76話「12月14日 その3」
「はぁはぁ……!」
「お、おい!!」
「ちょっと危ないじゃないっ!?」
「くっ……わりぃ!」
もう何度目か分からない。
誰かにぶつかりそうになりながら、それでも構わず必死に走り続ける。
まだ授業が終わったばかりの校舎には多くの生徒が残っていた。
廊下に溢れる人の波を掻き分けて、俺は屋上を目指す。
たった少しの距離しか走っていないのに、既に息は上がっている。
心臓は張り裂けそうなくらいで、今にも口から飛び出てしまいそうだった。
「はぁ……!確かここを……!」
ようやく屋上へと続く階段を見つけて、一気に駆け上がろうとする。
しかしその瞬間、頭が真っ白になった。
『――ねえ、今から時間大丈夫?』
『あー、結構時間かかりますか?』
『ううん、すぐ終わるんだけど…』
『じゃあいいですよ。またこないだみたく、変なこと考えてるんでしょうし』
『えー、ひどいなぁ!私だってーー』
「……っ!?」
脳内にフラッシュバックした光景は、俺と秋空先輩が楽しそうに話しているものだった。
しかし俺にはそんな記憶は一切ないし、そんな会話もした記憶がない。
急に頭がガンガンしてくる。
確かにこの場所で彼女とそんな会話をした覚えは俺にはない。
ないはずなのに、鮮明にその光景が蘇ってくる。
「い、一体……どうしちまったんだよ……」
頭が痛い、鈍い痛みが広がっていくような感覚に苛まれる。
こんな所で立ち止まっている場合じゃないのに、足がとてつもなく重い。
それでも一歩を踏み出しそうとした俺を、またありもしない記憶が襲った。
『ごめんなさい…!本当に、ごめんなさい!』
『会長の、せいじゃないですよ。謝らないでください』
『でも、でも私があの時止めなければ…そしたらきっと薫くんは…』
『もしかしたら、春菜と一緒に死んでたかもしれないですね』
『薫くん……』
『だから、会長のせいなんかじゃないんですよ。これは、俺の…俺のせいなんです』
『…………じゃあ、私たちの、せい、だね』
『……会長』
『私は……私が、いるよ。代わりになんか、ならないけど…。だからーー』
「ぐっ……!!」
全身から汗が噴き出る。
ただ階段を上がるだけなのに、息を切らしている。足は重くて、中々思うように上がれない。
一体俺の身体はどうしてしまったんだろう。
そして今脳裏に浮かんだ光景は、一体何だったんだろう。
雨の中、二人傘もささずに立ち尽くす俺と秋空先輩。勿論、そんな記憶は俺にはない。
ないのだが、どうしても無視できない妙なリアリティがある。
「……一体、何なんだよ」
いつか見た、秋空先輩の夢。はっきりとは思い出せないが、あの時とよく似ている。
あれもただの夢ではないのかもしれないと思っていたが、今回もそうなのかもしれない。
‘何か’が俺に必死に訴えかけているような気がしてならなかった。
「…行かなきゃ……!」
浮かんできた疑問を振り払って、屋上へと続く階段を駆け上がる。
今はそんなことを考えている場合じゃない。
息を切らしながら必死に階段を上がると、そこまで時間も掛からずに扉まで辿り着いた。
以前、秋空先輩に連れて行ってもらった時と変わっていない。
おそらくこの先が屋上に違いなかった。
「……くそ、鍵か…」
何度かドアノブを回すが、ガチャガチャと煩い音が響くだけで一向に開く気配はなかった。
隣を見ると、以前はなかった電子式のドアロックがある。
どうやらこれを解除しないとこの扉は開かないようだ。
「くそっーー」
『センパイ……』
『俺のせいで、俺の…』
『あれは、事故だったんですよ。センパイのせいなんかじゃーー』
『俺のせいなんだ!俺が、俺がちゃんと気を付けていれば…』
『センパイ……』
『俺のせいで、春菜は……!』
『もう、良いです。良いですから…』
『真白台……?』
『あたしが、あたしがいます。だからーー』
「……また、かよ」
激痛と共に鮮明に蘇る光景は、やはり知らないものだった。
俺は真白台と、そんな会話をしたことなんてないはずだ。
けれどさっきの秋空先輩の時と同じく、無視出来ない何かがある。
段々と激しくなる頭痛の中で必死に考える。どうすればこの扉を開けることが出来るのか。
もしかしたらそのヒントが、今の記憶の中にあるのではないのだろうか。
そう思った瞬間、いきなり着信音が鳴り響いた。
「……真白台」
そして画面には‘真白台冬香’の文字。
まさに今、思い浮かべていた後輩の名前が表示されていた。
偶然にしては出来過ぎている状況に、戸惑いながらも俺は素直に電話に出る。
この電話が、今の状況を解決してくれると信じて。
「……も、もしもーー」
「センパイですか!?真白台です!」
電話越しからはいつもの冷静な彼女からは想像も出来ないほど焦った、真白台の声が聞こえてきた。
俺が言えたことではないが、真白台は息が上がっており相当焦っている様子が電話越しからも伝わってきた。
「…真白台、どうしーー」
「屋上へのパスワード、あたしなら分かります!だからそれで桃園先輩を、助けてください!」
「……な、なんで」
「あたし、文化祭の時に屋上に行ったことがあってその時に、パスワード見たんです。だからーー」
「そうじゃなくて!なんで今俺が屋上にいるって知ってるんだよ!?」
急な真白台からの電話、しかもピンポイントに俺が知りたいことを教えてくれようとするその内容に混乱する。
電話越しの真白台は少し黙った後、今度は冷静な声で俺に話してくれた。
「……信じてくれとは、言いません。でも急に、頭の中に…その、変な光景が浮かんで。あたしにしか出来ないって、そう思ったんです」
「それって……」
真白台の言ったことは、まさに今俺が経験していることと同じだった。
彼女の話が本当ならば、俺と同じ光景を真白台も見たということになる。
だがそんなこと、あり得るのだろうか。
けれど必死に話してくれる真白台の声は、信じるに値するものだった。
「このままじゃ桃園先輩は…。お願いです、センパイ。今ならまだ間に合うはずなんです!センパイにしか出来ないんです。だから、あたしのことを信じてください!」
「真白台……」
真白台の声を聞いている内に、少しずつではあるが冷静さを取り戻してきた自分がいた。
心なしか頭痛も和らいできた気がする。
一体どうして俺が、そして真白台が突然同じような光景を見ているのかは分からない。
けれどそれには必ず意味があるように思えた。
そして多分ではあるが、秋空先輩も同じように‘何か’を見たのではないだろうか。
だからこそ、春菜の危機を教えてくれたのではないだろうか。
まるで誰かが、春菜の死を俺たちに知らせようとしてくれているようだった。
「ありがとう、真白台。教えてくれ、パスワード」
「…はい!」
真白台が教えてくれたパスワードを打ち込むと、軽い音と共にいとも簡単に扉は開いた。
「開きましたか!?」
「ああ、ありがとな。真白台のおかげだ」
「桃園先輩を、お願いします…!」
「……分かった」
通話を終えて、ドアノブに手を掛ける。
何故だろう、全く覚えはないはずなのにここに来るまでの道のりが、とても遠いものに感じる。
俺はたった一回、死に戻りをしただけなのに、どうしてだろう。
まるで数多くの失敗を越えて、今ここにいるようなそんな気持ちになるのだ。
「……行くぞ」
深呼吸をしてから、ゆっくりとドアノブを回す。
それまであった頭痛はもうとっくに消え去っていて、足も軽くなっていた。
そして扉を開ける瞬間――
『――負けないで、薫。運命に、打ち勝って』
――どこかで聞いたことのある声が、聞こえた気がした。
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