29話「こうして、夏が始まる」
昼休みのチャイムが鳴り、一斉に学校中の生徒が動き出す。
ある者は学食へ。
またある者は限りある食料を勝ち取るために購買へ。
そして俺たちお弁当組はいつものように机を合わせて一緒に昼を過ごす、はずだったのだが、今日は違った。
「悠花、桃園さん!一緒にお昼食べよー!」
「あ、今日はわたしーー」
「春菜、俺たちのことは気にせず、行ってこい」
「でも…」
「昨日は4人で食べただろ?せっかくなんだから、一緒して来い。佐藤、頼んだぞ」
「オッケー。春菜、薫もこう言ってるし、いこいこ!」
「…うん。ごめんね、お兄ちゃん。またね!」
春菜は少し申し訳なさそうに、そして嬉しそうに佐藤と一緒に誘われた女子グループの方へ行った。
あの日、体育祭を終えてからこのクラスで起きた変化の1つだった。
これまでも春菜は何度かあの女子グループで昼を食べたり、遊びに行ったりしていた。
でもそれは、あくまで佐藤が誘われて、その佐藤が気を利かせて春菜を誘ってくれたからだった。
それが最近では、春菜は名指しで他の女子たちに誘われている。
こんなことは、4月から振り返ってみても初めてのことだ。
そしてクラスの男子の春菜に対する態度も、あの体育祭を境に大きく変化している。
今まで名前も知らなかったような連中が、春菜に挨拶したり、やたらと彼女の方をちらちら見たりしているのだ。
その理由は、春菜を見ればすぐに分かることだった。
「しかし、桃園さん、体育祭の日からめっちゃ可愛くなったよな。あの髪型もばっちり似合ってるしさ」
「…ああ、そうだな」
春菜が体育祭でクラス中に与えた衝撃は、計り知れないものだった。
そしておそらく佐藤の入れ知恵なのだろうが、春菜は翌週からも前髪を上げて学校に登校している。
クラスの地味な女子が実は美少女でした的なやつだ。
でもこんなベタベタの王道パターンが、現実では一番インパクトがあるものだったりする。
現に、体育祭の打ち上げではどこもかしこも春菜の話で持ちきりだった。
それだけ、春菜が変わろうとしているということ。
それ自体は、勿論喜ばしいことだが、同時に不安でもある。
こんな急激な変化に、春菜は順応出来るのだろうか。
「いやぁ、兄としては心配で堪らないんじゃないか」
「まあ俺としては、妹の人気が出ることは素直に嬉しいよ」
「そうだけどさ、この分だと告白とかする奴も、出てくるんじゃないかねぇ?」
「こ、告白?」
「そうそう!だってもうすぐ夏休みだぞ。今のうちに仲良くなって、夏休みにデートして、そんでもって告白して、夏休み明けには付き合ってる、なんて定番だろ」
「い、いや、春菜に限ってそんなことは…」
「桃園さんはそんな気がなくても、周りがほっとかないってことだよ!」
海斗の言葉にギロリとクラス中を見回す。
確かに遠巻きに春菜が談笑している女子グループを眺めている男子が、少なからずいた。
海斗の言うように彼ら全員が春菜狙い、というわけではないと思う。
あの集団に女子が何人いるというのか。
でも少なくとも1人か2人は春菜を狙っている奴がいても、おかしくはない。
それくらい、今の彼女はクラスの中で目立っていた。
確かに海斗の言う通り、これは告白する奴が現れるのも時間の問題なのかもしれない。
「おいおい、すごい顔してるぞ、薫」
「…別に、気にしてなんかないけどな、全く」
「もうすぐ夏休みなんだぞ。お前も妹のことばっかり気にしてないで、気になる子にアタックしてみたらどうだ?高校2年、最後の夏だぜ?」
「悪いけどな、俺は学問優先なんだよ。海斗、お前も今から勉強してないと来年後悔することになるぞ」
「相変わらずお堅いなぁ、薫くんは。いないのかよ、気になる女の子とかさぁ」
「おれは別にーー」
ふと脳裏に浮かんだのは、青ねえの寂しそうな笑みだった。
あれから一度も青ねえには会っていない。
メールも来てもないし、勿論送ってもいない。
冷静に考えれば俺は、滅茶苦茶勿体無いことをした。
現役女子大生でモデルもやっている、容姿端麗な幼馴染。
そんな女の子と付き合うチャンスを自ら棒に振ったのだ。
恋愛の神様が仮にいたとしても、どう考えても俺にすぐ次の出会いをくれるとは、到底思えなかった。
「別に?」
「…なんでもない。とにかく、俺にはしばらく出会いすらないと思うわ」
「は?なんでそんなことーー」
「それよりも!海斗こそ、佐藤とどうなんだ?」
「い、いや別にそれは…特にないけどさ」
「なんだ、急に口籠って?さては、海斗――」
「とりあえず飯食おうぜ!飯!話はそれからだ!」
不器用に俺の話を逸らして弁当を食べる海斗。
意外と自分の話になるとすぐにボロを出すんだよな、海斗のやつは。
俺も海斗に習い、弁当を食べることにする。
ちらっと見ると、春菜も楽しそうに、クラスの女子と談笑していた。
たった数ヶ月でこんなにも環境というのは変わるものなんだな。
4月の自己紹介の時には満足に自分の名前すら言えなかった妹の成長に頼もしさを感じながらも、俺はどこか寂しさを覚えるのだった。
放課後。
今日は珍しく生徒会の活動がなかったので、俺は1人校門へと向かう。
海斗や佐藤たち部活組は、夏の大会に向けて今が踏ん張りどきらしい。
毎日夜遅くまで練習をしているようだった。
そして春菜はクラスの女子に誘われているようで、買い物に行くと言って先に帰った。
しかし、何を買いに行くのか尋ねただけであんなに顔を真っ赤にして怒ることないだろうに。
兄に言えない買い物って一体なんなんだよ、全く。
「…ん?」
「あれ、もしかしてーー」
「うわっ、本物初めて見た!」
「なんかこないだの体育祭も来てたらしいよ!」
久しぶりに1人で有意義な時間を過ごそうと校門に近付くと、何故か校門前にはひそひそ話をする生徒がちらほらといた。
どうやら有名人でも来ているのだろう。
俺には全く関係のない話なので、そっと脇を素通りするーー
「――あ、薫?」
「はい?……えっと、は?」
「ごめん、えっと…来ちゃった」
――わけにはいかなかった。
俺を呼び止めたのは、僅か1週間ほど前に苦渋の決断をして別れを告げたはずの真夏川青子その人だったのだ。
相変わらずのプロポーションに人目を引くルックス。
確かにこんな現役モデルがいたら、ひそひそ話もされるはずだ。
しかし、俺が何よりも気になったのはーー
「髪、切ったんだ…」
「あ、気が付いた?そうなの、う、嬉しいな…」
顔を赤らめる青ねえの髪の毛は、二つ編みはバッサリと切られてなくなりショートボブになっていた。
「…びっくりしたでしょ?」
「あ、ああ…。まあそりゃあな」
「これはね、私の決意の証なの。過去の自分を立ち切って、新しい一歩を踏み出すための決意なんだ。どう、かな?」
「…まあ、似合ってるよ」
「うふふ、ありがと」
にっこりと笑う青ねえは、夕陽に照らされていつもよりもずっと魅力的に見えた。
ふと周りを見ると、ひそひそと俺たちを見て話をしている。
まずいな、これは。
どうやら変な勘ぐりをされているようだった。
青ねえには悪いが、ここでは場所が悪い。
わざわざ校門で待っていたのだ。
何か大事な話があるに違いない。
とりあえず移動して話を聞こう。
「あー、悪い。青ねえ、ここじゃちょっとまずいからーー」
「――嫌」
「…え?」
そう思った俺の提案は、きっぱりと却下された。
そして青ねえは不敵な笑みを浮かべて俺を見据える。
「今日はね、宣戦布告に来たの」
「せ、宣戦布告?」
「薫。私は貴方を諦めない。私はね、結局いつだってわがままなの。だからね、もう遠慮しない。私には、普通の恋愛なんて出来ない。だから、私は私のやり方で貴方を手に入れる」
「お、おい青ねえ、ちょっと待てーー」
「薫、大好きだよ。必ず私を好きにさせてみせる。だから、覚悟しておいてね?」
「なっ!?」
青ねえはウインクをしながら、俺にはっきりとそう言った。
周りのざわつきは大きくなり、もはやひそひそ声では収まらないくらいになっている。
なんだ、この人は。まるでもう会えないみたいな演出しておいて、こんなにも早く現れるなんて、想像もしていなかった。
そして周りの生徒への露骨な牽制且つアピール。
完全にやられた。
これを狙ってわざわざ彼女は俺を待っていたのだ。
でも何故か、どこかで安心している俺がいた。
そうだ、そうなんだよ。
青ねえは、俺の知っている真夏川青子はこういう人なんだ。
「ふふ、まいったでしょ?じゃあ、またね、薫!」
「お、おいっ!……本当、大した人だよ、あんた」
そのまま青ねえは颯爽と立ち去っていく。
俺は呆然として取り残される他なかった。
何が契約解除だよ、畜生め。
思わず笑ってしまう俺は、やはりどこかで嬉しかったのかもしれない。
ーー夏が来る。
高校2年生最後の夏が、始まる。
俺たちの様々な思いを乗せて、夏休みが始まろうとしていた。
「……いやいや、これどうするよ」
いつの間にか周りで広がり続ける噂のことを考えて、俺は頭を抱えるのだった。
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