57話「本音」

「季節のパフェ、お待たせしましたー」

「あ、それあたしです」

「…………」

 

 目の前に置かれた、栗がこれでもかと使われているそれを、あたしは遠慮なく食べ始める。

 この時間のファミレスは空いているのか、店内には殆ど人はいなかった。

 これならわざわざ隅っこの席を選ぶ必要もなかったのかもしれない。


「……あの、真白台さん?」

「あ、やっぱり桃園先輩も頼みますか」

「い、いや、そういう事じゃなくて…」

 

 続く言葉を言うべきなのか、桃園先輩は悩んでいるようだった。

 パフェの追加注文じゃないことくらい、あたしにだって分かっている。

 でもこうでもしないと、先輩の話をまともに聞けそうになかった。

 それくらい、目の前にいる彼女の話は突拍子もなかったのだ。

 少なくとも、立ち話で終わらせることが出来るような内容では到底無かった。


「……とりあえず、さっきの話を整理しても良いですか」

「う、うん…」

 

 甘ったるい栗を一度パフェに戻してから、考えをまとめるため一回深呼吸をする。

 結論から言うと、あたしの予想は当たっていた。

 目の前にいる彼女、桃園春菜はどうやら他人の考えが分かるらしい。

 彼女流に言えば、‘心の声’というやつらしいが。

 だから言葉にしなくともあたしの考えていたことが分かった、とのことだった。

 自分で予想しておいてなんだが、未だに信じられない。

 けれど確かに心の中を言い当てられたら信じるしかないのも、また事実だった。


「さっきも軽く話したと思うけど、正確に全てが分かるわけじゃなくてーー」

 

 何より目の前で慎重に言葉を選びながら必死に説明しようとしている先輩が、嘘をついているようには思えない。

 もしこれが全て嘘だったとしたら、この人はアカデミー賞間違い無しの大女優ということになる。

 でもそんな嘘をつける程、器用な人には見えなかった。

 何度も詰まりながら、ここに来るがてら話してくれたことを丁寧にもう一度説明してくれる彼女を見て、あたしはそう確信する他なかった。


「――って感じで……し、信じてくれないと思うんだけど…」

「……信じますよ」

「…………えっ」

 

 あたしが即答したのがよほど意外だったのだろう、先輩は大きな目を更に大きくさせていた。

 まあ確かにこんな話をして、すぐに信じてくれる方があり得ない話だとは思う。

 だけどーー


「だから、信じます。今の先輩の話」

「ほ、本当に……?」

「はい。というか、信じざるを得ないですよ。あたしの心の中を言い当てられたら、嫌でも信じるしかありませんから」

「ご、ごめんなさい……」

「いや、今のは責めるつもりで言ったわけじゃないんですが…」

 

 そこまで言って、一つの違和感にようやく気が付いた。

 本当に心の声が聴こえるとして、それならばなぜ彼女はこんなにも不安がる必要があるのだろう。


「あの、ひとつ聞いても良いですか」

「ど、どうぞ」

「あたしが信じてるかどうかなんて、その‘心の声’を聞けばすぐに分かるんじゃないですか。いちいちあたしに聞かなくたって、分かるんですよね」

「……そういうわけにもいかないの。わたしにも選べないから」

「選べない?」

「聴きたい時に聴けるんじゃないの。突然、急に誰かの声が聴こえてくるんだ。だから、わたしが選ぶことは出来ない。近くにいれば聴こえる頻度は確かに多くはなるけど、自由に聴けるわけじゃないの…」

 

 それは面倒な体質だと、素直に思った。

 そして同時に納得もした。

 つまりさっき先輩が固ってしまったのは、偶然あたしの本音が聴こえてしまったからなんだ。

 そしてそれは最悪のタイミングだったのだけれど。

 こうして今考えていることだって、彼女には伝わっていない。

 それは目の前の彼女を見れば明らかだった。


「……そうだったんですか。なんか、色々聞いてしまってすいません」

 

 元はといえば、あたしはあの場で終わらせずにここまで先輩を引きずってしまったことにも原因はある。

 でも追求せずに誤魔化すことは、どうしても出来なかった。

 きっとこんな話、先輩自身何度も話していることじゃないだろうに。


「……ううん、わたしの方こそ、ごめんなさい」

「先輩が謝ることなんて、ないじゃないですか」

「勝手に真白台さんの心を覗いたのは、わたしだから」

「でもそれは先輩の意志じゃ、ないんですよね。それならーー」

「それでも、ごめんなさい」

「桃園先輩……」

 

 そう言って彼女は、深く頭を下げた。

 逆の立場だったとして、きっとあたしには出来ないことだった。

 桃園先輩は受け入れている。

 自分の特異な体質を受け入れて、その上で向きあって生きていこうとしている。

 そんな覚悟が、彼女から伝わってくるようだった。


「……もう一つ、聞いても良いですか」

「うん、良いよ」

「このことを知っているのは、あたしだけ…じゃないですよね」

「……うん」

「他には、誰に話してるんですか」

 

 どうしてこんなことを聞いたのか、自分でもよく分からなかった。

 でもそれだけはどうしても聞かなければいけない気がした。

 先輩は少し考えた後、ゆっくりと口を開いた。


「……このことを知っているのは、真白台さんの他にはもう一人だけ。わたしの、お兄ちゃんだけだよ」

「……やっぱり、そうでしたか」

 

 これもまた、納得の答えだった。

 そしてなぜ四宮センパイが、あんなにも血の繋がっていないであろうこの人を守ろうとするのか、その答えでもあった。

 あたしの知っている四宮センパイなら、間違いなくこんな特異体質の妹を放ってなんて置かない。

 だってあの人は、こんなあたしにだって手を差し伸べてくれた人なのだから。


「……真白台さん?」

「……すいません。こんなデリケートなこと、あたしが聞くべきじゃ無かったですよね」

「い、いや、元はと言えばわたしが悪いわけだから…」

「そのこと、なんですけど」

「う、うん…」

「桃園先輩が何を聴いたのか、あたしには分かりません。だからもう隠さずに、あたしも話そうと思います。だから、聞いてくれますか」

「……うん」

「おそらく分かってると思うんですが、あたしは四宮センパイのことが好きです。そして今日、告白しました」

 

 それを聞いた桃園先輩が驚くことは、やはり無かった。

 少し顔が熱くなるのを感じながら、それでも話を続ける。


「…正直、あたしは桃園先輩に嫉妬してました。二人の深い絆を感じて、それで逃げだしちゃいました。だって、そんなの……勝てるわけないじゃないですか」

 

 段々自分の声が震えてくるのが分かった。

 このままじゃ、きっと言わなくて良いことまで言ってしまいそうで。

 でも一度溢れ出した気持ちを、今更抑えることなんて出来るはずもなかった。


「ズルいですよ、そんなの…。そんな秘密を共有なんかして……そんなの、元々あたしが入り込む隙間なんて、ない、じゃないですか…」

「ま、真白台さん、わたしたちは家族なんだよ?」

「本当に、そう思ってるんですか…?」

「そ、それはどういうーー」

「本当に、四宮センパイのこと、ただの‘お兄ちゃん’だと思ってるんですか」

 

 あたしの言葉に、桃園先輩は何か言おうとして……何も言えずにいた。

 やっぱりそうだ、そうなんだ。

 

 ――彼女は、揺れているんだ。


「……あたし、桃園先輩のこと、別に嫌いじゃありませんから。先輩が何を聴いたのか知りませんけど、これはあたしの本心です。ただ先輩に嫉妬して、そういう風に思っただけですから」

「そ、そうなんだーー」

「――でも」

「っ…」

「でも、四宮センパイを好きだって気持ちも本当なんです。自分の気持ちに嘘をつけば良かったなんて、思ってません。たとえ自分勝手だとしても、この気持ちだけには……嘘をつきたくないんです」

 

 じっと桃園先輩を見据えて、あたしははっきりと自分の意志を伝えた。

 先輩の瞳はさっきよりも更に大きく揺れていて、まるで彼女の心を表しているようだった。


「…桃園先輩にその気がないなら、身を引いてくれると助かります。あたしは、もう遠慮するつもりなんてないんで」

「身を、引くって……わ、わたしは…」

「桃園先輩は……貴女はーー」

 

 もう心のままにぶち撒けるしか無かった。

 こんなこと言ったって仕方ないことは分かっているのに、それでも止められなかった。

 だって譲りたくない、もっと側にいて欲しい。

 こんな気持ち、初めてなんだーー


「――好きなんですか、四宮センパイのこと」























 窓に雨が当たって、雨音が聞こえてくる。

 窓越しに真っ暗な空を見上げると、どうやら降ってきているようだった。

 確か今日の天気予報は曇りだったはず。

 天気予報なんて、あてにならない。


「……あ」

 

 振動に気が付いて開いた携帯電話には、「お兄ちゃん」という文字が表示されていた。

 きっといつまでも帰ってこないわたしを心配しているに違いない。

 出なきゃいけないはずなのに、どうしても通話ボタンを押せずにただその文字を眺めていた。

 ‘お兄ちゃん’は‘お兄ちゃん’なんだ。

 それ以上でも以下でもない。

 わたしとあの人の関係もまた、それ以上でも以下でもない。

 そのはずなんだ。

 目の前に置かれた料金と、殆ど手をつけていないパフェが目に入る。

 彼女の気持ちは、間違いなく本物だった。

 顔を真っ赤にしながらも素直な想いを口にする彼女は、心の声なんて聞こえなくたって間違いなく本当のことしか言ってない、それが痛いほど伝わってきた。


『本当に、四宮センパイのこと、ただの‘お兄ちゃん’だと思ってるんですか』

 

 ずっと考えないようにしていた、心の奥底で燻っていたわたしの気持ち。

 それを今になって彼女に引き摺り出されてしまったようで、何も言うことが出来なかった。

 一言違うと、笑い飛ばす事が出来なかった。


『好きなんですか、四宮センパイのこと』

 

 何も答えることのできないわたしに、真白台さんは黙って出て行った。

 まるで全てを見透かされているようで、そのままわたしはここに座り込んでいる。

 椅子に根が張ってしまったみたいにその場から動けない。

 雨はどんどん強まっていく。

 止まない雨を眺めながら、頭の中で彼女の言葉だけがずっと繰り返されていたーー


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