第9話:恐怖と怒り

「何を言ってっ……」


 恐らくムハメドフはこの後に「王太子殿下の剣術指南役であろうが、準男爵ごときが伯爵令息に逆らう事など許されん」と言う心算だったのでしょう。

 馬鹿の言う事くらい簡単に予測することができます。

 ですが、ウェイフ卿の放つ殺気に身体が凍り付いてしまったのでしょう。

 途中で何も言えなくなってしまいました。

 それどころか、ガタガタを身体中を震えさせています。


 コツ、コツ、コツ、コツ、バッチーン!


 凄まじい音がしましたが、別にウェイフ卿は殴りつけた訳でも平手打ちをしたわけでもありません、落ちた白手袋を拾って、取り巻きの一人に叩きつけただけです。

 でも、それだけで、ごそりと下顎の肉がこそげて、血が噴き出しています。

 ピュウピュウと噴水のように血が噴き出しています。

 このままでは死んでしまうのではないでしょうか?


「貴男様は男爵家の御三男でしたな、では決闘の申し込みに止めておきましょう」


 ウェイフ卿は三人目の男にも白手袋を叩きつけられました。

 この男の下顎も肉が削ぎ落され血が噴き出しています。

 何か白いモノが見えていますから、骨か歯が見えているのでしょう。

 ムハメドフはそこまでの傷を受けていませんでしたから、距離の関係なのかもしれません、いえ、もしかしたらムハメドフだけは殺さないように手加減したのかもしれませんね。

 私は、何を考えているのでしょうか、あまりの恐怖に錯乱しているようです。


「お前は私と同じ士族の子供だったな、だったら手加減する必要はないな」


 ムハメドフを含めた五人の男に白手袋を叩きつけたウェイフ卿は、次の男に死刑宣告ともとれる言葉を放ちました。

 相手が貴族ではなく同じ士族なら、正式な手続きなど行わず、その場で決闘を行う事が許されています。

 本当ならば厳格な調査が行われて、不正や卑怯憶病があれば生き残った方も処罰されるのですが、ウェイフ卿が処罰される事はないですよね。


「心配するな、殺しはしないよ、殺しはな。

 簡単に殺してしまったら、今までお前達に苦しめられてきた者達に申し訳ない。

 永劫の絶望の中で生きていくがいい」


 なるほど、そういう事でしたか、私は本当に愚か者ですね。

 急に学園を辞めたり病死したりする士族や下級貴族の令嬢達が結構いましたが、彼女達はこいつらの毒牙にかかっていたのですね。

 ウェイフ卿はその事を知っていて、こいつらを処罰する機会をうかがっていたのでしょう。

 王太子が私に恋しているのを知っていて、それを利用したのですね。

 いつからどんな方法でムハメドフをこの事態に追い込んだのでしょうか?

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