31話「お弁当と後輩」
7月中旬。
俺たちが住むこの街にも、本格的な夏が到来していた。
外を歩くにも連日の猛暑のせいで、必然的に大量の汗をかく。
そんな地獄の中、俺は駅前広場から少し歩いたところにある、市民センターに来ていた。
地下一階、地上二階建ての計三階建てのこの建物は、地上部分ではシンポジウムや講演会などのイベントを定期的に開催している。
そして地下部分は無料の開放スペースとなっており、大きな空間にテーブルと椅子が配置されていた。
自動販売機やトイレなどもあり、飲食が出来ることから子供やお年寄りなどの憩いの場所になっている。
この気候もあり、今日は特に冷房を求めて来た子供たちの遊び場になっていた。
皆で集まってゲームをしたり、話をしたり。
その中に俺の姿はあった。
そして向かいの席には、肩まで掛かるセミロングの銀髪を少し邪魔そうに払いながら、黙々と勉強している真白台冬香がいる。
「…えっと、ここが3ってことは……うーん、と」
目の前の彼女は難しい顔をして教科書と絶賛格闘中だ。
パラパラと彼女が持ってきた参考書を眺めるが、やはり難関私立高校。
授業のスピードは俺たち公立高校のカリキュラムよりも半年、いや下手すればそれ以上早い進行のようだった。
聞けば真白台は特進クラスという、桜陽附属でもトップのクラスに在籍しているようだ。
私立の難関高は大学受験のため、特に上位のクラスは遅くても2年生の段階で3年生までの内容を全て網羅してしまうらしい。
この参考書も既に2年生用の物で、真白台がいかにハイレベルな環境で勉強しているのかが伺えた。
「うーん、と。あれ?ここが3だと違う?ってっことは…」
ぶつぶつと頭を悩ませながらペンを走らせる真白台。
特徴的な銀髪と、灰色の瞳。
そして整った顔立ちはまさに美少女だった。
ただ、150センチもあるか怪しい身長と、全く女子高生を感じさせないスタイルのせいで、周りに積まれている参考書類とのギャップがより強調されている気がする。
まあ、これを話すと絶対に彼女を怒らせることになるので、死んでも口には出さないのだが。
「……ああ、ここに代入するんだ。そうすれば…うんうん…」
そして何よりの違和感はなぜ俺たちがこうやって一緒にいるか、ということだ。
事の発端は、先日の海水浴の帰り。
正確には家に着いてから気が付いた、彼女からのメールだった。
要約すると、勉強を教えてほしいという彼女のメールに応える形で、俺たちは今日この市民センターに朝からいるのだ。
俺はすっかり忘れていたのだが、以前出掛けた時に俺は彼女に無くした携帯を探すのを手伝って貰っていた。
そして今日のこれはそのお礼、というわけだ。
しかし何故知り合って間もない、しかも学校も違う俺なんかを彼女は頼ったのか。
同級生にも頭の良い奴なんて幾らでもいるだろうに。
でもそれをいちいち聞くのは失礼のような気がしたので、やめておく。
何よりここは俺の数少ない得意分野の1つだ。
お礼としてやるのであれば、誠心誠意応えなくてはならない。
「…よし、出来た」
「オッケー。じゃあ見せてくれ」
「お、お願いします」
真白台は、何故か若干緊張した面持ちで俺にノートを渡す。
いつもはクールで生意気な後輩の、意外な一面に少し驚きつつも、俺はノートに目を通し解説を始めるのだった。
「――よしっ、とりあえず午前中はここまでにしようか」
「ありがとう、ございました…」
「はは、ちょっと詰め込みすぎたかもな」
頭から煙を出して机に突っ伏す真白台。
もうかれこれ4時間ほど、ぶっ通して勉強していたことになる。
夏季講習でもこんなスケジュールはしてないわけで、相当疲労が溜まっているようだった。
よくもここまで文句も言わずやったものだ。
流石、難関私立に合格するだけはある。
集中力もさることながら、彼女の記憶力はずば抜けて高かった。
公式なんて1発で覚えてしまうくらいだ。
本人は数学が苦手という話だったが、しっかりパターンをこなせば類似の問題でもそれを応用して解けるようになるだろう。
比べるのは可哀想だが、いつも教えている春菜たちとは次元が違っていた。
俺が過去に教えていた生徒の中でも、おそらくトップクラスの才能の持ち主に、違いない。
「……センパイ、本当に勉強出来たんですね」
「おいおい、信用してたから声を掛けてくれたんじゃないのかよ」
「まあ、半分くらいは信用してましたけど。期待外れだったら、すぐに帰れば良いだけなので」
「これはまた手厳しいな」
「まあ、期待以上ですよ。正直。助かります」
「お、おう。それなら良かった」
素直にお礼を言って頭を下げる真白台。
毒は吐くくせに、こういうところは律儀だったりするのだ。
高校1年生にしては、目の前の彼女はかなりしっかりしていた。
「じゃあ、お昼ご飯にしましょうか」
「そうだな。コンビニは確か道路の向こう側にあるから、交代で飯買ってーー」
「何言ってるんですか。お弁当、ありますから良いですよ」
「ああ、真白台は弁当持って来たのか。それじゃあ俺だけ買ってくるよ」
「ありますよ」
「えっと、え?」
「センパイの分も、お弁当作って来ました。お礼とは言え、勉強を教わる側ですから。これくらいはさせてください」
そう言って彼女は、当然のように机の上に2つ弁当箱を置いた。
どうやら俺の分も弁当を作って来てくれたようだ。
一体どれだけ律儀なのだろうか、この後輩は。
「…これ、食べて良いのか」
「当たり前ですよ、センパイの分ですから。…別に嫌なら食べなくても構いませんが」
「いや、ありがたく頂くよ。本当にありがとう」
「大袈裟ですよ。自分のを作ったついでなんで、気にしないでください。それより早く食べましょ。いただきまーす」
「い、頂きます…」
2段の弁当箱の上を恐る恐る開けると、そこにはお弁当の定番メニューが詰め込まれていた。
唐揚げにプチトマト、ほうれん草のお浸しにきんぴらごぼう。
そしてしっかりと形を保った黄金色の卵焼き。
まさに理想のお弁当がそこにはあった。
「センパイが好きな物とか分からなかったので、適当に作りました。苦手な物とか、ありました?」
「全然平気。というかこの唐揚げめっちゃ美味いな!それに卵焼きも絶妙だ!」
「そんなに大袈裟に喜ばなくても良いと思いますけど……まあ褒め言葉として受け取っておきますね」
クスッと笑う真白台。
彼女の料理レベルがかなり高いことが、この弁当から推測出来る。
それくらい、どのおかずも絶品だった。
春菜の卵焼きも美味いが、彼女のそれは出汁の味が出ておりまた絶品だった。
俺の食べっぷりを見ていた真白台も、その姿に安心したようで箸を進める。
いつもは生意気な彼女の、新たな一面に新鮮さを感じながら、俺は昼を過ごす。
また昼休憩が終われば勉強の再開だ。
この弁当の分も、しっかり恩返ししないとな。
「……なるほど、分かりました。ここはそうやって解けば早いんですね」
「そうそう。真白台のやり方でも解けなくはないけど、こっちの方が慣れれば断然早いし、何より計算式が少ないから、凡ミスも減らせる」
「そうですね、ちょっとこの方法でもう一度解いてみます」
俺のアドバイスを聞いて、また熱心に机に向かう真白台。
彼女は変なプライドもなく素直に言われたことを吸収していくタイプだった。
普通、ある程度勉強が出来るとそれだけプライドもあり、他人の指摘を素直に受け取れない学生も少なくはない。
しかし彼女に関してはその心配は全くする必要がなさそうだ。
そう意味でも真白台は、とても教え甲斐がある生徒のように思えた。
「――5時になりました。まもなく、市民センターは閉館します」
流れるアナウンスで、時計を確認すると時刻はもう午後5時を指していた。
午後もなんだかんだ言って4時間以上、休みなしで勉強していたことになる。
本当に恐ろしいほどの集中力だ。
特待生枠であの桜陽附属に受かったポテンシャルは、半端ではない。
「……ふぅ。ちょうどキリが良いので、これくらいにしておきましょう」
「そうだな。今日だけでかなり進んだぞ。よく頑張ったな、真白台」
「センパイこそ、一日中付き合わせてすいませんでした」
ふと周りを見渡すと、もう人はほとんど残っていなかった。
俺たちもすぐに片付けをして、市民センターを後にする。
外は午後5時でもまだ明るく、カラッとした暑さが残っていた。
「今日はありがとうございました。センパイのおかげで、かなり分かるようになった気がします」
「こないだのお礼だし、気にすることないよ。それに弁当も作って貰っちゃったからな。これ、洗って返せばいいだろ?」
「あ、大丈夫ですよ。あたしが洗っておきますし、いちいち返しに来てもらうのも申し訳ないんで」
「これくらいさせてくれよ。それに次に勉強する時に返せば良いだけだろ?」
なんとなく言った俺の言葉に、真白台は驚いたような表情をしていた。
俺、なんか変なこと言ったのだろうか。
「…あの、また教えて貰っても、良いんですか?」
「あれ、俺はそのつもりだったんだけど、違ったか?」
「ち、違いません!……あの、そうです。また、お願いします」
「ああ。俺も教えるからにはちゃんと理解するまでは付き合う義務があるからな」
「義務って、なんですかそれ」
夕陽を浴びてクスッと笑う真白台は、中々絵になっていて俺は思わず見惚れてしまう。
今日1日で知ったクールな後輩の違った一面。
勉強のお礼がそれなら、こんな時間を過ごすのも案外悪くない。
「じゃあ、あたしはここで。ちょっと寄るところがありますから」
「おう、じゃあ時間ある時また連絡してくれ。気をつけてな」
「はい。センパイ、今日は本当にありがとうございました!それじゃあ、また」
そう言って真白台は駆け足でその場を後にした。
こんなことでも誰かの役に立てるなら、塾講師をしていた甲斐があったというものだ。
俺も真白台の背中を見送ってから、家路へと急ぐのだった。
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