断章2「穴来命の生涯」


 私が彼、四宮薫のことを知ったのは、彼の死後のことだった。

 葬式に参列した私に、彼の両親は親切にしてくれた。

 私が息子を殺したも同然なのに、それなのに2人とも決して私を責めることはしなかった。

 そして何度も繰り返し謝る私を、そっと抱きしめてくれたのだ。


「薫も、誇らしいと思うよ。穴来さんを助けることが出来たんだから」

「でも、私…!」

「だから、貴女が気にする必要なんて、全くないの。薫くんも、きっと同じことを言うと思うから」

「……はい」

 

 この時私は、生まれて初めて人の優しさに触れた。

 皮肉にも彼の死が、人の温かさというものを私に教えてくれたのだった。

 彼について多くを聞くことは出来なかった。

 でも彼が息を引き取る間際のあの表情とあの言葉。

 その理由については少し分かる気がした。

 どうやら四宮薫には妹さんがいたそうだ。

 ‘いた’、つまりもう今はいない。

 随分前に亡くなったらしく、彼はそのことで今も深く傷付いていたようだった。

 一体2人の間に何があったのか。

 何故妹さんは亡くなったのか。

 そこまで詳しくは、こんな状況なので聞くことは出来なかった。

 ただ彼は今でも妹の死に、かなりの責任を感じている、そう彼の両親は話してくれた。

 四宮薫は、命懸けで私を助けてくれた。

 それは、妹への贖罪だったのかもしれない。

 助けられずに死なせてしまった妹の影を、私に重ねていたのだろうか。

 死に際に発したありがとう、という言葉には私が考える以上の重みがあるように感じた。

 でも、もう二度と聞くことは出来ない。

 なぜなら命の恩人であるはずの彼は、もうこの世にはいないのだから。


























「……寒いな」

 

 あの事件。

 私が通り魔に襲われた事件から、2週間ほどが経った。

 あんな事件があっても、私の人生は何も変わらない。

 私は命を救われたのに、それでも未来に希望を持てずにいる。

 穴来家の人たちの、私に対する接し方は事件があっても一切変わることはなかった。

 むしろ、なぜお前が生きているのか。

 死ねば穀潰しが減ったのに。

 人様に迷惑をかけるんじゃない。

 そんな罵声と共に、私の身体の傷は増える一方だった。

 葬式の後、結局私は一度も四宮家を訪ねてはいない。

 せっかく四宮薫が命を懸けて助けてくれた日常を、私はこうやって無駄に浪費している。

 買い出しに行かされている今だって、考えていることはずっと現実逃避。

 家に帰ってもまた‘道具’としてゴミのように扱われるだけだ。

 逃げたい。

 今すぐここから逃げ出したい。

 そんなことを考えてしまう。

 だからなのだろうか。見覚えのある顔が、また私の前に現れる。


「……………え」

「はぁはぁ…。お、お前の、お前のせいだ。俺は、こ、こ、殺すつもりなんて、な、なかったんだ!な、なのにお前の、せ、せいで…!」

 

 目の前に現れた通り魔は、あの時よりもさらに血走った眼で私を睨み付ける。

 そうだ、まだ彼を殺した通り魔は捕まっていない。

 つまりこの男は、私に復讐しに来たということ。

 その瞬間、一気に汗が吹き出るのを感じる。

 目の前の男は、あの時と同じく右手に、鈍く輝くナイフを持っている。

 叫ばなきゃ。

 逃げなきゃ。

 そう思うのに、身体は言うことを聞いてくれなかった。


「お、お前のせいでぇ!!」

「う、うああぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!」

 

 そこからは、ただ一心不乱だった。

 振り下ろされたナイフをなんとか躱して、揉み合う。

 でも力では敵わない私はあっという間に組み伏せられて、ナイフが目前に迫った。

 結局、私は殺されてしまうのか。

 だとしたら、彼のしてくれたことは無意味だったということだ。


 ――彼の、四宮薫の人生が、無意味だった。


 そう思った瞬間、私の中に今まで感じたことのない衝動が生まれた。

 復讐するのは、この男じゃない。彼の仇は私が取る。

 私が、私が、私がーー


「し、死ねーーっが!?」

「うわぁぁぁぁぁぁぁあ!!」

 

 咄嗟に男の股間を蹴り上げる。

 そして悶絶するそいつからナイフを奪った私の中に、感じたことのない憎悪が満ちていく。

 やるなら今しかない。

 復讐するなら、殺すなら……今しかーー


「こ、このアマーーい、いでぇぇぇぇえ!!?」

「あ、あぁぁぁぁぁぁぁあ!!」

「ま、まてーー」

 

 そこからはよく覚えていない。

 自分が何をしているのか。

 恐怖で頭がおかしくなってしまったのかもしれない。

 私はただ叫びつつけた。

 怒りを、恐怖をぶつけ続けた。

 こいつのせいだ。

 こいつのせいで、彼は、四宮薫は死んだ。

 私じゃない。

 私のせいじゃない。

 こいつのせいで、彼はもうこの世にはいない。

 二度と、話すことも出来ない。

 たった一言、二言だった。

 それでも私は彼に、自分と似た何かを感じたのだ。

 人生に絶望しているような、彼の目。

 死ぬ間際のあの表情。

 もっと、話してみたかった。

 もっと、彼のことを知りたかった。

 私の命の恩人。

 それを、この目の前の男が、男がーー


「はぁはぁ……!!」

「…………」

 

 そして数分もしない内に、目の前には真っ赤な海と肉塊が転がっていた。

 心臓が飛び出そうなくらい、跳ね上がっている。

 少しずつ、自分が冷静になっていく。

 自分の息遣いだけが、この場に響いている。


「……あ。私、私、が?」

 

 真っ赤に染まる両手を見て、ようやく私は我に返った。

 殺した。

 私が、殺した。

 殺した。

 殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺したーー


「あ、あ、あ……」

 

 上手く呼吸が出来ない。

 男だった‘モノ’の冷たい目が私を見つめる。

 私が、殺した。

 正当防衛とか、そんなことは問題じゃない。

 私は、人を、この手で殺した。

 その事実が、私の頭を強烈にぶん殴ったような衝撃を与える。

 遠くからサイレンの音が聞こえる。

 この騒ぎを聞いた誰かが通報したのかもしれない。

 身体が、震える。

 せっかく彼が助けてくれた命を、私は結局汚してしまった。

 もうこれ以上、何もない。

 彼の仇は打った。

 もう、これ以上私の人生は何もない。

 生きていても、この先地獄しか待っていない。


「あ、あはは…」

 

 ゆっくりとナイフを構える。

 結局、私は助けてもらうべきではなかったんだ。

 彼に、四宮薫に助けてもらう価値なんて、これっぽっちもなかった。

 そんな惨めな人生だった。

 ごめんなさい。

 本当に、ごめんなさい。


「………がっ」

 

 熱い。

 お腹が熱い。

 痛い、すごく痛い。

 自分で刺した腹部を見ながら、私はゆっくりと倒れる。

 ごめんなさい。

 ごめんなさい。

 生きていて、本当にごめんなさい。

 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。

 ーー薄れゆく意識の中で、私はやっと少しだけ楽になった気が、許された気がしたのだった。



























― dead end ―





























「……………え?」

 

 目が醒めると、見慣れた天井が視界いっぱいに広がる。

 何が起きたのか分からず、思わず周囲を見回すが、やはりそこは私の部屋だった。


「え、っと………え?」

 

 死んだはずなのに、死んでいない。

 私はしばらくその場で、ただ呆然とするしかなかった。


 ――これが私、穴来命の‘初めて’の死に戻りだった。

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