その7

「食べ終わった頃に片付けに来ますね。お風呂場は廊下に出て左側の突き当たりです。女の子達には自宅のお風呂を使ってもらうから時間は気にしないで、どうぞごゆっくり……」


 住職の奥さんは、良かった良かったと言いながら部屋を出て行った。

 私はゾクゾクと寒気を感じた。


「あ……あの、ババア……マジであたし達を生け贄にする気じゃねーか……」


 固まっていた優奈が泣きそうな声で言った。また錯乱して暴れだすかと思ったけどひかりのお守りのおかげなのか正気は保てているようだ。


 住職の奥さんからの思いがけない恐ろしい話を聞いて他のメンバーも怖がってしまったかもしれない。私がみんなを元気付けてあげないと。

 アイドルのモチベーションを上げるのもマネージャーのつとめである。


「……み、みみみ、みんな、だ、大丈夫だよ。ゆ、幽霊なんて居るわけないし、こ、こここ怖がらなくていいからねっ」


「どうせプロデューサーの仕込みでしょ。廃寺へ行く前に雰囲気出させたいんじゃない? 気にしないで早く食べてしまわないと撮影の時間が来ちゃうわよ」


 あっさりと言い放ったひかりは、つまんだままだったお肉を口に放り込んだ。


「仕込みじゃないんじゃないかなあ。甲斐プロデューサーはたくさん怖がってほしいみたいだけど、奥さんは怖がらないでって言ってたし」


私がうったえるとひかりはめんどくさそうに答えた。


「奥さんが本気で私達を巫女様のとやらにする気だとしても、ロケ地を提供してくれたんだし、ご馳走もしてくれたから私は文句ないわ。撮影が無事に終わればそれで良いのよ」


「何もないと良いけどね~。おばあさんがウソついてるようには見えなかったし~、ほんとーに幽霊が人形を連れていっちゃったのかも~、美緒こわいな~」


 口ではそう言いながらも、美緒の視線はすき焼き鍋の中に釘付けだ。肉を箸でつついて煮え加減を確認する事に集中している。


「ミコガミ様なんてのは迷信って自分で言ってたでしょ。巫女の幽霊なんてのも自分は見てはいないって言ってるし。ただの思い込みが激しくて信心深い人なのよ」


「……だとしても、ご住職の奥様が本当の事を話していたのだとしたら、実際に供えられた人形を持ち去ったが山に居るという可能性は否定できないわ……ヒトかケモノか、それともそれ以外か……」


 冷静に呟いた瑠紫亜は、豆腐を箸で切り分けて口に運び、


「……!?」


 端正な顔をしかめて、静かに口元をおさえた。


「まったく、なにしてんのよ。はい水」


 ひかりにコップを渡された瑠紫亜は水を口に含んで飲み込むと、ほうっとため息をついた。どうやら豆腐が思っていたより熱かったらしい。


「ありがとうひかり……」


「えぇ~、るーちん猫舌なの~? 可愛い~♥️」


「いつもはきちんと冷まして食べてるから……」


 美緒に茶化ちゃかされた瑠紫亜は、不覚だとばかりにほんのりと頬を紅く染めた。


 なんだか話している内容のわりに和やかな雰囲気だ。


「みんなは平気なの?」


「何が出たとしても仕事を投げ出すつもりはないわ。……なに、まさかアンタまでお化けが怖くなったわけ?」


 ひかりが勘弁してよねという顔で私を見てきた。


「うっ、いや、べつに……怖くないよ? 私は大人でみんなのマネージャーだから心配になっただけであって、私は全然平気、安心してね」


 強がってしまった。だって、ただでさえあなどられている私の大人の魅力をこれ以上減らす訳にはいかない。


「ふーん、あっそ」


 これは全然信用していない目である。

 ひかりの中で私の評価はダメな大人の一歩手前なのではないだろうか。なんだか頭が痛くなってきてしまった。夜風に当たったせいか寒気もしてきたし、お風呂に入ってさっぱりしよう。


「私は先にお風呂をいただいてこようかな」


「え! めいこさんもうお風呂入るの? 美緒も……あ~、でも~、育てていたお肉が今いい感じに~」


 美緒が私とすき焼き鍋をキョロキョロと見比べて慌てている。


「撮影再開は11時からだから、そんなに慌てなくていいよ」


「いや~、美緒はめいこさんと一緒にお風呂に入りたいの~。美緒が来るまでは上がらないで待ってて~」


「はいはい」


 微笑ましい様子に思わず笑みがこぼれた。

 他のメンバーはさておき、美緒には随分と慕われたものだ。やはり私にはアイドルマネージャーの才能がある。


「……待て、あたしも行く」


 部屋を出ようとすると、せっぱ詰まった顔をした優奈が私の袖を引いた。


「テメーはあたしの代わりにお化けから呪われるための身代わりサンドバッグだろーが…………置いていくなよ……」


「ご、ごめん」


 そんな物騒な契約を結んだおぼえはないが、年下の奴らには頼れねー硬派な優奈がこの場で頼れる大人は私だけなのだ。忘れていて申し訳ない。


「次あたしから離れたら、マジでその無駄にデカい乳もいでやるからな、おぼえとけよ」


 優奈は震えながら私を恫喝どうかつしてきた。これも慕われているうちに入るのだろうか。


 廊下に出ると、ぼんやりとした明かりが薄暗い廊下を不気味に照らし出していた。

 普通の家とは違って寺だからなのか、長い廊下には1mおきに橙色の小さな照明があるだけで、怖がりな者でなくても1人で歩くのには度胸がりそうだ。


 私は住職の奥さんの話でづいてしまっていたので、優奈が付いてきてくれて正直助かった。


「ああああああ、暗い暗い暗い暗い。なんでこんなに暗いんだよ、クソがぁ……」


 それに自分よりはるかに怖がっている存在が側にいると、しっかりしないといけないなと思えて恐怖が薄まってくる。私は優奈に心の中でこっそり感謝しておいた。




 住職の奥さんは自宅の風呂と言っていたが、10畳ほどの広さの浴室にしつらえられた檜風呂は立派な物だった。薄暗い廊下と違い、明るく温かみのある空間は私の恐怖心を完全に打ち消してくれた。


「わあ、広ーい。優奈ちゃん見て見て! 旅館のお風呂みたいだよ!」


「ほんとだ、すげーな」


 背後の優奈に声をかけると少しだけ前向きな返答が返ってきた。


「そろそろ離れても大丈夫じゃない? こんなに明るくて温かい所に寄ってくるお化けはいないよ」


「…………それもそーだな」


 慎重にあたりを見回した優奈は私の言葉に納得したようで背中から離れてくれた。

 そして、私の隣に並ぶとこちらを見て目を見開いた。


「……? どうかしたの?」


「ヤベーなこれ、なにが入ってんだ? 」


 優奈はごく自然に右手を伸ばし、私の左胸を下からひょいっと持ち上げた。


「お、意外とめーな」


「ひゃっ……な、なにしてるの!?」


「あ……悪りぃ」


 ババッと身を引くと優奈は素直に謝ってきた。

 優奈はボールをすくい上げるような手の形のまま、不思議そうな顔で自分の手の平を見つめている。


「ーーなんかよく分かんなかったから、もっかい持たせろ」


「イヤだよっ」


 優奈が再び手を伸ばしてきたので両手でガードする。


「なんだよ、減るもんじゃねーだろ」


「そういう問題じゃないからっ」


「ちょっと持つだけ」


「だめっ」


「チッ」


 かたくなに拒否すると優奈は舌打ちをして手を引っ込めた。

 いくら女同士とはいえ急に胸を触わるのは良くないと思う。見た目と声が美少女でなければ完全に通報案件だ。


「1キロ……いや1,5キロか……もっかい持ったら分かんだけどなー」


 優奈は右手をもぎもぎと動かしながら、なにやらブツブツ言っている。


「ほ、ほら、いつまでも立ってると風邪ひいちゃうよ」


「……じーっ」


 手早く身体を洗い始めると優奈が獲物を狙うような視線でこちらの様子をうかがってきた。

 美緒が待っててと言っていたがそれ所ではない、油断しているとやられる。


 私がシャンプーを手に取ると、優奈の瞳がキランとかがやいた。まさか、私の視界が塞がれている隙に手を出すつもりなのか。


「……洗えよ。手の出せないヤツに仕掛けるほど、落ちぶれちゃいねーぜ」


 ニヤリと優奈が笑った。信用できない。


「優奈ちゃんも一緒にシャンプーしてよ」


 同時にシャンプーをすればお互いに手は出せないはず。


「いいぜ、早く洗い終わったほうが相手の乳を持てるっ、決まりだな!」


「待ってっ、私そんな勝負する気無いっ!」


 いたずらっ子のような笑みを浮かべた優奈が強引に勝負を仕掛けてきた。さっきまであんなに怯えてたくせになんなの、この子。


 私が人生で最も手早くシャンプーをやり終えると優奈はまだ髪を洗っていた。よく考えたら私と優奈では髪の長さがだいぶ違う。優奈の綺麗なロングヘアは手入れするのにも一苦労だろう。


「疲れた……」


 こんなに緊張しながらシャンプーしたのは初めてだからなのか、身体が妙にだるくて激しい疲労感を感じる。私は少しふらつきながら湯船に浸かった。


 温かい湯の中に身体を沈めると、今まで身体を支えていた糸がプッツリ切れたような解放感を感じた。急激な眠気も襲ってきた。


 思えば昨日からあまり寝てないし、紅茶はかけられるし、外は肌寒かったし、胸は持ち上げられるしで散々な1日だった。その上でこれから廃寺にお泊まりしないといけないのだ。私は気が遠くなってきた。


 いや、本当に例えではなく気が遠くなってきた。頭が朦朧もうろうとして、身体に力が入らない。半分目を閉じながら洗い場に目をやると、得意気に顔を上げた優奈がすでに居ない私の姿を探しているのが見えた。


 そして、ギョッとした表情でこちらに駆け寄ってくるのが見えて、私は意識を失った。

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