77話「12月14日 その4」
扉を開けた先には、夕陽が真っ赤に輝いていた。
燃えるような赤色が屋上全体を染め上げている。
そしてフェンスに寄り掛かっている春菜も同じように、真っ赤な夕陽に包まれていた。
「あっ……」
扉が開く音で気がついたのだろうか、振り向いた春菜と目が合った。
動揺しているような、何かを後悔しているようなそんな表情だった。
真っ赤に染まった長い髪が、俺に不吉な事を連想させる。
まるで何度か彼女の髪が真っ赤に染まったところを、この目で見たことがあるような気がする。
そんな馬鹿げたことを、それでも思わずにはいられなかった。
ここではないどこかで、俺は真っ赤に染まった春菜を何度も見てきた。
「……春菜、俺――」
「来ないでっ!」
近付こうとした俺に向けられたのは、明確な拒絶だった。
理由は痛いほど分かっている。春菜は聴いてしまったんだ、俺の心の声を。
そしてなんともタイミングが悪いことに、俺が死に戻りしていることを知ってしまった。
きっと今の春菜には、俺が得体の知れないモノに見えているのだろう。
「春菜、聞いてくれ。俺は――」
「止めて」
「春菜……」
「今は、一人にして。少し、考えたいの。話なら後でちゃんと、聞くから…」
俺の言葉を遮って、春菜は辛そうに言った。
本来なら、春菜の言う通り今は彼女をそっとしておくべきなのかもしれない。
今、この状況で春菜に何を言っても聞く耳を持ってもらえないだろう。
俺自身この場にいて本来ならばそっとしておくのが最善策であることは、とっくに理解しているつもりだった。
だがーー
「……っ」
春菜の真後ろに、正確には彼女が寄り掛かっている〝それ〟が、その最善策を選ぶことを許してはくれなかった。
夕陽を浴びて真っ赤に染まるフェンスは、まるで春菜を縛り付けているように不気味に輝いている。
俺は知っている。春菜がどうして死んでしまうのか、その原因を。
ありもしない記憶、夢のカケラたちに従うならば、フェンスの転落に巻き込まれて春菜は死ぬ。
そして何故かは分からないが、それは今、この瞬間なのだ。
何の確証もない。それでも今この時間に春菜は死んでしまう。
その証拠に、さっきから全身の震えが止まらない。
今が正真正銘、唯一のチャンス。
だから俺はここで退くわけにはいかない。
「……春菜、頼むから聞いてほしい」
「だから今はーー」
「俺は、お前に隠してたことがある」
「……っ」
俺の言葉に、春菜は苦しそうな表情を浮かべた。
やはりこれしか、ない。もう今の春菜に話を聞いてもらうには、これしかないのだ。
彼女は勘付いている。だからもうこれ以上、隠すなんて出来ない。
たとえこの先の俺たちの関係が、大きく変わってしまったとしても。
もう春菜を死なせない為には、言うしかない。
俺は一度だけ深呼吸をしてから、ゆっくりと春菜を見た。
「信じてもらえないかもしれないけど、聞いてほしい」
「…………」
「俺は……俺、は……」
全身の震えは、まだ止まらない。
言わなければいけないのに、言葉が出てこない。
春菜はじっと、俺を見つめている。俺の次の言葉を待っているようだった。
一体何と言えば春菜を納得させられるのか、俺には分かるはずもなかった。
でも逃げるわけにはいかないんだ。俺はもう、十分過ぎるほど逃げてきたのだから。
彼女を救いたくて、でも救えなくて。
きっとこれは、そんな無力な俺に与えられた最初で最後のチャンス。
だからーー
「俺は……10年後に死んで、それでこの時代に……死に戻りしてきたんだ」
――言った。
春菜の表情は、夕陽のせいでよく見えない。
一体彼女がどんな気持ちで俺の言葉を聞いたのか、今の俺には想像も出来ない。
「いきなり信じろ、なんて言わない。でも本当のことなんだ。春菜がどうやってこの事を知ったのか、正直分からない。お前を不安にさせたくなくて、ずっと言わずにいた。でも隠し事をしてたのは事実だ。だから……ごめん」
静まり返った屋上に、俺の声だけが響く。
春菜はずっと黙ったままで、何の反応もしてくれない。
受け入れてくれているのか、それとも拒絶なのか。
不安のまま、それでも俺は話すのを止めるわけにはいかない。
今の俺に出来ることは、きっとこれくらいしかないから。
「春菜が俺の死に戻りを知って、混乱する気持ちはよく分かる。俺自身、なんで自分が死に戻り出来たのか、本当はよく分からないんだ。俺は冴えない会社員だったはずなのに、突然10年も前に戻ってるんだからさ……」
「……………」
「最近、春菜の様子がちょっとおかしいなとは思ってたんだ。でも、それが俺のせいだったなんて……本当、どうしようもない兄貴でごめんな。でも俺にはどうしてもやらなきゃいけないことがあるんだ。春菜ーー」
「――違うよ」
春菜を死から救うために死に戻りしてきた。
そう言おうとした俺を、春菜の声が遮った。
それまでずっと黙っていた彼女の声は、思ったよりも力強かった。
「春菜……?」
「確かに…確かにね、お兄ちゃんの話は、そりゃ驚いたよ。それに偶然だけど、お兄ちゃんの心の声が聞こえてさ……だから死に戻りって言葉を聞いたときは、戸惑いもした」
「……ごめん」
やはり予想した通り、春菜には俺の心の声が聞こえていた。
そして俺の死に戻りを知ったんだ。
けれど俺の謝罪の言葉に、春菜は首をゆっくりと横に振る。
「……そうじゃないの。確かに驚いたけどね、わたしはすぐに信じたよ?お兄ちゃんは何か事情があって、死に戻りしたんだって」
「し、信じた?な、なんでそんな簡単に信じられるんだよ……。死に戻りだぞ?そんなのあり得ない、妄想だって……普通そう思うだろ」
「……だってお兄ちゃんは、わたしのこと信じてくれたから。わたしが、心の声が聞こえるって言ってくれたとき、貴方は信じてくれた。だからわたしだって貴方のこと、信じるよ。それじゃ、駄目?」
戸惑う俺に、春菜は当たり前のようにそう言ってくれた。
俺が彼女を信じたように、彼女も俺を信じてくれる。
俺はこの時、改めて春菜の成長と彼女の力強さを感じた。
そうだ、いつだって春菜は俺なんかよりもずっと強かった。
もう彼女はあの時の、自分から死を選んだ時の春菜とは違うのだ。
「……は、はは。本当に大したやつだよ、お前は」
「わたしは、もうこの学校の生徒会長なんだよ?舐めるのもいい加減にしてよね」
大袈裟に胸を張る春菜は、お世話抜きで頼もしく見えた。
俺の知らない間に、俺の妹はこんなにも頼もしくなっていた。
「でも、そしたら何で最近ちょっと様子がおかしかったんだ?俺の勘違い……じゃないよな。今日だって何か言いたそうだったし。死に戻りのことで、悩んでたんじゃないのか」
「そ、それはね……えっと……」
「……春菜?」
急に声が小さくなる春菜に、やはり違和感を感じる。
それは今日幾度となくみた春菜の姿だった。
俺の死に戻りのことで悩んでいたのではない、ということは悩みの原因は他にあるということになる。
でも俺には、死に戻りよりも大きな理由なんて思いつかない。
「えっとね……あの……」
「……やっぱり俺の死に戻りで悩んでたんじゃーー」
「ち、違うから……!」
「いや、でもなぁ…」
「わ、分かった!分かったわよ!言うから!言うからっ……だから少し黙ってて!」
「お、おう……」
何かを観念した様子で、春菜は深呼吸を何度も繰り返している。
陽が少し傾いて今は彼女の表情が分かるが緊張しているような、何かと必死に葛藤しているような複雑な表情だった。
一体春菜が何を言おうとしているのか、俺には見当も付かない。
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、最後にもう一度深呼吸をしてから春菜はしっかりと俺を見つめた。
そしてーー
「……なの」
「……え?今なんてーー」
「だ、だから!…………す、す、好きなの!お兄ちゃんのことが、好き……!」
「…………は?」
――夕陽より真っ赤な顔で、予想もしない事を言い放った。
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