小噺怪異譚

Yoruno

妄聴蝉時雨

 五月の蝿と書いてうるさいと読む。確かに暖かくなって活発になった蝿は鬱陶しいし衛生的にもあまり気持ちのいいモノではない。しかしどうだろう。五月の蝿がうるさいと言うなら、八月の蝉のほうがよっぽどうるさいし、耳障りではないか? なぜ八月蝉いではなく五月蝿いなのだろうかと、疑問を抱かずにはいられない。

「まあ、言わんとすることはわからなくはないけどさ。セミは夏の風物詩みたいなところあるけど、ハエってわりと害虫じゃん。あんたが言うようにウジが湧いたりして衛生的に良くないしさ」

確かに蝉の音は風鈴やかき氷と同じくらい夏感がある。中には蝉の鳴く音に風情を感じる人もいるだろう。だけど風鈴やかき氷が涼しさの象徴であるのに対して蝉はどうだ。日本の夏のジメッとした暑苦しさを助長する要素ではないか。正直蝉の音さえなければ夏の体感温度は10℃位下がる気がする。

「それは絶対言い過ぎ。でもほんと、夏は暑くて嫌になるよね~。セミの話を抜きにしても空気が鬱陶しくて、エアコンの効いた部屋から出たくなくなるわ」

それには激しく同意する。この教室もクーラーが付いてなかったらわざわざ夏季休暇中に部活をしに来たりしなかっただろう。まあ部活とは言っても、真面目な活動なんて微塵もしておらず、ただ同じ部の友人とこうして駄弁って時間を潰しているだけなのだが。

 こうして窓を締め切ってクーラーをフル稼働させた涼しい空間にいても、蝉の音は止むことなく続いている。猛暑日で外気温は驚異の40℃超えだと言うのに、どうしてこんなに元気に鳴き続けられるのか、甚だ疑問である。

 こういった雑音というのは思考にも影響する。蝉の音が聴こえるだけで授業に集中できなくなるし、何をするのも面倒臭くなって結果夏休みはダラダラと無駄な時間を過ごすことになってしまうのだ。

「流石にそれはセミのせいじゃなくあんたが自堕落なだけでしょ」

アブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシ。様々な蝉が不和の音楽を奏で、私の意識を鈍らせる。次第に夏の暑さすらどうでも良くなっていく。

「ちょっと、聞いてる?」

窓の外には青い空が広がっている。太陽が容赦なく地球を照らし、私の視界を白く染める。蝉の音にすべてが飲まれる。

「おーい、だいじょーぶか―?」

目眩がして、視界が陽炎のように揺らめいた。友人が私の目の前で手を振っている気がするがどうしたのだろう?

暑い。いや、熱い? 身体が火照り、揺らぐ世界と蝉の音だけが私を取り囲んでいるようだ。

 おかしい。蝉の音が近い。この教室に来たときは少し遠くのほうで鳴いているくらいの音しかしなかったはずなのに、今はすごく近い。まるで耳元で聴こえるかのような……。

 意識が薄らいでいくのを感じる。そして気付いた。

耳元じゃない。蝉の音が聴こえるのは――――――――。


***


 部活動中に友人が倒れた。すぐに教師と救急車を呼んで病院に搬送されたが、彼女は救急車の中でそのまま死んでしまった。その後遺体の検査やあたしへの事情聴取によって熱中症による死亡と断定された。

 しかしあたしはこの友人の死をただの熱中症によるものだとは思えない。室内はエアコンが付いていて涼しかったし、窓からは離れた席に座っていたのだ。なにより、彼女が倒れる直前、狂ったように叫んだのだ。

――――――――私の中に大量の蝉がいる、と。

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