72話「続・個性的な彼女 ー真白台冬香の場合ー 」
放課後の図書室で、あたしは黙々と目の前の問題に向かっていた。
季節はあっという間に冬になり、もういくつも寝れば来年を迎えるくらいまでは迫っている。
本来ならクリスマスやお正月、めでたいイベントが待っている。
だけどあたし達学生には、その楽しいイベントの前に期末テストという難関が待ち構えているのだった。
特に自分を含め、特待クラスの生徒はクラスの入れ替えもあるため気を抜くわけにはいかない。
だからあたしもこうして最近はバイトの回数を減らしてまで、勉強に力を入れているわけなのだ。
「冬香、お待たせっ!」
「真理亜、図書室では静かにーー」
聞き慣れた明るい声に、思わず悪態をつきながら振り返ったあたしは思わず面食らってしまう。
だってそこには一緒に勉強しようと約束した真理亜の他に、何人かの姿があったからだ。
確か同じクラスの生徒で、以前は真理亜とよく一緒にいた子たちだったと思う。
一体どうしてこんな状況になっているのか。
そんなあたしの訴えるような視線に気が付いたのか、真理亜はすっと近付いてきて耳打ちをしてきた。
「最近冬香の成績が伸びてるのを知って、一緒に勉強したいって言ってきたのよ…」
「……あたしがそういうの苦手なの、知ってるでしょ」
「そりゃあそうだけど、どうしてもってお願いされちゃって…それに」
「…それに?」
「せっかく冬香が頼りにされてるんだもの、もっと冬香の凄さを色んな人にわかって欲しいじゃない」
恥ずかしげもなく言ったその答えは、本当に彼女らしいものだった。
きっと真理亜は本気であたしのことを考えて、その結果こうして友達を連れてきてくれたのだろう。
それは紛れも無く私のことを思っての行動なわけで、そう思うと無碍に出来ない。
あたしは少し考えてから、静かにうなずく。
「……どうぞ。別に何人になろうと、勉強することは変わらないわけだし」
「流石冬香、話が分かるわね!さ、みんな座って座って」
明らかに嬉しそうにしながら、真理亜は友達に着席を促す。
まるで自分のことのように喜ぶ彼女を見て、素直に受け入れて良かったと思う。
あたしには勿体無いくらいの、親友。
「もし分からないところがあれば、私か冬香に聞いてよね?」
「…ちょっと、さりげなくあたしを入れないでよ」
「別に良いじゃない、一緒に勉強してるわけだし。それとも教えるの、自信ないとか?」
「…そんなことない。良いわよ、なんでも答えてあげようじゃない」
自分でも随分安い挑発に乗ってしまったなと思う。
それでも真理亜の言葉はどうしても無視出来なかった。
それを聞いた真理亜もまた、挑戦的な笑みを浮かべる。
「ふふっ、それでこそ私のライバルね!どっちが分かりやすく教えられるか、勝負と行きましょう?」
「…臨むところよ」
いつの間にか真理亜のペースに巻き込まれて、自然と彼女の友達にも勉強を教える羽目になってしまった。
まあ他人に教えることで、同時に自分の勉強にもなるというしかえって効率的なのかもしれない。
それにこれは不器用な真理亜なりの気遣いに違いなかった。
依然として彼女以外に親しい友人がいないあたしを見かねて、機会を作ってくれたようだ。
「……本当に、余計なお世話なんだから」
「あ、あの…真白台さん、聞いても大丈夫かな?」
「ん、ああ。大丈夫よ、どの問題?」
「えっと、ここの小問なんだけどーー」
誰かにあまり頼られたことがなくて、少しこそばゆい感じがしながらも出来るだけ分かりやすく説明をしていく。
誰かの為に自分の力を使う、そんなこと今まで考えたこともなかった。
でも今こうして誰かに教えることで、きっとその誰かと絆を深めることができる。
教えることは中々上手くは行かないのだけれど、それでもきっとあたしに出来る数少ないコミュニケーションの一つに違いなかった。
「――で、ここがこうなってるから…」
「…うん、すごく分かりやすい。ありがとう、真白台さん。ウチの先生よりも分かりやすいかも!」
「えっと…そ、そうかな?」
予想以上の褒め言葉を貰って、ほんの少し頬が赤くなるのを感じる。
ちらっと向かい側を見ると真理亜がにやついていた。
簡単に弱みを見せるわけにはいかないので、無理やりにでも平静を装う。
「絶対そうだよ!ね、ここも聞いても良い?」
「う、うん…あ、ここはねーー」
きっとここまであたしの解説が分かりやすいのは、四宮センパイのおかげだ。
あの夏休みの間ほぼ毎日のようにセンパイの解説を聞いていた結果、自分自身もその解説ができるようになったに違いない。
あたしの‘体質’を持ってすればそれは意外と容易いことではあった。
現にこうして今解いている問題も、一度センパイに解説してもらったものとよく似ている問題だ。
思えばあの夏休みから、あたしの人生は大きく変わった。
学力が上がったのは勿論だけど、それだけじゃない。
真理亜というかけがえの無い親友が出来て、そしてこうして他の人たちとも触れ合うことが出来た。
これは間違いなく、四宮センパイがあたしにもたらしてくれたものだった。
「――ここに出した答えを代入すれば…あー、出来た出来た!」
「……………」
ずっと一人きりだと思ってた。
こんな姿で、過去に囚われたまま一人で生きていく。
そう割り切っていたのに。
なのにあの人は、そんなあたしの人生をいとも容易く変えてしまった。
今のあたしの周りはこんなにも温かくて、優しさで溢れている。
「本当に、ありがとね真白台さん!」
「……………」
「真白台さん?」
だから分かってたつもりだった。
これ以上を望むのはワガママだってことくらい、理解しているつもりだった。
でも結局あたしは、自分の想いを抑えきれなかった。
センパイを困らせてしまうことが分かっていたのに。
それでもどうしても諦めきれなくて、あたしはーー
「――冬香!」
「……え…と、ごめん。ちょっとぼーっとしてた、かも」
「全く、それくらいでへばる様じゃまだまだねー。私はまだ余裕で教えられるけど?」
「…少しぼーっとしてただけ。まだまだ教えられるから、遠慮せずに聞いて」
「…うん、そうするね真白台さん!」
気まずくなりそうな雰囲気を、真理亜は機転を聞かせて変えてくれたようだ。
本当に、あたしには勿体無いくらいだった。
勿論、それを本人に言う気はないのだけれど。
「よしっ…」
自分にだけ聞こえるように、静かに気合を入れて勉強を再開する。
今は目の前の期末テストに集中しなければならないのだから。
ーー結局、図書館閉館時間ギリギリまであたし達は勉強に勤むのだった。
いつものように近所のスーパーに寄ってから、家路へと向かう。
すっかり真っ暗になった帰り道を両手にビニール袋を提げて歩く姿は、どこからどう見ても主婦そのものだった。
この重さにももう慣れたものだけれど、冷静になると少し恥ずかしくもなるので自然と早足になっていく。
家ではお腹を空かせた弟妹たちが待っているから、急いで家に帰らないといけない。
「あ……」
でもそんな思いとは裏腹に、あたしの足は小さな公園の前で止まってしまう。
もう習慣のように入り口から中を覗く。
真っ暗な公園に小さな街灯がいくつかあるだけの、何もない公園。
それでもこうやってこの公園を通り過ぎる時は、決まって‘あの子’がいないか探してしまう。
「今日も、いないか…」
なぜそんなにもあの子、みことと名乗った女の子のことが気になるのか、あたし自身にも正直よく分かっていない。
仮に見つけたとして、あたしはどうしようと言うのか。
赤の他人であるあたしに出来ることなんて、そんなに多くはないだろうに。
全身傷だらけのあの子を救うことが出来るのは、おそらくーー
『電話、したんです。ほんとうの家族に』
「本当の、家族か…」
一体どういう意味で、あの子がそう言ったのか。
あたしには想像もつかなかった。
ただどうしても気になって、こうやってあたしは事ある毎に意味もなくここへ寄ってしまう。
「センパイなら、どうしたんだろう」
そして考えてしまう。
お節介なあの人なら、あたしと同じことをするだろうか。
困った顔をしながら、それでも見ず知らずの他人を助けようとするのだろうか。
その姿を想像するのはあまりにも簡単で、思わずくすっと笑ってしまう。
「……センパイ、どうしてるかな」
あの日、水族館へ一緒に出かけてからもうどれくらいだろう。
日々のどうでも良いメールはするものの、あれからセンパイには会っていない。
あたしの気持ちはもう伝えてしまったのだから、後は待つしかない。
それは分かっているのだけれどーー
「……会いたい、な」
何かを考える度に、センパイのことが浮かんでしまう自分は末期に違いなかった。
だからこの際会いに行くことに、決めた。
「12月、14日…」
その日はいつかの会話で聞いた、センパイの誕生日だった。
普通なら忘れてしまいそうな会話も、あたしは能力のおかげで全て覚えている。
だから間違いはないはず。
この日にもう一度、センパイに会いに行こう。
好きな人の誕生日なんだ、会いに行くくらいは良いはずだ。
「……帰ろ」
でも、会ってあたしはどうするんだろう。
結局それはあの少女を見つけた時の疑問と全く同じだったけれど、それ以上は考えないようにした。
行動しないで後悔するくらいなら、やれることを精一杯やろう。
それがセンパイがあたしに教えてくれた、大切なことだから。
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