34話「誰が為に使う“力”」


 俺の住んでいた街では毎年、夏祭りが開かれる。

 街の外れにある神社を中心に、通り沿いには様々な屋台が立ち並ぶ。

 神社の境内では軽い催し物が行われており、町内会の子供たちが太鼓を叩いたり、踊りを披露したりしていた。

 いつもは静かな神社も、毎年この日だけは近くの街からも人が集まり、大きな盛り上がりを見せるのだ。

 それだけに来場者も非常に多く、特に夕方からは多くの人が夏祭りを楽しみに来る。

 そんな人混みの中に、俺と春菜の姿はあった。

 待ち合わせの階段前で、俺たちは残りのメンバーが来るのを待っていた。


「すごい人だね…」

「まあ、毎年この日だけは混み合うからな」

 

 あまりの人混みを前にして、驚く春菜を横目で見る。

 長い黒髪はポニーテールでまとめられており、大きな目と整った顔立ちがはっきりと分かる。

 あの体育祭の日から、もう見慣れて来た彼女の髪型。

 そして今日はお祭りということで明子さんが張り切って、春菜に浴衣を着せてくれていた。

 淡い桜色の浴衣は、彼女のイメージにぴったりで思わず見惚れてしまう程だ。

 その証拠に先ほどから通りすがりの男たちがちらちらと春菜を見ている。

 確かに二度見してしまうくらいの魅力が、今の春菜にはあった。


「ふぅ…」

「どうだ、‘声’の方は?」

「…うん、今のところは大丈夫。少し聞こえてはくるけど、気にならない程度だし。お兄ちゃんの近くにいれば、全然平気だよ」

「そうか。もしキツくなったらすぐ言えよ?無理はするんじゃないぞ」

「うん、ありがと」

 

 そうやって笑顔で応える春菜は、彼女の言う通り大丈夫そうだった。

 こないだの海に続いて今度は夏祭り。

 ‘声’のせいで人混みが苦手な春菜だが、今回も俺の近くにいれば今のところは問題ないようだ。

 体質のせいで今までこういうイベントに参加できなかった彼女を不憫だとは思う。

 だからこそ、この笑顔を見るとやはり連れて来て正解だったなと、俺は思うのだった。


「おーい、薫―!桃園さーん!」

「お待たせー!あー!春菜可愛いー!」

 

 俺たちを見つけ駆け寄って来る海斗と佐藤。

 海斗は焼けた肌に甚平姿がよく似合っているし、佐藤の黄色い浴衣も元気いっぱいの彼女にぴったりだ。

 そんな佐藤は春菜に抱きついて、その姿を褒めちぎっていた。

 俺にも分かるぞ、その気持ち。


「おいおい、薫は普通の私服かよー」

「悪いな、あいにく俺はそういうの持ってないんだよ」

 

 そして隣に来た海斗の抗議を受け流す。

 正確には明子さんが買ってくれようとしたのを、断ったのだが。

 いくら高校生に戻ったからって、中身はもう20代後半なわけで。

 甚平なんて来たこともないし、今後着ることもないのだろう。

 こういうのは海斗みたいなスポーツマンが着るから似合うのだ。

 俺みたいなもっさり男子には、少し敷居が高い。

 そんなことを考えていると、通りの方から元気よくちびっ子2人が走って来るのが見えた。

 どうやら、これで全員が来たようだ。


「「お兄ちゃん、こんばんはー!!」」

「おお、来たか2人とも!あれ、真白台…お姉ちゃんはーー」

「ちょっと!2人とも待って!そんなに走らないの!」

「おう、真白台……なるほど」

「むむ、これは良いですなぁ!」

 

 弟妹を追いかけてきた真白台。

 そんな彼女を、俺と海斗は思わず凝視する。

 その理由は彼女が着てきた浴衣だった。

 雪を思わせる銀髪に合う、水色の浴衣。

 相変わらずの幼児体型で高校生には見えないが、それでも十分彼女の魅力が溢れている。


「はぁはぁ……すいません、遅れてしまって。ちょっと着付けに時間が掛かってしまって」

「いや、全然待ってないよ。俺たちも、今来たところだからさ」

「それなら良かったです。あの、どう、ですか…あたし」

「ああ、よく似合ってると思うよ」

「そ、そうですかーー」

「――まずは自己紹介から、しましょうか」

 

 ずいっと俺と真白台の間に割って入る春菜。

 真白台も一瞬たじろいだが、すぐにいつものクールな表情に戻った。


「…すいません、そうですよね。あたしは真白台冬香と言います。今日はお邪魔する形になってしまい、申し訳ありません。こっちが弟の晴人に、妹の桜です」

「「こんばんはー!!」」

「おう、こんばんは!俺は倉田海斗、よろしくなー!」

「私は佐藤悠花。3人とも、よろしくね!」

 

 わいわいと挨拶を交わす海斗たち。

 2人がコミュ力が高くて本当に助かる。

 メールで真白台のことを連絡した時も、二つ返事で了承してくれた辺り、本当に器が大きいというか。

 佐藤も持ち前の明るさで、早速真白台の弟妹たちと仲良くなっているようだった。

 そんな様子を見ていると、春菜がすっとこっちに近づいて来る。


「…よかったね、可愛い後輩の浴衣が見られて」

「おいおい、なんで拗ねてるんだ」

「別に拗ねてなんかないですけど?」

 

 ムッとして俺を睨み付ける春菜。

 いや、どう考えても拗ねているじゃないか。

 まあ、拗ねている理由は大体予想が付く。

 俺が真白台の浴衣だけ褒めて、春菜の浴衣を褒めていないからだろう。

 本当にこの妹は、普段は大人びているのにたまに子供っぽくなるんだよな。


「…春菜も、よく似合ってるぞ、その浴衣」

「は、はぁ!?な、何よ、急に!」

「いや、そう思ったから言っただけだ」

「そ、そう…ま、まあ別に気にしてないけど」

 

 怒りながらも照れる春菜はなんとも器用なやつだった。

 向こうの挨拶も済んだようなので、俺たちはいよいよ長い階段を登り始める。

 時刻はまさに夕暮れ時で、遠くから聞こえる祭囃子が俺たちのテンションを否応にも高めていくのだった。

























 この神社のお祭りでは、毎年境内とその通り道に様々な屋台が並ぶ。

 子供たちにとってはその一つ一つがとても魅力的に映る。

 俺も昔は、少ないお小遣いでよく何を買うか迷ったものだ。


「ねえねえ、あれ食べたいお姉ちゃん!」

「わたしはあれー!」

「良いけど、あんまり無駄遣いは出来ないから!2人とも考えて買うこと!」

「「はーい」」

 

 目の前の双子もその例に漏れず、さっきから色々な出店に目移りしていた。

 すぐに海斗や佐藤と打ち解けた2人は、何がいいか迷いながら一緒に先頭を歩く。

 たまに俺たちが買った食べ物を分けてあげて、それに真白台がお礼をいう。

 そんなやり取りが先ほどから、繰り返されていた。

 積極的に双子と遊んでくれる海斗と佐藤は、本当に面倒見の良い友人たちだ。

 そして俺はというとーー


「あ、お兄ちゃん!すごい、りんご飴だよりんご飴!あ、わたあめだ!大きいよ、ほら!」

「…はいはい、分かった分かった」

 

 横にいる子供みたいな、同い年の妹に手一杯になっていた。

 キラキラと目を輝かせてはしゃぎながら出店を見て回る春菜。

 ため息をつきながらも、俺は彼女がはぐれないようにする。

 まあ、これも今までの春菜の境遇を考えれば、無理もない。

 小学校高学年から今まで、春菜は‘声’のせいでこういう人混みには一切寄り付けなかったのだ。

 一番遊びたい、友達と色んなところに行きたかった時期を我慢して過ごした。

 そんな彼女がどんな気持ちだったのか、俺には想像もつかない。

 ただ、今笑っている春菜を見て、少しでも楽しんでほしいと思うのだった。


「――妹さん、ものすごく楽しんでますね。はい、センパイどうぞ」

「真白台、これは?」

 

 いつの間にか隣にいた真白台は、俺にかき氷を差し出す。

 真っ白な氷の上に、青色のシロップが掛かったそれは中々に美味しそうに見えた。


「あたしの奢りです。今日誘ってくれたお礼なので。遠慮せず受け取ってください」

「…そっか、それじゃあ遠慮なく」

 

 断っても譲らなそうな真白台を見て、俺はありがたくお礼を受け取ることにする。

 見れば真白台も赤いシロップが掛かったかき氷を食べていて、水色の浴衣とよく似合っていた。

 目の前でたこ焼きを必死に頬張る弟妹たちを優しい眼差しで見つめながら、真白台はゆっくりとスプーンを口に運ぶ。

 その動作に、普段の彼女とは違う、色気のようなものを感じて俺は思わず目を逸らしてしまうのだった。


「…センパイ、今日は本当にありがとうございます。妹さんにも、本当に感謝してます」

「ああ、別に気にするなよ。俺たちも大勢の方が楽しいしさ。海斗も佐藤も、結構子供好きなんだよ」

「…あたし、夏祭りなんて久しぶりで、あの子たちが大きくなるまでは無理かな、なんて思ってました」

「大変だもんな、真白台のとこ」

「はい。ウチはその…貧乏で、父親も早くに亡くなって、母一人であたし達3人を養ってくれてるんです。だから、我儘なんて言えませんし」

「そうだよな」

 

 淡々と話す真白台の言葉を、俺はなるべく聞き逃さないようにする。

 夏祭りの喧騒の中、まるで独り言のように話を続ける彼女の声を、聞く。


「なのであたしは良い大学に行って、良い会社に就職して、いっぱい稼いで母に楽させたいんです。そのためには、とにかく勉強する必要がある。だから、必死に勉強したんです」

「…ああ」

「でも、本当は辛くて……限界、だったのかもしれません。学校でも馴染めないで、いつも1人ぼっちで。だからあたし、本当に救われたんです。……センパイが、あたしを救ってくれたんです」

「…そうか」

「今日も、この時間も本当に幸せです。センパイに出会えなかったら、こんな時間は過ごせませんでした。だから、その……これからもあたしに、勉強を教えてください」

 

 そう言って、灰色の瞳で真白台は俺を見つめる。

 彼女のことを、俺はまだそこまで知らない。

 でも‘教え子’に言うべきことは最初から決まっているのだ。

 それが塾講師としての俺のポリシーだから。


「当たり前だろ。俺は1度教えた生徒は、最後まで教え切ることにしてるんだ。真白台だって、例外じゃない。これからはもっと厳しく行くからな。むしろ覚悟しろよ?」

「…はい。よろしくお願いしますね、センパイ」

 

 クスッと笑う真白台は、浴衣のせいもあってか、いつもよりずっと可愛く見えた。


「ああ!お兄ちゃんかき氷食べてる!真白台さんもー!」

「はいはい、桃園先輩にも今ご馳走しようと思ってたところですよ。今日のお礼です」

「え、本当?…あ、ありがとう」

 

 両手に、わたがしとりんご飴を持ってお礼を言う春菜がおかしくて、俺たちはつい笑ってしまい、春菜を怒らせてしまうのだった。




























 境内へ続く通路を越えた先には、催し物の会場がある。

 ひとしきり屋台を楽しんだ俺たちは、今何がやっているのかを見物に行くことにした。


「しかし、すごい人だな…」

 

 辺りはもうすっかり暗くなり、屋台や境内の灯りがキラキラと輝いている。

 それに比例してか、見物客の数も段々と多くなって来ていた。

 特に境内へと続く通路は、両脇に屋台も並んでいることから、かなり混雑している。

 その人の波を掻き分けて、俺たちは目的地の境内まで進んでいく。


「こりゃ下手したらはぐれるな……ってあれ?」

 

 気が付けば周りに居たはずの海斗たちの姿が見えない。

 どうやら本格的にはぐれてしまったようだ。

 まあ目的地は事前に決めている。

 俺一人なら焦らなくともその内、境内に辿り着けるだろう。

 問題は、真白台たちだ。

 確かついさっきまで、春菜と真白台が双子の面倒を見てくれていたはずだ。

 ちゃんとはぐれずに、この人波を乗り越えていると良いのだが。

 そんな心配をしながら数分して、ようやく境内に辿り着いた。

 そしてすぐに駆け寄って来る春菜の表情を見た時、嫌な予感が当たってしまったことを、俺は悟るのだった。


「お兄ちゃん!さ、桜ちゃん見なかった!?」

「いや……はぐれたのか?」

「ご、ごめん…わたしが人混みで、そのパニックになっちゃって、手を、は、離しちゃって…!」

「桃園先輩のせいじゃ、ありません。急に横から押されてはぐれちゃったんです。なんとか晴人は大丈夫でしたが、桜が…」

 

 顔面蒼白になって話す春菜を、冷静な顔をして庇う真白台の手は、微かに震えていた。

 心配じゃないはずがない。

 きっと真白台は、誰よりも今自分自身を一番責めていた。

 春菜の‘体質’のことは俺しか知らない。

 俺がもっとしっかりしていれば、こんなことにはならなかったはずだ。


「大丈夫。そこまで大きなお祭りじゃないから、桜ちゃんもすぐに見つかる。今海斗が本部に迷子が来てないか、聞きに行ってくれてるから。ね?」

「…はい、ありがとうございます、佐藤先輩」

 

 諭すように真白台を励ます佐藤の言う通り、このお祭りはそこまで大きくはない。

 だからしばらくすればきっと真白台の妹は見つかるだろう。


「わたしの、せいだ。わたしが、もっと、強ければ…」

「春菜…」

 

 それでも春菜は責任を感じずにはいられないようだった。

 自分が手を離さなければ、そんな風に思っているに違いない。

 俺は俯く春菜に、なんて声を掛ければ良いか分からず、隣で立ち尽くすしかない。

 しかしそんな俺とは対照的に、すぐに春菜は顔を上げ俺を見つめる。

 その目に確かな決意が灯っているのを、俺は見た。


「……お兄ちゃん、お願いがあるのーー」
























「薫、借りて来たぞー!一応、本部の人の許可も取って来たけど、本当にやるのか?」

「ああ、一刻も早く桜ちゃんを見つけたいしな。それにーー」

 

 俺は海斗が借りて来てくれた拡声器をじっと見つめる。

 そして、少し遠くにいてこちらを伺っている春菜に合図を出した。

 それを見た春菜はゆっくり頷いた後、自ら人混みへと飛び込んでいく。

 そしてそれに佐藤も続いていった。

 後は俺が役目を果たすだけだ。


「それに、大声を出すのは俺の得意技だからな」

「センパイ、そこまでして貰わなくても…」

 

 弟の手を握りながら、なんとか平静を保とうとする真白台。

 でもその瞳は、不安で揺れていた。

 普段クールだからこそ分かる、彼女の動揺や不安。

 そんな真白台を安心させるためにも、今俺が出来る最前を尽くさなくちゃならない。


「大丈夫だ、真白台。これですぐに見つかるからな」

「センパイ…」

 

 俺はゆっくりと境内の入り口に立つ。

 階段のすぐ下の通路は相変わらず人混みで埋め尽くされていた。

 拡声器のボリュームを上げて、大きく息を吸い込んでーー


『すいません!迷子を探しています!小学生くらいの女の子で、赤色の浴衣を着てます!髪型はーー』

 

 思いっきりその人混みに向かってアナウンスをした。

 多くの人は一瞬こちらを見て、そしてすぐに視線を戻す。

 誰もそれ以上の反応はしてくれない。

 それでも俺はそんな不毛なアナウンスを繰り返した。

 もしかしたら、誰かが居場所を教えてくれるかもしれない。

 口にしなくても桜ちゃんの姿を見ていれば‘心の中で思う’かもしれない。

 思えば、それは心の‘声’となって春菜に聞こえる。

 そしてそれを辿ればきっと桜ちゃんに辿り着くはず。

 それが春菜の提案だった。

 でもそれは、春菜が自ら大衆の心の声の中に飛び込むのと同義だ。

 俺は彼女の提案を一度は止めたが、春菜の覚悟は変わらなかった。

 責任を感じている。

 そしてそれ以上に自分の弱さを悔いているようだった。

 春菜は多分生まれて初めて、誰かのために‘自ら力を使う’ことを選んだのだ。

 そんな彼女の決意を、俺は断ることが出来なかった。


「――よし」

「どうだ、感触は?」

「…分からん。少し待って連絡がなければ、また繰り返すだけだ」

 

 数十秒待ってまたアナウンスを繰り返す。

 それを3回ほど繰り返した時、海斗の携帯が鳴った。

 その内容を聞いた俺たちは、真白台には待っていてもらい、すぐに境内を降りて通路を引き返す。

 ちょうどりんご飴の屋台があった場所の横道で、俺たちは電話をくれた佐藤と合流した。


「ど、どうだ佐藤!み、見つかったのか!桜ちゃんはーー」

「落ち着きなよ、薫!……ほら、あそこ」

 

 佐藤が指差した先には、泣きじゃくる桜ちゃんを抱きしめる、春菜の姿があった。

 春菜は息も上がり、すぐに分かるほど大量の汗をかいていて、今にも倒れ込んでしまいそうなのを必死に我慢しているようだった。


「桜ちゃん!良かった…!春菜、大丈夫か!?」

「……お、お兄ちゃん。ありがと、おかげで、わたし、見つけた…。見つけられたよ…」

「…ああ。本当に、大した奴だよ、お前は」

「え、へへ…」

 

 へろへろになりながらもゆっくりと笑う春菜の頭を、俺は労うように何度も撫でるのだった。


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