これを見る為に近隣の県から人間が訪れることもある程だ。

 私も半年後には、立派な人間となり、ここを卒魚しているはずである。だが、卒魚には、単位の習得とは別に、一つ条件があった。

その条件というのは、




卒魚式で泣くこと。




 魚類には、"泣く"という概念が存在していない。それはもちろん、水の中で生活していて目が乾くことなど有り得ないからだ。 

 卒魚式で泣けないこと、それは、まだ人間になりきれていないことの確固たる証拠となる。そうなると、学校側も卒業させる訳にはいかず、単位取得の有無に関わらず留年となってしまうのだ。でもその点私は大丈夫。毎日のように何かしらのきっかけで泣いているから、卒魚式でだけ泣けないなんてことにはならないだろう。


 きちんと卒業し、鱗を遺すことが出来る。そう思うと、魚人であることがとても誇らしくあった。素晴らしい伝統の構成員となれることに感謝し、一人前の人間になる為、私は今日も学校へ向かう。

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