28話「嘘つき」
駅前のカフェテラスは平日だからなのか、ほとんど人がいなかった。
噴水の近くにある時計台は午後5時を指していたが、夏の陽はまだまだ落ちず駅前を茜色に染め上げている。
ようやく駅前についた俺は、肩で息をしながら必死で青ねえの姿を探す。
そしてすぐに、いつものカフェテラスに座っている彼女を見つけた。
急いで駆け寄ると、足音に気が付いたのか、ゆっくりと青ねえはこちらを向いた。
「はぁはぁ…。遅くなって、ごめん…」
「…別に、急がなくたって良かったのに」
「だって青ねえ、ずっとここで待ってたろ…」
「全然。私も今来たところだよ」
「青ねえ……」
それは誰でも分かる嘘だった。
メールの送信時間は確か、体育祭午後の部が始まったくらいの時間だ。
つまり青ねえは、4時間程ずっと俺を待っていたことになる。
そんな分かり切った嘘を吐くなんて、彼女らしくなかった。
「とりあえず、座ったら?何か頼もうよ」
「いや、そんなに居られないから、俺はいい」
「そっか…ふふ」
「青ねえ?」
「あの時と、同じだね。あの日、久しぶりに貴方に会って、夜に部屋に行ったときと、同じ。本当に、貴方は私の思い通りにならないんだね…」
「ごめん…」
「ううん、謝らないで。私が望んだことなんだもの。今まで白黒だった世界を、貴方は色付かせてくれた。本当に嬉しかった」
「…うん」
青ねえは嬉しそうに呟いた。
彼女がどんな気持ちで今までの人生を歩んできたのか、俺は知らない。
でも彼女が言う、誰かも好かれ肯定しかされない世界は、確かに味気ないものなのかもしれない。
俺は今まで青ねえは全てを持っている、圧倒的な強者だと思っていた。
人を人と思わない、冷酷な人なのだと。
でも今、俺の目の前にいる幼馴染はただの女の子でしかない。
「今日ね、本当は薫にお弁当持って行こうと思ったの」
「うん」
「でもね、上手くいかないもんだねー。私、誰かのために何かを作ったことなんてなかったんだよね。そんなことに、今更気付いたの」
「そっか…」
「だからね、お弁当は持って来れなかったんだ。ごめんね」
そう言った青ねえの表情は、今にも泣き出しそうだった。
嘘だ。
見てなくても分かる。
だってあれだけ張り切っていたんだから、作ってこないはずがない。
じゃあ、なんでこんな嘘を吐くのか。
そんなこと、分かり切っていた。
「…別に、謝らなくていい」
「そうだよね。…ごめんね」
なんでそんな顔するんだよ。
俺は元々彼女に、中学生生活を無茶苦茶にされた。
そのことを今でも俺は許してはいない。
それなのに今の青ねえを見ていると、彼女はとても儚くてあれが全部悪い夢だったんじゃないかって勘違いしたくなる。
でもそれは全て事実なわけで。
その現実から目を背けることなんて、俺には出来ない。
「……なんでだよ」
「え?」
「なんでそんな顔、するんだよ。俺は忘れてない。青ねえが俺にしたこと、一生忘れない。アンタは、俺の人生を滅茶苦茶にした」
「…そうだね」
「こないだだって、俺のこと脅して、それで…。なのにどうしてそんな顔するんだよ。どうして、そのまま恨ませてくれないんだよ…!」
「…ごめんね」
「謝るなよ!頼むから、そんな傷付いた顔、しないでくれよ…!」
俺は、溜まっていた全てを彼女にぶつけた。
ぶつけてしまった。
大人気ない、最低の行為。
でも青ねえは微笑んでいた。
そんな俺の、暴言を全て受け止めてくれた。
「…良かった。私、少しは薫の心に残ることが、出来てたんだね」
「何を…」
「だって一生懸命、私のこと、考えてくれていたんでしょ。それがね、本当に嬉しいの」
「青ねえ…」
「私もね、こんな気持ち初めてなんだ。どうして良いか分からない。誰かに嫌われることが、拒否されることが私の喜びだったはずなのに…薫に拒否されるとね、胸が痛むの。どうしようもなく、悲しい気持ちになるの」
「そう、か」
「自分の気持ちがコントロール出来なくてね、それで私、気付いたんだ。ああ、やっと私も人間になれたんだなって。もう、一人じゃないんだなって」
ゆっくりと立ち上がった青ねえは、俺を見据えて微笑む。
本当は悲しいくせに、辛いくせにそれでも彼女は決して泣こうとはしない。
そう、青ねえも本当は何もかも分からないで、不安だったんだ。
でも周りが誰も本当の自分を見てくれない世界から、どうにかして逃げたいと願っていただけなんだ。
「私ね、まだ恋愛のスタート地点にも立っていなかったみたい。本当に、情けないお姉さんだよね」
「そんなこと、ないよ…」
「だからね、もう一度、もしもう一度、私が今度はちゃんとした気持ちで、貴方を好きになれたら今度こそ……ううん、好きでいても、いいかな。貴方を、諦めなくても、いい、か、な」
「……1つ、青ねえは勘違いしてるよ」
「えっ…」
「悪いけど、俺は青ねえと付き合ってるつもりはない。あれはあくまでも契約、なんだろ?俺は、青ねえのこと、恋人だなんて思ったこと、ないよ」
「…あ、あはは。そう。そうだよね。私だけ、だよねーー」
「だから!…だから、今度とか、そういうのも気にしなくて良い。誰かの許可なんて要らないし、無理に諦める必要も、全くない」
「あ…」
本当は思い切り言ってやるつもりだった。
でもやっぱり俺は優柔不断だ。
目の前の幼馴染を邪険に扱うことが、出来ない。
だって俺には彼女との楽しい思い出も残っているのだ。
それを全て捨てて彼女を切り捨てる程、俺は強くなかった。
結局、俺も嘘つきなわけで。
俺たち幼馴染は、どっちも大嘘つきだ。
「…まあ、俺に恋人が出来る確率はかなり低いから、青ねえも今はゆっくりすればいいさ」
「…なんで上から目線なのかな」
「…あはは」
「う、うふふ」
やっと青ねえは笑った。
ほら、そんな風に自然に笑うこともできるじゃないか。
その方がよっぽど可愛いよ、と言いたい気持ちを抑える。
今はどんな言葉も、彼女を傷付けることになってしまうことになるかもしれないから。
「……よし、じゃあひとまず、終わりにしようか」
「そうだな」
「契約は、たった今この場で終了です。私たちは、元の幼馴染に戻ります」
「…ああ」
「……うん、これでおしまい。短い間だったけど、ありがとね。本当に楽しかった。それじゃあ、さよなら」
笑顔でそれだけ言うと、青ねえは踵を返して駅へ向かおうとする。
何も言うべきではないのかもしれない。離れて行く背中に、それでも俺はーー
「青ねえ!…ありがとう。俺も、短い間だったけど、本当に楽しかった!」
「……ばーか」
彼女はそう小さく呟いてそのまま振り向かずに、駅へと消えていった。
結局俺は、彼女を完全に切り捨てることが出来なかった。
でも、これで良かったのかもしれない。
俺の知っている幼馴染は、やっぱり俺の知っているままの優しい女の子だった。
ふと時計を見るとすでに打ち上げが始まってる時間だった。
「行くか…」
そして俺は青ねえとは反対の、春菜の元へと歩き出す。
さよなら、青ねえ。
またいつかーー
まっすぐ家に帰って、すぐに服を全部脱ぎ捨てて、思い切り頭からシャワーを浴びる。
「…………」
暖かいシャワーがゆっくりと私を包み込む。
私は上手く演じられたのだろうか。
彼の心に罪悪感を抱かせることなく、別れることが出来たのだろうか。
明るく振る舞った私に、薫は合わせてくれた。
だから、きっと大丈夫。
「…………」
結局最後まで、彼は私を‘青子’と呼ぶことはなかった。
それが今の私と彼の距離なのだ。
それでも彼は許してくれた。
もう一度、好きになってもいいと言ってくれた。
それが同情だとしても、私は救われた気がした。
「………っ」
頬を熱い水滴が伝う。
泣かないって決めたのに、嘘つき。
薫だって、あんなに顔を赤くしてデートしてくれたくせに、恋人だと思ってなかったなんて、嘘つき。
もしかしたら、もっと泣いて抱きついていたら、未来は変わっていたのかもしれないのに、笑顔で別れるなんて……嘘つき。
「………っ」
熱い水滴が止まらない。頬を伝って、どんどん溢れて行く。
暖かいシャワーが、ただただ私を包み込んでくれた。
ありがとう、薫――
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