33話「春と冬」
相変わらずの猛暑日が続く今日この頃。
俺の姿は最近通い詰めている、地区センターの地下にあった。
その目的は勿論、今日も真白台に勉強を教えるためだ。
真白台はいつも座っている席に座り、先に勉強しながら俺を待っていた。
これもいつも通りの光景。
こちらに気が付いた真白台はゆっくりと視線を上げて、少し戸惑ったような表情を浮かべた。
「あ、センパイおはようございます…えっと」
「おう、おはよう真白台」
「あの…後ろの方は?」
怪訝そうな表情で俺を、正確には俺の後ろにいる人物を見る真白台。
そう、今日は一点だけいつもとは違っていた。
それは俺のすぐ後ろでそっと真白台を覗く、俺の妹の存在だ。
結局昨日言い出した通り、この妹は俺について来てしまったのだ。
一体何が気に食わないのか、再三ついて来るなと言ったのにも関わらず、一切聞く耳を持たなかった。
そうやって自分で言い出した割に、この妹はまだまだ人見知りなわけで。
今もこうやって俺の後ろに隠れて真白台を見つめている。
思わずため息をつきながら、俺はそんな春菜を少し前に出してやる。
「あー、俺の妹で春菜っていうんだ。……春菜、ちゃんと挨拶しろよな」
「わ、分かってるから!…こ、こんにちは。いつも兄がお世話になってます。妹の、桃園春菜です」
ぎこちないながらも何とか挨拶をこなす春菜。
少しだが、やはり成長しているようで少し安心する。
これが最初から出来ていれば、もっと好印象なのだが。
「…こんにちは。あたしは真白台冬香と言います。センパイ…お兄さんには勉強を教えてもらってます。あの、センパイ…これは?」
「あー、あのな。昨日妹にいつもここで真白台と勉強していることを話したら、自分も勉強したいって言い出してな。来るなって言ったんだけど聞かなくてさ」
「ち、ちょっとお兄ちゃん!」
「本当のことだろ?悪いな、真白台。勉強の邪魔はさせないようにするからさ。ちなみに妹って言ってるけど、学年は俺と同じだから分からないことがあれば、春菜にも聞いてくれていいからな」
「…分かりました。別にあたしは構いませんよ。何人になろうと、やることは変わりませんから。よろしくお願いしますね、桃園先輩」
「よ、よろしくお願いします…」
俺の弁明をあっさり受け入れて、クールに対応する真白台。
そしてそれとは対照的に、がちがちに緊張しながら挨拶を交わす春菜。
まさかこの2人と一緒に過ごすことになるとは、夢も思わなかった。
何か良からぬことが起きる気がして、俺はまた一つため息をつくのだった。
「…で、ここの接続詞が表してるのが、この筆者が言いたいことになるんだよ」
「つまり、ここの部分を意訳すれば良いわけですか」
「そうそう。試験とかでは時間が限られてるから、頭から真面目に読み進めるより、ある程度的を絞った方が効率的だな」
4人席に3人で勉強するので、必然的に2人は隣同士になる。
本来の目的は真白台に勉強を教えることなので、自然と俺は彼女の隣に座っていた。
向かいに座る春菜は一瞬不満げな顔をしていたが、すぐに勉強に取り掛かっている。
見た感じ、2人ともしっかりと集中して勉強しているようだった。
「お兄ちゃん、ちょっと質問なんだけど」
「はいはい、ちょっと待ってな。…どれどれ。あー、ここな。確かにここは難しいよな」
春菜の質問に答えるため、席を移動して今度は春菜の隣に座る。
彼女は夏休みに出た宿題を消化中だ。
意外と宿題も難しい問題が載っていたりするものだ。
今まさに春菜が苦戦している問題は、その1つに違いなかった。
「ここまでは解けたんだけど…」
「ああ、ここからなー」
こんな風に2人を同時に教えることも、塾講師時代は良くやっていたことだ。
個別指導では普通のことだし、俺の勤めていたところでは最大4人同時に教えていた。
なので今の状況は、本来なら大して苦でもないはずなのだがーー
「…センパイ、ここなんですが」
「おう、待ってな」
「…お兄ちゃん、この問題なんだけど」
「はいはい、今いくぞー」
「センパイ」
「お兄ちゃん」
「…………?」
何故か2人の間を絶えず行ったり来たりする。
確かに質問するのは良いことだと思う。
一番よくないことは、何が分からないのかが分からないことだ。
そこから多くの学生は勉強に対する苦手意識を持ち始めてしまう。
しかし、幾らなんでも質問が多いような気がするのは、気のせいなのだろうか。
せっせと席を移動する俺は、心境としては4人に教えているくらいの気持ちだ。
いつの間にか座るのもやめて、2人の間に立って交互に教え始める俺は、周りから見れば相当おかしく見えるに違いなかった。
「――よ、よし。一回ここまでにしようか」
「…うん、大丈夫です。センパイ、ありがとうございました」
「…よし、完璧。ありがとね、お兄ちゃん」
時計を見ると時刻はお昼をちょっと過ぎたところだった。
正直言ってかなり疲れた。
たった2人教えているだけなのに、こんなに疲れたのは今までで初めてだ。
それだけ、この2人の質問が多かったということだった。
面倒臭かったので途中から、2人の間の位置に置いていた椅子に座り込む。
最初からこうすればよかったのだが、まさかこんな質問の嵐になるとは思わなかった。
まあ、教える方としては先生冥利に尽きる、というものなのかもしれないが。
「それじゃあ、お昼にしましょうか。はい、センパイ」
「お、いつも悪いな真白台――」
「お昼にしよ。はい、お兄ちゃん」
「ええっ…」
いつも通り、俺の分の弁当を作って来てくれた真白台。
その弁当箱の横に、もう一つ弁当箱が置かれる。
ドヤ顔でそれを置いた妹を、俺は抗議の目線で見るが全く無視されてしまう。
一体春菜のやつ、何がしたいんだよ。
「…なるほど、そういうことですか。良いですよ、受けて立ちます」
「…見せてもらおうじゃない、貴女の実力」
何故か睨みつけ合う2人。
目線の先にはバチバチと火花が散っていた。
一体こいつらは何を争おうとしてるんだ。
「あの、2人とも一体どうしーー」
「「いいから食べて」」「ください」
「……はい」
有無を言わさない圧力に、俺は何も言えずそのまま2つの弁当を食べることにした。
まずは真白台の作ってくれた弁当。
いつも通り、どのおかずも絶品だった。
「…どうですか、センパイ」
「うん。いつも通り、めっちゃ美味しいよ」
「…そうですか、よかったです」
俺の言葉に、真白台はほっとしているようだった。
そして何故か挑発的な表情で春菜を見る。
こいつ、こんな表情も出来るんだな。
それを見た春菜は心底悔しそうな表情を浮かべていた。
いや、だからなんなんだよ、これ。
「お兄ちゃん、わたしのも食べてみて」
「お、おう」
まだ真白台の弁当が途中だったが、目の前に持って来られたので仕方なく春菜の弁当も食べる。
味付けは違えども、味自体は文句なしだ。
よく考えば春菜は明子さんとよく料理をしているわけで、美味いのも当然と言えば当然だ。
「…ど、どう?」
「ああ、文句なく美味いな。特にこの卵焼き、また上達したよな。めっちゃ俺好みだよ」
「そ、そうかな?えへへ」
顔を赤くして照れる春菜。
こんな小さなことでも喜ぶとは、愛い奴め。
照れる春菜とクールな真白台は、まさに対照的な存在だ。
今度はそんな真白台が、少し悔しそうな表情を浮かべる。
「…中々やりますね、桃園先輩」
「…真白台さんもね」
睨み合いながらも、互いの健闘を称え合う両者。
闘いの中に咲く、一輪の友情という華を、俺は垣間見たような気がした。
……いや、だからなんなんだよ、これは。
「5時になりました。まもなく閉館の時間ですーー」
「よ、よし…。き、今日はここまでに、するか」
「ふぅ。長文は大体コツが分かって来ました。センパイ、今日もありがとうございます」
「あーあ、疲れたぁ。でもこれで宿題、だいぶ進んだかな。ありがとね、お兄ちゃん」
「…2人とも、何よりで」
生き生きとして帰り支度をする彼女らとは対照的に、俺はだいふやつれていた。
あの質問責めを1日中喰らっていれば、誰だってそうなると思う。
結局、2人が争っていた理由は分からず仕舞いだが、お互い勉強が出来たのなら良しとしよう。
もう二度とやりたくはないが。
外に出ると相変わらずの蒸し暑さが俺たちを出迎える。
そして突然の着信音に驚きながらも自分の携帯を出すと、海斗から電話が掛かって来ていた。
「もしもし?」
「おう!久しぶり、元気にしてたか薫!全然繋がらないから心配したぞー!」
「久しぶりって、まだ1週間も経ってないだろ?多分今まで地下にいたから繋がらなかったんだと思う、悪かったな」
「そっか!あ、それはそうとさ、明日夕方から夏祭りがあるんだけど、行くだろ?」
「あー、夏祭りか…」
そういえば夏になると毎年、実家の近所では夏祭りがあったのを思い出す。
大した規模の祭りではないが、子供の頃はよく親や友達と一緒に行っていた。
もう最後に行ってから何十年経っただろうか。
「俺も悠花も夏の大会前の最後の息抜きってことでさ。薫も付き合えよなー!あ、勿論桃園さんも誘っておいてくれよ!詳細はまた連絡するから!」
「お、おい!もしもし!…ったく」
すでに通話が切れてしまった携帯電話を眺めながら、軽くため息をつく。
海斗とは死に戻りも含めると、かなり長い付き合いだが、こうなるともう止められない。
まあ特に予定もないし、参加することに異存はない。
ふと振り返ると、春菜と真白台も今の話を聞いていたようで、春菜は苦笑いをしていた。
この数ヶ月の付き合いで、春菜も海斗がどんな性格なのか、ある程度は理解しているようだった。
「今の電話、倉田君?声漏れてたけど」
「ああ、何か明日夏祭りやるから一緒に行こうだってさ」
「別に良いけど、本当にいきなりだよね」
呆れながらも承諾してくれる春菜も中々付き合いの良いやつだ。
すっかり放ったらかしにしていた真白台を見ると、なんだが複雑そうな表情をしていた。
「ん?どうした?」
「あ、いえ、なんでもないんです。そういえば最近、夏祭りとか行ってないなと思いまして」
「そうなのか。でも、真白台の家からもそんなに離れてないだろ?」
「ウチは弟妹いますし、母親も仕事なんで中々そういうところは行けなくて…」
「ああ、そっか」
遊びたい盛りが2人もいたら、確かに真白台1人だけで面倒を見るのは大変そうだ。
特にお祭りなんかでは迷子になる可能性もあるわけだしな。
そんなことを思っていると、じっと真白台を見つめていた春菜が、意外な言葉を口にした。
「……真白台さんも、一緒に行く?」
「…え?」
「だから、夏祭り。い、一緒に行かない?」
「春菜…」
少し緊張しながらも、春菜ははっきりとそう口にした。
そんな春菜の言葉に、真白台は驚いた表情をしながらも、ゆっくりと首を横に振る。
「…あたし、弟妹の面倒を見ないといけませんし」
「一緒に連れて来なよ。わたしたちだって4人いるんだし、一緒なら回れるでしょ」
「そ、そうかもしれないですけど…」
「それに、その…た、たまには‘お姉ちゃん’だって、遊んでも良いと思うし」
「…でも、良いんですか。迷惑じゃーー」
「め、迷惑だったら最初から誘わないから。……ね、お兄ちゃん?」
少し顔を赤くしながらも、春菜は一生懸命真白台を誘っているようだった。
そしてちらっと俺を見る。
春菜の言う通り、真白台だってたまには息抜きしないとな。
勉強ばっかりじゃ、真白台だって疲れてしまうだろう。
「…そうだな。海斗には俺から言っておくから、一緒に行こうぜ、夏祭り」
俺たちの言葉に、真白台は少し無言で悩んだ後、遠慮がちに返事をした。
「……分かりました。それじゃあ、ご一緒させてもらいます」
そう言った真白台の表情はなんだか嬉しそうで、やはり春菜が誘ったことは間違いではなかったと思う。
詳しい場所と時間は、またメールすることを約束し、俺たちは解散した。
帰り際に、もう一度春菜に礼を言う真白台と、それを気恥ずかしそうに受ける春菜。
なんだかそれが微笑ましくて、俺は黙ってそれを見ていた。
そして2人で夕焼けの帰り道を歩く。
「……ごめん、勝手に決めて」
「いや、誘って正解だったよ。真白台、喜んでたしな。しかし驚いたな」
「何が?」
「てっきり春菜は、真白台のこと、嫌いなのかと思ったからさ」
今日1日のあの争いを見て、俺はそんな風に思っていたが、どうやらそれは間違いだったようだ。
嫌いな奴を祭りに誘うなんてあり得ないことだしな。
だからこそ、春菜の行動に俺は驚いたのだが。
「別に、嫌いとかじゃない。ただ、お兄ちゃんが勉強を教えてる人が、どんな子なのか見たかっただけだし。それにーー」
「それに?」
そこまで言うと、春菜は夕陽を眺めながら小さい声で呟いた。
「…あんな寂しそうな‘声’を聞いたら、誘わなくちゃって、そう思ったんだもん……」
「ん?なんだって?」
「…何でもない!ただ、一緒に行ったらもっとあの子のこと分かるかなって、そう思っただけ!」
「…そっか」
「ちょ、頭撫でないでよね!?」
「いいからいいから」
春菜が何と言ったのかは聞き取れなかったが、彼女の優しさは十分伝わって来た。
そんな優しい妹の頭を、俺はよしよしと撫でる。
必死に抵抗する春菜は、ちゃんと他人のことを想いやれる良い妹に成長している。
そのことが、俺はすごく嬉しかったのだった。
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