65話「友達」


 冷たい雨が降る中庭は、やはりいつもより人が少なかった。

 それでも何人かの生徒は屋根のある場所で談笑しながら弁当をつついたり、パンをかじったりしている。

 よくもまあこんなに寒い時期に好き好んで、わざわざ外なんかで貴重な昼休みを過ごそうと思ったものだ。

 きっと今ここにいる奴らは相当な物好きに違いない。


「うわぁ、結構降ってるなー」

「こりゃあ一日中雨だな」

「お、こっち空いてるぞ薫」

「おう、サンキュ」


 そして俺と海斗もそんな物好きの一員だった。

 パラパラと屋根に当たる雨音を聞きながら、いつものように二人弁当を広げていく。

 もうこんな生活も早数週間、流石に慣れたものだ。


「いただきます」

「いただきまーす。で、どうなのよ実際?」

「……実際って、何が?」

「分かってる癖にー。はぐらかすなよなぁ」

 

 やれやれと言った表情で海斗は首を横に振った。海斗の言わんとしていることは分かっている。

 そして俺たちの問題に、海斗と佐藤を巻き込んでしまっていることも。

 でも今の俺にはこうする他に方法がない。


「……正直、どうすれば良いか全く分からん」

「おいおい、素直なのは結構だけどさ。もう何週間経ってるんだ、避けられてから」

「文化祭の後くらいからだから、10月の頭くらいからか」

「もう1ヶ月以上経ってるじゃねえかよ」

「いや、こうやって別々に弁当食うようになったのは生徒会選挙くらいからだから」

「いやいや、そんな細かいこと問題じゃねえだろうが……」

 

 海斗の正論過ぎる言葉に、思わずため息が出る。

 でも俺にはこの状況を改善する手段なんて、全く思いつきもしないのだ。

 急に態度が変わった妹の対処方法なんて、俺には見当もつかない。


「なんか春菜ちゃんの気に障ることでもしたんじゃないか」

「……全く思い当たらないんだよな、それがさ」

 

 思春期の女子にはよくあることなのだろうか。

 もしかしたら佐藤には相談してるかもしれないと思い、海斗経由で探ってもらったのだがーー


「うーん、困ったなぁ。悠花もさ、それとなく聞いてみたけど全然教えてくれないみたいだし。‘気にしないで’の一点張りじゃなあ」

「気にするに決まってるだろ……」

 

 一体何で春菜はこんなにも俺を避けているのだろう。

 たとえ俺に身に覚えがなかったとしても、知らない内に春菜を傷つけてしまっていたとしたら。

 その可能性だって十分にある。

 だとしたらもう原因を考えることすら無理だ。

 自分の身に覚えがないことを謝ることなんて、出来るはずがないのだから。

 結局こうやって、俺たちは遠ざかる運命なのだろうか。

 死に戻りして、俺は春菜との確かな絆を手に入れたつもりでいた。

 でもそれは所詮思い上がりだったのかもしれない。

 俺には、あいつを救うことなんて出来ないのかもしれない。


「……もしかしたら、知らない内に俺は春菜のことを傷付けてたのかもしれない」

「1ヶ月以上も避けられるくらいにか?それはないだろ」

 

 海斗は弱気な俺の発言を、きっぱりと否定した。

 こいつなりの励ましなのかもしれないが、そんな軽く言われると少し頭に来る。


「そんなの分からないだろ」

「流石にそれはないって。薫に限ってそれはないから心配――」

「何でそんなこと海斗に分かるんだよ!」

 

 中庭に反響する自分の声で、俺は我に返る。つい感情的になってしまった。

 周りを見ると雨音に紛れていたのか、こちらを見る生徒はいないようだ。

 それでも俺は海斗に怒りをぶつけてしまった。

 こいつが悪いわけじゃないのに、海斗なりに相談に乗ってくれていただけだと言うのに。


「……あ、あのさ」

「薫さ、覚えてるか?俺たちが仲良くなったきっかけ」

「え?」

 

 でも海斗はそんなことは気にしていない様子で、雨を見ながら話を変えた。

 俺たちの出会いについて。

 確か海斗とは高校からの付き合いだったと思うが、もうそんな昔のこと覚えてはいない。


「い、いや……」

「そっか。俺は今でもよく覚えてる。俺の勝ちだな」

「か、勝ちって、お前なぁ…」

 

 こっちはもう10年くらい前のことなんだから覚えてるわけないだろ、とは突っ込めないから俺は海斗の話を聞くことにした。

 急に一体何の話をするつもりなんだろうか。


「いやさ、ここの入試の時にさー。俺すっごく緊張しててな。普段は全然だったのにその日に限って朝からずーっと腹が痛くて痛くてさ。何度もトイレに行ってから家を出たんだけど結局試験直前でまた腹が痛くなっちまったんだ」

「…まあ、よくある話だよな」

「それでさ、トイレに行こうとしたら滅茶苦茶混んでたんだよな、これが!しばらく我慢してたんだけどもう限界で。脂汗ダラダラでもう駄目かって時に……前に並んでたのが薫、お前だったんだよ」

「……そうだったっけ?」

「でな、薫の番になった時、お前はさ。急に振り向いて‘まだ余裕あるから先行けよ’って譲ってくれたんだよ。見ず知らずの俺にさ」

「……少し、思い出したかも」

 

 遠い記憶だが、そんなことがあったかもしれない。

 確かあの時やけに呻いていた奴が後ろに並んでいたような気がする。あれが海斗だったのか。


「俺、びっくりしてさ。だってもう少しで試験の着席時間だったんだぜ?そんな急いでる時にいくら苦しんでるからって、もう二度と会わないかもしれない奴に順番を譲るか、普通。俺は思ったね、こいつは相当なお人好しだなって。で、人生間違いなく損するタイプだな、世渡りも下手そうだなってな」

「お、おいおい。そこは感謝するところーー」

「――で、こいつと絶対に友達になろうってさ」

「……海斗」

「薫はさ、鈍臭い奴だけど絶対にダチを裏切るようなことはしない。お前はいつも誰かのために何かしようとしてた。だから俺はそんな不器用なお前が損しないように、側で助けてやろうって思ったんだよ」

 

 そう言って、少し恥ずかしそうにしながら海斗は思いきり俺の肩を叩いた。

 痛かった、海斗の言葉が心に染みるようだった。

 こいつがそんな風に思ってくれてたなんて、俺は知らなかった。

 なんとなく、俺たちは友達で。

 そして腐れ縁でずっと一緒にいたんだとばかり思っていた。


「ごめん、俺。全然覚えてなかった…」

「だから良いんだろ。薫はさ、当然のこととして誰かを助けることが出来るだよ。そんな奴とだったら、誰だって友達になりたいだろ?」

「海斗……」

「だから心配するなって。確かに春菜ちゃんは今、お前のことを避けてるかもしれない。でもさ、それには俺たちには言えないような理由があるんだよ。薫が春菜ちゃんを傷付けたからとかじゃない、ちゃんとした理由がさ」

「ちゃんとした、理由……」

「そうそう。だから今は待ってあげようぜ。それがきっと一番の解決策だって」

 

 そう言ってガッツポーズをする海斗は、今まで俺が見た中でで一番頼もしかった。


「……海斗さ」

「ん?」

「ありがとな」

「おう!」

 

 雨は少しずつ強くなっていく。

 疎らにいた生徒たちも気が付けば校舎内に戻っているようだった。

 それでも俺たちは構わずに黙々と弁当を食べる。

 海斗の言うとおり、きっと悩んでも仕方ないのだろう。

 今の俺に出来ることは、春菜を待ってやることだけだ。

 そして目の前にある生徒会選挙に全力を尽くすこと。それしかないのだ。


「……まあ頑張れよ、薫」

「ああ」


 佐藤が海斗を好きな理由が、俺にも少しだけ分かった気がした。


































「うわ、結構降ってきたね」

「本当だ……」

 

 佐藤さんに言われて窓を見ると、雨が強くなっていた。

 外に出ていたクラスメイトたちが大慌てで戻ってきている。

 どうやら思ったよりも強めの雨のようだ。


「……心配?」

「別に心配なんかじゃ、ないけど……」

「まあ海斗は見た通り健康だけが取り柄だから。でも薫はすぐ体調とか崩しそうだからねー」

 

 横目でわたしを見る佐藤さんの言いたいことは分かる。

 わたしだって十分に分かっているつもりだ。

 いつまでもこのままで良いわけがない。

 今はお互いが生徒会選挙の候補者という丁度良い理由がある。

 でもそれも後1週間ほどで無くなってしまう。

 もうわたしは十分すぎるほど逃げてきた。

 今度こそちゃんと向き合わなければならない。

 兄と、そして自分自身と。そうしなければならないはずなのにーー


『――好きなんですか、四宮センパイのこと』


「…………っ」

「……まあ、今は春菜の好きにしなよ。私も応援者として、選挙で手伝えることは全力でバックアップするからさ」

「……うん、ありがとう。十分過ぎるくらい、助けられてるよ」

「でも、いつまでもこのままじゃいられない。それも分かってるよね、春菜」

「……うん」

「もう、そんな辛気臭い顔しないでさ!話す気になったらいつでも言ってね。私は春菜の味方だから」

 

 そう言う佐藤さんから伝わってくるのは、本当に純粋にわたしを心配してくれる‘声’だった。

 こんなわたしには勿体ないくらいの、かけがえの無い友達だ。


「ありがとう……」

「ううん、どういたしまして」


 でもこれだけは話せない。

 だってこの気持ちはわたし自身が決めなくちゃいけないものだから。

 誰にも頼らないで、わたしだけで決めなければならない。

 そうしなければ意味が無い。

 分かっている、分かっているはずなのにーー


「……雨、強いな」

 

 窓越しに見上げた空はどんより暗く、雨はしばらくは止みそうになかった。


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