70話「続・個性的な彼女 ー真夏川青子の場合ー 」
「はい、今日もお疲れ様でしたっ!」
その一言と同時に、それまでスタジオに流れていた空気は一変した。
流石はプロの役者さんと言うべきか、それまでの真剣な面持ちはあっという間に無くなって、皆が朗らかな笑みを振りまいている。
「青子ちゃん!良かったよー!」
「あ、原田監督!お疲れ様でした!」
「いやぁ、いきなり演技なんて出来るもんかと疑ったもんだけど…最近のモデルさんってのも中々捨てたもんじゃないねぇー!」
恰幅の良い腹を揺らしながら、この現場の指揮者でもある原田監督は満足そうに笑っていた。
ウチの社長とは旧知の仲のようで、今回の私のドラマ起用にも大きく貢献してくれた。
どうやら最近伸びて来ている新進気鋭の監督らしく、今回のこの一本にもそれなりの注目が集まっているようだった。
「原田監督にそう言って頂けるなんて、とっても嬉しいです。でも何度か台詞を間違いちゃったりして、周りの皆さんにも迷惑をかけてしまいましたし…」
「あはは!あれくらいのミス、本場の俳優女優だってやるよ!いやぁ、本当にすごいねぇー。台詞回しもそうだけどさ、本番始まったら一切物怖じしないあの度胸!もしかして昔演劇とかかじってた?」
原田監督は元々の声がかなり大きい。
だから本人が意識していなくても話していることは自ずと現場全員に知れ渡っていた。
そして一部の人たちからの妬みのような視線が、こちらに突き刺さる。
勿論、監督自身は全く気が付いていないだろうが私には痛いほど分かる。
こんなことは今までも日常茶飯事で、結局舞台が変わっただけなのだから。
私には、もう小さいころから繰り返されてきた日常だった。
「いえ、本当にそういうのは未経験で…。多分監督や、他の役者さんたちの指導が良かったからだと思います」
「うーん、本当に良いねぇ…。外見も申し分ないし、本当に役者に転向しない?そっちの社長にも言っておくからさ!」
「あはは、そう言って頂けるなんて本当に光栄です」
「冗談抜きで推薦しておくからね!可能だったら脚本に掛け合って出番増やすからさ。いや、本当に普段からやってないと出来ない演技だったよー!お疲れ様、青子ちゃん!」
「はい、ありがとうございました!」
きっとそれは監督からしたら、最大級の賛辞だったに違いなかった。
普段からやっていないと出来ない演技、それは他の人が聞いたなら羨むような言葉だろう。
でも私にとってそれは皮肉でしかない。
だって私には分かる、何でそんなに上手く演技が出来るのか。
それは監督の言うように、私が小さい頃からずっと‘演技’して生きていたからだ。
私の力が目覚めてから今までずっと、私は周りを、そして自分自身を欺いて生きている。
誰も本当の私なんか見てくれない、見てくれに騙されて媚びて取り入ってくる。
そしていつからか、私自身もそれを甘んじて自分の感情を出すことを諦めてしまった。
だからこそ、私はこうして演じることに慣れている。
もう何度も考えて、そして納得してきた答え。
「……ねえ、真夏川さん、ちょっと良いかな?」
「…はい、何ですか?」
「良いから、控え室来なさいよ」
気が付けば目の前には、さっきからこちらを恨みがましく見ていた中の一人が立っていた。
確か彼女は私と同じく、話題作りのために今回呼ばれていた他社のモデルだったと思う。
どうやら健闘虚しくそこまで評価されなかった不満を、私にぶつけたいようだった。
心の中でため息をついてから、黙って彼女の後について行くことにする。
この業界に誘われてからもう幾度となく味わって来た潰し合い、端的に言ってしまえば後輩虐め。
「ふふっ…」
でも、誰にも分からないようにそっと私は微笑む。
こんな後ろ暗い敵意でさえ、今の私には喜ばしい。
もうずっと前から白黒だった私の世界に、ほんの一瞬だけ差し込む光のようなもの。
そんなことを考えるほど歪んでしまった自分の感情に呆れながら、私はまた考えてしまう。
こんな一瞬の痛みなんかではない、本当の景色を見せてくれた彼のことを、ふと考えてしまう。
「は、早く来なさいよ…!」
「……すいません、今行きますね?」
軽く頭を振って、私は控え室へと向かう。
今は考えるのはよそう。ただ仕事に没頭しなければ、そうしなければきっとまた考えてしまうに違いないから。
手帳一杯に埋めたスケジュールはその為にあるのだから。
深夜、ほぼ終電に近い電車に揺られながら私はぼーっと窓の外を眺める。
流石に休日のこの時間帯では車内も空席が目立ち、この車両にもほとんど人は乗っていなかった。
窓越しに見た空は真っ暗で、月明かり一つ見えない。
いつものようにお気に入りの曲を流しながら、仕事中に返せなかったメールの返事をする。
「…もう少し、頑張ってくれても良かったのにな」
メールは殆どが友人と呼べるかも怪しい人たちからで、適当に当たり障りの無い返事を送っていく。
最近はモデルの仕事を優先にしていたからだろう、内容の殆どは飲み会や遊びの誘いだった。
私がいないと始まらないとか、そんなもう見飽きた文面が続く。
「まあ、楽しませてくれた方かな…?」
私の呟きも、空席だらけの車内では誰の耳にも入ることはない。
そういえば社長に注意された気がする。
もう自分は一般人じゃない、いつでも誰かに見られていると思って行動しろ。
常に外では気を配って、理想の自分を‘演技’しろ……だっけ。
「……ふふっ」
結局、私の人生は演技に集約されるのだ。
今までも、そしてこれからも。
それはもう仕方の無いことだし、今更生き方なんてそう簡単に変えることなんて出来やしない。
そう固く決心した私の意志はーー
「…………あっ」
――流し読みしていたメールの1通で、いともたやすく崩れ去ってしまう。
宛先人の‘四宮薫’と言う文字を見た瞬間、私の鼓動はどうしようもなく高鳴っていく。
さっきまでの冷静さは一気に吹き飛んで、顔が真っ赤になる。
「え、えと…あっ!?」
動揺してしまい、うっかり携帯を落としてしまう。
急いで拾い上げた自分の手が、信じられないくらい震えているのが分かった。
とりあえず落ち着かなければ、深呼吸深呼吸。
閉じた目をゆっくりと開けた後、私は震えが収まらない指でそっとメールを開いた。
『from:四宮薫
件名:無題
本文:親父が出張でお土産買ってきたんだけど、青ねえのとこにも渡して欲しいって。直接渡したいんだけど、暇な日あったりする?』
「…………ふぅ」
何度も何度もその短い文章を読み返して、ようやく私は内容を理解することができた。
汗ばんだ手を拭いてからもう一度メールを眺める。
たったそれだけで救われたような、許されたような感覚に陥ってしまう。
あの日、あの文化祭の日以来の本当に久しぶりのメールだった。
素っ気ない文章が、逆に私を安心させる。
きっと薫はもう気にしていないに違いない。
あの日のことを変に引き摺らないで、前を向いてくれている。
それはとても嬉しいことで、そして少しだけ寂しかった。
吹っ切れていないのは私だけなのだと、改めて痛感させられる。
でもそうしなければならないわけで、薫を責めることなんて私に出来るはずもない。
「えと、返事、しないとな…」
そう思ってもそれまでの返信が嘘のように、中々文字を打つことが出来ない。
言いたいことがありすぎて、浮かんでは消えていく。
どんな言葉でも彼を心配させてしまいそうで、そんな余計な気は遣って欲しくない。
…でも気にはして欲しい。
まるで小学生みたくワガママで矛盾だらけな感情を、私は今更知ってしまった。
演技し続けてきたツケが、今になって回って来たのだ。
とりあえず日程を決めなければならない。
焦りながら一杯に書き込んである手帳を確認すると、ある一点に目がいった。
「あっ……」
12月14日、その下に小さな文字で‘薫、誕生日’と書いてあった。
その文字から目が離せない。
いつ書き込んだのかも忘れてしまったその小さな文字が、今の私にはとても輝いて見えた。
とっくに諦めたはずの気持ち。
それでも忘れることのできない想いが、また芽生えていく。
「……ただ、お土産を受け取るだけだから。そう、そうなのよ。だから、大丈夫だよ、ね」
一体誰に言っているのか、聞いている人もいない言い訳を呟きながら慎重に返事を送る。
悪あがきだって言うのは、分かってる。
もう私の出る幕なんてどこにもないってことくらい、重々承知している。
それでも誰かを想うくらい、私の自由じゃないか。
きっともう二度とこんな気持ち、出来るわけないんだから。
「……初恋、なんだから」
絞り出した言葉はとてもぎこちなくて、きっと原田監督が聞いたら間違いなく降板させられる出来だった。
社長が今の私を見たら、おそらく幻滅するに違いない。
ちゃんと人前では演技をしろってそう言ってくるだろう。
でもそんなことはどうでも良い。
今の私には、本当にどうでも良いことなんだ。
「髪、切ろうかな」
窓に映った私はどうしようもなく初心で、売れっ子モデルとは程遠い姿だったけれど、それがとても嬉しくてしばらく私はそんな自分を眺めていたーー
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