エピローグ「“君”と掴んだ未来」
エピローグ1「秋空美琴の日常」
目を覚ますと、そこにはいつも通り見慣れた天井が見える。
まだぼーっとする頭で、置いてあるデジタル時計を眺めると“7”という数字が飛び込んできた。
「………………あれ?」
確か今日は朝練があったはず。
集合時間は7時ーー
「あ……ああっ!?」
そこまで考えて、やっと自分が盛大に寝坊したことに気が付いた。
慌ててパジャマを部屋に脱ぎ捨てて、急いで制服に着替える。
バタバタと一階へと駆け降りると焼けたパンの良い匂いが漂うリビングで、金髪美女がちょうど朝食を盛り付けているところだった。
「あ、おはよう美琴。やっと起きたのね」
「おはよう……じゃなくて!何で起こしてくれなかったのよ、お姉ちゃん!!」
「私は何度も起こしたわよ。それを“後5分”とか言って無視してたのは、美琴なんだから」
「ええー!そんなの知らないよー!」
紺色のスーツに身を包みコーヒーを一口飲む私の姉、秋空紅音。
その一瞬だけ切り取れば、身内の私ですら息を吞むほどの美人にしか見えない。
これで変なからかい癖さえなければ彼氏の一人や二人、とっくに出来ているだろうに。
「とりあえずさっさと食べちゃいなさい。早くしないと、学校にも遅刻するわよー」
「わ、分かってるって!お姉ちゃんの意地悪ー!」
「ふふっ。さ、食べましょ」
「いただきまーす!」
落ち着いてトーストにジャムを塗るお姉ちゃんとは対照的に、私は片っ端から朝食を片付けてゆく。
まだバタバタしていたからスマホは触っていないけど、おそらく部活仲間から大量のメッセが来ているはずだ。
途中からでもいいからとりあえず顔を出さなければ、顧問にも大目玉を食らうに違いない。
『それでは今週のエンタメ情報です。日本を代表する元国民的アイドル、現在はバラエティなどでも幅広く活躍する天之川歌子(あまのがわうたこ)さんがーー』
「あ、また青ちゃんだ」
「ああー、相変わらずテレビに引っ張りだこだもんね。青ちゃん」
テレビには笑顔でコメンテーターの質問に答える芸能人、天之川歌子もとい真夏川青子…青ちゃんが映っていた。
詳しい話は知らないが、お姉ちゃんと青ちゃんは友達で今でもたまに一緒に遊んだりしているそうだ。
私も仲良くさせてもらっていて、青ちゃんなんて呼んでしまっている。
あんな芸能人と知り合いだなんて信じられないが、実際にこうしてテレビに出ているところを見るとより一層現実味を感じない。
クラスの皆に自慢したい気持ちもあるが、そこはグッと我慢だ。
何度もお姉ちゃんから釘を刺されているし、約束を破ってお仕置きされるのも割に合わないからね。
「……美琴?」
「いや、やましいことなんて全然考えてないですよお姉さま?あはは…」
「……とりあえず、急がないといけないんじゃなかったの?」
「えーー」
呆れながらお姉ちゃんに時間を指摘されて、また一気に現実に引き戻される。
お姉ちゃんに言われた通り、下手したらホームルームも間に合わないかもしれない。
「あーっ!もう、早く言ってよお姉ちゃーん!!」
「だからさっきから言ってるでしょ!」
急いで朝食をかきこんで、身支度を整える。
そしてカバンを引っ掴んで玄関まで猛ダッシュだ。
「あ、美琴!」
「なに、お姉ちゃん!」
「今日は電車で行かない方が良いわよー」
「ええ、何でよ!?」
家から学校までは、正直電車でも自転車でもどちらでも行くことが出来る。
でも電車の方が10分くらい早く着けるので、こういう急いでいる時は電車一択のはずなのだ。
「んー、なんとなく。勘だけど」
「で、出た……」
でもお姉ちゃんの“勘”は馬鹿にできないくらい当たる。
こうやって言ったときはなぜか分からないが、ほぼ百発百中だ。
昔からそうだったけれど、お姉ちゃんの勘以上の何かを秘めている気がする。
「じゃあ自転車で行く!行ってきまーす!」
「はーい、気を付けてねー!」
大人しくお姉ちゃんの勘に従って、私は自転車を飛ばすことにした。
真上には澄み切った大空が広がっている。
こうして今日も私、秋空美琴の学校生活が始まるのだった。
「美琴ー、食堂行こう食堂!」
「うん、いこいこ!早くしないと席無くなっちゃう!」
昼休み。
チャイムが鳴ると同時に、学食組は食堂目掛けて次々と教室を後にする。
そして私たちも例に倣ってそんな生徒たちの流れに乗っていた。
「あれー?美琴、今日は学食なんだ?いつもお弁当じゃん」
「今日は寝坊しちゃってさー。お姉ちゃんにも怒られちゃったよ」
「あはは、相変わらず美琴はお姉ちゃんっ子だねぇ」
「えー?そうなのかなぁ。普通だと思うけど……」
私からすれば当然のことだけど、周りにしてみればウチはかなり仲の良い姉妹らしい。
私自身、あまり意識したことはないので“お姉ちゃんっ子”なんて言われてもピンとこないのだけれど。
それでも仲が良いことは悪いことじゃないのだから、別に良いじゃないかなんて開き直ったりしている。
実際、お姉ちゃんは本当に優しいし私を大切にしてくれている。
私にとって自慢の姉なのだから、仕方ない。
「うわ、アンタまた新聞読んでんの」
「今度の発表、ウチのグループなんだよねー。皆、全然手伝ってくれないし。ね、お願い!二人とも手伝ってよー!」
「えー、めんどくさー。どうしよっか美琴?」
「んー……」
困っている友達が持っている新聞の、大きく書かれた見出しに私の意識は集中していた。
その記事にはでかでかと『ノーベル科学賞候補!?』の一文と共に、白衣を着た仏頂面の女性の写真が載っている。
きっと二人とも、この人が誰かなんて聞いても名前くらいしか分からないんだろうな。
最近奇麗すぎる女性科学者とかいうキャッチコピーで雑誌なんかにも取り上げられている彼女、真白台冬香。
まさか彼女が私と大の仲良しだなんて、この場にいる誰が想像できるだろうか。
私が小さいころから、お姉ちゃんと知り合いだった冬香さんは何かと私のことを気にかけてくれていた。
冬香さんの弟妹と遊んだり、家にお泊りに行ったりするうちに家族同然の付き合いをするようになったのだ。
つまり私にとって冬香さんは、いわばもう一人のお姉ちゃんと言ったところだ。
「あ、この人知ってる。最近、テレビとかも出てる人だ」
「あー、真白台冬香ねー。なんかクールな感じで、私はあんまり好きじゃないかなー。この写真だって、全然嬉しそうじゃないみたい」
確かに写真の冬香さんは仏頂面で、ぱっと見て嬉しそうには見えない。
でも実は緊張しすぎで何度も写真を撮り直し、ようやくマシに撮れたのがこの写真だということを知っている私からすれば複雑な心境ではあった。
恥ずかしそうに話してくれた冬香さんのことを思えば、ここでフォローの一つでも入れるべきなのだろうが。
「あー、もしかしたら、良い人かもよ?ほら、緊張してこんな顔になっちゃったとか……」
「えー、そうかなー。なんか緊張とかとは無縁な感じするけどね、この人」
「ね、私もそう思うー!」
「あはは……」
「あ、そういえば今日さ!悠ちゃんが教室入って来た時ーー」
どうやらフォローは失敗してしまったようだ。
心の中で冬香さんに謝りつつ、私たちは食堂へと急ぐのだった。
「それじゃあお疲れさまでしたー!」
「会長、それじゃあまた明日ー」
「はーい、皆お疲れ様ー!また明日ねー!」
放課後。
一通りの会議を終えて、私は一人事務作業を片付ける。
他の役員たちが出て行った途端、静かになる生徒会室に少しだけ寂しさを覚えながらも淡々と判子を押していった。
「会長、か……」
私がそう呼ばれて、まだ一か月ほどしか経っていない。
まだ慣れないその呼び名に、くすぐったさを感じながらも期待に応えるべくこうして出来ることからやらないとね。
憧れていたお姉ちゃんの母校、陵南高校に入れて生徒会長にもなれた。
だけどそれがゴールではないわけで。
あくまでも私は私、お姉ちゃんはお姉ちゃん。
ずっと真似っこじゃいけないことも分かっているつもりだ。
「でも、お姉ちゃんもここにいたんだよね……」
少し手を止めて、ぼーっと部屋を眺める。
ずっと前、お姉ちゃんもここで学生生活を謳歌していたんだ。
そう思うとなんだかんだ言ってそんなお姉ちゃんと一緒の立場になれた自分が、少しだけ誇らしく思えるのだった。
「おーい。秋空さんはいるー?」
「あ、悠ちゃん!どうぞー!」
ノックに我に返って呼びかけに応える。
入って来たのは担任で、生徒会の担当もしてくれている佐藤悠花先生、通称悠ちゃんだった。
スラっとした体型に整った顔立ちは特に男子生徒を中心に人気を集めている。
勿論、女子人気も低いわけではないけれど、男子からの支持が圧倒的だった。
「どう、秋空さん。会長になってもう一か月だけど。少しは慣れた?」
「周りのサポートもあって、何とかやれてます。去年は書記だったんで近くでは会長の仕事とか見てたつもりだったんですけどねー。なんだかんだ、実際やるとなったら難しくて」
「まあ最初は誰だってそうだよ。貴女のお姉さんだって、最初はそうだったんだから」
「悠ちゃん、お姉ちゃんのこと知ってるんですもんね」
「あはは、紅音さんはウチの学校でも特に有名だったからね。知らない人の方が、少ないんじゃないかな?」
悠ちゃんはこの学校出身で、お姉ちゃんの一個下だったらしい。
悠ちゃんから聞いたお姉ちゃんの話はどれも面白くて、でもどこか今のお姉ちゃんに通じるものがあったりもした。
そして妹だからだろうか、私のこともこうしてちょくちょく気をかけてくれる。
私にとっては先生というよりは色々相談できる大先輩。
今日も悠ちゃんの昔話を聞いて、放課後を過ごす。
「ーーってことがあってね?」
「あはは!本当に変わってますよね、お姉ちゃん」
「…………」
「悠ちゃん?」
「あ、ごめんね。いやさ、本当に紅音さんにそっくりだなって」
「それ、もう何度目か分かりませんよ?」
「はは、ごめんね。でも本当にそっくりなんだよねー。秋空さんと話してると、なんだか昔に戻ったって感じがしてさ」
どこか懐かしそうに、そしてほんの少しだけ寂しそうな表情を悠ちゃんは浮かべていた。
私にもこんな風に過去を懐かしむ日が、いつか来るのだろう。
それならばその思い出がキラキラしたものなるように、悠ちゃんみたいに笑って語れるような毎日を過ごせるといいな。
「悠ちゃん、話は変わるんですけど」
「ん?どうしたの?」
「その指輪、ついにプロポーズされましたねー!」
「え、あ!外すの忘れてたー!」
「いやいや、もう朝からウチのクラスではその話題で持ちきりだったんですよねー?」
「ええっ!?」
「もう男子なんか皆揃ってガッカリしちゃって!」
「も、もうっ!!そういうことは早く教えてよね!」
「あははっ!」
--こうして、私の放課後は過ぎていく。
夜、テレビをつけても大して面白い番組もやっていないので大人しくベットの上で寝転がる。
今日はお姉ちゃんは出張でいないから、一人でお留守番だ。
別に怖いわけじゃないけれど、夜更けになる前にさっさと寝てしまおうと思う。
別に怖くない、本当に。
「……もうすぐ、か」
ぼーっと眺める先には、お気に入りのカレンダーが壁にぶら下がっている。
大きく赤い丸がつけられた日。
その数字を眺めて、そしてあの人たちを思い出す。
「あっという間、だったなぁ」
時間が流れるのはあっという間で、私が二人の話を聞いてからもう一年近くも経ったことに今更だけど驚くのだった。
お姉ちゃんも当日は何があっても必ず参列するって意気込んでいたし、久しぶりに姉妹揃って旅行が出来そうだ。
「悠ちゃんにもよろしくって言われてるしなぁ」
なんて間の悪い奇跡なのか、ちょうど悠ちゃんも当日どうしても抜けられない予定が入ってしまったらしい。
まあどんな予定なのかは今日の様子で大体分かるけれど。
とにかく悠ちゃんからのプレゼントも預かっていることだし、ちゃんとおめかしして行かないとね。
「……薫、さん」
その名前を呼ぶと、まだほんのちょっと胸が苦しくなる。
小さい時の淡い初恋。
多くの人が味わう幼少期の失恋を、私も例に倣って味わった。
勿論今となっては、皮肉なして良い思い出だ。
「楽しみ、だな……」
頭がぼーっとしてくる。
まだそんなに遅くないのに強烈な眠気が私を襲う。
「……明日の、準備……しない、と……」
起き上がろうとするけれど、どうにも力は入らなかった。
抵抗しても仕方ないので、私はそのままゆっくりと意識を手放していく。
明日もまた、良い一日になりますように。
そんなことを思いながら、静かに目を閉じたーー
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