結末3「ユルサナイ」
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いつも通り見慣れた天井が見える。
まだ意識が朦朧としている中でふと時計を見る。
その瞬間、今の自分が置かれている状況に気が付いた。
「……やべぇ、遅刻だ!」
ベッドから跳ね起きて慌てて出掛ける準備をする。
計算が正しければ超特急で準備すればまだ間に合うはず。
幸いある程度は昨日の内に準備していたので、後は身だしなみを整えれば大丈夫だ。
「よしっ、これで大体オッケーだな」
なんとか待ち合わせには間に合いそうなところまで持ち直した。
我ながら感心しつつ、いつものように仏壇に手を合わせる。
どれだけ急いでいてもこれだけは欠かせない。
もう何年も続けている習慣のようなものだった。
「……おはよう、春菜」
この世にはいない、大切な家族に挨拶をする。
春菜が死んでから何年が経っただろう。
長い時間が経った今でも、この習慣だけは欠かさない。
きっとこれからもそれは変わらないのだろう。
本当は‘あの時’、俺も春菜と一緒に死ぬはずだった。
だけどこうして生きている。
それは‘彼女’のおかげでもあり、同時に彼女を未だに縛り付けている事実でもある。
だからせめて、彼女の隣にいたいと思うのだ。
それが俺が出来る、数少ない恩返しだと思うから。
「……じゃあ、行ってくるな」
最後に短い挨拶をまたして、俺は彼女の元へと向かう。
今日は俺にとって、そして彼女にとって大切な日になるはずだから。
「あれ、時間通りだね」
「おいおい、遅刻すると思ってたのかよ」
「だって、寝坊したでしょ?」
「ね、寝坊なんてーー」
「あれれ、私の見た未来ではまだ待ってるはずなんだけどなぁ」
意地悪そうな笑みを浮かべながら、俺をからかう彼女。
肩まで伸びた金髪と澄んだ青い瞳はまるで海外の女優のようだ。
そして整った顔立ちと女優顔負けのスタイル。
俺たちの組み合わせが、いかに釣り合いが取れていないものなのかを物語っているようだ。
「……すいません、寝坊しました」
「あはは、正直でよろしい」
「ったく、紅音には敵わないよ…」
「私の前で嘘をつく方が難しいってこと、まだ分かってないみたいね?」
「おみそれしました…」
満足げに話す秋空紅音は、俺の彼女だ。
もう付き合って何年も経つが、未だにその事実が時々信じられなかったりする。
でも勿論それは事実なのだ。
こうやって笑う彼女を見ると、それを改めて実感する。
俺は秋空紅音の彼氏なんだな、と。
「…でも、結局未来は変わったわけだしね。薫は遅刻しなかった」
「まあ、そうなるな」
「本当に驚かされるな、薫には。そんな貴方だから、私は好きになったんだけどね」
「す、好きって…」
「いちいち照れないのー。本当に可愛いんだからぁ」
そう言って腕を絡めてくる年上の彼女。
紅音は言った、未来は変わったと。ごく一部しか知らない、彼女の秘密。
妹の死をきっかけに俺が知ることになった、未来を見る力。
紅音には生まれつき、そんな能力があるらしい。
普通なら冗談だと馬鹿にするところが、俺はこの目でもう何度も彼女が未来を予言するのを見てきた。
そう、あの時からずっと。
「さ、いこ?早くしないと映画始まっちゃうよー」
「うん、いこう」
しっかりと紅音の手を握る。
もうこれ以上、大切な人を失いたくない。
何度も頭の中でシミュレーションしてきたことを、もう一度繰り返す。
今日こそ伝えなければ。
そんなことで頭がいっぱいだった俺は気が付かなかった。
じっと俺たちを見つめる視線に、気が付くことが出来なかった。
「あー、食べた食べたー」
「紅音、バイキングだからって食べ過ぎだよ」
「だってあんな高級なバイキング、滅多に食べられるものじゃないよ?ウチの会社でも最近話題になってたんだから、あのホテルのバイキング」
「そうだったんだ」
海沿いのベンチに座りながら、紅音は満足そうにそう言った。
デートスポットとしても有名なこの公園にはたくさんのベンチが並んでおり、多くの人たちが集まっている。
目の前には大きな観覧車があり、色んな色にライトアップされて海を照らしていた。
「そうそう!だから、ありがとうね。明日皆に自慢しなきゃね」
「そんな大袈裟な…」
「全然大袈裟じゃないよー。本当に、幸せだよ私」
「紅音……」
「もう、これ以上何もいらないって思えるくらいには、幸せかな?」
心臓の音がいつもよりずっと煩かった。
そっと左手を鞄に忍ばせる。
小さな箱の感触を確認して、俺は大きく深呼吸した。
言わなければ、今日こそ言わなければ。
「……紅音」
「ん、どうしたの?急に真剣な顔しちゃって」
「……好きだ」
「うん、知ってるよ?勿論、私も好き」
「そ、そうじゃなくて…えっと……」
「んー?一体どうしたのよ。何か変だよ、薫」
「……俺と、結婚してほしい」
「…………え?」
本当はもっと言いたいことがあった。
何度も練習して、今日の為に仕上げたはずだった。
でもいざ彼女を目の前にすると頭の中は真っ白で、覚えてきた言葉は全て吹っ飛んだ。
彼女の目を見て、ストレートにその言葉だけを口にした。
そしてゆっくりと小さな箱を取り出して彼女に見せる。
光る観覧車を背景に夜の公園でのプロポーズ。
きっともう何回も使い古された典型的な、古臭い方法に違いない。
でも俺にはこんな古臭い方法しかないわけだ。
これだけは、小細工なしで自分から言うしかないのだから。
「……なんで?」
「……え?」
「なんで、私なの?」
答えを待つ俺に向けられた紅音の表情は、戸惑いだった。
喜びでもなく悲しみでもなかった。
やはりそうだ。
彼女はずっと後悔しているんだ。
俺なんかよりもずっと、あの時のことを悔やんでいる。
そして俺に負い目を感じてしまっているのだ。
「紅音――」
「だってそうでしょ?私は、貴方の妹を……春菜ちゃんを殺した。私のせいで、春菜ちゃんはーー」
「違う……そうじゃないだろ。紅音は俺たちを助けようとしてくれたんだよ。事実、紅音が居なかったら、俺は死んでた。春菜を助けられなかったのは、俺のせいだよ。紅音のせいじゃない」
「……嘘」
「嘘じゃない」
「嘘だよ。あの時、私が呼び止めなきゃ…そうしなかったらきっと薫くんは間に合った。間に合ったんだよ…」
「そうしたら、きっと俺は春菜と一緒に死んでたよ」
「そ、それは……もしかしたら春菜ちゃんを救えてたかもしれない」
「かもしれない。でもそれはもう誰にも分からないんだ。分からないんだよ、起きなかったことは」
「でもーー」
「確かに春菜は死んだ。でもそれは不幸な事故だった。紅音のせいなんかじゃ、絶対ない。むしろ紅音は俺を励ましてくれた。ずっと側にいてくれた」
「薫くん……」
あれは不幸な事故だった。
あの日、確かに俺は紅音に呼び止められた。
そしてその間に春菜は屋上から転落して死んだ。
でもそんなこと、誰に予想出来ただろう。
紅音には未来を見る力がある。
だから彼女はその事故を予知できなかったことを、心から悔やんだ。
春菜に呼ばれていた俺を、呼び止めてしまったことを呪った。
けれどもそれで紅音を責めることなんて俺には出来ない。
彼女は何も悪くないのだから。むしろ悪いのは俺だ。
俺は死に戻りをして、何度か奇妙な夢を見ていた。
春菜が屋上から落ちて死ぬという、奇妙な夢を。
にも関わらず俺はあの日、何も出来なかった。
まだ先のことだろうと油断していた。
悪いのは俺なんだ。
少なくとも紅音が悔やむ必要なんて、全くない。
「だからお願いだ、紅音。これからもずっと俺の側にいてくれ。未来なんか、見えなくてもいい。そんな必要なんてない。ただ、側にいてほしいんだ」
「薫……」
俺たちの距離がゆっくりと近づいていく。
紅音の身体をしっかりと抱きしめる。
そうだ、この暖かさがあれば俺はもう何もいらないんだーー
「――許さない」
「……え」
背筋が凍りつくような声に、俺は思わず振り返る。
そこには見覚えのある少女が立っていた。
何故彼女がここにいるのか、そしてどうしてそんな言葉を吐いたのかは分からない。
ただ一切の光を宿さない彼女の瞳は、まるで闇そのものだった。
「貴方が幸せなら、私はそれでいいと思ってた。そうやって今までもやってきた。でも、その女だけは‘例外’だよ、四宮薫」
「穴来、命……」
「覚えててくれたんだ、嬉しいな。‘今まで’のことも覚えていてくれたら、もっと嬉しいんだけど」
長い金髪に青い瞳。
間違いなく、あの夜に俺を殺した少女が目の前にいた。
穴来命には聞きたい事が色々とあった。
何故俺を殺したのか、何故死に戻り出来たのか。
でも今はそれよりもここから離れる事の方が先決な気がした。
直感で分かる、今の穴来命は間違いなく危ない。
理由なんてない、でも本能が警告している。
ふらふらとこちらに近づいて来るこの少女は、やばい。
「あ、紅音!逃げようーー」
「――みこと、なの?」
「……え?」
紅音の言葉に、俺は思わず逃げようとしていた足を止めてしまった。
驚きの表情で穴来を見つめる紅音は、どう見ても普通じゃなかった。
そして穴来のことを知っている、そんな口振りだった。
「……初めまして、秋空紅音」
「本当に、みことなの?」
「……だとしたら、何?」
「……生きていて、くれたんだね。私、私ずっとーー」
「――ふざけないでよ」
「え……」
その声は、心の底から憎悪に満ちていた。
紅音とこの穴来命という少女がどんな関係なのか、俺には見当もつかない。
ただ先程から向けられている敵意は、明らかに紅音に向けてだった。
「なんでアンタなのよ。どうして……どうして?アンタにそんな‘資格’なんてない。妹を救えなくて苦しんでる薫の側に、よりによってアンタがいるなんて、そんなの絶対に認めない……認めないから」
「わ、私は……」
「お、おい!いきなりなんなんだよ、お前――」
「ねえ、知らないんでしょ薫。私とそいつのこと、何にも知らないんでしょ?教えて、貰ってないんだよね」
「そ、それは……」
何も言い返せない俺を見て、穴来命は歪んだ笑みを浮かべた。
言葉では説明できないほどの憎悪に冷や汗が止まらない。
それは紅音も同じようで、先程からずっと震えている。
一体なんなんだ、この少女は。
よく考えれば俺は、死に戻りをしてから穴来命のことをほとんど忘れていた。
何故彼女が俺を殺したのか、何故しに戻り出来たのか。
まともに考えようとしなかった。そのツケが今ここに来ているのだろうか。
「……ふふふ」
「あ、穴来――」
「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははーー」
夜の公園に、穴来命の笑い声だけが響き渡る。
凍りついた俺たちは何も出来ずにただそれを見ているしかなかった。
ゆっくりと穴来は、鞄から鈍い光を帯びたナイフを取り出した。
「っ!!」
「……あはは、別に身構えなくても大丈夫だよ。これは薫や、その女のためのものじゃないから」
「な、なにを……」
「もう私には時間がないの。多分、もうそろそろ限界が、来ると思う。だから、もう貴方に懸けるしかないの、薫…」
「俺に…懸ける?」
目の前の少女は、必死に何かを訴えかけていた。
でも俺にはそれが何を意味するのか、全く分からない。
一体なんで彼女がこんなにも必死になっているのか、それが全く理解出来ない。
「……後は、貴方次第だよ。四宮薫。もう残り時間は多くはない。それでも私は信じているから。必ず最後には、貴方は‘本当の幸せ’に辿り着けるって……そう信じてるから」
「い、一体何をーー」
「でもね、こんな結末私は認めない。秋空紅音だけは、絶対に認めない。アンタは幸せになんか、させない。こんな結末、滅茶苦茶にしてやる。絶対に、絶対にーー」
そう言って穴来命は、笑みを浮かべながらゆっくりと自分の首にナイフを近付けた。
彼女が何をしようとしているのか、ようやく理解した俺は急いで彼女を止めようとする。
それを見た穴来は、満足そうに微笑んだ。
そしてーー
「止めろぉぉぉぉぉお!!」
「み、みこと止めて!!」
「――ユルサナイ」
――ナイフを自分の首に突き立てた。
結末3 ー ユルサナイ ー
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「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!」
「う、うわぁ!?」
「…………か、会長?」
目の前には驚いた表情をしている会長の姿があった。
周りを見回すとそこは生徒会室だった。
窓からは夕日が覗いていて、外からは遠くから運動部の掛け声や吹奏楽部の楽器の音色が聴こえてくる。
「だ、大丈夫?薫くん」
「……ゆ、夢?」
「…なーんだ、怖い夢でも見てたんだ?」
「あ、いや……」
「ふふ、意外と可愛いところあるんだねぇ」
悪戯な笑みを浮かべながら俺をからかってくる会長。
どうやら俺は寝てしまっていたようだ。
段々と意識が鮮明になってくる。
そうだ、今日も生徒会選挙のために会長と一緒に演説のための原稿を考えることになったんだっけ。
それでその途中で寝てしまった、ということなんだろう。
「す、すいません…」
「私も昨日寝ちゃってたしね。これでおあいこってことで!」
「あ、ありがとうございます」
屈託のない笑みを浮かべる会長に、少し元気を分けて貰ったような気がした。
しかしさっきのは一体何だったのだろう。
ただの夢にしてはあまりにも鮮明だった。
はっきりと全てを思い出せるわけではない。
ただあの少女、穴来命の憎悪だけが頭に焼き付いている。
そしてその対象は明らかに今、目の前にいる秋空紅音に対するものだった。
「……あ、あの、会長」
「ん?どうしたのー?」
「……いや、やっぱり何でもありません」
「なにー、どうしたの薫くん?」
「ちょっと、顔洗ってきます」
たかが夢の内容を聞けるわけもなく、俺はその場から逃げるようにして生徒会室を出ていった。
薄れゆく記憶の中で、‘ユルサナイ’という言葉だけが繰り返されていた。
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