3章「真白台冬香は忘れない」
30話「海と焼きそばと彼女」
夏。
暦上は7月に入り、季節は夏真っ盛り。
日に日に陽も伸びて行き、セミの合唱も昼夜問わず聞こえて来る今日この頃。
空に広がる雲ひとつない大空は、今日が絶好の海水浴日和であることを、俺に教えてくれていた。
目の前の青い海を見れば今すぐにでも駆け出して泳ぎたい、そんな気分になって来る。
現に俺は先週の学校帰り、駅前にあるショッピングセンターで購入した海パンを着用済みだ。
隣にいる海斗も同じく、準備万端で今すぐにでも海に飛び込める状態だった。
しかし俺たちの両手には大量の荷物。
2人ともこのまま海に入ることなどどう考えても不可能であった。
「しかし、女子の着替えっていうのはどうしてこうも遅いものかねー」
「まあ仕方ないだろ。俺たち男と違って、上下着ないといけないわけだし、日焼け止めとか、そういう対策も念入りだろうしな」
「え、薫日焼け止め塗ってないのかよ。将来シミとか出来て後悔するぞ」
「ああ、それは大丈夫。理由は言えないが、絶対その心配はないな。というか海斗、お前はすでに部活の練習で焼けてるだろうが」
「海は別だろ?特に焼けるっていうしな。それにちゃんと部活の時も日焼け止め塗ってるんだよ」
親指を立てて笑顔で応える海斗は、どうみても真っ黒だった。
まあサッカー部もこの夏の大会に向けて毎日練習続きのようなので、海斗がこんなに黒焦げなのも納得出来る。
そしてまさにその海斗の提案によって俺たちは、駅で30分程行ったところにあるこの海水浴場に来ていた。
7月も中旬。
ちょうど夏休み初日ということもあり、周りは人でいっぱいだ。
社会人になってから一度も海なんて行ったことのない俺にとっては、懐かしさを通り越して新鮮ですらある。
よく考えれば塾講師という仕事の性質上、夏休みは夏季講習、つまり仕事真っ盛りであるわけだ。
どうりで来たことがないはずだった。
「おーい!お待たせー、待った?」
「全く遅いぞ悠花……ほう、これは中々…」
少し申し訳なさそうな顔をして女子更衣室から出てきた佐藤。
その引き締まったスタイルに、ハイネックタイプのビキニはピッタリだった。
ネイビー系の色も焼けた健康的な佐藤の肌にマッチしており、より一層彼女の魅力を引き立てている。
「…なにジロジロみてるのよ」
「いや、正直かなり似合ってるな、悠花!めっちゃ可愛いよ」
「は、はぁ!?い、いきなりやめてよね!海斗の馬鹿!変態!」
「はぁ!?俺は正直な感想を言ったまでだろうが!」
「おいおい…」
全くこのバカップルは。
いや、正確にはまだカップルではないのだが、もうみなすカップルだ。
毎回この夫婦漫才をしないと気が済まないのだろうか。
これで正式に付き合うのが、俺の知る歴史通りならまだまだ先なのだから、どうしようもなく面倒臭い2人だった。
とっとと付き合えと何度思ったことか。
「…ご、ごめん。更衣室混んでて時間掛かっちゃって…」
「おう、そんなに待ってないから大丈夫だぞ、はる…な…」
そして後ろから聞こえてきた妹の声に振り返ると、そこには俺の知らない妹がいた。
まとめられた黒髪のポニーテール。
パレオと呼ばれるスカートのような水着は中々可愛らしく、薄い緑色のチョイスも彼女に似合っている。
しかし何よりも目立つのは高校生らしからぬボリュームを持つ胸を包む、ビキニだった。
以前から気がついてはいたが、春菜は胸に関して、日本人女性を敵に回すだけの質量を持っている。
「ど、どう、かな…?」
「あ、ああ。めっちゃ似合ってると思うけど」
「よ、良かったぁ…。こないだ学校の帰りに友達に選んで貰ったんだけどね、わたし水着なんて学校以外で着たことなかったから心配でーー」
俺の返事に、恥ずかしそうにしながらも安堵する春菜。
そうか、こないだ怒っていた買い物の正体はこの水着だったわけだ。
確かに兄貴に水着を買いに行く、なんて言いにくいもんな、反省反省。
と、現実逃避している場合ではない。
春菜が動くたびに揺れる胸のせいで、先ほどから多くの男たちがちらちらと通り過ぎざまにこちらを見て来るのだ。
無防備な春菜は全く気が付いていないようだが、これは最早凶器レベルだった。
「――でもパレオタイプだから恥ずかしくないかなって思って、これにしたんだ」
――春菜さん、隠すべきは下ではなくて上ですよ、上!
「着たことなかったけど、似合ってるならよか……った…」
「ん?……ああ、そうだよな」
急に顔を真っ赤にして俯く春菜。
どうやらようやく周りの‘声’が聞こえてきたようだったが、この状況なら俺だって周りの男たちがどう思っているのかくらい分かる。
本当に女子高生のノリは恐ろしいよな。
確かに似合っている。
完璧に似合っているのだが、水着初心者の彼女には、ちょっとハードルが高い気もする。
なので俺はカバンからそっと薄手のパーカーを出して、春菜に放ってやった。
「それ、水に濡れても大丈夫なやつだから海に入るまでは着てろよ」
「あ、ありがとう…」
「おお、森園さんも来た……うん、いいね!とっても…いだぁ!?なにすんだよ悠花!」
「別にぃ?ほら、薫似合うでしょ、春菜の水着!」
恥ずかしそうにする春菜は、それでもやはり恐ろしく似合っているので俺は改めて言ってやることにする。
「おう、正直見惚れたよ、本当に似合ってる。自慢の妹だな」
「ちょっ!?ば、馬鹿じゃないの!?」
夏休み初日。
快晴の海辺で、俺たちの夏休みがまさに始まろうとしていた。
「じゃあ俺ちょっと焼きそば買って来るわ」
「オッケー。こっちは飲み物買って来るねー。海斗は荷物番よろしく!」
「了解!早く帰ってこいよなー!」
どかっとビーチパラソルの下に座り込む海斗を横目に、俺は人数分の焼きそばなどの昼飯を買いに海の家に向かう。
飲み物は春菜と佐藤に任せることにした。
女子2人だとナンパされるか少し心配ではあるが、佐藤がいるので大丈夫だろう。
しかしなんで海で食べる焼きそばとかって美味しいのだろうか。
何か補正が掛かっているに違いない。
案の定、結構な列が出来ており、10分ほど待ってようやくカウンターまで辿り着くことが出来た。
そして俺は店員に注文しようとしてーー
「えっと……あ」
「ご注文をどうぞ……久しぶりですね、センパイ」
売り子として働く真白台冬香に遭遇したのだった。
セミロングの銀髪に灰色の瞳。
そして今日はスタッフの格好である、白いTシャツにホットパンツを履いていた。
「こんなとこで何してんだよ、真白台」
「見て分かりませんか?バイトですよ、バイト。海の家って日雇いで結構稼げるので。それで、御注文は?」
「あ、ああ。焼きそばを4人前とーー」
慣れた手つきで会計を済ませていく真白台。
しかし、いつもバイトしている気がするな。
まあ本人が自分からやっていることだし、そこまで気にする必要もないのだが。
何も夏休み初日からバイト三昧しなくても良いとも思う。
「そういえば、センパイは1人でここに?」
「あのな、4人前頼んでただろ、焼きそば。それに1人で海には来ないよ」
「いいんですか、勉強しなくて。せっかくの夏休みなのに遊び呆けていたら、あっという間に受験生ですよ」
「心配してくれているところ悪いがな、俺はこないだの定期テストも学年4位だったから大丈夫なんだよ。それに1日くらい遊んだって平気だろ?」
これは事実だ。
夏休み直前に行われた定期テストで俺は1つ順位を上げて4位になった。
ちなみに1位は大塚さんだったので、これは流石と言わざるを得ない。
勿論、真白台の言うことも一理あるのだが、勉強はメリハリが大事だと思う。
だからたまには息抜きも大切なのだ。
そんな俺のプチ自慢を聞いた真白台は、失礼にも大層驚いた顔をしていた。
「…センパイって、頭良かったんですね」
「まあな。他人に教えて赤点を回避させるくらいには、やってるつもりだよ」
これもまた事実。
今回も海斗が特に危なかったが、なんとかヤマを当てて赤点を回避していた。
塾講師時代のスキルが光る数少ない機会の1つだ。
「教えるのも得意、と。……先輩、あのーー」
「はーい、焼きそば4つとフランクフルト2本でお待ちのお客様―!」
「ああ、ありがとうございます。じゃ、またな真白台!バイト頑張れよ!」
「あ、ちょっと!」
また列が混み出したようなのでさっさと退散することにする。
真白台が何か言いたそうだったが、これ以上バイトの邪魔をしても悪いしな。
腹を空かせた仲間のために、急いで帰ることにした。
「いやぁ!遊んだ遊んだ!」
「いてて…。ちょっと日焼けしちゃったかもなー」
「お兄ちゃん、半分持つよ」
「おお、悪いな春菜。じゃあこっちを頼む」
夕方。
俺たちは着替えて海水浴場を後にする。
久しぶりに海に遊びに来たが、やはり自然というものは良いものだ。
横で歩く妹の、胸の揺れがかなり気になったが、俺が貸したパーカーのおかげで何とか無事に済んだ。
ナンパに関しても結構な数されそうになったらしいが、全て佐藤が蹴散らしたらしい。
流石姉御肌と言ったところか。
普段より人が多い環境だったので、‘声’に関して少し心配だったが、俺が近くにいることで最小限に抑えられたようだった。
後ろで歩く海斗たちに聞こえないように、春菜がそっと俺に話しかけて来る。
「今日は、ありがとう」
「ああ、パーカーのことか。別に気にしなくて良いぞ。俺も妹の素敵な水着姿が見られて眼福だったしな」
「そ、そうじゃなくて!いや、パーカーも感謝してるけど、海のこと!連れて来てくれて、嬉しかった」
「まあ元は海斗の提案だけどな」
「それでもね、わたし、海なんて絶対行けないと思ってた。一生行くことなんてないって諦めてたの。だから、本当にありがとう」
笑顔でそう言う春菜は、本当に幸せそうだった。
こんな無防備な笑顔を向けてくれるくらいには、俺は信用されている。
それが嬉しかったし、もっと彼女に今まで出来なかった、諦めていたことをしてほしいとも思うのだ。
「こんなんで満足するなよ。せっかくの夏休みだぞ?もっと、色んなところに行こうな」
「…うん!」
俺自身も久しぶりの海だった。
こうやって妹と、友達とまた青春をやり直せる。
その奇跡に感謝しつつ、俺たちは夕陽で染まった海辺を後にする。
今度はどこに行こうか、そんな話をしながら。
だからなのか、家に着くまで俺は自分の携帯に届いているメールに、全く気が付かなかった。
―――――――――――――――――――――
from:真白台冬香
Sub:無題
本文:こないだのお礼の件だけど、勉強、教えてほしい。返信待つ。
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そして、これが俺の家庭教師生活の始まりになることを、その時はまだ知る由もなかった。
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