58話「お揃い」

 10月も中頃に入った今日この頃。

 街は少しずつ年末に向けて準備を始めているようで、‘年末セール’や‘大感謝祭’などの旗がちらちらと立ち並んでいる。

 待ち合わせの駅前広場にも、マフラーや手袋をしている人たちが増えて来ている気がした。

 軽く息を吐くと真っ白で、もう冬がそこまで近付いてきているようだ。


「お待たせしました、センパイ!ま、待たせてしまってすいません…」

「いや、待ち合わせ時間ピッタリだから謝る必要もないぞ」

 

 念のため、腕時計を確認するがやはり10時ぴったりを示していた。

 彼女が謝る必要なんてどこにもないはずだ。


「それでもセンパイを待たせてしまいましたから…。というか、何時に来てましたか」

「いや、だから俺も今来たところでーー」

「――何時、ですか」

 

 彼女は冷たい笑みを崩さずに、有無を言わせない圧で語りかけてくる。

 これは下手な嘘をつかない方が身のためのようだ。


「……まあ、9時くらいかな」

「く、9時!?1時間も前じゃないですか!」

「こういうのあんまり経験ないからさ、何時に来れば良いのか分からなかったんだよ…」

「えぇ……」

 

 呆れたような顔をされて、自分の顔が少し赤くなるのを感じた。

 やっぱり1時間前は早過ぎたらしい。

 それはそうだよな、と少し冷静になる。

 でも正直女の子と待ち合わせなんて、何度も経験してるわけじゃない。

 だから一体何分前が適正なのかなんて、俺に分かるはずもないのだった。

 早ければ早い方が良い、そういう事じゃないのか。


「……今日のお昼は、あたしが出しますね」

「いや良いよ。俺が勝手に早く来てただけだからさ」

「それでもこんな寒い中、センパイを待たせてしまったのは事実ですから。あたしの自己満足って事で、奢らせてください」

「でもなぁ…」

「それに、あたしとしては感謝の気持ちも込みですから」

「感謝?」

 

 目の前の彼女、真白台冬香は悪戯っぽい笑みを浮かべて俺の顔を覗き込む。

 幼い見た目の彼女の、不意に見せる大人びた表情に年甲斐も無く思わず動揺してしまう。


「…センパイの初心なところ、結構可愛いと思いますよ?」

「なっ!?」

「あはは、冗談ですよ。さ、行きましょ!」

「あ、おいっ!」

 

 そう言って、真白台は俺の手を取って駆け出して行く。

 ため息をつきながらも、嬉しそうに笑う彼女を見て悪い気はしなかった。

 周りから見れば俺たちはカップルに見えているのだろうか。

 そんな考えがふと頭をよぎったが、深くは考えないようにした。

 きっと彼女もそれを望んでいるに違いないのだから。






















「見てください、センパイ!亀ですよ亀!」

「おお、結構でかいなぁ…」

「可愛い…」

 

 水槽の中をゆったりと泳ぐウミガメを、真白台はうっとりとした表情で眺めている。

 水族館に行きたいとの彼女のリクエストで、俺たちは地元から30分ほどで来れる海辺の水族館に来ていた。

 海がすぐそこということもあり、年中来客が絶えない結構有名な水族館だ。

 それだけに展示物や動物の数も多く、季節によって色々なイベントをやっている。

 そういえば社会人の時は社員旅行とか、一日レクリエーションとかでよくここに来てたっけ。

 あの時は楽しむ気持ちなんて全く無かったが、今改めて見ると真白台がはしゃぐのも分かる気がした。


「これ、触って良いんですかね?」

「いや、どうなんだろうな。何にも書いてないけど、あんまり触れない方が良いんじゃないか?」

「そうですよね…ああ、可愛いなぁ……」

 

 真白台の気持ちが伝わっているのか、大きな水槽を泳ぐウミガメは俺たちのすぐ近くまで寄って来てくれていた。

 隣でじっとウミガメを見つめる真白台。

 普段のクールな彼女とは180度異なるギャップに、新たな発見をした気になる。


「どこから来たのかなぁー?」

「…………」

「そうなんだぁ…あたしと一緒だねー」

「…………」

 

 どうやら俺に聞こえない周波数で、彼女たちは会話をしているらしい。

 ちらっと下を見ると書いてある‘オーストラリアから来ました!’みたいなプレートは気にしないことにした。

 あんまり夢を壊すのもどうかと思うしな。

 そうやってしばらくウミガメとの‘会話’を堪能した真白台は、どうやら満足したようでお別れを言ってから名残惜しそうにその場を後にした。


「もう良いのか?」

「すいませんでした、長居しちゃって…」

「好きなんだな、亀」

「はい!あのクリクリっとした目と、今にも抱きしめたいフォルムが堪らなくて……す、すいません。変、ですよね」

「いや、良いと思うぞ。俺も亀は好きな方だしな。それにーー」

「それに?」

「感謝したくらいだよ。真白台のそういうとこ、可愛いと思うぞ?」

「……あ、ありがとうございます」

 

 俺の言葉に、真白台は顔を真っ赤にして俯いた。

 これでさっきの仕返しは出来たに違いない。

 自分の顔も少し熱くなっていることは、とりあえず気にしないことにした。

 そうじゃなきゃ、良い歳にもなってこんな台詞言えるわけもないからな。


「…そ、それじゃあ次はーー」

「――あ、センパイ見てください!クラゲですよ!」

 俺の言葉を遮って、真白台は‘クラゲシンポジウム’と書かれた特設ブースへと進んでいく。

「お、おい真白台!」

「ほら、センパイも早く早く!」

「…ったく」

 

 軽く頭を掻いて、俺はクラゲに囲まれた部屋へと入って行く。

 子供みたいに無邪気にはしゃぐ真白台は、悔しいけれど少し可愛らしかった。




















 水族館の出口はお土産コーナーにそのまま続いていた。

 大体どこの水族館に行ってもこの構造は変わらない気がする。

 やはり購買意欲が最も上昇するのは、可愛いお魚さんたちを見た直後ということなのだろう。

 それを証明するかのように、お土産コーナーは人で混み合っていた。


「んー、やっぱりこれかなぁ…」


 そんな中、真剣な表情でイルカのぬいぐるみを眺めている真白台。

 さっきからそうやって、たくさん陳列されているぬいぐるみと睨めっこしているのだった。

 まさか今度はぬいぐるみと会話している……わけじゃないよな、流石に。


「どうしたんだ、さっきから悩んでるみたいだけど」

「あ、センパイ。この子とこの子、どっちが可愛いと思いますか?」

 

 差し出された二匹のイルカは、ぱっと見どちらも全く同じ顔をしていた。

 真白台にはこの二匹が違って見えるということなのだろうか。


「えっと……左?」

「やっぱりセンパイもそう思います?うーん、そうですよねぇ…。でもこの子もなぁ」

 

 真白台はまた二匹のイルカと睨めっこを再開する。

 周りをよく見てみると、他にも真白台のようにぬいぐるみと睨めっこをしている人がちらほらといた。

 どうやらぬいぐるみ選びというのは、俺が思っていたよりも難解なようだ。

 とりあえず邪魔にならないように他のブースを一人で見て回ることにする。

 陳列棚には定番のクッキーやサブレ、煎餅などが並んでいた。


「何か買って行くか」

 

 やはりこういうところに行った時は、家にも何か買っておいた方が良いのだろうか。

 ‘一番人気!’と書かれたポップが挿してあるお菓子を手に取ろうとしてーー


『もう、わたしには関わらないで……』


 ――伸ばしかけた手を俺は引っ込めた。

 なぜ春菜のことを今思い出すのか、俺にも分からなかった。

 文化祭の夜から、春菜の様子は少し……いや、かなり変だ。

 俺のことを急に避けるようになったし、登校時間もずらすようになった。

 あからさまな、拒絶。

 理由を聞いた俺が言われたのは、あからさまな拒絶の言葉だった。

 一体何があったんだよ。

 俺たちは兄妹として上手くやっていたんじゃなかったのか。

 それともそう思っていたのは俺だけだったのだろうか。

 浮かんでくる疑問に、答えてくれる人はいなかった。

 そうやって気が付けばもう2週間以上も、ろくに会話も出来ずにいる。

 まるで俺たちの関係は、死に戻りする前に戻ってしまったかのようだった。


「――センパイ?」

「……ん、どうした?」

 

 いつの間にか隣に来ていた真白台が、心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。

 こんな辛気臭い顔してたら余計な心配をさせてしまうに違いない。

 今は春菜のことを考えない方が良い。


「……いいえ、何でもありません。何か買うんですか、お土産」

「うーん、特に買わなくて良いかな。別に遠出してるわけでもないしな。真白台こそ、家族にお土産買わなくて良いのか?」

「桜にはこのイルカちゃんにしました!」

 

 嬉しそうにさっき選んでいたぬいぐるみを見せてきた。

 結局あの二匹のどちらを選んだのか、顔を見てもやっぱり俺には分かりそうにない。


「あー、これ真白台のじゃ無かったんだ」

「あ、当たり前ですよ!あたしだってもう高校生なんですからね?こんなぬいぐるみ、自分のために買うわけないじゃないですか…」

「あはは、悪い悪い」

「もう…。で、ちゃんと晴人とお母さんにもお土産は選びましたよ」

 

 真白台がいう通り、彼女が持つカゴにはいくつかお土産が入っていた。

 本当にしっかりお姉ちゃんしてるんだな、真白台は。

 それに比べて俺はどうなんだろう。

 今の俺はーー


「それで、その……相談なんですけど、その……」

「……どうした?」

 

 また頭によぎる考えを振り払って、真白台の言葉に耳を傾ける。

 なにやら恥ずかしそうにしながらも、彼女は手に持っていたそれをゆっくりと差し出してきた。


「これは…」

「ス、ストラップ、です……」

 

 彼女の小さな手のひらには、ウミガメのストラップが2つあった。

 片方は青色、もう片方は赤色のガラスで出来たそれは、光を反射してキラキラと輝いている。


「二人で、つけませんか……?」

 

 顔を真っ赤にしながら、震える声で彼女はそう言った。

 それは鈍感な俺にでも分かる、彼女からの好意。

 そして彼女の意志の表れだった。

 俺は、結局あの日の告白の返事を未だに出来ずにいる。

 正確に言えば、させてもらえていない。

 俺が意を決して返事をしようとした時、真白台はそれをやんわりと断った。

 答えは必要ない、ただ自分の気持ちは知っていて欲しい。

 それが真白台の意志だった。

 そうやってこの2週間、俺は真白台と友達以上恋人未満みたいな、いい加減な関係を続けている。

 本当は彼女の言葉を遮って、答えを出すべきなのだろう。

 でも俺にはどうしても出来ない。

 こんな純粋に、俺を慕ってくれる彼女を無下にすることなんて、出来ない。


「や、やっぱり嫌ですよね、お揃いなんて…」

「…つけようか、二人で」

「えっ」

「折角の記念、だしな。たまにはこういうのも悪くない」

「……は、はいっ!」

 

 満面の笑みで応える真白台を、素直に可愛いと思う。

 もしかしたらもう、俺は兄としての役目を終えても良いのかもしれない。

 この半年間で、春菜は十分に努力して成長した。

 もう死の運命から彼女は逃れられたのではないか。

 勿論、今の段階で確かめる術はない。

 でももう俺が春菜にとって必要ない存在だとしたら…。

 だとしたら、俺はもっと俺を必要としてくれる人と、一緒にいるべきなのではないのか。

 そんな考えが、ここ最近ずっと俺の頭の中をぐるぐると回っていた。

























「今日は、ありがとうございました」

「こちらこそ。本当に家まで送って行かなくて大丈夫か?」

「はい、ご心配なく。まだそこまで暗くないですし、そこまでしてもらわなくても大丈夫ですから」

 

 陽が落ちて来た駅前で、俺たちは別れの挨拶を交わす。

 一緒に買ったストラップの片割れは、真白台の携帯と共にゆらゆらと動いている。

 俺はその場でつけるのは恥ずかしくて、まだ鞄の中にしまったままだ。

 少し不満そうな顔をされたが、そこは勘弁して欲しい。

 この歳でチャラチャラしたストラップをつけるのは、流石に抵抗があるというものだ。


「センパイ、今日は本当に楽しかったです」

「ああ、俺も久しぶりに水族館に行ったけど、中々楽しめたよ」

「良かったです。ねえ、センパイ?」

「ん?」

「…好きですよ、センパイ」

「……そ、そうか」

「はい、それじゃあまた!」

「…ああ、気を付けて帰れよ」

 

 その場で一礼をして、真白台は帰って行った。

 こんなにストレートに感情をぶつけられた事なんて、殆どなかった。

 青ねえの時だって多少はあったけれど、こんなに直球なものはなかったと思う。

 本当に俺には勿体無いくらいの、良い子だ。

 だけど俺は、どうしても一歩を踏み出せずにいる。

 なぜなのか、その本当の意味を知ったらもうこの日常に戻ってこれない気がして、俺は考えないようにする。

 鞄の中から取り出した青いウミガメは、夕陽の光を反射して輝いていた。


「お揃い、か…」

 

 いつまでもこんなことが続くわけはないのに、もう少しだけこの時間が続けば良いのにと今はそう思った。


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