74話「12月14日 その1」


 昼休み、俺は生徒会室にいた。

 本来なら春菜や海斗たちと昼飯を囲んでいる頃なのだが、今日はそういうわけには行かない。


「はい、煎れたてだから冷まして召し上がれー」

「すいません、会長。いただきます……あつっ」

「だから冷ましてって、言ったのに」

「いや、予想以上に熱くて……でも美味しいですよ」

「ふふっ、ありがと」

 

 俺の言葉に、目の前で座る会長は嬉しそうに笑ってくれた。

 急に呼び出された時は少し戸惑いもしたが、会長の呼び出しだ。

 生徒会選挙も含めて散々世話になっているので、無碍に出来るはずもない。


「でも、もう私は会長じゃないよ。会長は、君の妹でしょ?」

「今はまだ、先輩が会長ですよ。引継ぎ期間中なんですから」

「まあ……それはそうかもしれないけどねー」

「……なんですか?」

 

 何故か会長は少し不機嫌そうに、じっと俺を見つめてくる。

 どうして不機嫌なのか、全く理由が分からない。

 こっちを見てくるということは、恐らく俺に原因があるのだろう。しかし身に覚えが無い。

 大体ついさっきまではニコニコしていたのに、なんで急に不機嫌になるのか。


「あの、会長――」

「――それだよ、薫くん」

「へ?」

「その会長ってやつ。私はもうすぐ会長じゃ、なくなるんだよ?そしたら君は私をなんて呼ぶつもりなのかな。まさか、ずっと会長じゃないよね?」

「……えっと、それで怒ってるんですか」

「そうだけど、悪い?」

「いや、悪くはないですけど……」

 

 想像もしていなかった理由に、思わず頭を抱えたくなる。

 そうだ、この人はこういう人だった。

 こないだまでの選挙戦のイメージが強くて、すっかり忘れてしまっていた。

 確かにやる時はやる、とことん頼れる人なのだが……基本的にはびっくりする程子供なのだ、この人は。


「大体、薫くんが悪いんだからね?二人であんな事やこんな事をした仲だって言うのに、いつまでも‘会長’なんてよそよそしく呼ぶんだから…」

「いや、誤解を生むような言い方しないで下さいよ…。で、なんて呼んで欲しいんですか?そんなに言うんだから、希望くらいあるんですよね」

「うーん……あーちゃん?いや、紅音かな?」

「じゃあ、秋空先輩で」

「私のお願い、全然聞いてないよねー!?」

 

 わがままを言う会長……もとい秋空先輩は放っておいて、煎れて貰った紅茶をまた口に運ぶ。

 まだ少し熱いけれど、今度は美味しく頂くことが出来た。

 俺はそのまま弁当箱を取り出して机の上に広げる。

 先輩との会話も楽しくはあるが、昼休みだって有限だ。

 俺の意思を汲んだのか、まだ不満そうにしながらも先輩も続けて昼食の用意をし始めてくれた。


「それで、今日呼んだのは…」

「うん、あの子のことで、だよ。やっぱり分かっちゃうよね」

「そりゃあ、最近俺たちの会話といったら大体はその話ですから。それにーー」

 

 それに最近、ちょくちょくとこうして呼び出されているので、今日の用件についても大方想像が出来た。

 今日は12月14日、俺の記憶が正しければ‘約束の日’に違いないからだ。


「それに今日はかいちょ……秋空先輩が言ってた約束の日、ですよね」

「うん、そうだね。……そうなんだよね」

 

 約束の日、それは先輩がたった一回だけ受けた電話。

 その電話の相手が言っていた日だった。

 電話の相手は、穴来命。

 忘れようとしても忘れることの出来ないその名前は、俺を刺し殺して死に戻りさせたあの少女の名前だった。

 ただの偶然、なんてことあるはずもない。

 そして何よりも驚いたのは穴来命が、秋空先輩の妹だったということだ。


「そういえば、大丈夫だったんですか。父親との、話し合い」

「……うん、なんとかなったよ。それはもう大喧嘩になったけど」

「だ、大丈夫じゃないですよね、それ…」

「それでも私は絶対に引かなかったし、最後には向こうが折れて話してくれたから」

「……流石、としか言いようがないですよ、本当に」

「ううん、私一人じゃ絶対に出来なかった。生徒会の皆の成長を見て、私も頑張らなくちゃってそう思えたの。だからありがとね、薫くん」

 

 満足そうにそう言った先輩の表情は、最近見た中で一番輝いていた。

 本当にこの人は強い人だと、改めて思う。


「俺は何も…でも本当に良かったです」

「うん。それでね、やっぱりみことは私の妹だった。正確には…腹違いの、だけど」

「腹違い……」

 

 つまりそれは、母親が違うということ。やはり以前先輩が予想した通りだった。

 ということは恐らくーー


「じゃあ、母親はやっぱり…」

「そう、私の母の妹……みたい。観念して、全部話してくれたよ。本当にどうしようもない父親だよね」

「そう、ですか…」

「とにかく、これでこの間掛かってきた電話の正体は分かったわけだから。後は迎えにいくだけなんだ、けどね……」

 

 そこまで言って秋空先輩の表情が少し曇った。

 いきなり妹が出来た時の気持ち、俺には分からなくは無い。

 俺も親が再婚して、そして春菜が来て戸惑ったからだ。

 俺は失敗してしまった。だから先輩の気持ちも、分かる。


「やっぱり、ちょっと怖いよね。会ったこともない子に、急に妹だって言われてもさ」

「先輩……」

「それにもし恨まれてたりしたら、どうしようって。聞いたらね、その子…母親が亡くなった後、親戚中をたらい回しにされてるって…」

「穴来命が、たらい回し……」

「でもね、ここで逃げたら一生後悔するって、そう思ったの。だって自分の未来は自分で掴むものなんだから。そうでしょ?」

 

 震えながらもそう強気に言い放った秋空紅音は、素直に格好良かった。

 あの時、俺は逃げてしまった。

 怖くて、自分を守るのが精一杯で春菜から距離を置いた。

 でも今目の前にいる彼女は、必死に立ち向かおうとしている。

 会ったこともない妹を救おうとしている。

 それがとても眩しくて、そしてほんの少しだけ悔しかった。


「……やっぱり先輩は、やる時はやる人なんですね」

「ふふっ、これは貴方たちに教えて貰ったことなんだよ、薫くん」

「……俺も、行きますよ一緒に」

「でもーー」

「だって俺たちは仲間ですよね。それに俺にも無関係じゃないんです、だから行かせてください」

 

 俺の言葉に、秋空先輩は少し迷っているようだった。

 本来ならば家族の、しかも複雑な事情がある話だ。部外者の俺なんかが行くべきではないのだろう。

 でも俺はこの目で確かめなければならない。

 先輩の妹である‘みこと’が、本当にあの少女なのか。

 どうしても確かめなければならない気がするのだ。


「……うん、分かった。薫くん、力を貸して」

「はい、お願いします」

「それに、駄目って言ってもついて来そうだしねー」

「あー……分かりますか、やっぱり」

「ふふっ、ずっと一緒に居たんだからそれくらいは分かるよ?」

「だから、誤解を生むような言い方はやめて下さいって…」

「えー、本当のことでしょー?」


 いつものように少しふざけ合ってから、俺たちは急いで昼飯を片付けることにする。

 秋空先輩の話では、指定された時間は夜とのことなので待ち合わせすることにした。

 期待と不安が混ざったような複雑な気持ちで、俺はそのまま生徒会室を後にするのだった。



















「……みこと、か」

 

 廊下を歩きながら、先程の話を思い返す。

 先輩の話で、もう一つ気になったこと。

 それは‘みこと’と言う名前だった。

 秋空家では代々、女の子が生まれた時は音に関する名前を付けるのが習わしになっているらしい。

 確かに先輩の名前も紅音、と音が入っている。

 だからもし先輩の妹が‘みこと’と言う名前なのであればーー


「美琴…」


 ――それは先輩のお母さんが、亡くなる前に話していた名前らしい。

 もし妹が出来たら、そんな名前にしたいと言う仮の話。

 でも俺の知っているあの少女は、命と書いてみことだったはずだ。

 だとしたら、もしかしたら全くの別人という可能性もある。


「いや、そもそも何で俺はそんな風に思ってるんだ」

 

 何故俺は、あの少女の名前を‘命’だと思っているのだろう。

 あの日、刺された時にそんなことは言われていないはず。


「……ちゃん」

「……………」


 じゃあ何で、俺はそんなことを決めつけているのだろう。

 記憶が、曖昧になっている。

 いつかどこかで俺は、彼女の名前を詳しく教えて貰った?

 それは一体いつなんだーー


「お兄ちゃんっ!」

「わっ!?」


 大声で我に返ると、そこには不安そうにこちらを見つめる春菜の姿があった。

 どうやらぼーっとしていたらしい。

 一度頭を振って、考えを頭の隅に押し除ける。

 今はそんなこと、考えていても仕方ないことだった。


「…大丈夫、お兄ちゃん?」

「ああ、悪い。ちょっと考えごとしてからさ」

「なんか、凄い険しい顔してたけど…」

「そうか?もう大丈夫だから。心配させて悪かったな」

「べ、別に心配とかしてないけどね」

「あれ、もしかして探してたか?」


 春菜は少し息を切らしているようだった。

 そういえばこの昼休み、どこに行くかは伝えていなかった気がする。


「うん……あ、あのねーー」

 

 春菜が何かを言い掛けた瞬間、校内にチャイムが鳴り響いた。

 どうやら思ったよりも生徒会室で時間を使ってしまったようだ。


「あー、とりあえず急いで教室に戻るぞ!次体育だろ、早くしないと遅れちゃうからな」

「えと……うん、分かった…」

 

 春菜は何かを言おうとして、そして結局言うことはなかった。

 その時の俺は穴来命のことで頭が一杯だった。

 だから春菜のことを、いつも以上に気にすることが出来なかった。



 ――運命の瞬間まで、もう数時間を切っていた。

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