56話「露呈」

 暗くなった夜空を見上げながら、あたしはぼーっと立ち尽くす。

 段々と寒くなってきた外の空気が、今のあたしには丁度良い。

 こうやって冷たい空気に当たれば、少しは自分の頭も冷えてくるような気がするからだ。

 帰ろうと思っても、どうしても足が一歩前に出ない。

 一体何を待っているのか、期待しているのか。

 浅はかな自分の想いが透けて見える。

 あの人をきっと困らせてしまった。

 あたしが見た彼の顔には間違いなく戸惑いの表情が浮かんでいた。

 今ならまだ間に合う、走って学校に戻って一言冗談だって言えば良い。

 なんなら電話だって構わない。


「……っ」

 

 そう思ってさっきから何度も何度も携帯をいじる。

 でもどうしても彼に電話を掛けることは、出来ないでいた。

 ――自分を殺して嘘をつくことで、守れるものもある。

 偶然会った彼女は、そう言っていた。

 彼女の言う通りだった。

 あたしが自分を殺しさえすれば、センパイを困らせることなんてなかった。

 それは辛いことなのだろうけれど、少なくともこれからも今まで通りセンパイの近くにいることは出来た。

 でもそれを、あたしは自らの意志で選ばなかった。

 なぜそうしたのか、何がきっかけだったのか。

 もうあたし自身にも分からない。

 それでも少なくとも、青子さんのあの姿が影響していたのは間違いなかった。

 要するに、あたしはもう自分の気持ちに嘘をつくのが限界だったのだ。

 今の関係を壊してでも、センパイと先に進みたいと…そう想ってしまったのだ。


「馬鹿みたい…」

 

 もしあのままセンパイが追ってきてくれたら、そしてあたしを抱きしめてくれたら。

 それはどんなに素敵な世界だったのだろう。

 でもそれはきっと叶わない願いだ。

 なぜならーー


「ま、真白台さんっ!」

「……桃園、先輩」

「はぁはぁ…よ、良かった。まだ遠くに行ってなくて」

 

 荒い呼吸を整えながら、桃園先輩は安心した顔をしていた。

 なんでよりにもよって、‘この人’が追いかけてくるのだろう。

 ぞわぞわと得体の知れない感情が、あたしの心を満たしていく。

 思っちゃいけないことを、思わず考えてしまいそうになる。


「……どうして、ここにいるんですか」

「急にいなくなっちゃったから、ずっと探してたの…。お兄ちゃんに聞いたら、ついさっき帰ったって…」


 ‘お兄ちゃん’。

 そうだ、そうなんだ。

 二人は兄妹なんだから絆が深いのは当たり前なんだ。

 そんなのに嫉妬して…本当に今日のあたしは変だ。

 だけどーー


「そう、ですか…」

「はい、これ!」

「えっと…」

 

 そう言って桃園先輩は、ビニール袋を渡して来た。

 恐る恐る受け取った中身を覗くと、焼そばやたこ焼きのパック詰めが並んでいた。


「お腹すいたかなって、探してる時に買っておいたの。まだ、何も食べてないでしょ。折角ウチの文化祭に来たんだから、これくらいは味わって欲しくて…」

「……わざわざ、あたしのために、ですか」

「文化祭は、また来年一緒に回ろう?もし、真白台さんが良かったら、だけど…」

 

 少し恥ずかしそうにしながら、桃園先輩はそう言った。

 心が抉られるようだった。

 あたしが自分勝手なことをしている時に、目の前の彼女はあたしのことを考えて必死になってくれていた。

 思い返せば、祭りの時だってそうだった。

 あたしの妹のために、この人は率先して必死になって探してくれていたんじゃなかったっけ。

 今だって、勝手に帰ったあたしのことなんて放っておけば良いのに。

 それなのにわざわざ学校の外まで追いかけて来て。

 どう見ても完敗だっだ。

 言い訳のしようもないくらい、あたしは無様だった。


「……すいません」

「真白台さん?」

 

 ただ俯くことしか出来なかった。

 自分の惨めさに泣きたくて、でも泣いちゃいけない事は分かっていた。

 今のあたしにそんな資格ない、これ以上彼女に優しくされる資格なんて、ない。

 だってあたしは思っちゃってるから。


「真白台さん、何かーー」

 

 ――この人がいなくなれば良いのにって、そう思ってるから。


「…………え」

「…?」

 

 絞られたような声に思わず顔を上げる。

 何故か、目の前の桃園先輩の顔は固まっていた。

 大きな瞳だけが揺れて、あたしを見ている。

 一体どうしたと言うのだろうか。


「……桃園先輩?」

「…………」

 

 呼びかけが聞こえなかったのか、まるで放心したかのように彼女は立ち尽くす。

 急に何があったのだろうか。

 まさか、あたしが思ってたことを口走ってしまった…わけはない。

 それは自分でも分かっている。

 でも彼女の反応はかなり不自然なものだった。


「あ、あの、桃園先輩……?」

「…………しの、せいだったんだ」

「……え?」

「……わたしの、せいだったんだ」

「えっと…えっ?」

 

 ようやく聞こえた彼女の声は、あたしを驚かすには十分なものだった。

 なぜならそれはあたしの本心だったから。

 確かに桃園先輩のせいで、あたしはあの場から逃げ出した。

 いや、正確に言えばそうではないのだろうが。

 少なくとも原因の一つではある。

 でもさっきまでそんな雰囲気を微塵も感じさせなかった彼女が、急に核心に迫ってきた理由が分からない。

 自分の心臓の鼓動が一気に跳ね上がるのを、煩いくらいに感じた。


「わたしのせいで、帰ったんだね…」

「……そんなわけ、ないじゃないですか」

「じゃあ、何で帰ったの…?」

「それは……」

「それは?」

 

 全てを見透かされそうな彼女の瞳。

 本当のことを言ったらもっと彼女を傷付けることになるかもしれない。

 四宮センパイはまだ彼女に伝えていないはずだ。

 こんなどろどろした気持ち、誰にも分かって欲しくはない。

 あたしがセンパイに告白したことは、まだ誰も知らないはずーー


「…………そう、なんだ」

「……え?」

 

 言い訳も思いつかないあたしを置いて、桃園先輩は急に何かに納得したようだった。

 そしてまた視線を落とす。

 自分の理解出来ないことが起きているようで、ゾクっとする。

 そんなわけない、そう頭では思うのにどうしても考えてしまう。

 こんな簡単に分かってしまうものなのか、あたしの態度が不自然だっただけなのか。

 でもそれだけじゃ説明できないくらい、桃園先輩の状況はおかしかった。


「……桃園先輩のせいじゃないです。帰ったのは、全然別の理由なんです」

「……嘘だよ」

「嘘なんかじゃ、ありません」

「嘘だよ。だってさっきーー」

「さっき?」

「…………えっと、その…」

 

 それまで核心めいた口調だった桃園先輩は、急に口をつぐんだ。

 あたしの中で急速にある考えが大きくなっていく。

 普通に考えればあり得ないこと。

 でもそれ以外、説明がつかないのではないか。

 あたしはそれを確かめずにはいられなかった。


「……桃園先輩?」

「な、何?」

「分かるんですか?」

「わ、分かる?」

 

 動揺する彼女の態度が、物語っている。

 それは果たしてあたしの質問に対して動揺しているのか、それともーー


「分かるんですか、あたしが、考えていることが」

「……そ、そんなわけーー」


 ――それとも、あたしの‘考えていること’に対して動揺しているのか。

 目の前の彼女を見れば、それは明らかだった。

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