75話「12月14日 その2」


「はーい、それじゃあ今日はここまで!日直、号令よろしく!」

 

 担任の依田ちゃんの一言で、ホームルームは終わった。

 それと同時に日直の気のない号令が、今日の授業が全て終わったことを教えてくれる。


「「ありがとうございましたー」」

 

 正直、午後の授業は全く頭に入って来なかった。

 理由は明白で、穴来命のことが頭から離れなかったからだ。

 ついに今日、俺はあの少女と再開する。

 そう思うと心臓が鷲掴みにされるような気持ちになった。

 秋空先輩の妹が、本当に俺の知っている‘命’なのか。

 それは今の段階では分からない。

 実際に会って確かめるしかない。

 もしかしたら、全くの別人という可能性だってゼロではない。

 そう思うと、より一層早く会って確かめなければという焦燥感に苛まれるのだった。

 一体俺は何を焦っているのだろうか。

 自分が自分ではなくなっていくような感覚に、ほんの少し恐怖を覚える。


「ねえ、お兄ちゃん。ちょっといい?」

「……ん、どうした春菜」

 

 また考えにふけっていたせいか、目の前に春菜が来るまで全く気が付かなかった。

 深呼吸して、はやる気持ちを一旦抑える。

 とりあえず落ち着かなくては、余計に春菜を心配させるだけだ。


「あのさ、この後なんだけどーー」

「――あ、ちょっとごめんな」

 

 春菜との会話を遮るようにして、携帯の着信音が鳴った。

 画面には‘青ねえ’と表示されており、それを見た春菜は複雑そうな表情を浮かべる。

 春菜には悪いとは思いつつも、俺は青ねえからの電話に出ることにした。


「あー、もしもし」

「あ、えっと薫?ごめんね、まだ授業中だった?」

「いや、今丁度終わったとこだから。親父のお土産だろ?持って来てるから直接渡すよ。どこにしようか」

「えっとね…言いにくいんだけど……」

「ん?」

「来ちゃった、学校」

「マジかよ…」

「うん、マジ。今正門のところにいるんだけどーー」

 

 窓から正門の方を見ると、青ねえの言う通りだった。

 青ねえの方も俺に気が付いたのか、大きく手を振っている。

 本当に相変わらず予想出来ない人だ。


「……自分が芸能人だって自覚、ある?」

「あはは……ごめんごめん」

「とにかく今から行くから。そこで待っててくれよな」

「はい、了解でーす」

 

 間の抜けたような明るい返事に、何だか拍子抜けしてしまった。

 青ねえとはしばらく振りの会話だったけれど、そんなことを感じさせないくらい自然と話が出来た。

 恐らく青ねえが相当気を遣ってくれているのだろう。

 あの人は、今も昔もそういう人だった。

 とにかくあまり青ねえを待たせる訳にもいかないので、急いで教室を出ることにする。


「ま、待ってよお兄ちゃんっ!」

 

 そしてそんな俺を引き留めたのは、春菜の声だった。


「悪い春菜!早く行かないと青ねえが囲まれちゃうからさ!ああ見えてもあの人、結構有名みたいだし」

 

 確か前に学校に青ねえが来た時も、一時期噂になっていた気がする。

 俺はその辺疎くて良く分からないがどうやら青ねえは若い、特に女子の間ではそれなりに有名な雑誌モデルのようだ。


「分かってる!分かってるけど、ちょっと待って!待ってよ……」

「……どうかしたのか、春菜?」

 

 ただ引き留めるにしては少し不自然な妹の挙動に、思わず足を止める。

 そういえば朝からずっと、春菜は俺に何かを言おうとしていた。

 でも尽くタイミングが悪くて、こうして放課後まで春菜の話を聞けずにいた。


「えっと……あの、ね……ここだと、ちょっと……その」

 

 春菜は周りをちらちらと伺っていた。

 授業終わり直後ということもあって、まだ廊下には結構な数の生徒がいる。

 どうらや春菜がしようとしている話は、あまり他の人に聞かれたくない話のようだ。

 そういえば最近、また春菜が男子生徒に告白されているという話を海斗経由で聞いた気がする。

 もしかするとそれに関しての相談なのだろうか。


「あー、とりあえずさ。今は青ねえを待たせてるから、後でもいいか?」

「……良くない」

 

 話なら後でゆっくり聞く、そんな意味で言った俺の言葉に返されたのは明確な拒否だった。

 今までこんなにもはっきりと言われたことのない否定に、俺は思わず動揺してしまう。


「えっと…でもここじゃ話せないんだろ?」

「だから、静かな場所で話したいの……」

 

 春菜は懇願するような目で、俺を見つめてくる。

 やはり最近の春菜はどこか変だ。以前の春菜はこんなこと言っては来なかった。

 だから俺はーー


「……どうしたんだ、春菜。なんか最近変だぞ?」

 

 ――焦っていたのかもしれない。

 早く青ねえを迎えに行かないと騒ぎになると思っていたからかもしれない。

 つい、思っていたことをそのまま口に出してしまった。

 そしてそれを聞いた春菜の表情を見た瞬間、俺は自分が言葉選びを間違えたことに気がついたのだった。


「……変なのは、変なのはわたしだけじゃないでしょ」

「あ、わ、悪りぃ…今のは」

 

 動揺しているような、悲しんでいるような。

 色んな感情が溢れそうな表情で、春菜は俺の言葉を遮る。


「変なのはお兄ちゃんも、でしょ。わたし、聞いたんだから」

「聞いたって、何をだよ……」

「ねえ答えてよーー」

 

 そして‘終わり’は、突然訪れた。






「――死に戻りした、って……なに?」







「……………………は?」

 

 随分と間抜けな声だったと思う。

 でも俺にはそんな言葉しか、吐き出すことが出来なかった。

 そしてそんな俺の反応を見て、春菜は何かを悟ったような表情をしてその場から駆け出した。


「……あっ」

 

 本当はすぐに呼び止めて、追いかけるべきなのに俺はその場から動くことが出来ない。

 まるで身体が凍りついてしまったかのように、身動きが取れない。

 もう季節は冬だというのに汗が身体中から噴き出るのを感じた。

 状況が理解出来なくて、頭が真っ白になる。

 あの顔は、春菜のあの表情は間違いなく確信を持っていた。一体いつ、何故バレてしまったのか。


「……は、春菜っ!」

 

 実際は数秒程度だったのだろう。

 でも俺にとっては人生で一番長い数秒だった。

 そしてようやく我に戻った時には、既に春菜は視界から消えてしまっていた。

 急いで後を追いかけるが、下校時間ということもあり校内は混雑している。

 一度見失った春菜を見つけることはかなり難しいように思えた。


「くそっ……!」

 

 妙な胸騒ぎがする。

 もしかしたら最近、春菜の様子がおかしかったのはこのせいだったのではないだろうか。

 何があったのかは分からない。

 でも春菜は俺の最大の秘密を知ってしまった。だからあんなにも動揺していたのだ。

 そう考えると、今朝からの春菜の態度にも説明が付く。

 そしてそれと同時にそんな春菜を気にしてやれなかった自分に、どうしようもなく腹が立った。


「俺は、馬鹿か……!」


 後悔しても遅い。

 必死に春菜の姿を探すが、結局見つけることが出来ず玄関口まで来てしまう。


「はぁ…はぁ……」


 もしかしたらもう帰ってしまったのかもしれない。

 急いで上履きのまま正門まで走ると、人だかりが出来ているのに気が付いた。

 その中心には俺の幼馴染がいて、想像していたよりも彼女の人気が凄いことが分かる。

 青ねえもこちらに気付いたのか、人混みを割って俺に駆け寄って来た。


「あ、薫―!もう、遅いよーー」

「わ、悪い青ねえ!春菜見なかったか?俺の妹の!」

「えと、見てないけど……どうしたの、薫?」

 

 俺のただならぬ様子を見て、青ねえは何かを察したようだった。

 さっきまでの呑気な雰囲気は消し飛んで、真剣に俺の話を聞こうとしてくれている。

 そんな青ねえの態度が、今の俺には頼もしかった。

 そしてほんの少し、冷静になることが出来た。


「……悪い。ちょっと春菜と喧嘩してさ、探してるんだ。急にどこかに言っちゃって。見てないか、青ねえ」

「私は見てないけど……ごめん、皆はどうかな?誰か、えっとーー」

「桃園。桃園春菜だ」

「ありがと!誰か、この辺で桃園春菜さんを見た人いるー!?」

 

 青ねえの声に、周囲の生徒たちはすぐに反応してくれた。

 普通はこうは行かないけれど、青ねえの場合は別だ。

 この人には他人を従わせる、何かがある。

 昔からそんな青ねえが怖いと思っていたけれど、今となってはこれほど頼もしい人もいなかった。

 青ねえの呼び掛けに応えるように、周囲ではざわつきが大きくなる。

 しかし目立った反応はなかった。


「うんうん……多分だけど、見てる人はいないみたい」

「そうか、ありがとう青ねえーー」

「――みたい、じゃなくて出てませんよ。ここからは」

 

 冷静な声に振り返ると、そこには真白台がいた。

 何故彼女がこんなところにいるのか、全く理解出来ない俺に真白台はクスッと笑いかける。


「お久しぶりです、センパイ。なんて顔してるんですか?口、開きっぱなしですよ」

「いや、久しぶり……じゃなくて、真白台何でこんなところにーー」

「それは後で話しますよ、渡したい物もありますし。それよりも今は、桃園先輩のことが先なのでは?」

 

 至極正論を言って来る真白台に、俺は思わず頷いてしまう。

 真白台はやれやれと言いたそうな表情をして、俺を見ている。

 そんな相変わらずのクールさに、また少し頭を冷やすことが出来た。


「とりあえず、桃園先輩はここから出てません。あたし、しばらくここにいたんで間違いありませんよ」

「本当なのか、真白台……?」

「センパイは、自分の教え子を信じられないんですか」

 

 俺の疑問に、真白台は真っ直ぐにそう答えた。

 それはどんな言葉よりも信頼出来る答えだった。


「…分かった、真白台。ありがとな、助かった!」

「いえ……で、何で青子さんがここにいるんですか」

「それはこっちの台詞だよ、冬香ちゃん?なんで貴女がここにいるのかな?っていうか、渡す物って何かなー?」

「…笑顔が怖いですよ、青子さん。それに、青子さんだってその紙袋、なんですか?‘諦めた’って聞きましたけど、あたし」

 

 よく分からないけれど、俺の知らないところでバチバチと火花が飛び散っている。

 俺の記憶では二人はどちらかといえば仲が良かったような気がするのだが。


「――薫くんっ!薫くん!!」

「か、かいちょ……じゃなくて秋空先輩っ!?だ、大丈夫ですか!」

 

 ――そしてその直後、今度は秋空先輩が人の輪をかき分けて俺に倒れ込んで来た。

 次から次へと今日は一体何だというのだろうか。

 息を切らしながら必死に俺の腕を掴む彼女を見て、何かただならぬ事態が起きていることを予感させる。

 一体、何が起ころうとしているのだろうか。

 さっき感じた嫌な予感は、既に確信に変わりつつあった。


「……薫くん、これはどういうことかな?」

「センパイ、一体この人は……?」

 

 そして何を勘違いしているのか、青ねえと真白台が急に詰め寄って来る。

 今はそんなことをしている場合ではないのだが、確かにこの状況は誤解されても仕方ないような気がした。


「いや、この人はそういうんじゃーー」

「――薫くん!!春菜ちゃんが、春菜ちゃんが!!お、屋上から!!早くしないと!!」

「…………え?」


 しかしそんな俺の思考は、秋空先輩の一言で瞬時に消し飛んだ。

 急速に血の気が引いていって、代わりに冷や汗がどっと噴き出て来る。

 ‘屋上’と‘春菜’という言葉が、俺の記憶を無理やりにでも叩き起こす。

 いつの日かの夢のかけらが、鮮明に蘇って来る。そしてーー


「――死んじゃうよ!!春菜ちゃんが!!」

「…………っ!!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、俺は走り出していた。

 後ろで誰かが何かを言っていた気がするが、もう俺の耳には入ってこない。

 もう俺の頭の中は春菜のことで一杯だった。


 


 ――‘最期’の瞬間は、もう目の前まで迫っていた。


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