80話「死に戻りしたんで妹のために青春捧げようと思う」


 結論から言えば、俺の退院は一週間ほど延びた。

 原因は勿論、あの日の夜に勝手に病院を抜け出して無理をしたからだ。

 医者には青ねえが上手く言い繕ってくれたようだったが、結局俺はその青ねえに怒られたのだからあまり変わらない気もした。

 とにかく多少のトラブルはあったものの、こうして無事に退院の日を迎えられたのは素直に嬉しかったりする。


「お兄ちゃん、準備できた?」

「おう、今ちょうど最後の確認してたとこだよ」


 そして何よりも、俺の隣にはこうして春菜がいる。今この瞬間も彼女は生きている。

 そんな当たり前のことが、俺は嬉しかった。


「何、ニヤニヤしてるのよ」

「いや、相変わらず俺の妹は可愛いなと思ってさ」

「ば、馬鹿じゃないの!?いいから早く片付けてよね!」


 恥ずかしそうにしながら、テキパキと俺の荷物整理を手伝ってくれる春菜。

 そんな彼女を見て、改めてようやく俺の死に戻りの目的は達せられたことを実感するのだった。


「そういえば秋空先輩から連絡来たな」

「わたしにも来たよ。美琴(みこと)ちゃんの件でしょ?正式に秋空家に迎えるっていう」

「ああ……」

「お父さんを完膚なきまでにやっつけたらしいね、秋空先輩。流石っていうか、あの人の行動力って本当に予想できないよね」

「…………」

「……お兄ちゃん?」

「ん、ああ、そうだな」

「大丈夫、もしかしてまだ頭が痛むとか?」


 心配そうに覗き込んでくる春菜。余計な心配をさせてしまったようだ。

 何でもないよと言いながら、俺はそのまま片付けに戻る。


「美琴、か」


 あの日、俺が公園で気絶してからのことは真白台から聞いた。

 概ねは今春菜が話してくれた通りで、最終的に秋空先輩が父親を言い負かしてあの少女を正式に家族として迎えるらしい。

 あの少女、穴来命……もとい、秋空美琴を。

 以前も少し先輩からは聞いていたが、あの少女の元々の名前は美しい琴で“美琴”と名付けられる予定だったらしい。

 それがどういう理由か分からないが、“命”という名前に変わり遠い親戚中を盥回しにされたことで名字も“穴来”になったそうだ。

 そして今回の出来事で、全て元通りになるということらしい。

 つまり俺が知っている命は、もういなくなるということになる。


「よしっ、こっちは大体終わったな」

「こっちも大丈夫そう。というか、退院日決まってたんだから、もっと早く準備してよね」

「悪かったって。でも、ありがとな春菜」

「あっ!……もう」


 少し乱暴に頭を撫でてやると、春菜はちょっと抵抗しながらもそれを受け入れてくれた。

 きっとこれで良かったんだろう。

 結局、当たり前のことではあるが美琴にあっても、この死に戻りの答えになるようなものは何もなかった。

 それもそうだ。彼女にとっては俺を殺して死に戻りさせることは10年も後の話になるのだから。

 それにこうして名前が変わってしまった今、秋空美琴の人生も大きく変わろうとしているのではないだろうか。

 彼女にはもう秋空先輩という家族がいる。

 だから、これは所詮俺の想像でしかないのだが、きっと穴来命は……秋空美琴は幸せになれる。

 そんな気がするのだ。


「またニヤニヤしてる……」

「え、あー悪い悪い」

「……ね、そろそろ聞かせてくれない?」


 春菜は顔を赤らめながらも、真剣な表情で俺を見つめる。

 一体何の返事なのか、なんて無粋なことは流石の俺でも思わなかった。

 結局屋上からの転落事故からもう二週間近く経つが、未だに俺は春菜の告白に対して返事をしていない。

 というか出来るタイミングがなかった。

 きっと春菜もそれを分かってくれていて、それについて一切言及することはなかった。

 それを今このタイミングで言ってくるということは、春菜も我慢の限界ということなのだろう。

 俺自身、なるべく早く返事をしなければならないと思っていた。

 軽く周囲を見渡すが、どうやら俺たちの他にこの病室には誰もいないようだ。

 家に帰れば、両親もいるわけで中々チャンスがないかもしれない。

 そういう意味では春菜の判断は正しかった。


「……分かった」

「う、うん……」

「まずはさ、その……こんなに待たせちゃって悪かったな」

「い、いいよ。というかそれは別にお兄ちゃんのせいじゃないし……」

「まあそうかもしれないけどさ。それでも待たせたことに変わりはないからな」

「そうだけど……うん、じゃあその話はこれで終わりにしよ?わたしも全然気にしてないし」


 春菜はそう言って優しく微笑んでくれた。


「分かった。それで俺も色々考えたんだ」

「そう、だよね」

「春菜には悪いけど、今までずっと妹として春菜のことを見てきた。だから急に好きって言われても正直戸惑ったよ」

「……うん」

「でも、嬉しかったよ」

「ほ、本当……?嫌いになったり、気持ち悪いなとか、思ったり……」

「おいおい、するわけないだろ。そこまで落ちぶれちゃいないし、本当に嬉しかったよ。妹とか抜きにして、こんな良い子に好きになってもらえてさ」

「よ、良かったぁ……」


 思い切り安堵したのか、春菜は思わずその場に座り込んでしまった。

 どうやら言った本人も今回の告白に関しては、相当悩んでいたようだ。


「おいおい、大丈夫か?」

「ん、大丈夫。ありがと」


 握った春菜の手は、微かに震えていた。

 少し汗ばんだ彼女の手から、緊張が伝わってくる。


「……正直さ、俺には分からないんだ。今まで本気で人を好きになったことなんてないし。それに俺たちは義理と言えど兄妹なわけで。今は良くても、きっと将来苦労すると思う」


 それは短い社会人経験で鍛えられた勘でしかなかった。

 けれど、義理とはいえ兄妹で付き合うことに抵抗や不快感を覚える人も間違いなくいるだろう。

 それはきっと避けられない障害として、俺たちの前に現れるに違いなかった。

 そんな俺の言葉を、春菜は俯いて聞いている。


「……そう、だよね。わたしも、思ってた。やっぱり、兄妹でなんて可笑しいーー」

「あ、ちなみにさ。冷静になって兄妹とか抜きにすれば春菜はめっちゃタイプの女の子だからな」

「……は、はぁ!?」

「いや、だからめっちゃタイプなんだよ」

「な、な、な、なに言ってんのば、ば、馬鹿じゃないのっ!?」

「お、おい落ち着けって!」


 急に暴れだした春菜をなんとかなだめる。

 おそらく言えばこうなるとは思っていたのだが、やはり予想通りというか。

 こんなに恥ずかしがるくせに予想もしないタイミングで突然告白してくるのだから、大したものだ。

 きっとこの辺は明子さんに似たのかもしれない。


「だって突然そ、そんなこと言って……!」

「お前だって突然告白しただろうが……」

「そ、それは!あのときは、無我夢中だったから……」

「とにかくさ!難しいこととか全部抜きにしたら、俺も好きだよ。春菜のこと」

「……………………へ?」


 突然フリーズした春菜から、気が抜けたような返事が返ってくる。

 実際、俺にもこの感情の正体はよく分からない。

 俺はずっと後悔していた。

 たった一人の女の子を助けられなくて悔やみ続けていた。

 そして死に戻りしてから今まで、ずっと春菜のことを考えてきた。

 勿論それは家族として、大切に思っているからだ。

 でも心のどこかでは一人の女の子に対しての気持ちが、なかったといえば嘘になる。

 正直さっき春菜に言った通り、俺にもよく分からない。

 でも事実としてあるのは、俺にとって春菜のは家族としても一人の人間としても大切な存在だということだ。


「好き、っていうか……大切っていうかさ。とにかく俺にとってお前は、かけがえのない存在なんだよ。好きとかそういう次元じゃなくて……うーん」

「えと………………え?つ、つまりそれってーー」

「退院おめでとう、薫!」

「「うわぁ!?」」

 

 そして時間切れなのだろうか、そんな俺たちだけの空間は突然現れた青ねえによってぶっ壊されたのであった。


「青子さん、そんなに急がなくても………あ、センパイ。退院おめでとうございます」

「青ねえに、真白台……き、来てくれたのか」


 さらに青ねえに続いて真白台も病室に入ってきた。


「当たり前だよ。今日は薫の退院日なんだから。もう体調は大丈夫なの、薫」

「あ、ああ!全然大丈夫!もう元気いっぱいだからさ!あはは……」


 なんとか普通に会話しようとするが、どうみても違和感があったようだ。

 青ねえは不思議そうな顔して俺を見てるし、真白台もじっと俺たちを見比べている。


「良かったぁ!本当に心配したんだからね……」

「ちょ、ちょっと青ねえ!」


 青ねえはそんな俺の心境を知ってか知らずか、思い切り抱きしめてくる。

 微かに香る甘い香りと柔らかい感触に、思わず戸惑ってしまう。


「……青子さん、近すぎです。センパイが困ってるじゃないですか」


 そして真白台も負けじと俺の腕を取ってくる。

 睨みあう二人の間に、確かに火花が散ったのを俺は見た。


「あの、二人ともどうしたんだ……?」

「青子さん、往生際が悪いですよ。潔く身を引いてください」

「冬香ちゃんに、言われる筋合いはないかなぁ?でも面白いね。私の“力”が効いてないなんて……これも薫の影響だったりするのかな」

「何を訳の分からないことを言ってるんですか。とにかく、ここだけは譲りませんよ?いくら青子さんと言えど、関係ありません」

「ふふ、いいじゃない。私も久しぶりに楽しめそうだし……」


 いつの間にか俺を置いてけぼりにして、青ねえと真白台はバチバチと激しい火花を散らしていた。

 何やら不穏な空気を感じ取って恐る恐る距離を取ると、静かに手を引かれた。


「春菜……」

「しーっ。……行こう」


 そのまま春菜と共にそっと病室を後にする。

 幸い二人は俺のことを忘れてまだ何かを言い合っているようだった。

 全く、モテる男は辛いものだ。


「……ふぅ。ありがとな、春菜」

「…………」

「春菜……?」


 しばらく距離を取っても、春菜は握った手を離してはくれなかった。

 むしろ段々と強く、俺の腕をギュッと掴んでくる。


「負けないから……」

「へ?」

「わたし、負けないからね。誰が相手だろうともう遠慮なんてしない。絶対にお兄ちゃんを……貴方を虜にして見せるんだから」


 真っ赤な顔をしながらも、春菜はまっすぐに俺を見据えて宣言した。


「春菜……」

「な、なによ」

「顔、真っ赤だぞ?」

「う、うるさいっ!仕方ないでしょ!?か、覚悟しておいてよねおにい……か、か、薫」


 さらに顔を赤くしながら、それでも春菜はそう言いきった。

 その姿がなんだか可愛らしくて思わず笑ってしまって、余計に春菜を怒らせてしまうのだった。


「おいおい、どこ行くんだよ」

「荷物取りに戻る!お兄ちゃんの馬鹿っ!!知らないっ!」

「おい、待てって!」


 軽く頭を掻いてから、俺は春菜を追いかけるために一歩を踏み出す。

 せっかくもらった死に戻りの機会なんだ、精一杯生きていかないとあいつに……穴来命に顔向け出来ないしな。

 そう思った瞬間ーー


『ーーおめでとう、薫』


 どこからか、彼女の声が聞こえた気がした。

 思わず足を止めて周りを見渡すが、やはり彼女の姿はどこにもない。

 だから俺はーー


「ーーありがとう、命」


 小さくそう呟いて、また春菜の後を追いかけるのだった。



 

 これからどんなことが起きるのか、それは誰にも分からない。

 だけど今の俺たちならきっとなんとかなるだろう。

 もう俺は、春菜は一人じゃないのだから。

 これからやりたいこと、乗り越えるべきことはまだまだあるのかもしれない。

 でもとりあえず俺は誓っておくことにしよう。

 春菜に、そして穴来命に、何よりもこれからの俺自身に。

 誰にも聞こえないように、俺は心の中で改めてこう誓うのだったーー













 ーー死に戻りしたんでもう一度、妹のために青春捧げよう。


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