エピローグ2「命と美琴」


 久しぶりに訪れたその場所は、それでも記憶のままだった。

 月明かりだけが照らす夜道で、俺は一人立ち尽くす。


「さむっ……」


 果たして“久しぶり”という表現が適切なのか。

 そもそも死に戻りしてからは来てなかったわけだから、正確には初めてという表現が正しいのかもしれない。

 それでも記憶はやはり鮮明に蘇ってくるのだった。


「この辺、だったよな」


 メールには短く『もう一度、あの場所で待つ』とだけ打たれていた。

 でも俺たちにはそれで充分だと、彼女は判断したわけだ。

 何より俺自身思いつく場所はここ、死に戻りした……俺が穴来命に殺された夜道しかなかった。


「……久しぶりだね、四宮薫」


 そして月明かりに照らされて、彼女はどこからともなく現れる。

 外見は俺たちがよく知っている、秋空美琴だった。

 10年前、秋空先輩が勇気を振り絞って救い出した妹。

 それから俺たちと絆を深め、今では大切な友人の一人である美琴そのものだ。

 でも美琴の纏う雰囲気は、少なくとも俺が知っている美琴とは懸け離れていた。

 何より彼女は俺のことを“四宮薫”なんて呼んだりはしない。

 俺のことをそうやって呼ぶのは、知る限りただ一人しかいなかった。


「……命か。穴来、命」

「うん、正解。よく分かったね?」


 命は大して驚いていないようだった。

 それもそのはずで、あんな意味深なメールを送れば俺だってさすがに気が付く。

 そのことは命自身も予想していたのだろう。

 そして今日は、俺が死に戻りをした日だ。

 何かあれば今日しかないと思い、俺は10年間ずっと今日という日を待っていた。


「それはこんなメール送ってきたら、流石に分かるだろ」

「それも、そうだね。ね、折角だからその辺に座らない?」


 命は真横にある小さな公園、正確にはその中にあるベンチを指差した。

 真っ暗な公園でそのベンチだけが街灯に照らされている。

 まるでそこだけ別世界のように切り離されていた。


「ああ、そうしようか」

「……警戒とか、しないの?私にもう一度殺されるとか、そういうことは考えたりしないのかな」

「しないさ。俺を殺すつもりならこんなやり方しないだろ?それに……」

「それに?」

「お前の目的は、もう果たされてる。だろ?」

「……ふふ、少しは学んだみたいだね」


 命はくすくすと笑いながら、先にベンチへと腰掛ける。

 そして俺に向かって何かを投げてきた。


「おわっ……缶コーヒー?」

「何もないのも寂しいでしょ?ほら、座りなよ」

「……じゃあ、遠慮なく」


 買ってからしばらく持っていたのだろう、貰った缶コーヒーは少し冷えていた。

 そしてよく見るとブラックコーヒーのようだ。

 恥ずかしい話だが、俺はブラックが……いや、そもそもコーヒー自体あまり得意ではない。

 でも人に貰った手前、無碍にするのもどうかと思う。

 ここは一気に飲み干すべきなのだろうか。


「ふふ、本当に変わらないね貴方は」

「な、なんだよ……」

「ゴメンね、つい意地悪したくなっただけ。貴方のはこっちだよ、四宮薫」


 そう言って命は、真っ白な缶を俺に手渡してきた。

 でかでかと“ミルクティー”と書かれたそれも、やっぱり少し冷えている。

 不意を突かれた俺の表情を見て、命はなんだか嬉しそうだった。


「……俺がブラック苦手だって」

「知ってたよ?勿論。だって貴方のことで私が知らないことはないんだから、四宮薫」

「だったら最初からこっちを渡してくれよ」

「ふふふ、ゴメンね。でもどうしても最期に貴方と飲みたかったの。このコーヒーを。貴方のその顔を、この目で見ておきたかったの」

「命……」


 彼女が寂しそうに言ったその言葉の意味が、俺には分からなかった。

 結局、彼女は何者なのだろう。

 どうしてこうして10年も経ったこの日にまた現れたのだろう。

 どうして彼女は俺を死に戻りさせたのだろう。

 ずっと聞きたいと思っていた、もう一度会えたら聞くと決めていたはずのことが次々と思い浮かんでは消えていった。

 いざこうして会って、寂しそうな顔をする命を目の前にして、俺は何も聞くことが出来ないでいる。


「ゴメンね、こっちの話。とりあえずは本当におめでとう。ついに、妹さんを救い出すことが出来たんだね」

「……ああ、ありがとう。お前のおかげだよ、命」

「ううん、私はただきっかけを与えただけ。貴方は自分の力で、運命に打ち勝った。そうならない未来もたくさん……本当にたくさんあった。でも貴方は成し遂げた。私たちの願いを、叶えてくれた。本当に、嬉しかった……」


 命の表情は今まで見たことのないくらい、晴れやかだった。

 彼女が俺を殺したなんて信じられないくらい、今の穴来命はただの女の子にしか見えなかった。


「なあーー」

「ーーあ」

「お、おいっ!?」


 急に倒れこむ命を、咄嗟に抱きかかえる。

 とても小さな、今でも折れてしまいそうな身体だった。

 美琴も確かに大きくはないが、今の彼女はより一層華奢で儚く感じる。

 苦しそうに息をする命は、今にもこの場から消えてしまいそうだった。


「ゴ、ゴメンね……もう、時間がないみたい」

「時間って……なんのことだよ」

「私の、死に戻り。これでおしまいだって、はっきり分かるの。今回だって、目が覚めたのはついさっきだったの……。私の力も、もう残ってないみたい」

「み、命!?しっかりしろ!」


 命の身体から、ゆっくりと力が抜けていく。

 俺が彼女を離せばすぐにでもその場に倒れてしまうだろう。

 そんな状態でも命は話すことを、俺を見ることを止めようとはしなかった。


「私ね、感じたの。この子の……“美琴”の人生を、この身体で目覚めるときに感じることが、出来たの」

「美琴の、人生……?」

「凄くね、キラキラしてた。毎日が眩しくて、輝いていて……大好きな家族と、友達に囲まれて、生きてる。私がずっと昔……もうずっと昔に諦めてた夢だ……。嬉しかった、本当に嬉しかった」

「命……」


 穴来命は、泣いていた。

 大粒の涙がぽろぽろと地面に落ちていく。


「貴方って……本当にお節介。こんな未来、想像もしてなかった。とっくに諦めてた……私を庇って死ぬだけじゃ飽き足らず、こんな幸せをくれるなんて……ほんとに、ばかだよ」


 弱弱しい声で、命はそう言いながら俺の頬を優しくなでる。

 とても冷たい感触だった。


「……ねえ、約束して」

「何をだ?」

「必ず幸せになるって。私が悔しがるくらい、幸せになるって。それで……ううん、やっぱり、いい」

「……なんだよ、言えよ」

「……それで、たまには私のことも思い出してほしい。貴方を好きだった、“命”がこの世界にいたってことを。駄目、かな……」

「駄目なもんか、駄目なーー」


 涙が、止まらなかった。

 気が付けば俺は泣いていた。

 自分の意志じゃどうしようもなかった。

 俺は穴来命のことなんて何も知らないくせに、なぜか感情が抑えられなかった。


「……なんで、泣いてるの?」

「分からない……」


 そんな俺を見て、命は優しく微笑んだ。

 彼女も泣きながら、それでも穏やかな笑顔を浮かべていた。


「なんだ……そんなところにいたんだ、薫」

「命……?」

「ずっと、いてくれてたんだ。私のこと、見ててくれてたんだね。私、一人じゃなかったんだ……」


 彼女の言っている意味が、俺には分からない。

 だけどきっと彼女は俺だけど、俺じゃない誰かに離し掛けている……そんな気がした。


「あのさ、俺……命のこと、忘れない。俺を、春菜を救ってくれたこと、絶対に忘れない」

「……ありがとう。美琴のことも、よろしくね。これからも見守ってくれると、嬉しいな」

「ああ……」


 ゆっくりと、命は目を閉じていく。

 俺はもう、何も言えなかった。

 ただ彼女の言葉を忘れないように、心に刻むことしか出来なかった。


「…………さよなら。大好きだったよ、薫」


 ーーそして、穴来命は静かに眠りについた。

















「薫さん、早く早くー!」

「おい、そんなに慌てるなって!」


 少し前で元気に俺に手を振る彼女、秋空美琴。

 相変わらずの天真爛漫ぶりに、思わず軽く溜息をつく。


「だって夜道怖いんだもん……」

「だから離れるなって、言っただろ。もう夜中だし、ちゃんと家まで送っていくから安心しなって」

「うん。でもなんで私、こんなとこにいたんだろ?本当に何も知らないの、薫さん?」

「だから俺も知らないって。むしろこっちは通り掛かった公園で美琴が寝てるもんだから、滅茶苦茶驚いたんだからな」

「ほんと、何にも覚えてない……もしかして夢遊病なのかな、私?」


 心配そうに考え事をする美琴の様子を見る限り、さっきまでのことは本当に覚えていないようだった。

 メールの送信履歴もしっかりと削除されていたようだ。

 穴来命の存在を示すものは何も残っていなかった。

 無理に美琴に命のことを言う必要はないだろう。

 だから俺は適当にその場を誤魔化すことにしたのだった。

 何より、きっと命自身がそれを望んでいると思うから。


「とにかくもう夜も遅いし、早く帰るぞ」

「あ、薫さん。私コンビニ寄りたいかも!」

「美琴……また俺に奢らせる気だろ?」

「社会人って本当にカッコいいなー、って思うんだよねー私!」

「ったく……しょうがないなぁ」

「やったぁ!」


 目の前ではしゃぐ美琴を見て、もうこの世界のどこにも穴来命はいないのだなと改めて実感する。

 それならば俺が出来ることは、命の願いを叶えてやることだけだ。

 だから俺は、一度だけ夜空を仰いで心の中でそっと呟いた。






 --本当にありがとう、命。

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