67話「繋がる心、ふたつ」


「し、四宮!?なんでここにいるの!」

「はぁはぁ……すいません」


 壇上の舞台袖で、俺は依田ちゃんを含めた教師陣に止められた。

 乱れた息を整える暇もなく、その隙間から壇上を覗く。

 そこには確かに春菜の姿があった。

 胸を手に当てて、顔は強張っている。そのまま動かずに何も喋ることもない。

 ただ春菜の横顔だけが、ここからは見えるだけだった。

 静まり返った体育館から、何が今起きているのかを察する。

 やはり思った通りの最悪な事態が起きているようだった。


「とりあえず早く控え室に戻りなさいーー」

「春菜は!春菜は演説を始めてないんですね、先生」

「お、おい君――」

「依田ちゃん!そうなんですよね!?」

「……ええ、もう演説は始まってるけどもう1分くらい、あのままよ」

 

 他の先生たちに止められている俺を見据えて、依田ちゃんははっきりと答えてくれた。

 本当にこの人が俺たちの担任で良かった。

 もう一度壇上の春菜を見るが、やはり固まったままだった。

 本当はここから呼びかけて励ましてやりたい。今まではそうして来た。

 でも今俺が舞台袖から大声で呼びかける事は、きっと正解じゃない。

 今春菜は全校生徒の注目を集めている。

 そんな中で候補者の俺がしゃしゃり出たりしたら、演説どころではなくなってしまうだろう。

 一瞬でもこっちを見てくれればと願うが、春菜はただ固まっているだけだった。


「よ、依田先生!他の候補者に肩入れなんてしてーー」

「ありがとうございます!」

「あ!き、君!待ちなさいっ!」

 

 俺は依田ちゃんに小さく一礼をしてその場を走り去った。

 もしかしたら慌てる教師の‘声’を聞いて春菜が舞台袖に注目してくれる可能性にも期待した。

 しかし今の春菜にはおそらく、体育館一杯に集まった生徒たちの‘声’が無差別に聞こえているはずだ。

 だから舞台袖からじゃ俺には気付いて貰えない。

 来た道を引き返し、そのまま2階へと続く階段を上る。

 この体育館には整備用なのか分からないが、体育館を囲むようにぐるっと細いぐるっと細い通路が2階部分に設置されている。

 可能性は低いかもしれないが、その通路を渡って壇上の真正面、体育館の入り口上部に行くしかない。

 そこで俺の姿を見つけて貰えれば、もしかしたら少しでも春菜を安心させてやれるかもしれない。


「はぁはぁ…くそ、鍵か!」

 

 しかし当たり前と言うか、通路へと続く扉には鍵が掛かっていた。

 普段は生徒が入れないように鍵が掛けられているのだ。

 そんな事にも考えが及ばないくらい、今の俺は焦っていた。

 何度か乱暴にドアノブを回すが、扉はびくともしない。


「くそ、ここまでなのかよ……」

「こらー、生徒会長になろうしてる人が学校の備品を乱暴に扱っちゃダメだよ?」

「か、会長!?なんでここに!」

「いいから、どいたどいた!」

 

 いつの間にか俺の後ろにいた会長は俺を横にどけ、慣れた手つきでドアノブを何度か軽く回す。

 すると気の抜けるような軽い音と共に、いともたやすく扉は開いた。

 思わず呆然とする俺に、会長は舌を出しながら茶目っ気たっぷりにピースする。


「な、なんで扉が……」

「いやぁ、実はね。ここの扉はコツがあって上手くやれば鍵なんてなくても開いちゃうんだよねー。もうだいぶ古いし、直そう直そうって先生たちも言ってたんだけど…秘密の場所みたいで何か雰囲気良いから先延ばしにしてもらってたんだー」

「そ、そうなんですかーー」

「それよりも!何勝手に出て行ってるの!」

「す、すいません、でもーー」

「でも、じゃない!控え室から出ちゃいけないって言われてたでしょ、もう!」

 

 普段はあまり怒らない会長も、流石に俺の行動には呆れたようだった。

 それはそうだ。この日の為に頑張って来たのは、決して俺一人じゃない。

 会長も一緒にこの1ヶ月間、頑張ってくれていたんだ。

 そりゃあ怒られて当然だった。


「……行きなよ」

「……え?」

 

 だからそのまますんなりと扉を開けた会長を、俺は驚きの表情で見てしまった。

 そんな俺を見て、会長はいつもの明るい表情に戻る。


「ふふ、少しは反省したでしょ?だからもういいよ、行って」

「でも、会長は俺を連れ戻しに来たんじゃ…」

「そんなことするわけないでしょ。大体、もう私たちがあの部屋を出た時点で戻ったって大して変わらないんだから」

「それは、そうかもしれないですけど…」

「それにね、私は春菜ちゃんの話を聞いた時から、行くならここの2階通路しかないって思ってたんだからね?だからわざわざこっちに待機してたんだから」

「それってどういうーー」

「だーかーらー!薫君は春菜ちゃんの力になりたいんでしょ!それを私が止めるはずないってこと!」

「か、会長……」

「自分の家族を助けたいって気持ち、私にだって分かるよ。そしてそれを行動に起こす勇気を、貴方は持ってる。私にはまだ持てない勇気を、さ。だから行って。春菜ちゃんを、助けて。それが出来るのはきっと薫君だけなんだから……ね?」

 

 会長はそれだけ言うと、横に避けて俺に道を譲ってくれた。


「…ありがとうございます、会長。俺――」

「そういうのは後で聞くから、早く行く!私が先生たちを誤魔化せるのもそんなに長くないんだから!さ、行って!」

「……はい、行って来ます!」

 

 俺はそのまま扉をくぐり、短い階段を上る。

 会長に言いたい事は山ほどあるが、それは彼女の言う通り後にしよう。

 心の中で会長に感謝をしつつ、急いで2階の通路へと向かう。

 すぐに通路に出てから、丁度壇上が真正面に見える位置まで回り込む。


「よしっ……」

 

 ようやく、壇上と体育館が見渡せる位置について、俺は改めて自分の考えが正しかったことを理解した。

 薄暗い体育館に密集した生徒たちは、しばらく続いていたであろう静寂に痺れを切らしたのか、ひそひそと囁き合っている。

 そして灯りの付いた壇上で棒立ちする春菜は、ここからでも分かるくらいには緊張していた。

 必死に何かを喋ろうとして、その度に口をつぐむ。

 もうそれを何回も、何十回も繰り返していた。


「春菜……!」

 

 俺の呟きは、当然だが届くはずもなく春菜は壇上の上で一人苦しみ続けていた。

 何とかしたいが、ここから声を上げても結局同じことだ。

 周りの生徒に気付かれてしまっては意味がない。

 春菜がもう少し上を見て、俺に気が付いてくれれば話は別なのだが。

 薄暗いと言っても壇上からならば俺の姿は十分に見える。

 何なら今の時点でも目線の高さ的には、春菜から俺は見えていても良いはずなのだ。

 でも春菜と目が合うことはない。

 おそらく春菜は今、無差別に聞こえる声に気を取られている。

 だからこのままでは俺の姿が見える事は、永遠にない。

 でも声を出して目立ってしまっては、そもそも全てが破綻してしまう。

 一体どうすれば妹を救えるのか、ここまで来て俺はただ立ち尽くしかなかった。


「……くそ、どうすれば良いんだよ」

 

 折角会長が作ってくれたチャンスも、このまま無駄になってしまうのだろうか。

 結局俺には妹を救うことなんて出来はしないのだろうか。

 俺はずっと後悔して来た。

 この10年間、自分の幼稚さで妹を見殺しにしてしまったことを悔やんで生きて来た。

 だから今度こそ繰り返したくない。その思いで今までやって来た。

 色んな苦難を、春菜と共に乗り越えて来たと思っていた。

 でも結局今、俺は苦しんでいる春菜を救うことが出来なくてーー


「…………俺が、諦めてどうすんだよ」

 

 折れかけた心を、俺は奮い立たせる。

 俺が諦めたら誰が春菜を救えるのだろうか。

 会長は言ってくれた。春菜を助けられるのは、俺しかいないんだって。

 その通りだ、どうすればいいかなんて分からない。

 声も出す事だって出来ない。だから俺は壇上の春菜を見つめた。

 そして心の中で念じた。負けるな、頑張れと、そう念じ続ける。

 春菜は言っていた、俺の心の声だけは決して聞こえる事はないと。

 だからこうする事に意味はないのかもしれない。

 でも何もしないよりは遥かにましだ。

 何もしなくて後悔したあの時に比べたら、今の方が遥かに良い。

 やれる事は全部やる。見苦しくてもいい、足掻けるだけ足掻いてみせる。

 

 ――なあ、春菜。見せてやれよ、お前の成長を。

 こんな事でつまずくようなお前じゃないだろ?

 体育祭の時だって、夏祭りの時だって、お前は見せてくれたじゃないか。

 もう4月のあの時とは違うんだよ、春菜。

 お前の周りにはたくさんの仲間がいるんだ。

 もう、一人ぼっちなんかじゃないんだよ。

 見せてくれよ、俺に。

 もう一度、俺の自慢の妹は凄いってところを、皆んなに見せてやってくれーー


「………………あ」

 

 それはほんの一瞬のことだった。

 それでも俺は確かに壇上の春菜と目が、合った。

 春菜は驚いた表情で俺を見た後、ゆっくりと深呼吸をした。

 そして思いっきり自分の頬をビンタした。


「……やってやれよ、春菜」

 

 パチンという小気味良い音が体育館に響き渡り、ひそひそ話をしていた生徒たちの声をかき消した。

 皆が急な事に驚いている中、春菜はもう一度だけ俺を見た。

 そして頷いてすっと前を見る。

 もう、苦しそうな表情はどこかへ消え去っているようだった。

 マイクを握り、ゆっくりと話し始める。


「ったく、世話が焼ける妹だよ…」


『……急に驚かせてしまって、本当にすいません。そして中々話し始めることが出来なくて、ごめんなさい。私は2年4組の桃園春菜です。今日は少しだけ、私の話を聞いてください。』

 

 なぜ春菜と目が合ったのか、ただの偶然なのか。それとも俺の心の声が奇跡的に春菜に聞こえたのか。

 理由は分からないが、もう春菜は大丈夫なようだった。

 それまでの重苦しい空気は消えている。

 それを確認して、俺は静かに元来た道を戻る。

 会長が誤魔化してくれているとはいえ、そろそろ限界も近いはずだ。

 これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。


『私は人前で話すのが、苦手です。今日もここに立った瞬間に頭が真っ白になってしまいました。実は、誰かと話すのも怖くて、ずっと一人でいた時期もありました。その方が楽だって、そう思ってたんです』

 

 扉まで戻ると、教師陣をなだめている会長の姿があった。

 会長は俺が戻って来たのに気が付くと、俺にだけ分かるように小さくピースをしてその後、思い切り俺の頭を叩いた。


「ってぇ!?」

「全くやっと観念したのね、四宮君!ほら、心配させた先生たちに謝りなさい!」

「す、すいませんでした……」

「私からも重ねて、本当にすいませんでした!四宮君が妹が心配なシスコンなので、後先行動してしまうことがあるんですが、根は真面目な良い子なんですっ!」

「あ、ああ。さっき秋空さんに説明されたから…まあ気持ちは分かるけどねぇ」

 

 会長の勢いに教師陣もすんなり納得しかけていた。

 流石会長、恐るべし。

 一体俺のいない間にどんな妄想が繰り広げられていたのだろう。

 とりあえず俺がシスコンだというところに異論を挟まない時点で、嫌な予感しかしない。


『でも、そんなわたしを受け入れてくれた人たちが、いました。わたしに手を差し伸べて、隣で歩いてくれる大切な人たちと、わたしはこの学校で出会う事が出来たんです。きっと今聞いている人の中にもいると思います。一人ぼっちだって、孤独だってそう思っている人が。昔のわたしと同じ人が、いると思うんです』


「それじゃあ私たちは控え室に戻って準備しますので!さ、行こう四宮君」

「は、はい!」

「あ、ちょっと!?」

「――残りは後で、ちゃんと私が叱っておきますよ。彼の担任なんで」

「依田ちゃ……先生」

「さ、早く控え室に戻りなさい」

 

 依田ちゃんに促され、俺たちは何とか教師陣の追及から逃れる事が出来た。

 一瞬、依田ちゃんが俺たちにウインクしてみせたのは、おそらく見間違いなんかじゃないだろう。


『わたしは、そんな人たちの力になりたいんです。この学校に入って、本当に良かった。そう思える人たちが、わたしみたいに思える人たちが、一人でも増えればって…そう思うんです』

 

 ――なあ、春菜。

 本当にお前はよくやったよ。

 会長も、依田ちゃんも、きっと春菜のことだから力を貸してくれたんだと思う。

 この数ヶ月で、たかが数ヶ月でこんなにも周りを味方につけちゃうんだからさ。


『だから、わたしに力を貸してください。この学校に、皆に恩返しするチャンスを、わたしにくださいーー』

 

 控え室に入って、もう春菜の演説ははっきりと聞こえなくなった。

 でももう心配する事はないだろう。

 今のあいつなら、きっと一人で乗り越える事が出来るはずだ。

 俺に出来るのはここまで。春菜の背中を押してやる事くらいなのだから。


「……なんか満足そうな表情してるね、薫君?」

「あ、やっぱり分かります?」

「あのね、もうすぐ私たちの番なんだからね?気持ちは分かるけど、今は切り換えないと駄目だから!」

「…そうですね、俺たちも精一杯やらないと。大塚さんたちと春菜に失礼ですから」

「うん、それでよろしい。それじゃあ最後の確認だけどーー」

 

 その後、程なくして俺たちは呼ばれ最後の候補者として演説をした。

 内容は……まあ自分にしては頑張った方だと思う。

 会長も応援者として生徒たちをかなり盛り上げてくれた。

 結果が分かるのは週明けということで、今年の生徒会選挙演説はとりあえず終わりを迎えた。

 後で依田ちゃんに呼び出されて改めて怒られたりしたが、俺は春菜が何とかやり切れた事にほっとしていた。

 だからなのかもしれない。

 1つ大事なことを見落としている事に気が付いていなかった。

 その日の夜、部屋を訪れた春菜に‘その事’について聞かれるまでは、全く考えもしていなかったのだ。



 ――春菜に俺の心の声が聞こえたかもしれないという、その意味を。

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