結末2「幸せの“記憶”」




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 いつも通り見慣れた天井が見える。

 気怠い身体を起こし時計を確認すると、時計の針は昼過ぎを指していた。

 思わずため息をつく。

 原因は、どう考えても一つしかない。

 昨日あれだけ飲まされればこうなることは目に見えていた。

 でもお祝いの席だから、という常套句に乗せられてしまい今に至る。


「っ……」

 

 ベットから出ようとすると二日酔いに襲われた。

 やはり調子に乗って飲むんじゃなかった。

 隣はすでにもぬけの殻だ。

 彼女だって、俺まではいかないにしろ結構飲んだはず。

 それなのにも関わらずもういないということは、おそらくそういうことなのだろう。

 まだ寝ぼけた頭でリビングに入ると、味噌汁のいい匂いが漂って来た。

 どうらや俺の想像通り、先に起きて遅過ぎる朝飯の準備をしてくれていたようだ。

 本当に昔から気が利くというか、世話好きというか。

 どんどん自分が駄目人間になるのを感じていく。

 もっと自分の事は自分ですべきなのだろうが、彼女の保護欲がそうさせてくれないのだ。


「あ、おはよう。そろそろかなって思ってたから、タイミングバッチリね」

「おー…頭痛くてさ。そっちは大丈夫なのか」

「あたしはそんなに飲んでないからね。二次会までもってくれるか心配だったけど…」

「あー…あんまり、記憶ねえな…」

「ふふ、見た目はちゃんとしてたから、大丈夫だったよ。ほら、座って」

 

 テーブルには焼き魚に漬物、そして味噌汁と単純だが確実に食欲をそそる料理が並んでいた。


「どうせ二日酔いだと思ったから、今日はしじみの味噌汁よ。飲んだ次の日にはこれが一番だから」

「なにから何まで、なんかすいません…」

「ううん。昨日は頑張ってくれたし、こういう時はお互い様でしょ?それにーー」

「それに?」

「……今、幸せだから全然気にならない、かな」

 

 恥ずかしそうにして頬を赤くする。

 それを見て俺は自分の選択が決して間違ってなかったことを、改めて感じるのだ。


「……俺も、幸せだよ。こんなにも料理上手で、可愛い奥さんがいる俺は、幸せ者だな」

「お、奥さんって…」

「本当のことだろ?」

「ま、まあそうだけど…。なんか、慣れないね」

「これからゆっくり慣れていこう。幾らでも時間はあるんだからさ」

「うん。そうだね……」

 

 軽くキスをしてから、俺は愛情の籠もった手料理を頂くことにした。

 目の前の彼女、真白台冬香も俺が美味しそうに食べるのを見てから、自分の分に手をつける。

 今俺はこうして冬香と一緒に人生を歩んでいる。

 昨日は、特別な日、俺たちの結婚式だった。

 また彼女の‘記憶’に1ページ、消せない思い出が刻まれる。

 あの事故、妹の春菜が亡くなってからもう、10年以上の歳月が経っていたーー


























「それじゃあ、改めて2人の結婚を祝して、乾杯!」

「「かんぱーい!」」

 

 グラスが軽くぶつかる音がして、今日の宴会が始まった。

 宴会と言ってもそんな大層なものではない。

 ウチに人を呼んで冬香が作ってくれた料理を肴にする、軽いものだ。


「ごめんね、新婚初日にお邪魔しちゃって」

「本当に、邪魔。そう思うならそっとしておいてくれれば良いのに」

「またそんなこと言ってー。素直になりなよ、冬香」

「ちょっと真理亜、変なとこ触らないでよ!」

「相変わらず薄っぺらい胸ねー。こんなんじゃすぐ、浮気されちゃうわよ?」

「……世間知らずのお嬢様が、生意気なことを言ってるわね」

「なによ、事実でしょー」

 

 大人になっても相変わらず喧嘩を始める冬香と天王寺さん。

 2人は高校からの親友らしく、今でもこうやってよく集まっているのだ。

 天王寺さんは日本でも有数の製薬会社、天王寺グループの一人娘だ。

 今は社長である父親の下、次期社長として日々様々な業務を叩き込まれているそうだ。

 そして天王寺さんは私生活だけでなく、仕事上でも冬香にとって唯一無二の存在になっている。


「あはは、相変わらずですね、あの二人は」

「喧嘩するほど仲が良いって言いますからね。あんな感じじゃ、手塚くんも大変じゃない?」

「まあ、そういう面も含めて、あいつのことは分かっているつもりですから」

 

 苦笑いしながら天王寺さんを見る手塚くん。

 二人は昔からの幼馴染らしく、今は夫婦だ。

 ちょうど去年の今頃、俺たちは二人の結婚式に招待された。

 彼もまた、天王寺さんと同じく大手運送会社の御曹司という、俺たちとは全く住む世界が違う人だった。

 なので二人の結婚式は大層豪勢なものになっていた。

 そんな二人と高校時代からの知り合いである冬香も、やはり普通ではないと思うのだが。


「でも、幸せそうな真白台さんを見て、真理亜も本当に嬉しそうだったんです。あの二人は、本当に仲が良くて、こっちが羨ましくなりますよ…」

「そうですね」

 

 冬香は大学卒業後、天王寺グループの製薬部門でその才覚を遺憾無く発揮していた。

 元々努力はしていたが、それに加えて冬香の‘瞬間記憶’が更に彼女の才能を伸ばす手助けになったようだ。

 様々な新薬の開発に尽力した結果、最近では様々なところから引き抜きが来ているようだった。

 無論、冬香は天王寺さんのところ以外で仕事をする気はないらしい。

 それに天王寺さん自身、冬香を手放す気は毛頭無いようだ。

 そういうことで、公私共に二人には親友を越えた絆が出来ていた。


「新婚旅行が終わったら、また馬車馬の様に働かせてあげるから、覚悟しなさいよ!」

「あたしには海外も含めて色んなところからスカウトが来ていること、忘れないでよね」

「このー!」

「なによ…」

 

 いつも通りの二人の喧嘩を諫めながら、俺たちの宴会は過ぎていく。































「さむ……」

 

 外は意外と肌寒く、薄着で来たことを少し後悔する。

 足りなくなった飲み物を買いに行くと言って出て来たので、そんなに長居する事は出来ない。

 送られてきたメールの通り、彼女は本当に来るのだろうか。

 一人で来るのは無用心だとは思うが、一応防犯グッズは鞄の中に入れておいた。

 後は彼女が来るのを待つだけだ。


「……こんばんは、四宮薫」

「……久しぶりだな」

 

 月の光に照らされて、制服を来た少女はゆっくりと、待ち合わせ場所の公園に入って来た。

 長い金髪に澄んだ青い瞳。

 間違いなく俺を殺した張本人である、穴来命がそこにいた。


「貴方にとっては、本当に久しぶりなんだろうね」

「……わざわざ呼び出したんだ。何か用があるんだろ」

「よく分かったね。ああ、安心して。別に警戒する必要なんてないよ。死に戻りはもうさせない。今日呼んだのは、聞きたい事があったから」

「聞きたいこと……?」

 

 目の前の少女が言っていることの意味が、全く分からない。

 彼女の言うことが本当なら、俺は偶然じゃなくこの少女の意思で死に戻りをした、という事になる……?


「正直に答えて。貴方は、今幸せ?」

「急に一体何をーー」

「――答えて。貴方は今幸せ?」

 

 少し離れた位置から、俺をじっと見つめて来る穴来命。

 この少女は一体何が言いたいのか。一体何が目的なのか。

 とりあえず今は彼女の質問に答える他ないようだ。


「……幸せだ。俺は、今幸せだよ」

「妹を助けられなかったのに?」

「どうして、それをーー」

「――答えて。大切な妹を助ける事は出来なかったのに、それでも、幸せなの?」

 

 穴来命の心を抉るような質問に、俺は思わず何も言えなくなる。

 蘇るのはあの日の記憶。

 俺の妹は、終業式の日に屋上から転落して死んだ。

 原因は劣化したフェンスに巻き込まれての、転落死だった。

 後少しだった。

 待ち合わせしていた俺と冬香は、偶然フェンスが落ち掛けているところを目撃した。

 文化祭の時に一緒にいた冬香のおかげで、屋上への扉の暗証番号を解除出来た俺は、それでも間に合わなかった。

 フェンスと共に落ちていく春菜が、俺が見た彼女の最期だった。


「……幸せだ」

「そう、なんだ」

「確かに後悔だってある。でも冬香が居てくれたおかげで、今の俺がある。だから、俺は今幸せだ」

 

 その言葉に嘘はなかった。

 冬香が居てくれなかったら、俺はおそらく春菜の死から立ち直れなかっただろう。

 冬香の支えがあって、俺はこうして生活出来ているんだ。

 穴来命は少しの間俺の目をじっと見つめた後、ゆっくりと微笑んだ。


「……そう。貴方は、本当に優しいんだね。そうやって、自分を納得させるんだね」

 

 そう言った穴来命は、どこか寂しそうな笑みを浮かべる。

 俺が初めて見た彼女の笑顔だった。

 儚くて、今にも消えてしまいそうな彼女の存在。


「俺はーー」

「――さよなら、四宮薫。貴方が選んだこの世界で、幸せにね」

「お、おいっ!?」

 

 穴来命はそのまま走り去って行く。

 急いで追い掛けるが、離れた位置にいる彼女を見失うのに時間は掛からなかった。


「はぁはぁ……くそっ」

 

 一体彼女は何が言いたかったのか、それはもう分からない。

 彼女がいう‘この世界’。

 それがどういう意味なのか、きっと俺には一生分からないのだろう。

 仕方なく諦めて、俺は忘れていた用事を済ますため来た道を戻ったのだった。






























「あれ、二人とも寝ちゃったのか」

「うん、今日も仕事だったみたいで。5分くらい前かな?二人仲良く寝ちゃったよ」

 

 家に帰って来た俺が見たのは、毛布に包まっている天王寺さんと手塚くんの姿だった。

 どうやら二人とも疲れていたらしい。

 両手に持っている飲み物は、どうやらまた次の機会に持ち越しのようだ。


「遅かったけど、大丈夫?」

「ああ、近くのコンビニにあんまり飲み物がなくてさ。だから少し離れたコンビニまで行ってたんだよ」

「そうだったんだ。本当にお疲れ様」

 

 優しく微笑む冬香を見て、やはり自分の選択は間違っていなかったのだと思う。

 俺はそっと冬香を抱きしめる。

 一瞬驚いたようだったが、冬香もすぐに返してくれた。

 昔からずっと変わらない、彼女の優しさ。

 唯一違うのは、成長した彼女の身体くらいのものだ。

 小学生くらいしかなかった彼女の背は、今や普通の大人の女性と変わらないくらいにまで伸びていた。


「……背、伸びたよな。昔とは大違いだ」

「……全部、薫のおかげだよ。薫があたしにくれたんだよ。幸せな思い出をたくさん。だからあたしは、前に進む事が出来たんだと思う」

「そっか…」

「まあ、胸は相変わらずですけど?」

「おいおい、拗ねるなって。俺はそんな小さな事気にしないぞ?」

「小さい?胸が?」

「そういう意味じゃないって!拗ねるなよな」

 

 頬を膨らませる冬香は、やっぱり可愛かった。


「……これからも幸せな思い出を、一緒に作って行こうね、薫」

「ああ、これからもずっと一緒だ」

 

 春菜のいない世界で、それでも俺は冬香と一緒に生きていくーー














 結末2 ― 幸せの記憶 ―

















◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「またかよ…」

 

 ぼーっとした頭で周囲を見回すと、やはりいつも通りの部屋だった。

 この前も見た、夢にしてはやけにリアルなもの。

 でも中身が大きく変わっている。

 確か以前は、青ねえが出て来たはずだ。

 それが今回は真白台になっていた。

 そんな中で変わっていない要素は二つ。

 穴来命の登場と、春菜の死。

 それだけは絶対に変わらないことだった。


「一体どういう事だ…?」

 

 夢なんだからそんな考える必要もないはずなのに。

 それでも俺の心は、何故かざわつくのだった。

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