或る先生

津田薪太郎

第1話 自殺問答

 今から、凡そ2、3年前になるだろうか。私がまだ、高校に通っていた頃のことである。

 その頃の学生というのは、どことなく無気力、無為のままに日々を送って、時折大人への怒りを表明しては、どうにもならないと溜息をつく者がとにかく多かった様に思える。

 いわばその時は、私達は皆うすぼんやりとした「被害者意識」というものを共有していたのだろう。自分の境遇が苦しいのは皆何者かの策謀で、それが晴れたらたちどころに自分の境遇は良くなる、と信じていた。かく言う私も、そんなある種逆転した英雄願望を心に抱いていて、自分の努力によらない変化というものを、さながら予言の日の様に待っていたのだった。


 そうして日々を送っていた時、ある種転機と言えることがあった。後輩達にこんな話をしても一笑に付されるだけだろうが、当時は皆大真面目であったのだ。

 と言うのは、「自殺ブーム」なるものが私の通っていた学校にもやってきたのである。自殺、と言う言葉の持つ雰囲気と、ブーム、という言葉の持つ雰囲気の大きな差は、この二つの言葉を一つの単語として結合させる事を大変難しいにしている事だろう。前者は一つの巨大な、不可逆の決断を表す一方、後者は単なる一過性の、軽い物事を連想させる。が、やはりそれはそうとしか形容のできないもので、「自殺ブーム」はそう言うものだったのだ。

 どう言うものなのか、と興味深げに問われれば、なんと言う事はないもので、単に自殺志願者同士のメールのやり取りであるとか、学校の知らない(当時黎明期の)インターネットに作られた掲示板であるとか、そうした所で自分の苦しみを吐露したり、いかに効率の良く苦しまずに死ぬか、という問題を(その時は大真面目に)話し合ったりしていた。(最盛期には、『自決倶楽部』なる団体を校内で立ち上げようとする輩も居たし、図書室には、当時ベストセラーだったその関係の本が溢れていた)

 私自身、生徒会の役員でありながら不届きにも、そうしたいくつかの掲示板にパスを持っていたし、幾らかの議論に参加したこともあった。(同じ事の繰り返しになってしまうが、その頃の我々は大真面目であったのだ)

 尤も、今思えば皆単に自分に酔いたかっただけなのだろう。苦しむ自分をアピールして、或いは仲間を自殺から救う英雄的な自分を妄想していたのだ。私がそうでなかった、とは決して言うまい。


 漸く本題に入ることができる。この頃、私の学校にある教師が居た。その人こそ、この話の表題にもある「先生」である。

 先生は、他の教師たちとは同じ様で違う人間だった様に思う。派手で、生徒からの人気が高い、トレンディドラマの主人公の様な教師ではなかった。いつももの静かで、授業の時も大声で何かを話すとか、生徒を恫喝するとか、難しい問題を出して無理やり答えさせるだとか、そうした事は決してしない人だった。

 先生は、校内での流行り事にはとことん疎い人で、このブームも例外では無かった。多かれ少なかれ、どの学級でも「自殺志願者」が居たと私は記憶している。が、先生はそんな事には一切合切無頓着で、例えばその日の学級に手首に新しく傷を作ってきた女子が居たとしても、

「お前、その傷はどうしたんだ?」

「いえ、その…。なんでも、ありませんから…」

「そうか」

これだけである。今からすれば非難轟々たる対応であろうが、きっと先生はブームというものの実を見抜いて居たのだろう。その傷が、真に苦しんで、死を望む人間の付けるそれでなかった、と知っていたのだろう。(残念ながら先生は、最後までその真実を話してはくれなかったので、単なる私の贔屓目である事は否定しきれないが)


 その日、私は遅れていた課題を提出しなければならず、かなり遅い時間まで学校に居残りを強いられていた。ちょうど秋深まる時期であり、あたりはすっかり暗くなってしまっていた。

 学校の敷地内は不気味な静寂に包まれていて、木々の間を吹き抜ける風と、それによってざわめく木の葉の声だけがしていた。

 一階の職員室に課題を持って行った後、私は荷物を取って、家に帰るべく三階の教室まで階段を上がろうとした。そうすると、階段から先生が降りてくるところに出会したのだ。

「あ、どうもこんばんは」

「おお、君か。相変わらず課題を期日通りに出さない様だね」

灰色のベスト、同じ色のズボンに、七割方白くなった髪を流れに合わせて整えた先生は、他の教師よりも簡単な服装の筈なのに、礼儀正しく見えたものである。

「先生は何を?」

「ん、煙草を少しね」

そう言うと先生は、古風なシガレットケースを取り出して見せる。この頃は、まだ喫煙者の市民権は多少存在していて、学校の中にも喫煙所がまだあったのだ。

 私が荷物を取って、昇降口に向かう時にふと廊下から外を見ると、先生がベンチに座って煙草をふかしているのが見えた。折角だから、と私は喫煙所の方に行って先生に声をかけた。

「先生」

「おや、まだ帰ってなかったのかね」

「今から帰る所です」

「そうか。わざわざ挨拶を?」

「ええ、まあそんなところです」

先生は指で持っていた煙草を、灰皿で消すと私に席を勧めた。

「帰ると言う君を引き留めるのも何だが、少し話をしていかないかね?」

「あ、はい」

特段断るにも当たらないから、私は先生の正面に座った。


 先生はもう一本煙草を取り出して火を付けた。一瞬だけ辺りが明るくなって、また暗くなる。先生は煙草を咥えて、深く吸い込み、闇の中に煙を吐いた。そして、私の方を見て

「さて、と。何となくだが君は何か、悩みがあるのじゃないかな?」

出し抜けに問い掛けられたものだから、私は何の準備もできておらず、ただへどもどするしかなかった。その様子を見て、先生は再び薄く笑うと改めて私に問いかけた。

「的外れなら、大変申し訳ない。だけども、どうも君は悩みが顔に出やすい人だ。だから、何かしら一人では抱えきれない悩みを抱えていると見たのだが…」

「…悩みと言うほどではありませんが、その最近友人が、『自殺したい』と」

 初めの方でも話したが、この時の私達は(今から見ればとても)阿呆らしくも、真面目に死に向き合っていた(と思い込んでいた)。だからこの時の私は、掲示板に書き込まれた、「死んでしまいたい」、という書き込みにも真面目に考え込んでしまい、どう止めるか考えあぐねていたのである。

 先生はその言葉を聞いても、表情を崩す事なく煙草を軽くふかす。そして、

「ふむ、確かにそれはどうも穏やかではないね。それで、君はどうしたいのかな。その子を止めたいのかな?」

「わかりきった事じゃないですか。そうですよ、僕はその子が死ぬのを止めたいのです」

この時私は、多少イライラしていたのだろう。漸く帰れると思ったら、先生に呼び止められて、挙句悩みまで見抜かれてしまったのだから。

 先生はまた少し考えて、私に問いかけた。

「どうして、君はその子を止めたいのかね?」

この問いに、私はすぐに答えることができなかった。何しろ、相手は今まで直接会ったことのない人間で、私は相手の本名も知らないし、話していることが本当なのかもわからない。

「それは…」

「言い淀んでしまったところを見るに、直接会ったことのない子なのだろうね」

やはり、先生に隠し事はとてもできない。私は完全に手を上げるしかなかった。

 私は凡その経緯を全て話した。掲示板で会ったこと、その子が死にたがっていること、なんとかして止めてやりたいということ…。全てを聞き終えた先生は、また一口煙草を吸って口を開いた。

「私が気になるのはね、君はどうしてわざわざ、会ったこともないその子の自殺を止めようとするのだろう、って事なんだ」

そう言うと、先生は灰皿に灰を落として、

「君はその子に会った事は無いわけだし、口振りから察するにそこまで思い入れもないみたいだ。いわば、他人にも等しいわけなのに、どうして君はその子を止めようとするのかね?」

「それは…自殺が、『悪い事』だからです」

「『悪い事』!それはどうしてかね」

「わかりきった事じゃないですか。自殺と言うのは、紛う事なく『悪い事』です。親から貰った命を自分で捨てて、義務を放擲して、更に人を悲しませる事です」

「ふむふむ」

「それに、自殺と言うのは紛うこと無い『敗北』ではありませんか。苦しみから目を背けて、逃げるだけではありませんか。或いは、諦めて、全てを投げ出すという事ではありませんか?」

先生は話を聞いている間、一眼も私から逸らすことはなかった。そうして、私が話をし終えると煙草の火を消して、

「そうだねぇ。ここは一つ、私の話も聴いてもらおうかな」

そう言って話始めたのである。


 「まずだね、君がその子の自殺を止めたい、と言う事を目的として話を進めよう。そして、その為に君は何某か、気の利いた言葉が欲しいのだと私は考えたのだけれども、それで合っているかな?」

「その通りです。先生」

「では、はっきり言わせてもらうとね、君のその根底にある考え方が、さっきまで話してくれたものだったなら、それでは絶対に良い言葉は浮かばないよ」

「……」

「いいかい、『自殺』と言うのは、『悪い事』ではないんだよ。先ずは、それが分かってないといけないね」

「どう言う事でしょうか、先生」

「例えば。成績の悪い者が…この学校にも多くいるわけだが…が、そこを抜け出そうと努力することは、『悪い事』では無いだろう?」

「はい、そうです」

「それと同じだよ。実のところ、『今を変えたい』と言う情念は、努力であれ、自殺であれ、変わる事のないものだ。あくまでとりうる手段の違いというものが、傍目から見てあまりにも乖離しているが故に、全く違うものに見えるのだ」

「……」

「自殺とは、諦めではない。自殺とは、受動の事ではないんだよ。追い詰められて、この上どうしたら打開できるか、という局面にあって、これだと思って一歩踏み出す、という事なんだ」

「……」

「納得のいかない、という顔をしているね。なら、一つ一つ君の疑問に答えようじゃないか」

そう言うと先生は、シガレットケースを閉まって、また正面から私を見た。

 「おそらく君は、『自殺』という行為そのものと、その背景となる物事を同じように、つまり一緒くたにして考えているのじゃないかな?『自殺』という単語、或いはその行為自体は、単なる選択の末の自己決定であって、なんら非難される余地はないものだ。寧ろ、君の胸中にあって、拭う事のできない負のイメージは、その周りの…つまりその人が自殺に追い込まれた原因にあるのではないかと思う。それは全く正しい事で、自殺と言う行為そのものよりも、そこに至る過程にこそ、真に正されるべき悪があるのだよ」

「ですが、先生。私はどうしても、それそのものが悪い事のように思えてなりません。なんと言ったって、やはり人を悲しませて、迷惑をかける様な事が、悪い事でないとは…」

「では、また仮定をしよう。まず、人を悲しませると言う点だが…例えば君は、ヒットラーが自殺した時、悲しんだ者があったと思うかな。或いは、ローマのネロ皇帝は?暴虐で知られた、殷の紂王はどうだろう。歴史上の事柄を追っていけば、そんな例はいくらでもある。つまり、『人を悲しませる』という事は、幾つもある自殺のケースの中で普遍的に通じるものではない。従って、それをもって自殺と言う物事の性格として当てはめる事は難しいと言わざるを得ない」

「……」

「続いて、迷惑をかける、と言う点だが。それもまた同じ事で、自殺する事『そのもの』に、迷惑が須く性格としてついてくるかといえばそうでは無い。それに、その性格を取り払う…つまりは迷惑さえかけなければそれで良い、とも君は思っていないだろうね」

「はい、そうです」


 「核心に入るとしようか。君達が、どうしても拭えないものとしてもっている負のイメージ。それの正体についてだ。というのは、ごく簡単にまとめて仕舞えば、『気の毒』という言葉に集約されるわけだ」

「気の毒?」

「うむ。さっきも言った通り、自殺と言うのはある種の希望だ。今を変えたい、というどーしてもどーにもならない欲望を、一挙に叶える光だ。だが、その一方で、自殺と言うのには決して取り去る事のできない、『死』という性格が付いている。そして、私達は生物的本能として、それを恐れざるを得ない。何しろ、ある種保証されていることとして、それは『全ての終わり』なのだからね」

「それから、どうなるんです?」

「つまり、自殺してしまう人というのは、『希望を死という、絶対的な終わりの中にしか見出せない』という人なんだ。生物が、最も恐れ、最も忌避するものの中にしか、糧を見出せないのだ。我々が、抜き難く持つ負のイメージは、そこに起因すると私は考えている」

「……」

「いいかい、人間は『不幸』を恐れる。痛みや苦しみを恐れる。そして、できるだけ幸せになりたいと思う。その延長で、他人が不幸になっていると思えば、それが取り去られるように願う。そんな人間にとって、『死』とは究極の不幸と言える。しかも、避ける事のできない、いつかは必ずやってくるものだ。そして今、目の前で、その究極の不幸を自ら進んで引き寄せようとする者がいる…。そう見た時に、殆どの人間は本能が働くのだろうね。きっと。悲しい選択が、でき得る限りないように、でき得る限り、幸せであって欲しい、と。死のうとしている人の気持ちを理解できない我々が、敢えてそれを押して止めようとする理由が、これだと私は思うよ」


 「結局のところ、僕はどう言葉をかければいいんでしょうか、先生」

「まあ、どうしてこんな長い話をしたかといえば、それを言う為だったわけだ。つまりだね、私がわざわざこうして話をしたと言うのは、『自殺を善悪で論じる事の愚かさ』を示す為だよ。自殺を止めるには、それをしようとしている人に、心の底から寄り添う事が必要なんだ。だけども、アレルギー的に自殺を悪と断ずる考え方では、それは出来ない。だけど、一方で『自殺は悪い事では無い』、『悪いことと考えてしまう理由は…』と言う事がわかっていれば、君は知らない時よりも、ずっとその子に寄り添える様になるだろう。そうなれば、具体的に君に原稿を作って渡してやる必要はあるまい。…先ずは、その子がした勇気ある選択を称賛してあげなさい。その上で、君が止めようとするのなら、決してその子を、そして『自殺と言う選択肢』を否定する事なく、言葉をかけてあげることだね」


 私と先生の問答はここまでである。この問答をしてから、私はどうもこのブームに乗っかる事がバカらしくなってしまって、直ぐに関わり合いをやめた。だが、その一方で私は真に命題を見据える姿勢を、養えた様に思える。

 今後も私は、先生と幾らかの問答をする事になるのだが、それはまた別の話である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

或る先生 津田薪太郎 @str0717

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ