79話「12月14日 その6」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 ぼんやりとした意識の中で、辺りをゆっくりと見回す。

 真っ白な空間の中に、同じく真っ白なベンチがポツンとあった。

 そして俺はそのベンチに座っている。

 一体いつからこうしているのか、自分でも全く思い出せない。


「どうなってるんだ、これ」


 発した声は静まり返った空間に響き渡るが、どこからも反応はない。

 確か俺は学校の屋上にいたはずだ。そしてそこには春菜もいた。

 そして俺は春菜を助けるために、一緒に屋上から落下したはずだ。

 しかし、この場所はどうみても学校ではない。

 そもそも一緒に落ちたはずの春菜がいない。

 ぼーっとしたままの頭を最大限に働かせて、出た結論は至極単純なものだった。


「俺、死んだのか……?」


 オカルトなんて信じてはいなかったが、今目の前に広がる世界は間違いなく普通ではない。

 俺は屋上から落ちてそのまま死んでしまった。

 そしてここは俗にいう死後の世界、そう考えると不思議と納得してしまう自分がいた。

 そもそもあの高さから落下しているのだから、そう考えるのが自然なのではないだろうか。


「春菜は……いないな」


 もう一度周囲を見回すが、やはり他には誰もいなかった。

 もしもここが俺の妄想通り、死後の世界だとしたら春菜がここにいなくて本当に良かった。

 つまり俺は彼女を救うことが出来たということだ。


「はは……」


 それは明らかに楽観的な、願望でしかない考えだ。

 それでも俺の行動で結果が変わったことを、今はただ祈るしかない。

 俺が身を挺したことで春菜の命が救われたのなら、この死に戻りにも意味があったということになる。


「……俺の役目も、これで終わりだな」


 深くベンチに腰掛けてから、ぼーっと真っ白な空間を眺める。

 俺が死んでしまったら春菜は悲しむだろうな。

 兄が、しかも自分を助けるために死んでしまったわけだ。

 でもきっと春菜は立ち直ることが出来る。もう彼女は一人じゃない。

 この数か月、決して短くない学校生活の中で春菜は多くの友達を作ることが出来た。

 過去の、どうしようもない俺とは違う。

 過去の、虐められていた春菜とは違う。

 だからきっと春菜なら大丈夫ーー


「本当に、相変わらずのお人好しだね。四宮薫」

「なっ!?」


 急に話しかけられて、思わず立ち上がろうとするが身体は全く動かなかった。

 ついさっきまでは自由に動かせていたはずなのに、今では指一つ動かせない。

 その声は俺の背中側から聞こえてきた。

 そしてそこには確かに人の存在を感じる。

 俺の後ろに、誰かがいることはすぐにわかった。

 そしてその声を、屋上にいたときからずっと聞こえていたその声の主を、俺はようやく思い出した。


「……穴来、命」

「正解。やっと思い出してくれたんだね」


 その声の主は、やはり穴来命だった。

 あの日、俺を殺して死に戻りさせた張本人。

 俺が、この死に戻り生活をすることになった元凶である彼女と、ついに再会した。


「久しぶり、だよな」

「そうだね。貴方にとってそれがどれくらいの時間を指すのか、私には分からないけど。きっと久しぶりだね」

「本当はちゃんと顔を見て話したいんだけどな」

「それは、無理かな。そもそも、今ここがどこなのか理解してる?四宮薫」

「さぁ……なんとなくだけど、死後の世界とか」


 俺の答えに、命はくすくすと笑った。


「相変わらず、子供っぽいところあるよね」

「う、うるさいな……」


 少しだけ、顔が赤くなるのを感じる。

 確かに冷静に考えれば死後の世界なんて、ありえないことだっていうのはわかっている。

 だが事実俺は死に戻りというありえない体験をもうしてしまっているのだ。

 そしたらここが死後の世界だという発想も、あながちあり得ると思うだろう、普通。


「ふふ、そういうところ……嫌いじゃなかったけどね」

「分かったから、教えてくれないか。一体ここがどこなのか」

「そうだね。もう時間もないし、教えてあげる。ここはね、貴方の頭の中の世界だよ」

「……頭の中って、それじゃあつまり」

「ただの妄想、だね」


 あまりにも拍子抜けした答えに、俺は言葉が続かなかった。

 じゃあ何か、このいかにも意味ありげな空間は俺の妄想、早い話がただの夢ってことか。


「なんだよ、じゃあ全部夢ってことが」

「……でもね、現実の貴方は事実、生死の間をさまよってるみたいよ。ほら――」


 そういって命の指差した先、俺の正面からゆっくりと黒い何かが広がっていく。

 真っ白な空間を少しずつ塗りつぶして、こちらに迫ってきているようだった。


「な、なんだよあれ!」

「あれが死、だよ……。ねえ、四宮薫。貴方はどうしたい?」

「ど、どうしたいって……」

「貴方の予想が正しければ、妹は助かったんだよ。これ以上、生き続けることに意味はあるのかな」

「な、何を」

「だって、貴方の人生は元々、もう終わったようなものだったでしょ。死んだ妹のことをいつまでも引きずって、ただ日々を浪費していくだけの生活。そんな貴方が、後悔していた妹の死を回避することが出来たんだよ?しかも自分の命を使って。これ以上生きる意味が、目的が今の貴方にあるのかな」

「そ、それは……」


 それは、穴来命の言うとおりだった。

 彼女に殺されていなかったら、死に戻り出来ていなかったら。

 おそらく俺は残りの人生を後悔しながら生きていっただろう。

 そして死に戻りをしたときに、俺は誓った。妹のために青春を捧げよう、と。

 それが果たされた今、俺にはもう生きる目的はない。


「……ね?だから、さっきから貴方の身体はぴくりとも動かないんだよ。貴方は妹を救ったことで満足したから。ついさっきまで、そう思ってたでしょ」


 命の言葉に、返す言葉はなかった。

 事実、俺はそう思っていたから。

 春菜を救えて良かったと、もう思い残すことはないと。

 だから俺の身体は動かないのだろうか。もう十分だと、満足だということなのだろうか。

 黒い空間があっという間に白を侵食し、俺たちへと迫ってくる。


「それにね、妹が本当に助かったかどうか、今の私たちに知るすべはないんだよ。もし意識が戻ったとして、妹が死んでしまっていたら……貴方はその苦しみに耐えられるの、四宮薫」

「そ、れは……」


 問い掛けてはいたが、命の口調は明らかに俺が耐えられないことを何度も見てきたような……そんな厳しい口調だった。

 現にそうだとしたら俺は耐えられるのだろうか。

 春菜を二度も死なせてしまったという苦しみを抱えながら、この先の人生を生きていけるのだろうか。

 それはほんの少し想像しただけでも、吐き気を催すほどのものだった。


「……このまま、こうしていよう?貴方は自分を犠牲にして、大切な妹を救うことが出来た。それでいいじゃない。これ以上、一体何を望むの?もう貴方は十分よくやった。だから、もう頑張らなくていいんだよ」

「俺、は……」


 ゆっくりと、黒い何かが迫ってくる。

 それはもう足元まで来ていて、今にも俺たちを飲み込もうとしていた。

 穴来命の言う通り、俺はこのまま死ぬべきなのかもしれない。

 もうこれ以上、やり残したことはない。

 何よりもう一度春菜の死に向き合うことは、想像を絶する苦痛を伴う。

 だから、もうここで終わりにした方がきっと良いに違いなった。だから俺はーー


「……穴来命」

「……何?」

「お前の言うことは、確かに正しいかもしれない。俺にはもう生きる目的はないし、正直春菜の死を受け止める覚悟もない。だからここでこうして座っていた方が、きっと楽に違いないんだろうさ」

「じゃあ……」

「だけどさ、それは出来ない」

「……どうして?」

「決めたから。もう逃げないって。この死に戻りをしたときに、そう決めたから」


 俺はゆっくりと立ち上がる。

 立ち上がることが、出来た。そして今にも這い上がって来そうな漆黒を見る。


「それにさ、俺は春菜の兄貴だからな。俺と同じ悲しみを、あいつに味合わせたくなんかない。残された方の悲しみを、春菜が知る必要なんてない」

「残された方の、悲しみ……」

「だから、俺は生きるよ。目が覚めたら、受け入れたくない事実が待っているかもしれないけれど……それでも俺は、生きたい。生きなきゃいけないんだ」

「……そう。貴方がそう決めたのなら、私はもう止めないわ」


 そう言った穴来命の声はどこか嬉しそうで、そして少しだけ悲しそうだった。

 彼女は言った、これは俺の見ている夢に過ぎないのだと。

 でもこんなに現実味のある夢が、果たしてあるのだろうか。


「あのさーー」

「四宮薫」

「な、なんだよ」

「本当に貴方には驚かされるね。記憶なんて、本当はないはずなのに。だけど貴方はなぜかずっと前のことですら、思い出してしまう。覚えているはずもない別の世界の貴方のことを、思い出すんだもの……」


 一体穴来命が何を言っているのか、俺には分からなかった。

 そもそも俺はどうして彼女が俺を殺したのか、なぜ死に戻りしたのか。

 根本的なことを知らない。知らないはずだ。

 けれども、なぜか分かる気がするのだ。

 俺は、もっと前から彼女のことを知っている。

 そんな気がする。


「さようなら、四宮薫。……私のこと覚えていてくれて、ありがとう。“薫”」

「命ーー」


 今にも消えてしまうような穴来命の声に思わず振り向いた瞬間、目の前が真っ白になった。

 そしてそのまま俺は意識を手放したーー




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇










「ん……」


 目を覚ますと、真っ白な天井が広がっていた。

 身体を起こそうとすると頭に鈍い痛みが走る。どうやらずっと寝ていたらしい。

 ゆっくりと身体を起こそうとすると、すぐ横に人の気配を感じた。


「あ……」

「……あれ、青ねえ?なんでここにーー」

「薫っ!!良かったぁ!!本当に、良かったぁ……」


 真横で俺を見ていた青ねえは、俺が起きるや否や泣きながら抱き着いてきた。

 一体何がどうなっているのか、全く理解出来ない。

 とりあえず泣きじゃくる青ねえを落ち着かせないと、話を聞けそうになかった。


「あ、青ねえ落ち着けって!」

「落ち着いてなんか、いられないわよぉ……!屋上から飛び降りて、意識不明だったんだからぁ!本当に無茶ばっかりして、馬鹿ぁ!!」

「わ、悪かった!悪かったから!」


 こんなにも取り乱す青ねえを、俺は初めて見た。

 それだけ俺のことを心配してくれていたということだ。

 そんな青ねえの優しさに感謝しつつ、俺は一番気になっていることを聞くことにした。


「……青ねえ」

「ぐずっ……な、なに……」

「春菜は……春菜はどうなった?」


 心臓が口から飛び出そうだった。それでも聞かなくてはいけないことだった。

 穴来命の言うように、もし春菜を助けることが出来ていなければ……その現実を俺は受け入れなければならない。


「は、春菜ちゃん……?春菜ちゃんならーー」


 青ねえの次の台詞が、怖い。

 でもここで逃げてしまったら、何も変わらない。

 俺は思い切り腹に力を入れて、彼女の次の言葉を待った。


「ーー寝てるよ、そこで」

「……は、春菜」

 

 青ねえの指差す先、俺のベッドの左隣に春菜はいた。

 目を瞑って静かに寝ていた。


「特に外傷とかも、ないって。さっき少しだけ目を覚ましたんだけど、またすぐに寝ちゃったの。でも、特に異常はないってお医者様は言ってたわ」

「…………良かった。本当に、良かった……!」


 春菜は、死んでいなかった。

 俺はついに彼女の死を回避することが出来たのだ。

 そんな俺の様子を見て青ねえは少し呆れたような、でも穏やかな笑みを浮かべていた。


「誰かさんが命懸けで助けてくれたから、でしょ?全く、本当に後先考えないんだから。まずは自分の心配、しなさいよね。包帯、気付いてる?」

「……あ」


 青ねえに言われて自分の頭を触ると、確かに布のような感触があった。

 どうらや今の俺はまあまあな怪我人らしい。

 そんな俺の反応を見て、青ねえは深いため息をつくのだった。


「……でも俺たち、どうして助かったんだ?間違いなく、地面に落ちたと思ったのに」

「それは青子さんたちのおかげですよ、センパイ」

「ま、真白台。どうしてここにいるんだ」


 俺の疑問に答えてくれたのは、病室に入ってきた真白台だった。

 やれやれと言わんばかりの表情をしながら、真白台は青ねえの横に座る。


「心配だから、に決まってるじゃないですか。他に理由なんて、ありますか?」

「いや、ないけどさ」

「はぁ。で、さっきの件ですが予めセンパイたちが落ちそうなところを予想して、秋空さんでしたっけ?あの人がマットを敷いてくれてたんですよ」

「秋空先輩が……?」

「正直、半信半疑でしたけど。本当に二人が落ちてきて、心の底からビックリしましたよ」

「マットって……よく持ってこれたな。結構重かっただろ」

「そこは、青子さんに力を貸してもらいました。ちょうどあの時、結構人が集まってましたから。青子さんのせいで」

「せいで、って言い方は余計でしょ!」

「ふふ、すいません。それで、青子さんがそこにいた人たちをうまく先導してくれたんですよ。秋空先輩が先に倉庫まで行って鍵を開けて、その後青子さんたちとマットを運んだんです」


 裏でそんなことがあったなんて、全く知らなかった。

 青ねえの人を従わせる能力が、こんな形で役に立つ日が来るとは。

 きっと青ねえ自身も予想していなかったに違いない。


「まあ、私はそんな大したことしてないけど……周りが勝手についてきただけだし」

「でも時間的には、かなりギリギリでしたよ。あの人数で運んでなければ、多分間に合ってなかったと思います」


 真白台の言葉は、彼女の表情を見る限り間違いなく事実だろう。

 青ねえが今日、ここにいなければ俺と春奈が助かることはなかった。

 そして秋空先輩がいなければそもそも春菜が屋上にいることにも気付けず、落下場所も分からなかった。

 さらに真白台がいなければ、俺はあの時屋上に入ることすら出来なかった。

 俺が、春菜が今ここにこうして生きていられるのは、数多くの偶然が重なった結果だということを、俺はようやく理解するのだった。

 誰か一人でもこの場にいなければ、おそらく俺たちは生きてはいない。


「……青ねえ、ありがとう。本当に、助かったよ」

「え?別に気にすることじゃないけど……まあ、どういたしまして」


 青ねえは少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうにしていた。


「真白台も、本当にありがとう。電話してくれて、助かった」

「お役に立てたのなら、良かったです。あたしは、いつだってセンパイの味方ですから」


 そして真白台はいつも通りクールに、当然のようにそう言ってくれた。

 後は秋空先輩にと思い、病室を見渡すが彼女の姿はどこにもない。


「秋空先輩なら、ここにはいませんよ」


 俺の様子から察してくれたのか、真白台が答えてくれる。


「そうか。どこか行ってるのか?」

「なんか、大事な約束があるからって言ってほんの数分前に出て行っちゃいましたね」

「大事な約束ーー」


 そこまで聞いて、俺はようやく今日が何の日か思い出した。

 今日は、12月14日。先輩が、この“この世界”の穴来命と会う約束をしている日だ。

 間違いない、こないだ先輩が言っていたのは今日だったはず。

 俺は行かなくてはいけない。まだ終わってはいない。

 分からないことだらけの、穴来命。彼女の正体を知るまで俺の死に戻りは終わらない。


「か、薫!?」

「行かなきゃ……!」

「な、なにしてるんですかセンパイ!まだ安静にしてないと!」


 病室から出ようとする俺を、二人は必死に止めようとする。

 青ねえ達の立場からすれば当然の行動だった。でも俺は行かなくちゃいけないんだ。


「離してくれ……!俺は行かないといけないんだ。秋空先輩のところに……穴来命のところに……!」

「駄目っ!大体、その先輩が今どこに向かってるか、分かってるの薫!?」

「それは……」

「もう!そんなんじゃ行ったところでーー」

「ーーあならい、みこと?」


 無理を言う俺を必死に止める青ねえ。そんな俺たちの間に入ったのは真白台だった。

 真白台は困惑したような表情をしながら、俺を見つめる。


「真白台……?」

「あならいみことに、会いに行ってるんですか。秋空先輩は向かってるんですか」

「……そうだ」

「あたし、知ってます。あならいみことのこと。そして、彼女がいる場所も」


 しんと静まり返った病室に、真白台の声だけがやたらと大きく響いた。






















 俺は真白台の案内で、とある公園まで来ていた。

 青ねえには春菜のこともあるので、病院にいてもらうことにした。

 後は俺が抜け出したときに言い訳してもらうためだ。

 とんだ無茶振りではあったが、青ねえは笑顔で引き受けてくれた。

 そして俺たちがたどり着いたそこは真白台の家のすぐ側にある公園で、俺も見覚えのある場所だった。

 確か夏休みに一度、彼女の家にお邪魔したときに通り過ぎたような覚えがある。

 道中で簡単にではあるが、秋空先輩と穴来命の関係を説明した。

 勿論、死に戻りのことは伏せてはあるが。


「こないだは確かこの辺で……あ」


 真白台の目線の先には、秋空先輩がいた。

 先輩は入り口で佇んだまま、公園の隅の方をじっと見つめている。

 俺はその先を見て、そして彼女が公園に入らない理由を理解した。


「……秋空先輩」

「か、薫くん……!意識が戻ったの!?というか、二人ともなんで……!」


 当然のことながら、慌てふためく秋空先輩をとりあえずはなだめる。

 幸い、俺たちの声はまだ“彼女”には聞こえていないようだ。


「詳しい話は、また後で話します。マットのこと、真白台から聞きました。本当にありがとうございます」

「あ、ああ。別にそれはいいんだけど……」

「それで、見つけたんですね。穴来命を」

「え、えと…………うん。あそこに座ってるのが、多分そう」


 遠慮がちに秋空先輩が目配せした先には遠目ではあるが確かに子どもが一人、ぽつんとベンチに座っている。

 遠くからでも分かる金髪は、先輩の髪色とそっくりだった。

 そして俺があの夜に見た、穴来命ともそっくりだった。


「……怖い、ですか」

「……うん、怖い。もし拒絶されたら、罵倒されたらって思うと、足が動かないよ。情けないよね、散々父親には啖呵切っておいて、いざとなったらこれなんだもん……」


 秋空先輩は、震えていた。

 それはまるで少し前までの俺を見ているようだった。

 だからだろうか、俺には先輩の気持ちが痛いほど分かる。

 それが、無理をしてまで俺がここに来た意味なのだから。


「大丈夫ですよ。先輩は一人じゃない。俺たちがいます」

「薫くん……」

「秋空先輩は俺と春奈を助けてくれた。だから俺たちも出来る限りのことをしたいんです。先輩なら絶対大丈夫です。いきましょう、妹さんを迎えに」

「……………………うん、行ってくる。ありがとう、薫くん。だから、そこで見ていてね」

「はい」


 秋空先輩は一回だけ大きく深呼吸をして、そしてゆっくりと公園に入っていった。

 ここからは先輩が解決するべきことだ。

 部外者の俺が立ち入ることではないように思う。


「……大丈夫ですかね」

「真白台は、どう思う」

「あたしは……正直分かりません。でも、命ちゃんと話したとき、あの子は家族を求めてました。だから秋空先輩が応えてくれるなら、きっと……」


 真白台は心配そうな表情を浮かべながらも、そこから動くことはしなかった。

 ここからは俺たちの出る幕ではない。それは真白台も分かっているようだった。

 俺たちは踏み切れない先輩に最後の一押しをした、それでもう十分だ。


「あ、センパイ……!」

「……ああ、見えてるよ」


 真白台の緊張した声に、俺はしっかりと頷いた。

 遠くからではあるが、そこには確かに互いに抱き合う“姉妹”の姿があった。

 秋空先輩は、ついに自分の妹を救うことが出来たんだ。

 今の俺と同じように。


「やりましたね、センパイーー」

「ああ……あ、れ……?」


 急に力が抜けて、俺はその場に倒れこんでしまった。

 安心したからだろうか、身体が思うように動かない。

 真白台が何か呼び掛けてくれているようだが、意識が朦朧としてきてよく聞き取れない。


「や、べ……」


 どうやらやはり青ねえの言う通り、安静にしておいた方がよかったらしい。

 きっと青ねえが知ったら絶対に怒られるだろうな。

 薄れゆく意識の中で、俺は今更そんなことを思った。


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