その3
レッスン室に向かうさなか、渡されたスケジュール帳に隅々まで目を通しておく。書き込まれていた文字は丸っこくて可愛らしい。前任のマネージャーも女性だったのかもしれない。
幸いなことにメンバーの簡単なプロフィールも顔写真付きで記されていた。顔と名前を一致させておく。きちんと名前を覚えて語りかけるのは信頼関係を築くのに大事なことだ。
新曲のレコーディング、取材対応、ラジオ収録、TV番組の収録、劇場公演と握手会。複数の仕事が入っている日もあり、仕事場所と移動時間を完璧に頭に叩き込んでおかなければ予定がズレてしまうだろう。仕事のない日はダンスのレッスン、歌のレッスン、一日の隙間もなく予定が入っている。
「スケジュールびっしりってことは、結構売れてるアイドルって事なのかな。……うわ、今月休みがないじゃん。アイドルって結構ハードなんだなー」
社長はあんな人なのだから子供だろうと容赦しなさそうだ。
まだ子供といってもよい年頃の内から社畜さながらの労働環境に置かれているのを知って同情的な気分になった。
レッスン室前に到着した私は入室前にドアをノックした。
ーー返答がない。部屋を間違えたのだろうか。しかし、2階に「レッスン室」と名の付く部屋はここだけだ。再びノックするが、やはりなにも返答はない。
そっと、ドアを開けて中の様子を伺う。
「はい! 1・2・3・4! 1・2・3・4!」
壁の一面が鏡張りになったレッスン室で4人の少女たちが踊っていた。室内には明るくて軽快な音楽が大音量で流れている。
中に入ってみたが、リズムと掛け声に合わせてステップを踏む4人は私の存在に気付く様子がない。とても集中しているようだ。
途中で割って入るのも無粋なので終わるまで待つことにした。
「1・2・3・4! 1・2・3・4! ――ここでターン! もうちょっとテンポ良く!」
大きな声で激を飛ばしているのは4人の中でも一回り小柄な体格をした少女だった。えと、名前は確か――。私はさきほど見たプロフィールを思いおこした。
「あの子が『エレメンタリー』のリーダーをやっている
他のメンバーより背が頭一つ分低い、中学生になったばかりだろうか。可愛いな。
一番小さい年下の子がリーダーなんて斬新、そう思って再びプロフィールを確認する。
信じがたいが、あれで16歳らしい。
ぴょんぴょん動くツインテールに張り上げた声は鈴の音のように可愛らしく、黒目がちで大きな瞳は小動物を思い起こさせる愛くるしさだ。あどけない顔立ちは小柄な体と相まって、とても高校生には見えない。
生まれ持った可愛い生き物としての才能というわけか。
「うーん、可愛すぎる……っ!」
生まれてこのかたアイドルなんてものに興味はなかった私だが、間近で生のアイドルを見てみるとあまりの可愛さにうなってしまった。
「――ん? ちょっと、誰よアンタ!
思ってたより大きな声が出てしまったようだ。私の姿を見とがめた
美緒と呼ばれた少女がラジカセのスイッチを切ると、室内には少女達の荒い息遣いしか聞こえなくなった。4人の少女達の注目が私に集まる。
「ハアハア、……ここは関係者以外立ち入り禁止よ。さっさと出ていきなさい」
息を整えるなり
あれ、喋るとあんまり可愛くない。勝手に入っていた私も悪いとは思うがいきなりさっさと出て行けとは不躾である。
「あの私は――」
「お、なんだテメー不審者か? 不審者ならぶんなぐっても文句ねーよなぁ?」
弁明の言葉を言うヒマもなく、一人の少女が物騒な事を言いながら近づいてきた。眉間にしわを寄せて鋭い睨みをきかせたその形相は、とてもアイドルとは言い難いものである。
先ほど確認したプロフィールにこんなガラの悪い子載っていただろうか。少し考えてみたら目の前にいるヤンキーと同じ顔をしたアイドルが思い浮かんだ。
綺麗な黒髪の少女がウインクして微笑んでいる姿と、目の前で拳の間接を鳴らして不敵に笑う姿が同一人物だとは誰も思わないだろう。
私は信じられないという顔でプロフィール写真と実物の優奈を見比べる。
「……詐欺じゃん」
「どういう意味だコラァ!」
「その下品な物言いはやめなさいって言ってるでしょ。私達はアイドルなのよ」
私に迫りくる優奈を
「うっせーな、ジョディみたいなこと言ってんじゃねーよ。大体あたしはそんなもん、なりたくねーし」
「まだそんなこと言ってるわけ? いい加減に腹くくりなさいよ。みっともないわね」
「はぁ? なめてんのか? ふざけんなよテメー!」
「――きゃんっ」
優奈が床をダンッと踏み鳴らすと、困ったような顔で成り行きを見守っていた少女がビクッと体を震わせた。
「ちょっと~、ゆななん落ち着いてよ~。可愛い顔が台なしだよ~。ぴかりんもそんなに怒らないで~、ぴかりんは怒った顔も可愛いけどね」
「やんのかこのチビ! 泣かすぞ!」
「やってみなさいよ。ジョディさん今度揉めたらどうするって言ってたっけ? 泣くのはそっちの方よ」
「……ちっ、サシでやったらテメーなんか軽く吹っ飛ぶんだぞ。分かってんのか 」
「え~ん、無視しないでよ~。仲良く、ほら~、仲良くしよ?」
私の存在を忘れて言い争う
甘ったるい口調とふわふわした雰囲気をした女の子らしい少女である。2人から全く相手にされておらず、大人しそうなタレ目がさらにたれさがっている。
目の前で騒いでいる3人はさておき、私は4人目の少女の存在が気になった。
「…………………………」
激しい言い争いが起こっている中、われ関せずでその場をすっと離れ部屋の隅で丁寧に紅茶を淹れている。
十分に蒸らしたのだろう、クーラーボックスの中から氷の入った冷えたグラスを取り出して注ぐ。そうだね。激しい運動の後はホットよりアイスティーの方が良いよね。
あの子の名前は
彼女のプロフィールは印象に残っていた。母親が大河ドラマや映画に数多く出演する大女優、
可愛いというよりは美しいといった方が相応しい美貌と、たおやかな仕草は大女優の遺伝子を感じさせる。周囲の騒ぎにまったく動じること無く、グラスに紅茶を注いでいく様子は実にエレガントである。
これが私の担当するアイドルグループのメンバー達か。
会話すらまともにできていないけど、とても個性的な面々だということは充分に理解できた。
「勝手に入ったのはごめんなさい。私は今日からみんなのマネージャーをやる事になった小森めいこです。よろしくね」
気を取り直して、にっこりと笑顔で挨拶をする。
鬼女島社長の言うとおり、この子達と付き合っていくのは大変そうだ。しかし、上手くマネージャーをやれないと私の人生が終わる。
私には大企業の社長様相手に媚びへつらい、もげるくらい頭を下げつづけた社会人経験があるのだ。高校生の女の子の相手くらい難なくこなしてみせよう。
「あんたがジョディさんの用意した新しいマネージャー? なんだか頼りないわねぇ」
「はい、アイドルのマネージャーをやるのは初めてだけど頑張ります!」
「は、素人なの? ありえない。――瑠紫亜、私のドリンク取って」
≪バシャっ≫
中身を私にぶっかけてきた。
「…………はっ?」
滴る液体が頬をつたって口の中に入ってきた。
丹念に抽出された茶葉の良い香りが私を包み込む。紅茶ってあまり飲む機会がないけれどきちんと淹れたらこんなに美味しいんだ。
「せっかく淹れたのに……」
瑠紫亜は恨めしそうな目で
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