その2

「アンタは金で買われた女だ。頭の天辺から足の爪の先までアタシの所有物モノであり、従順な犬。アタシの言葉には全て従うこと。『yes』以外の返答は受け付けない。分かったかい?」


「……は、……はいっ、女王様」


「社長と呼びな! あと声が小さい!」


「申し訳ございません! 社長ぉ!」


 現在の状況を簡潔に述べると、私は脂汗をかきながら必死に四つん這いの姿勢を保っている。そしてその背中には一人の女性が足を組んで悠然と腰かけている。


 彼女こそが私の借金を肩代わりしてくれたメサイアプロダクション社長の鬼女島ジョディだ。 ジョディと言う名前だがどう見ても純日本人である。年齢は私よりだいぶ上のようだが厚化粧のせいで詳しくは分からない。


 身体のメリハリがよく分かるマーメイドドレスに身を包み、まだ残暑の残る季節だというのにフサフサした毛皮の襟巻きを巻いている。それでいて汗一つかいておらず涼しい顔で私を椅子にしている。


 あれおかしいな。私は人間だったはず、いつから椅子になったんだろう。


 確か、支度を終えてしばらくするとあの業界人風ヤ◯ザが「小森ちゃん、チョリースッ」と軽い感じで迎えに来た。

 そして私のスーツ姿を見て満足げに頷いていた。

「いいね! エロいね小森ちゃん、そのまま俺の事務所のビデオに出演できるよ! やっぱもったいないなー」

 ○ねば良いのにと思った。他人に本気の殺意を抱いたのは生まれて初めての経験だった。


 どこまで移動するのかと思っていたら、なんと私がいたワンルームは芸能事務所の自社ビル内にあるものらしく、通路を出て右側にあるエレベーターに乗ると出勤は完了した。


 ヤ◯ザは最上階の社長室前まで着いてくると「中に鬼女島ジョディ社長が居るからあとはイイかんじでシクヨロ!」と寒い台詞を吐いて脱兎のごとく去っていった。紹介くらいしてくれるのかと思っていたが、なんだかやけに慌てていた。なんだか鬼女島ジョディと直接会いたくなさそうな感じだった。


 呆気にとられてしまったが、立っていても仕方がないのでドアをノックすると返答があったので入室した。

 部屋にはいると、鬼女島ジョディが社長の椅子に座り堂々と待ち構えていた。私は直立不動のまま丁重に自己紹介をした。就活の時よりも数百倍緊張した。


「膝立ちになって床に両手をついてごらん」急にそう言われたので、よく分からないままその通りにした。すると鬼女島ジョディがゆっくりと近づいてきた。


 そしてそのまま背中の上に座られたのだ。


「アタシの話が終わるまでそうしてな。話し終わる前につぶれたら今回の話は無しにする」


「え?」


「返事はそうじゃない」


「え、……は、はい、社長!」


 なんということだろう。ここで立派に椅子の役割を務めあげないと私はあの胡散臭い業界人風ヤ◯ザに返品されてしまうのだ。それは絶対にイヤだ。この人に逆らってはいけない。崩れ落ちたらおしまいだと、踏ん張って手足に力を込める。

 私の目の前にペラン、と一枚の写真が差し出される。


 写真の中は4人の少女達がポーズを決めて、笑顔で写っていた。

 4人それぞれ個性があるが、全員が共通して目を見張る美少女だ。


「アンタに担当してもらう『エレメンタリー』は4人組のアイドルグループだ。見ての通りルックスは完璧。歌とダンスも順調に仕上がってきている。アタシが直接この目で選んだ最上級品よ」


「……た、確かに、すごく可愛い子達ですね」


 話すのもつらい姿勢だが気力を振り絞って相槌を打った。

 鬼女島社長はふーっとため息を付く。


「誰でも最初はそう言うんだよ。可愛いなりをしていて、アタシでもてこずるクソ生意気な小娘どもさ」


「き、鬼女島社長ともあろうお方が、てこずる相手が、この世に存在するんですか? 信じられないです……」


 社長と出会ってすぐ飼い慣らされてしまった私にそんな手強そうなアイドル達の相手が務まるのだろうか。不安だ。


「大事な商品に手荒な真似は出来ないからね。つい甘やかしてしまって今ではわがまま放題さ。だが、この子達は確実に売れる。上手く活動を続けて行けば、武道館ライブだって夢じゃない。アンタを買っても、好き放題させても、十分すぎるくらいお釣りが出るのさ。それまであの小娘どもが悪さしないよう、なだめ続けるのがアンタの仕事さ」


「は、はいっ」


 これまでのOL生活では経験したことのない負荷が床に付いている四肢に掛かってくる。もう無理。やばい。限界。でもここで諦めたらヤ〇ザに返品される。頑張れ小森めいこ。気合いを入れろ。


「……ふぅん、苦労知らずな小娘の分際でなかなか根性があるじゃない。高い金出したかいがあったね。気に入ったよ」


 上の方から社長の満足げな声が聞こえてきた。

 ふと身体が軽くなる。社長が立ち上がったようだ。私はやったのだ。突如として降りかかってきた不条理に打ち勝ったのだ。


「はあ……助かった……」


 息も絶え絶えになりながら立ち上がると、鬼女島社長がずずいっと顔を寄せてきた。

 その眼力は凄まじく、恐ろしいのに目が離せない。


「スケジュール通りに行動させるのは当然のこと。体調管理、日常生活の監視、全てきっちりこなしてもらう。しくじったらどうなるかは聞いてるだろうが、アタシは貸しはもきっちり返してもらう主義だ。アンタの身体だけでは到底足りない」


 身に覚えのない利息が増えているらしき事実に戦慄した。しかし、何も逆らえない。鬼女島社長の全身に振り掛けられた濃厚なパフュームが私の鼻孔を強く刺激する。怖い、トラウマになりそう。


「アイドルにスキャンダルはご法度だ。男関係、暴力沙汰、飲酒、どんな問題だろうと絶対に起こさせるんじゃないよ」


「は、はい……承知しました……」


「これを渡しておく」


 鬼女島社長は自分のデスクに戻ると机の引き出しから何かを取り出した。すみやかに駆けつけ、お受け取りする。


 スマートフォンと革張りのスケジュール帳だ。鬼女島社長が着ているマーメイドドレスと同じ赤いスパンコールで派手にデコってある。


「仕事に必要な情報は全てその中だ。事務所関係者の連絡先が山ほど入ってるから失くすんじゃないよ。なにか用がある時は電話しな」


「はいっ」


「今日からさっそく仕事が入ってる。事務所の地下駐車場に移動車があるから4人を乗せて連れて行っておいで、鍵は守衛から貰いな」


 受け取ったスケジュール帳を確認すると「11:00~TV収録、三の浦スタジオ」と記されていた。


「かしこまりました!」


 三の浦スタジオってどこにあるのか全く知らないけど勢いよく返事をした。スマートフォンで検索したらすぐ分かるだろう。しかし車で運転していかないといけないのか。間に合うかな。


 今何時か確認しようと腕を上げかけてやめた。そういえば腕時計はつけてなかった。部屋にも用意してなかったし。仕方なくスマートフォンで時刻を確認するとまだ9時前だった。スタジオの場所は都内だろうし問題なさそうだ。


「それだと格好がつかないね。ほら貸しとくよ」


 鬼女島社長が付けていた腕時計を外して差し出してきた。うん百万円くらいする高級時計だ。


「ひぇっ……ありがとうございます」


 壊したらきっとどえらいことになる。そう思うと手が震えて上手く手首に巻けなかった。もたついていたら鬼女島社長が舌打ちしながら付けてくれた。今ので100日くらい寿命が縮まったと思う。


「エレメンタリーは2階のレッスン室でダンスの練習をしている。さっさと顔合わせしてきな」


「行ってまいります!」


 私は脱兎のごとく駆け出していた。

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