64話「もう一つの誓い」


「……で、冬香はなんて言ったわけ?」

 

 放課後の教室で、少し不機嫌そうな態度で両腕を組む真理亜。

 実際には不機嫌なわけではなく、あたしの心配をしてくれているのだけれど。

 それでも事情を知らないクラスメイトが見れば、虐められているように見えるのかもしれない。

 真理亜の勝気で気が強いところが、悪く捉えられる一面でもあった。

 もっと素直になれれば、きっと手塚くんにも想いは簡単に伝わるだろうに。


「はい、分かりましたって」

「……そ、それだけ?」

「それだけ」

「あ、あのねぇ冬香!?」

 

 あたしの答えに怒り出す真理亜は、友達想いの良い子なのだ。

 横柄な態度で勘違いされがちなのだが、彼女は本当はとても優しくて面倒見が良い。

 それはこの数ヶ月、半ば無理矢理付き纏われていたあたしが一番よく知っている。

 だからこうやってあたしの為に怒ってくれる彼女には、素直に感謝しているのだ。

 勿論、それを面と向かって言うことはないけれど。


「仕方ないでしょ。センパイがそうやって言ってるんだから。それに忙しいのは事実なんだし、あたしに手伝えることがない以上、待ってるしかないんだから」

「いや、でもーー」

「――そもそも、返事はいらないって言ったのはあたしの方なんだから、センパイを責めることは出来ないって。しばらく会えないのは残念だけど、仕方ないの。逆に考えれば来月までたっぷり準備出来るんだから、良かったし」

「あ、あんたって人は……」

 

 真理亜は大きなため息をついて、ようやく諦めてくれたようだった。

 彼女なりに気を遣ってくれているのはありがたいのだが、こうも毎日センパイとの進捗を聞かれるのは流石に勘弁してほしい。

 こっちだって気恥ずかしいのだ。まあ、毎回教えるあたしもどうかとは思うのだが。


「さ、帰ろ。今日は特売日だから、あたし駅前まで行くし」

「また特売日?冬香、3日前も同じこと言ってなかった?」

「あそこのスーパー、よく特売してくれるんだ。主婦の味方ってやつ?」

「あんたは主婦じゃないでしょうが」

「うるさいな。まあ温室育ちのお嬢様には分からないでしょうけどね」

「む、相変わらず可愛くないわね。そんなんじゃいつまで経っても告白なんてして貰えないわよ?」

「余計なお世話。大体、人の心配する前に自分の心配したらどうなの?」

「な、何よ…」

「最近人気らしいよ、手塚くん」

「えっ、嘘!?」

「うん、嘘」

「……ふ、冬香ぁ!!」

「ふふ、ごめんごめん」

 

 隣で騒ぐ真理亜を連れて、すっかり暗くなった学校を後にする。

 もう12月も間近、あっという間に日没を過ぎ、世間は年末年始に向けて準備を始めているようだった。

 あれから、一緒に水族館に行ったあの日から、あたしはまだ一度もセンパイに会えずにいた。

 真理亜には話した事だが、センパイは学校行事で今忙しいようだ。

 あのぼんやりとしたセンパイが、生徒会長選挙に出ると聞いた時は冗談だと信じて疑わなかった。

 でもお人好しなあの人のことだ。

 誰かに頼まれてそのまま断れず、結局立候補することになってしまったとかそんなところだろう。

 そういうどっちつかずのとこも含めて、あたしはあの人が好きだ。

 ふと目をやると携帯にぶら下げたイルカのストラップが、キラキラと街の灯りを反射していた。


「……本当に、好きなのね。あの先輩のこと」

「……分かる?」

「そりゃあね。さっきから上の空でそのストラップ見てたら分かりますよー?」

「ごめんごめん、真理亜の話、つまらなかったから…」

「ふ、冬香ねぇ!?」

「ふふ、冗談」

「はぁ……本当に可愛くないわね。でも、あんたがあの先輩に本気なのはよーく分かったわ」

「それはどうも」

「知ってる?最近、冬香結構人気高いみたいよ?隣のクラスの高山君にね、冬香の連絡先教えてくれないかって聞かれたのよ」

「ふーん……」

「自分のことなのに全然興味なさそうね……まさか、顔も知らない?結構な有名人だけど」

 

 顔くらいは知っている、というか一度見たことがある。

 確か近くのクラスメイトが噂してたっけ。

 真理亜や手塚君に負けず劣らずの御曹司で、おまけにかなりのイケメンとかなんとか。

 覚えてはいるけれど、だからと言って興味があるかと聞かれればそれは全く別の話だ。


「知ってはいるけどね……勿論、教えてないよね真理亜」

「そりゃあね。男だったら自分で聞きなさいって一喝してあげたわ……って嫌な顔しないでよ」

「だって、そんなこと言ったらこっち来るかもしれないし」

「その時はちゃんと断りなさいよ!」

「面倒臭い……」

「冬香って、本当に極端よね。もう少し他人に興味持った方がいいんじゃない?これは友達としても忠告よ」

「…………」

「な、何よ。私、別に間違ったことなんて言ってないわよ」

「いや、真理亜と友達になれて良かったなって思って」

「は、はぁ!?」

「あ、照れてる?」

「て、照れてるわけないでしょ!?ばっかじゃないの!?」

 

 真理亜は顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまった。

 たまに素直になるとすぐにこうやって照れ隠しをする、それもまた真理亜の面白いところだと思う。

 きっと前のあたしだったら、こうやって誰かに興味を持つことなんてなかっただろう。

 センパイと出会って、真理亜と友達になって、あたしの心は大きく変わったのかもしれない。


「大体、いつも冬香はーー」

 

 隣でぼやく友達の声が今のあたしにはとても心地良くて、そしてとても嬉しかった。


























「いない、か……」

 

 真理亜と別れ、いつも通り特売日の戦いを終えた帰り道。

 あたしはあの公園に立ち寄っていた。

 辺りを見回すが人影すら見えない。

 それもそのはずだ。

 もう辺りは真っ暗だし、真冬の気候に近いこの時期にこんな遅くまで遊んでいる子どもはいない。

 それでもあたしはこの公園を無視出来ずにいた。


「……‘みこと’ちゃん」

 

 それは3日前に出会った女の子の名前。

 ちらっと買ったコロッケを見る。どうやら今日は無駄な買い物になってしまったようだった。

 結局、あの子は一体何だったんだろう。

 あの後、彼女はふと目を話した隙にいなくなってしまった。

 身体中に出来た痣や、ボロボロの服。

 やはりしかるべき所へ連れて行くべきだったのかもしれない。

 そう思ってしばらく辺りを探したが、もうあの子の姿はなかった。

 でも連れて行ってどうするのか。それぞれの家庭の事情というものもある。

 たかが高校生のあたしに一体何が出来るのだろうか。

 だからこそ、せめて今日会えればと思ったのだが。


「……寒いな」

 

 余計なお節介なのは分かっている。

 でもどうしてもあたしは気になってしまう。

 それはきっと似ているからだ。あたしと、あの子が。

 誰も信じられない、誰かと触れ合うことを恐れているあの子はまるで、昔の自分のようだった。

 誰かが手を差し伸べてあげなければならない。

 誰かがあの子を、冷たい暗闇から救ってあげなければ、きっと彼女は生涯あのままで生きていくことになるに違いない。

 あたしは救ってもらった。センパイに、真理亜に。

 だからあの子だって、きっと救える。あたしだって誰かの力になりたい。


「諦めないから……」

 

 誰もいない公園に向かって、あたしは静かに宣言する。

 きっと彼女も助けを待っている。

 誰かが救ってくれるのをじっと待っているはずだから。


『――大丈夫なんです』

 

 だってあの子は言っていた。去ってしまう前に言い残していた。


『大丈夫って?』

『電話、したんです。ほんとうの家族に』

『本当の、家族?』

『……おねえちゃん。会ったことはないけど、でもきっとむかえにきてくれるんです。だから、きめたんです。待ってようって』

 

 一体、何のことを言っていたのだろう。

 もしあの子の話が本当なのだとしたら、ちゃんと願いはその‘おねえちゃん’に届いたのだろうか。

 その人は、ちゃんと彼女を救ってくれるのだろうか。

 いずれにしろ彼女の様子を見る限り、もう長くは保たない気がしてならなかった。

 誰かがあの子を助けてくれるならそれで良い。

 でももしそうならなかったら、その時はあたしが出来ることを精一杯やろう。

 真っ暗な夜空を見上げながら、あたしは一人そっと誓った。

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