断章10「穴来命の最期 ー終わりと始まりー 」


 私はゆっくりと公園のベンチに座って、その時を待っていた。

 いつも通り鈍く光る月を、もう何百回見たのだろう。

 思い出すことすら出来ない。


「はぁはぁ……」


 まただ。

 目が霞んできて、意識が飛びそうになるのをどうにかして抑え込む。

 しばらくその場でじっとしていると、少しずつ楽になってきた。

 まだ震える手のひらを無理矢理握りしめて、月を仰ぐ。


「もう、限界みたい……」


 それは認めたくはない、でも認めざるを得ない事実だった。

 異変が始まったのは、数十回ほど前の死に戻りのときだっただろうか。

 普段は朝に死に戻るはずの自分が、1時間ほど遅れて目を覚ましたのが兆しだった。

 それから死に戻りを繰り返している内に、段々と死に戻り出来る時間が短くなっていった。

 そしてそれと同時に、今みたいに急に意識が飛びそうになったり、突然激しい頭痛に襲われるようになった。

 最初は楽観視していた私も、ここまで症状が顕著になればもう認めざるを得ない。

 これは明らかに死に戻りに対する副作用、そうとしか考えられない。


「これが、最後の死に戻りになるのかな」


 どんな力にもリスクはある。

 死に戻りなんて神様の真似事、今まで何のリスクもなく使えていたことがそもそも可笑しかったのだ。

 これは何百回も人の死を弄んできた私には、当然の報いだろう。

 今回も死に戻りしたら既に夜になっていた。

 幸い、特に準備することはないため、今はこうして四宮薫が来るのを待っている。

 でも本能的に感じるのだ、きっともう時間は残されていないことを。

 死に戻り出来て後1、2回。その間に何とかしなければーー


「私、どうなるんだろう……」


 能力を失って、それで終わりなのだろうか。

 それとも力を使い果たして死んでしまうのだろうか。

 どちらにせよ、四宮薫と彼の妹を救えない限り私にはどれも同じことだった。


「あと、少しなんだから……」


 四宮薫は、記憶を引き継いでいないにも関わらず毎回何かしらの進歩を遂げてきた。

 そして段々と分かってきた。

 妹を救うには彼だけではなく、周囲の協力が絶対条件なのだ。

 それをなぜか彼は理解し、少しずつ望むべき結末へと進んでいる。

 あとほんの少しに違いなった。


「お願い、もう一度チャンスを頂戴」


 私は信じていないはずの神様に、願った。

 もう私はどうなったっていい。

 だから代わりに彼を、四宮薫を導いてほしい。愛する彼に、どうかもう一度チャンスを。

 震える身体を何とか動かして、私は再度月を仰いだーー

















「…ずいぶん暗い顔してるね」

「っ!?」


 驚いた彼の表情は、もう何度も見てきたものと全く変わっていなかった。

 とりあえず今回も記憶が引き継がれていないことに安堵する。

 後は死に戻りが上手くいくか、それはもうやってみなければ分からないことだった。


「…えっと、どこかで?」


 その台詞も、既に聞き飽きたものだった。

 でも純粋そうな彼の瞳に、思わず全てを話したくなる衝動に駆られる。

 そんなことをしたってその先には破滅しか待っていない。

 それはもう私自身が一番よく分かっているはずなのに。

 きっと焦っているせいで心が弱くなっているから、こんなことを思ってしまうのだろう。


「……ううん、初めましてだよ、四宮薫」


 甘い自分を押し殺して、私はいつも通りの答えを返す。

 敢えて彼をフルネームで呼ぶことで、距離を置く。

 それくらいしか今の私は思いつかなかった。

 もう私が知っている、私のことを見てくれていた“薫”はこの世界……いや、どの世界にも存在しない。

 その事実を理解するための、私のささやかな抵抗だった。

 私の答えに動揺しているのか、四宮薫は何かぶつぶつと言っている。

 そんな彼に気付かれないようにして、サイドポーチから静かにナイフを取り出した。


「じゃなくて!」

「とりあえず時間がないからよく聞いて。君には後悔していることがあるでしょ?」

「…いや、何言ってるんだよ。つーか、歳上の人に向かって君はーー」

「これからその後悔をやり直すチャンスをあげる。上手く行くかは分からないけど」

「あのー、もしもし?」

「もし上手くいったなら…また会えるのを楽しみに待っているね」

「…あのさ」


 まだ何かを言いたそうにしている彼には悪いが、もう時間はない。

 さっきから意識は飛びそうになるし、全身の震えが止まらない。

 早く事を終えなければ、このまま彼を殺せずに終わってしまいそうだ。


「あ、ごめん。私の名前は、穴来命。余裕があれば覚えて置いて」

「…だからさ、一体ーー」


 彼の言葉を遮って、素早く懐に入り込む。

 もう何百回もやってきた動作だけに、多少の異常があってもいつも通りに出来た。


「それじゃあ、逝ってらっしゃい」


 耳元でそう囁いてから、力一杯ナイフを突き立てる。

 お願い、死に戻って。そして妹を今度こそ、救い出して。

 そう願いを込めて、突き立てる。


「がっ…!あ…」


 四宮薫は愕然としながら、その場に倒れこむ。

 流れ出る血の量を見て、まず間違いなく彼は死ぬだろうということが分かった。

 ごめんなさい、でもすぐに終わらせるから。

 辛そうに呻く彼を、私はただ見つめることしか出来ない。


「四宮薫」

「は……」


 サイドポーチからもう一本、ナイフを取り出してゆっくりと四宮薫に近付く。

 血だまりを踏みしめながら彼の側まで行って、目が合った。

 どうしてこんなことになっているのか、全く理解できない。そんな目だった。

 本当は全てを教えてあげたい。

 だけどそんなことをしても意味がないことを、私は知っているから。


「な、なん…で……」

「おやすみ」


 そのまま持っていたナイフを彼に突き立てて、終わりにした。


















「はぁはぁ……」


 力が入らない。

 全身から力が抜けてしまい、思わずその場に膝をつくしかなかった。

 まだ温かい血だまりの中で、私は必死にナイフを構える。


「はぁはぁ……うっ!?」


 そして思い切り自分に突き立てた。激痛と共にそのまま倒れこむ。

 この痛みはきっと大丈夫、ちゃんと死ねる。

 そう確信して、少し安心した。


「あた……たかい……な……」


 四宮薫はちゃんと死に戻り出来たのだろうか。

 それを確かめるためにも、私自身も死に戻りするしかない。

 もしかしたらこれがラストチャンスかもしれない。

 後はもう彼に任せるしかなかった。

 だから精一杯のエールを送る。

 頑張って。

 諦めないで。

 妹さんを必ず救って。

 貴方の望んだ結末を、私に見せてーー


「……あ」


 偶然、手が触れる。

 まだ温かい彼の手のひらに触れた。


「かお……る」


 彼は薫だけど、薫じゃない。

 頭では分かっていても、どうしようもなかった。

 思わず彼の手のひらを握っていた。

 私の願いが彼に届きますように。無事に死に戻りをして、どうか妹を救えますように。

 きっと意味のない行為を、それでも私は止めずにいられなかった。


「か……お………………」


 ゆっくりと、意識が遠のいていく。

 全身は寒くてもうほとんど感覚もなくなった。

 それでも私は最期まで、彼の手を握りしめる。

 果たしてもう一度、私は目を覚ますことが出来るのだろうか。

 願わくば、彼が最高の結末に辿り着けることを願ってーー






 ーー生きて、そしてどうか妹を、救って薫。


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