71話「続・個性的な彼女 ー秋空紅音の場合ー 」

 放課後、もうすっかり暗くなった空を眺めながら紅茶を一口飲む。

 丁度良い温度と香りが絶妙で、確実に自分の腕が上達していることが分かった。

 自分にもこんな意外な才能があったとは。

 是非他の人にも感想を聞きたくて振り返るが、どうやら今はやめておいた方が良いようだった。


「……それで、これが…えっと……」

 

 ソファでは難しい顔をして、書類の山と格闘している次期生徒会長。

 私の煎れた紅茶を一口飲んでから、またページをめくる。

 その姿は中々様になっていて、きっと彼女なら私の後をしっかりと継いでくれるに違いなかった。


「でも正直驚いた、かな」

 

 仕事の邪魔にならないように、少し距離を取ってからまた紅茶の続きを楽しむ。

 正直この未来は予想出来なかった。

 私が元々視た未来ではみーちゃん、大塚雅が次期生徒会長になっていた。

 そんな予定調和を崩したくて、薫くんをけしかけてみたのだけれど…結果はそのどちらでもなかった。

 立候補すら予測出来なかった春菜ちゃんの当選は、私に大きな衝撃を与えたのだった。


「本当に、すごいよね君たちは…」

 

 目の前に広がる夜空は雲一つなくて、澄み切っている。

 一寸先は闇、未来は誰にも分からない。

 そんな当たり前を、ようやく私は体験することが出来た。

 それは全て薫くんと春菜ちゃん、あの少し変わった兄妹のおかげ。


「……私も頑張らないと、ね」

 

 未来なんて、幾らだって変えることが出来る。

 口で言うのは容易いけれど、実際に行うは難しだ。

 それでも薫くんと、そして今目の前で悪戦苦闘している春菜ちゃんは見事に私の視た未来を変えたわけで。

 それは私が視た未来は可能性に過ぎず、自分たちの行動次第で幾らでも変えることが出来るという証明でもあった。


「あ、秋空先輩…ちょっと良いですか?」

 

 少し困った顔をした、可愛らしい後輩に応えるため私は少し冷えた紅茶を一気に飲み干す。

 今度は私の番、もう逃げることなんて出来ないし、したくない。


「ごめんごめん、今行くねー!」

 

 薫くんは妹の春菜ちゃんを助けるために、必死に行動した。

 諦めないで、自分に出来ることを精一杯やり切って…そうやって春菜ちゃんを救って来た。

 きっとそれが兄のすべきことであり、私がしなければならないことなんだ。


「ここの資料なんですけど、少し分からなくて…」

「ああ、ここねー。これはねーー」

 

 一生懸命に頑張る春菜ちゃんを見ていると、改めてそれを思い知らされる。

 私は、姉としての責務を果たせるのだろうか。

 自分自身の未来は、私には分からない。

 だからこれから私がすることが成功するのか、それは当然わかる筈もないのだ。


「……分かりました。ありがとうございます」

「ふふっ、今日はこのくらいにしておこうか?」

 

 私の説明を一通り聞き終えた春菜ちゃんは、少し…いや、隠せないくらいには疲れた表情を浮かべていた。

 それもそのはずで、選挙戦の結果が出てからまだ1週間も経っていない。

 そのわずか数日で大量にある引き継ぎをこなそうとしているのだから、疲れて当然のはずなのだ。

 別に急ぐ必要はないと言ったのだが、彼女の意志は固くこうして連日様々な資料を確認している。


「す、すいません…覚えが悪くてその、毎日付き合わせてしまって……」

「ううん、気にしないで。私に出来ることなんてこれくらいしかないし…それに」

「それに……何ですか?」

「それにこんな可愛い春菜ちゃんと二人っきりになれるんだから、むしろ嬉しいかなーなんて?」 

「……さ、早く片付けましょう。もう外も暗いですし」

「なんか最近扱いに慣れて来たよね?」

 

 ため息をついて淡々と片付けを始める彼女は、まるで英やみーちゃんのようだった。

 きっと春菜ちゃんがこの生徒会に慣れて来た証でもあるのだろうが、私として少し残念でもある。

 もう少し初心な春菜ちゃんを見ていたかったのだが。

 これ以上からかっても相手にはしてくれそうもないので黙って彼女を手伝うことにした。


「最後に電気を消して…これで大丈夫ですね」

「よーし、帰ろ帰ろー。あれ、薫くんは?」

「お兄ちゃんは今日は先に帰ってます。夕飯の買い出し担当なので」

「あー、そういうの良いねぇ。なんか家族って感じでさー」

 

 すっかり暗くなった校舎を抜けて、春菜ちゃんと寒空の通学路を歩く。

 もうここ数日は続く光景だった。


「いつもはわたしが行くことが多いんですが…ここのところはお兄ちゃんが行ってくれてるんです。わたしにはこっちに専念して欲しいって」

「ふふっ、本当に妹思いの優しいお兄さんだねぇ」

「…わたしも、そう思います」

 

 そう言った春菜ちゃんの表情はとても穏やかなものだった。

 こないだは薫くんに彼女との仲を相談されたりもしていたけれど、今の彼女の表情を見る限りではそれは無用の心配のようだった。

 きっとあの選挙演説を通して、二人の仲は元に戻ったに違いない。

 確かに感じる二人の絆を、素直に羨ましいと思った。

 私にも、出来るのだろうか。妹を、救えるのだろうか。


「……春菜ちゃんはさ、薫くんのこと、好き?」

「す、好きって…急に何ですか?」

「いや、思春期の兄妹って難しいって聞くからね?二人はどうなのかなーって」

「……嫌いでは、ありません」

「ふふっ、それって好きってことでしょ?もう、恥ずかし屋さんなんだからぁ!」

「す、好きって言うか…!」

「んー?」

「…………はい」

 

 顔を真っ赤にしながらも、春菜ちゃんはそっと呟いた。

 この子も、本当に変わった。

 生徒会に誘ったときはもっと大人しくて、自分を出さない子だったと思う。

 それがこの学校生活を通して、きっと色んなことを学んだのだろう。

 手探りで、自分の力で未来を切り開いていく力。

 ずっと道が決められていたと、そう思い込んでいた私には無い強さ。

 私が見習わなくてはならないもの。


「あー、もう!本当に可愛いなぁー!」

「ちょ!?や、やめてください!急に抱きしめないで!」

 

 嫌がる春菜ちゃんを抱きしめて、せめて勇気を分けてもらうことにする。

 ーー今日、言おう。

 今日しかなのだと、何度も自分に言い聞かせる。

 見上げた夜空はやっぱりどこまでも澄み渡っていて、私は改めてそう決意するのだった。



















「ふぅ……」

 

 夜の寝室で、私は鏡を見つめる。

 覚悟はもう決まった。

 今から私は父親に聞きに行く。本当のことを教えてもらう。

 いつものパジャマ姿だけれど、今の私はまるで戦場に向かうような面持ちだった。


「もう、時間がないんだから…」

 

 飾ってあるカレンダーには‘その日’に大きく丸が付けられている。

 私が自分を奮い立てるために、会ったこともない妹を救うためのタイムリミット。

 彼女との待ち合わせの日、12月14日。


「……大丈夫」

 

 ちらっと手元を見ると、そこには薫くんからのメールがあった。

 妹、‘みこと’のことでずっと相談に乗ってもらっていた彼に、ついに今日父親に直接聞くことを伝えたからだ。

 私のことを心配してくれる内容で、自分も行こうかと言ってくれていたけれど…それは丁重にお断りした。

 だってこれは私の戦いなのだから。

 姉である私が、自分で切り開かなければならない道なのだから。


「よしっ…!」

 

 いつまでも未来に縛られた、人形なんかでいなくない。

 未来なんて、私たちの力で幾らでも変えることが出来る。

 それを彼らは証明してくれたのだから。

 今度は私の番。

 一度深呼吸をして、ドアノブをゆっくりと握る。


 ――お母さん、みんな、力を貸して。妹を守る勇気を、お父さんを元に戻す力を、私に貸して。


「……行ってきます」

 

 そして私はゆっくりと扉を開けて、自分の意志で一歩を踏み出したーー

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