断章4「穴来命の覚醒」


「はぁはぁ……」

 

 目を覚ますと見慣れた風景が広がっている。

 身体中から噴き出る汗が、私がまた死に戻りしたことを証明してくれていた。


「……また、駄目だった」

 

 鮮明に蘇る四宮薫の死。

 目の前に広がる真っ赤な海。

 今度こそと決死の覚悟で挑んだ私の挑戦は、またしても失敗に終わった。

 私の決意を嘲笑うかのように、目の前で彼は死んでいく。

 どんなに策を講じても、運命はいとも容易く四宮薫を死へと導く。

 私の抵抗は全くの無駄だった。

 今回も、また。


「……どうすれば、いいの」

 

 静まり返った部屋で、私の言葉に返してくれる人は勿論いない。

 もう何十回目になるか、数えるのも辞めてしまった。

 私は彼を救おうと死に戻りを繰り返して、そして毎回彼を死なせて人生を終える。


「もう、諦めるしか……」

 

 どうしてなのか。

 どんな手段を使っても四宮薫を救うことが、ただの一度も出来ない。

 まるで運命が必ず彼の死に収束するように、私のどんな努力も意味はない。

 あれだけ彼を助けると誓った決意でさえ、運命という壁の前に折れそうになっていた。

 誰にも相談も出来ない、孤独な戦い。

 何度かは彼に直接事情を話し、協力を得ようとした。

 でも四宮薫は、そんな私を恐怖の眼差しで見た。

 当たり前だ。

 貴方を救うために死に戻りして来たなんて、初対面の他人に言われてああそうですかと納得する人なんているわけがない。


「……駄目。諦めちゃ、駄目。諦めたら、誰が彼を救うのよ」

 

 消えそうなか細い声で、私は自分を奮い立たせる。

 私しかいないのだ。

 私にしか、彼を死という運命から救う事は出来ない。

 そう自分に言い聞かせて、ベッドから抜け出す。

 余計なことを考えてはいけない。

 心のどこかで、この絶望的な状況に屈服し掛けている自分がいる。

 ぐるぐると、頭の中で回っている。


「準備、しなくちゃ……」

 

 適当な私服に着替えて、静かに家を出る。

 もうしばらくの間、学校には行っていなかった。

 何故か、それを考えてはいけない。

 だってどうせまた死に戻るーー


「……駄目。考えちゃ、駄目」

 

 思い切り頭を振って、よぎった考えを振り払う。

 私は彼を救うんだ。

 何度も自分に言い聞かせて、もう何度目か分からない同じ朝を迎えていた。






















「……これで、準備はいいはず」

 

 暗くなった裏道。

 その木陰で、息を潜めてその時を待つ。

 何十回も彼を助けようとしたが、結局どこへ連れ出しても死を回避する事は出来なかった。

 それならば無駄な努力はしない。

 最初の運命どおり、私が襲われた裏道で時間まで待つ。

 これが一番効率的なはずーー


「……ははっ」

 

 ――効率的?

 私は何を考えているのだろうか。

 人の命が掛かっているのに、効率的?

 まるでゲームみたいな考え方に、思わず乾いた笑いが出る。

 何度も死に戻りを繰り返して、ついに人の心をなくしてしまったのだろうか。

 本当に最低な人間。


「あ……」

 

 ぼーっとしている間に、四宮薫とあの通り魔が出くわそうとしていた。

 今すぐに飛び出て、彼と一緒に逃げ出さなければ。

 今ならまだ間に合う。

 そう思うのに、何故か私の足はぴくりとも動かなかった。

 だってその方法はもう何回か前に試した。

 勿論、結果は逃げた先で彼が死んでおしまい。

 だから、今ここで彼を助けることに意味はない。


「な、何を考えてるのよ…」

 

 だったら今まで試していない手段を、もっと試すべきなのではないだろうか。

 例えばほら、今目の前にいる2人の間に、私は毎回割り込んできたわけだ。

 今回は、それをせずにここから観察する。

 それも良いのではないだろうか。


「……いいわけ、ないよ」

 

 そうすれば新しい発見があるかもしれない。

 もしかしたらこの状況を打開出来る、画期的な方法が見つかるかもしれない。

 それにもし見つからなくても、彼が死んでも大丈夫。

 どうせ死に戻りすれば、彼はまた生きているのだから問題はない。


「いい、わけ……」


 ――いいよね?

 問題ないよね?

 だってどうせ今回だって上手くいかない。

 上手くいくはずはない。

 彼に正直に打ち明けたって駄目だった。

 警察に相談したってまともに相手にされずに駄目だった。

 通り魔を返り討ちにしたって、結局彼は死んだ。

 だから今回だって駄目に決まっているんだ。

 だから大丈夫。

 無駄な努力はしないで、色々‘実験’してみないと。


「…………」

 

 もう、足は全く動かなかった。

 頭の中で囁くもう一人の私。

 その言葉に私は耳を傾けた。

 そしてじっと息を殺して、ばったりと出会う二人を観察した。

 大丈夫、また死ねば良いだけだから……大丈夫。


「この野郎っ!!」

「や、やめろっ!?」

 

 心臓が跳ね上がる。

 通り魔に、彼が襲われている。

 組み伏せられて、鈍く光るナイフが目に映る。

 止めなきゃ、今止めないと四宮薫は、死ぬ。

 分かっているのに私の身体は微動だにしない。

 そして叫び声と真っ赤な血が飛び散って、四宮薫はーー


「……はぁはぁ。お、お前が悪いんだ!お前が……がっ!?」

 

 興奮している通り魔の背後にゆっくりと回り込み、用意した特殊警棒で思い切りぶん殴る。

 何も、感じない。

 のたうち回る男を見ても私は何も感じない。


「い、いてぇ……。な、なんなんだぁ!?」

「…………」

「うげぇ!?や、やめーー」

 

 よく分からないことを喚いている男を、何度も殴る。

 殴る度に自分の中の何かが、消えていく気がした。

 振り上げて、振り下ろす。

 それを何十回か繰り返して、私はようやく黙った男を見下ろした。

 真っ赤な海に浮いている肉塊。

 持ち物を物色して、名前や住所を特定する。

 後ろポケットの財布にあった免許証で、それらは容易に把握出来た。

 これは‘次’に使えるはず。

 しっかりと暗記しておかなければならない。


「…………」

 

 そして私はゆっくりと四宮薫‘だった’ものに近付く。

 光のない冷たい瞳が、彼が絶命していることをはっきりと教えてくれている。

 血溜まりの中、私は同じように彼についての情報を丁寧に漁る。

 名前に住所、電話番号に勤務先などを全て一通り把握する。


「……塾講師、だったんだぁ」

 

 今まで知らなかった彼の一面に、思わず笑顔になる。

 笑顔?

 どうして?

 彼は死んでしまっているのに、私はどうして笑っているのだろうか。

 分からない。

 分からないけれど、通り魔を殴った時の感触はーー


「……悪くない」

 

 そう、素直に思った。

 それと同時に、私の中で大切な何かが完全に消えてしまった気がした。

 でも現状を打開するにはこれしかないのだ。

 大丈夫。

 私が死ねば、全部元通りになるのだから。
























「このアパートだ…」

 

 死に戻りした私は、起きてすぐに覚えていることを全てノートに書き出した。

 そして手始めに、通り魔の住所まで来ていた。

 2階建てのボロアパートの2階が、アイツの住処だった。

 とりあえず邪魔な存在であることに変わりはないので、黙らせようと思う。

 用意した特殊警棒を取り出して、私は扉をノックした。


「……は、はい…ひ、ひいぃぃぃぃぃぃい!?」

「え?」

「も、もう許してくれ!!こ、殺さないでくれぇ!!」

 

 扉を開けて私の顔を見た瞬間、家主は飛び退いて部屋の奥へと逃げて行く。

 顔や声をぱっと見て、間違いなくあの通り魔だった。

 でも何だろうこの反応は。

 まるで殺人鬼でも見たかのように怯える男の部屋に、私は警棒を構えてゆっくりと踏み入っていく。


「や、やめてくれぇ!!もうしない!!絶対に誰も襲わない!!だからーー」

 

 思い切り警棒を振り下ろすと、変な音がして男の腕がこれまた変な方向に曲がっていた。

 叫び声を上げてのたうち回る男を、私は冷静に見下ろす。

 どういうことだろう、これは。

 私とこの通り魔は初対面のはず。

 でもこの男の言動はまるで、まるで私と同じ。

 死に戻りをしたようなーー


「……一つ、聞いてもいい?」

「い、いでぇっ!?」

「……黙って、ね?」

「ひっ!?な、なんなんだよぉ!!」

「…覚えてるの?あの夜のこと」

 

 私の言葉に、目の前の男ははっとしてこちらを見た。

 やはりそうだ。

 そうに違いない。

 これは凄い発見だった。

 正解だ。実験して、正解だったんだ。

 一気に視界が開けたような気がした。

 もっと早く試していれば良かった。

 私は、間違ってなんていなかったんだ。


「な、なんなんだ!!お前はなんなんだよ!!また俺を殺すのかよぉ!!」

「……あは」

「ひっ……」

「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」

 

 心の底から湧き出る声は、まるで自分のものじゃないようで。

 でも悪くない気分だった。

 ほら、やっぱり大丈夫だった。

 これはあくまでも実験なんだ。

 彼を救うためには、色々試さないといけないのだ。

 ねえ、四宮薫。

 安心してね。

 すぐとは行かないけど、必ず貴方を助け出してみせるから、ね。


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