69話「続・個性的な彼女 ー桃園春菜の場合ー 」


「さむっ…」

「だから言ったじゃない、マフラー持って行った方がいいよって」

 

 12月、1年の終わりの月でもあり寒さがより一層厳しくなる今日この頃。

 わたしは久しぶりに兄と通学路を歩いていた。


「うーん、出たときは大丈夫だと思ったんだけどなぁ」

「今日の天気予報見たでしょ?お母さんも持って行きなさいって言ってたのに…」


 相変わらずの憎まれ口に、兄はいつものようにごめんごめんと謝ってくる。

 自分でも思うけれど、本当に可愛くない妹だった。

 でもこうでもしないと、自分の気持ちが兄に伝わってしまいそうなのだ。

 久しぶりに兄と歩く通学路はとても新鮮で、嫌でもわたしの心臓を高鳴らせる。

 どうしてこんなにも嬉しいのか、心が躍るのか。

 この一ヶ月以上の日々で、なんとかして消してしまおうとした想いは、結果としてより強くわたしの心に根付いてしまったようだった。


「しかしこうやって二人で歩くのも久しぶりだよな」

「…それについては、ごめん」

「別に謝って欲しいとかじゃないよ。たださ…」

「何…?」

「ただ、嬉しいなって。こうやってまた、春菜と通学路を歩けるのがさ」

「なっ……ば、馬鹿じゃないの!?」

 

 突拍子もない言葉に、思わず声が大きくなってしまう。自分の顔が急に熱くなるのを感じる。

 確かにわたしもそう思ってた。

 でもこの人はそういうことを恥ずかし気もなく伝えてくる。

 そんな兄に、わたしは今までずっと振り回されて来た。

 勿論、そういうこところが兄の良さだとは思うのだけれど。


「あはは、俺も馬鹿だと思うけどさ」

「本当に馬鹿!は、恥ずかしくないのそんな台詞!?」

「まあ少しは恥ずかしいけどさ……でも本当に良かったって、そう思うんだ」

「……お、お兄ちゃん?」

 そう言った兄の視線は、遠くを見ているようだった。

 まるでここではない、どこか別のところを見ている…そんな達観しているような眼。

 今までもたまにこんな兄を見ることがあったけど、大して気にすることもなかった。

 だけど、今改めて見ると無視できない何かを感じる。

 それはきっと聞いてしまったからだ。

 あの日、演説中に聞いてしまったから。


「……あ、あのさお兄ちゃん」

「ん、どうした?」

「えっと……」

 

 わたしを優しく見守ってくれるその眼が、今は辛い。

 聞けばきっとこの人は教えてくれるに違いない。

 それくらい、今の私たちはお互いを信頼している。

 だからこそ、わたしは迷ってしまう。

 聞いてしまったら、もしかしたらこの関係が壊れてしまうのではないだろうか。

 そう思ってしまうのだ。

 じっと兄を見つめてもやっぱり声は聞こえてこない。

 本当にあのとき、あの一瞬だけの奇跡。


「……ううん、なんでもない」

「なんだよ、気になるなぁ」

「あ、わたし今日は職員室に寄ってから行くから、先に行ってて」

「あー、いよいよだもんな。まああんまり気負いすぎるなよ?」

「うん、わかってる」

 

 その場を適当に誤魔化して、私たちは学校へと向かう。

 もしかしたら単なる聞き違いなのかもしれないとも思った。現に今は兄の声は全く聞こえないのだから。

 別の誰かの心の声を、わたしが勘違いしてしまっているだけなのでは。

 何度もそう考えようとしたけれど、やっぱり無理だった。

 だってはっきりと聞こえたんだ、兄の声が。

 そしてそのおかげでわたしはあの場を乗り切ることが出来た。

 だから間違えようがない。

 兄の声が聞こえたからこそ、わたしは選挙を乗り越えて、そして‘こういう’結果が出ている。


「じゃあ、また後でな」

「うん、また後で」

「あ、春菜」

「何?」

「頑張れよ」

「……ん、ありがと」

 

 それだけ言って兄は教室へと行ってしまった。

 不器用なあの人なりの精一杯のエールに、心が暖かくなっていく。

 一度深呼吸をして、気持ちを切り替える。

 ……今は別のことを考えるのはよそう。

 玄関の掲示板に大きく張り出されている文字を見て、わたしは気を引き締めた。


「よし、行こう」

 

 すれ違う生徒たちの、少なくない視線を感じながら職員室へと向かう。

 もうわたしは以前のわたしじゃない。これは自分自身が望んだこと。

 だから応援してくれた、支えてくれた人たちの為にもわたしは頑張らないといけない。

 

 掲示板にはこないだの生徒会選挙の結果が張り出されていた。

 そしてそこには大きな文字でーー

 

 次期生徒会会長 桃園春菜


 ――そう、書いてあった。


























 澄み渡った青空は屋上からだと余計綺麗に見えた。

 ちょうど昼休みが始まったからだろう、校内は騒がしくなりちらほらと外に出る生徒の姿も見える。

 それでも私たちがいるこの屋上は静かなもので、他に生徒の姿もなかった。

 それもそのはずで、少し前から屋上の扉には電子ロックが掛けられている。

 以前は生徒の憩いの場としてよく使われていたであろうこの場所も、今ではそのロックのせいで殆どの生徒が入ることの出来ない場所になっていた。

 入れるのは暗証番号を知っている教職員と、生徒会長のみ。

 だからこそ、今わたしはここにいられる。


「ほんっとうにごめん、春菜っ!!」

「もういいよ、佐藤さん」

「ううん、こればっかりは本当に情けない。あれだけ力になるって言ってたのに…」

「風邪なんだから、仕方ないって。佐藤さんが謝ることないよ」

「それでもごめん…。私、昔から本番に弱くてさ。夏の大会のときも体調悪かったし。だから今度こそって、そう思ったのに…!」

 

 佐藤さんは本当に申し訳なさそうな表情をして、さっきからずっとこんな調子で謝り続けていた。

 それは今朝からずっとで、昼休みになった今まで続いている。

 流石に他の人がいる前でこんな調子では佐藤さんにも悪いと思ったので、早速だけれど生徒会長の特権を使わせてもらった。

 ここなら他の生徒が入れることはないし、落ち着いて話が出来ると思ったからだ。


「本当に大丈夫だから。それに佐藤さんが協力してくれたから、現にこうして生徒会長にな(成)れたわけだしね」

「でも……」

「だからこの話はもうおしまい。せっかく当選したんだから、謝るより褒めてほしいな、なんて…」


『――私がいつまでもこんなんじゃ、きっと春菜も困るよね…』

 

 佐藤さんはまだ謝りたそうだったけれど、私の意思を尊重してくれるようだった。

 本当にこの人は強いなと、改めて思う。

 お世辞抜きで、今私がこうしてここにいられるのは佐藤さんの存在が大きい。

 だから彼女にはいつもみたいに明るく笑っていてほしかった。


「……分かった。春菜、本当におめでとう」

「うん、ありがとう。さ、お昼食べよう?」

「そうだね。なんか、屋上で食べるなんてすごい久しぶりかも」

「ね、これも生徒会長になった特権だよ」

「はは、じゃあ今度私にも暗証番号教えてよねー?」

「それは無理、かな。バレたらわたしが怒られちゃうし」

「何よー、親友でしょ私たちー」

「親友だけど、無理なものは無理ですー」

 

 佐藤さんはわたしに合わせてくれたようだった。今のわたしにとって、大切な存在の1人。

 この体質になって、ずっと独りぼっちだったわたしに出来た最初の友人だ。

 以前のわたしが今のわたしを見たら、何て言うんだろう。

 もうこの先、友達なんてできるわけないと思ってた。

 ずっと死ぬまで独りで生きていくんだって、そう思ってた。

 そんな引き篭もったわたしの考えを、痛快に壊してくれた仲間たち。

 今のわたしの、本当に大切なもの。


「ね、佐藤さん」

「どしたの?」

「ありがとう」

「急に改まって、本当にどうしたの?」

「ううん、急に言いたくなっただけ」

「何それ?まあでも、どういたしまして?」

 

 首を傾げながら返事をする佐藤さんが何だか可笑しくて、思わず吹き出してしまう。

 広がる青空はどこまでも続いていて、わたしのこれからの未来を表しているようだった。

























 夜、自分のベットに横になって天井を見上げる。


「覚えること、たくさんあるな…」

 

 放課後に秋空先輩から受けた引き継ぎは、思っていたよりも多かった。

 秋空先輩を見ていると、生徒会長の仕事はそんなに大変じゃないように思えるのがそれは大きな間違いだ。 

 あんな飄々とした感じだが、かなり仕事ができる人でそれを見せないようにしていただけだった。

 今日の引き継ぎで、先輩の偉大さをわたしは改めて痛感したのだ。


『大丈夫、春菜ちゃんなら絶対出来るよー!』


「でも、やるしかないもんね…」

 

 笑顔でそう言った秋空先輩の言葉を受け止めて、頑張るしかない。

 幸いまだ先輩たちもすぐに引退するわけではないようだし、今年中に少しずつ仕事内容を覚えていこう。

 それにーー


『それに一人じゃないでしょー?みーちゃんもいるし、何よりもーー』


「お兄ちゃん、か……」

 

 カレンダーの日付に目をやると、14日に大きく丸がしてあった。

 ついさっき自分で慌ててつけたそれを、もう一度じっと見つめる。

 今日の夕飯でお母さんに言われて思い出した、大事な日だった。


「あの人の、誕生日…」

 

 12月14日は、兄の誕生日。そんな大切なことを、わたしはすっかり忘れていたようだ。

 と言うか、当の本人も完全に忘れていたようでぽかんとした表情を浮かべていた。


「……いいタイミング、なのかな」

 

 ぼーっとカレンダーを眺めながらもう一度、兄のことを考える。

 もう自分の気持ちに嘘をつくことは出来ないのかもしれない。

 この一ヶ月、何とか忘れようとしたけれど出来なかったこの気持ち。


『――好きなんですか、四宮センパイのこと』


 いつか真白台さんに言われた言葉。あの時はよく分からなかったけれど、今ならはっきりと分かる。

 ずっと胸に秘めていたこの気持ちの正体が、一体何なのか。

 でもきっとこの気持ちは兄を困らせる。それが分からないほど子どもじゃない。

 何が正解なのか、じっとカレンダーを見つめても答えは出る訳もなかった。


「……どうすればいいのかな、お兄ちゃん」

 

 これからも仲の良い兄妹としてやっていく。

 それが一番良い答えなのに、どうしてもそれを選べないわたしがいる。

 いつかあの人に彼女が出来て、そしてそれを家族として見守っていく。

 それを思い浮かべたとき、最初に生まれた感情はーー


「……はぁ」

 

 考えても仕方がないことを、また考えてしまう。

 そして同時に‘あの言葉’の意味を考えてしまう。

 一瞬だけ聞こえた兄の心の声、その強い励ましに紛れていた違和感を。


「死に戻り、って……何?」

 

 思春期の男子の戯言に過ぎないのだろうか。

 でも心の声はその人の本心だ。

 それはわたしが一番よく知っていることだった。

 じゃあこの言葉にもきっと意味がある。でもわたしには分からない。

 そして、怖い。

 それを聞いてしまったら何かが壊れてしまいそうな気がするから。

 自分の気持ちを伝えれば壊れてしまうし、‘その言葉’について聞いても壊れてしまう。

 じゃあどうすれば良いのか、それをずっと考えている。


「12月、14日……」

 

 どちらにせよ、このままじゃ長くは保たないに違いなかった。

 本当に良いタイミングなのかもしれない。

 この日までに、わたしは決める。

 わたしがどうしたいのか、どうすべきなのか。

 じゃないとこの先に踏み出すことは出来ないからーー


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