60話「個性的な彼女 -秋空紅音の場合ー 」


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 ――昔々、それは大昔のお話。

 かつて神というものが、今よりももっと多くの人に信じられていた時代。

 古の掟より神にその身を生涯捧げ続けた一族がいました。

 神と共に生き、その信仰の元死んでいく。

 それが何十年、何百年と続いたある時。

 神はその広い御心を示し、その一族の‘巫女’となる者に人ならざる力を与えました。

 それは天上にとってはほんの些細な力に過ぎませんでしたが、人の身には十分余るものでした。

 未来を見通し、過去を遡るその力を巡って多くの血が流れました。

 多くの者がその力を、一族の巫女を求め殺し合いを繰り返しました。

 神はそのような愚かな人々を憂い、大いなる裁きを与えました。

 そして巫女の一族の力を、深い眠りへと誘ったのです。

 いつか人の罪が償われ神がお許しになった時に眠りの力は解け、巫女は神の御業で人々を導いていくことでしょうーー


 それは私たち、秋空家に古くから伝わる昔話だった。

 いつからか、誰からか伝えられたかも分からないような子供騙しのお話。

 家系図を辿れば確かに遠い昔にはいわゆる神様のようなものに仕えていた時代もあったらしい。

 しかしそれは本当に昔、歴史の教科書に出てくるような時代のお話だ。

 今残るのはこの胡散臭い昔話だけで、祖父の代まではウチは小さな工場を経営する程度のものだった。

 私自身、小さい時に祖母や母から何度かこの話を聞かされたくらいで、その時も特に印象には残っていなかった。

 今だって、こんな話なんて信じてなんかいない。

 ただ物心ついた時くらいから私に顕れたその能力は、あまりにもその昔話に出てくる‘御業’と酷似していたのだ。


『ねえ、あめがふるからせんたくしないほうが、いいよ?』

『ぱぱ、あしたきっとけがしちゃう。でかけないで!』

『となりのきーちゃん、こんどひっこしちゃうよ?』

 

 それは小さい子供が言う、ただの冗談にしか聞こえなかったに違いない。

 事実、両親も含めて誰も私の相手などまともにしてはいなかった。

 それは当然のことだ。

 でも些細なことでも段々と、私が未来のことを言い当てる様を見た両親は薄々何かに気がついていたのかもしれない。

 元々秋空家の長女で双子の姉でもあった私の母は、特に私のことを心配してくれていたようだった。

 反対に父は元々祖父の経営する工場の従業員だった。

 だから婿養子として秋空家に入った立場上、あまり信じてはいないようだった。

 私の力は見たいものを見たい時に見れる、なんて都合の良いものではない。

 急に誰かの未来が瞬間的に映像として流れてくる。

 ‘御業’というにはお粗末なもの。

 それでも人間には過ぎた力に違いなかった。

 そしてある日、私の身を一番に案じてくれていた母の、死の未来を私は見た。


『ママが死んじゃう……ママが、ママが死んじゃう!』

 

 その日、母は仕事で出かけていた。

 私が見たのは血を流して横たわっている母親の姿だった。

 場所も、時間も分からない。

 どこかの交差点で事故に巻き込まれる母の姿だけが、ぼんやりと浮かんでは消えていく。

 私は授業中にも関わらず学校を飛び出して、そして母の仕事先まで全速力で掛けて行った。

 未来は変えられる。

 この力は神様が私にくれたかけがえのない力なんだ。

 少なくともこの時まで、私はそう思っていた。


『マ、ママ!!』

『…紅音?』

 

 私は母の仕事先近くの交差点で、母を見つけた。

 彼女はまだ生きていた。

 間に合った、そう安堵して横断歩道を渡ろうとした私はーー


『紅音っ!!』

『――えっ』

 

 ――赤信号で突っ込んでくる車に気が付かなかった。

 スローモーションになる世界で、母が私を突き飛ばしてくれた。

 そしてその代わりに、本来私が居たところに母は倒れ込む。


『……やだ』

 

 これから何が起きるのか、未来なんか見えなくたって分かる。

 凍りつく時間の中で私の意識だけがはっきりしていた。


『やだよ、やだーー』

 

 次の瞬間、何かがへしゃげる音と共に私が未来で見た光景と、全く同じ光景が目の前に広がっていた。

 この未来を引き寄せたのは、皮肉にも私自身だった。

 呆然と座り込む私はこの時、思い知ることになった。

 未来は変えられるものなんかじゃない。

 私の力はただ先に起こる運命を先に見ることが出来るだけの、死刑宣告のようなものでしかない。

 そして母の死をきっかけに、父も変わってしまった。

 愛する人を失った悲しみに、私たち親子は耐えることが出来なかった。

 父は仕事に没頭するようになり、母を殺した私の力にも目をつけるようになった。

 取引先の状況や、未来の商談、株価の上げ下げ、流通の良し悪し……。

 父は私の力を利用して会社を無理矢理に大きくしていった。

 私には従うしか、選択肢は残されていなかった。

 父を変えてしまったのは、私なのだから。

 もし私があの日、学校を飛び出さなかったならおそらく母が死ぬことはなかった。

 全ては私の責任だった。

 そして父はそのことから秋空家に伝わる文献を読み漁るようになっていった。

 まるで何かに取り憑かれたように古い倉庫を漁る父は、狂気に満ちていた。


『紅音、お前にはまだ力が隠されているはずなんだ…』

『お、お父さん…こ、怖いよ?』

『こ、ここに書いてあるだろう?‘過去を遡る力’……お前には、まだ力が残されているんだよ!』

『や、やめて…い、痛いよ!』

『どうした?早く見せてくれ……過去に戻ってそれで、一緒に母さんを取り戻そうじゃないか!?』

『い、痛い!!ごめんなさいごめんなさいっ!!』

 

 狂気に満ちた父が何を言っているのか、私には分からなかった。

 ただあの昔話にある通りなら、確かに私には未来を見通し過去を遡る力が、私にはあるということになる。

 でもそんなものは所詮ただの言い伝えだ。

 私が偶然、未来を見る力を授かっただけという可能性だって十分にある。

 それに私自身、万が一過去に行ける力があるんだったらもう既に使っている。

 私が一番過去に戻りたいと、強く願っているはずなのだ。

 でもそんな力は私にはあるはずもなかった。


『――そうか。そうかそうか』

『お、お父さん……?』

『‘もう一人’の方か…そうか、そうか!』

 

 そう言ったのを最後、父は二度とその話を私にはしなかった。

 あのおぞましいほどの狂気を父は一体どこへぶつけたのか、結局私には分からなかった。

 そしてそれ以降私たちは、父と私は親子ではなく‘所有者’と‘所有物’になった。

 もう私たちに親子の絆なんて、かけらも無い。

 全てはあの時、私が母を殺してしまったあの日に終わってしまっているのだからーー




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





















「――ちょう?会長?」

「ん……」

「大丈夫ですか、会長?」

 

 目を開けると、そこには心配そうに覗き込む薫くんの顔があった。

 そっか、私寝ちゃってたんだ。

 まだはっきりしない頭で生徒会室を見回すが、薫くん以外の姿はなかった。

 どうらやもう皆帰ってしまったらしい。


「ふわぁ…あー、ごめんね薫くん、待ってるつもりがいつの間にか寝ちゃってたみたい」

「いや、俺の方こそすいませんでした……」

 

 そう言った薫くんは浮かない表情をしていた。

 この様子から察するに、どうやら説得は上手くいかなかったようだ。


「どうだったの、春菜ちゃん」

「……まともに口も聞いてもらえませんでしたよ。‘わたしも選挙に出るから’の一点張りで」

「そう…」

 

 やはり春菜ちゃんの意思は固かったようだ。

 それにこんな未来、私の見た未来には存在しなかった。

 私が見たのは大塚雅、みーちゃんが立候補してそのまま次期生徒会長になるところだった。

 だからこそ、彼に一肌脱いで貰おうかと思ったのだ。

 でもまさか妹さんまで立候補するなんて、全く予想も出来なかった。

 薫くんが関わってからと言うもの、些細ではあるが未来が少しずつ変わっている。

 だから、どうしても彼に期待してしまうのかもしれない。


「本当に、すいません。俺にもよく分からなくて…」

「最近、仲良くないの?」

「やっぱり、分かりますか……」

「まああれだけあからさまだったら、ね?」

 

 これだけ誰かと話していれば普通、未来の一つも見えてくるものだ。

 でもこの子、四宮薫くんの場合はそれが今まで一度も起きていない。

 とても不思議な存在。

 だからこそ、期待してしまうのだ。

 もしかしたら彼なら確定的な未来でさえ、変えてくれるのではないかと。

 今私が見た未来は、みーちゃんが生徒会長になると教えてくれている。

 でもそれが覆されるようなことが起きることを、私は心のどこかで期待している。


「最近ずっとあんな感じなんですよね……。でも原因が分からなくて」

「うーん、思春期の女の子は難しいからねー」

「会長もそうですよね…」

「私は別だよ、別!とにかく、今はそっとしてあげた方がいいんじゃないかな?」

「そう、なんですかね、やっぱり…」

 

 落ち込む彼はそんな大層な力を持っているようには見えないけれど。

 でも私は知っている。

 彼には未来を変えるだけの力と、優しさがあるってことを。


「……大丈夫、薫くんならきっと大丈夫だよ」

「……まあ、今は選挙に向けて頑張るしかないで。誰かさんのせいで、ですけど」

「あはは、手厳しいね薫くんは」

「ったくもう……」

 

 だからお願い薫くん。

 私に、臆病でどうしようもなく弱虫な私に見せてよ。

 未来を打ち破って見せて。

 未来は変えられるんだって、示して。

 そうしたらきっと私は勇気を貰えるから。

 そうしたら私も‘家族’から逃げずに立ち向かえると思うからーー


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