その4
「私は遊びでアイドルをやってるんじゃないの。素人にしゃしゃり出て来られても迷惑、さっさと荷物まとめて帰りなさい」
「ギャハハハハ! マジかよ! 不知火、オメーやっぱ気合い入ってんなっ!」
優奈は身体を曲げて大笑いしている。さっきまで喧嘩してたくせに
「だからその下品な笑い方はやめなさいって言ってるでしょ」
「ぴかり~ん、さすがにちょっとかわいそうじゃない?」
「……なにが?」
「うう~ん、なんでもないよ~」
美緒が私に対する
「11時から情報番組の収録があるわ。売れるためにはメディアへの露出がもっとも重要よ。失敗はゆるさないから。それぞれ休憩したら30分後にはエントランスに集合して。ーーふぅ」
メンバーに指示を出すと
「わかったけど~、ぴかりん大丈夫? なんだか疲れてな~い?」
「別に、なんともないわ」
「そお? じゃあ、タクシーは美緒が呼んでおくからゆっくり休憩してね~」
「……頼んだわ」
瑠紫亜が静かにそれに続く。いつの間にか入れ直していた紅茶を渡すと
「売れるためとか、めんどくせーなー。……はあー、だりー」
優奈は大げさにため息を付き、ドカドカと足を踏み鳴らしてレッスン室から退出した。
紅茶にまみれた私は無表情のまま、それらを見送った。
「…………………………なっんなのよ、もう!」
込み上げてきた怒りを静かに漏らす。
まったく、なんで私がこんな目に合わないといけないのか。帰れるものなら私だって家に帰りたいというのに。
「マネージャーさん、ごめんね~」
すぐ傍で声が聞こえた。
「あれ? えっと、美緒ちゃん? どうしたの?」
見るとタオルを持った美緒が立っていた。全員出て行ったと思っていたのに。
「あ~あ、ビショビショになってる~」
美緒は持っていたタオルを私の頬に押し当ててきた。
「……ありがとう」
「ぴかりん誰にでもああだから、あんまり気にしないでね~」
タオルを受け取ると美緒は申し訳なさそうに言った。ぴかりんとはおそらく
誰にでもと言われても、出会って2分で紅茶をぶっかけられるってなかなか無い体験だ。私が普通に仕事に来てる立場なら怒って帰っても文句は言われないだろう。
しかし、私はマネージャーをやる代わりに多額の借金から解放してもらった身の上だ。どのような理不尽にあっても耐えなければならない。気にしようがしまいがマネージャー業から逃げ出すことなんて出来ないのだ。
「これくらい平気。心配してくれてありがとうね」
笑い返すと美緒は驚いたように目を見開いた。
「へぇ~、お姉さん意外とタフなんだね~。今までのマネージャーさんはぴかりんがいじわるしちゃうと、すぐ来なくなっちゃってたんだ~」
私の言葉に安堵したのか、美緒が楽しそうに笑う。
今までと言うことは新しいマネージャーが来るたびに紅茶をぶっかけるか、それ相当の事をやっていたのか。それはマネージャーのなり手に困る訳だ。
「女のマネージャーさんは初めてだけど、男の人より女の人の方がメンタル強いのかな~?」
美緒は口元に人差し指を置いて首をかしげる。マネージャー相手にだから無意識だろうが、言動がいちいちあざとい。これがアイドルというものなのか。
「あれ? スケジュール帳の文字がやけに可愛かったから、前のマネージャーも女性だったんだと思ってたけど違ったんだ」
「スケジュール帳の字が可愛いのはぴかりんが書いてたからだよ~。ぴかりんって性格以外は全部可愛いんだよね~」
美緒はリーダーの愛くるしい姿を頭に思い浮かべたのかほんわかと微笑む。そして静かに話を続けた。
「ぴかりんが意地悪しちゃうせいだからだけど、マネージャーさんがすぐ辞めちゃうからスケジュールの調整とかは全部ぴかりんがやってくれてるんだ~。お仕事はあるし、レッスンもしないといけないから、あんまり休めてないみたい。それでイライラしてるんだと思う。最近、すごく疲れてるみたいだし、……心配なの」
美緒は懇願するように私を見つめた。
「だから美緒は~、マネージャーさんが居てくれた方が絶対にいいと思ってるんだ~」
美緒は一歩近づいて、私の手をギュッと握ってきた。
「お願い、マネージャー辞めたりしないでね?」
潤んだ瞳に媚びるような上目遣い。とびきりの美少女からそんな風にお願いされると、女の私でも少しドキッとしてしまった。アイドル恐るべし。
「大丈夫、辞めないよ。社長と頑張るって約束しているしね」
約束と言うより一方的な主従契約なのだがそう言い変えると聞こえが良かった。
それにしても意外だ。けっこう辛辣な物言いをされていたのに、美緒は
私が引き継いだスケジュール帳は可愛らしい文字で丁寧に書き込まれていて、書いた者の仕事に対する想いが感じられた。ハンパなマネージャーは必要ないと言っていた
言動は苛烈だが、ただやみくもにマネージャーに当たり散らすわがままな子なのでは無いのかもしれない。瑠紫亜と優奈の様子を見ても少なくともメンバーからの信頼はあるように思える。第一印象は最悪だが、頑張って仲良くなれば私にも可愛いところを見せてくれるようになるのだろうか。
そういえば、スケジュールで思い出したけど次の現場に行かないといけないんだった。しょっぱなから仕事に遅刻させたりなんかしたら鬼女島社長から捨てられてしまう。
「ところで美緒ちゃん 早く準備しないと遅れちゃうよ。とりあえず手を離してくれるかな」
「わっ、そうだね~、早く着替えないと~。……あれれ~?」
何かに気づいた美緒が私の手首をまじまじと見つめる。
「これ社長の腕時計だよね~? なんでマネージャーさんが付けてるの~?」
「忘れちゃったから貸してもらったの」
「すご~い、社長からそんなに優しくしてもらえるなんて、お気に入りなんだね~」
「そうなのかな……?」
お気に入りというか時計とまとめて所有物だと思われているだけなような気がする。
「マネージャーさんとは仲良くやっていけそうだな~、めいこさんって呼んでもい~い?」
「うん、良いよ」
「ほんと~? ふふ、やった~」
美緒は嬉しそうに微笑んだ。さっそくメンバーの1人と仲良くなってしまった。私って実はアイドルマネージャーの才能があるのかも。
「あっ!」
急に美緒が大きな悲鳴を上げた。
「ど、どうしたの?」
「……あ~ん、タクシー呼ぶの忘れてた~。どーしよ~、遅刻は絶対に許されないってぴかりんから千回くらい言われてるのに~」
美緒は心の底から絶望した表情をしている。疲れているであろう
「フフ、安心して美緒ちゃん」
私は自信たっぷりな笑みを浮かべると車のキーを高々と掲げた。
「マネージャーで普通自動車免許の取得者である私が居れば、事務所の移動車を使うことが可能なのよ!」
「めいこさん~、さすが、かっこいい~、ステキ~」
美緒がパチパチと拍手している。美少女から送られる歓声とはなかなか良いものだ。
「それじゃ、私も急いで着替えてくるからエントランスで会おうね!」
こんな格好では仕事にならない。幸いにも自室のクローゼットには替えのスーツが何着もある。自室は同じビルにあるわけだし、全力で急げば時間に間に合う。職場に帰る部屋があると言うのは案外便利なのかも。
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