26話「兄と妹・2」


「それでは只今より、各チームの応援団による応援合戦を行いますーー」

 

 午前中最後の競技は、各チーム対抗の応援合戦だ。

 赤、緑、黄、黒の4色に分かれ、各色の有志で集めた生徒たちが練習した応援とダンスを披露する。

 これが意外と気合が入っており、毎年好評だったりする。

 俺も塾講師をしているときに教え子にせがまれて、同僚と何度か母校であるこの高校の体育祭を見に行ったが、その時もまだこの応援団は続いていたくらいだ。

 まあ、やる生徒からすれば実際に何かに打ち込める良い機会ではあるし、見てる側からしても学生が一生懸命頑張っている姿は見応えがある。

 それでも俺自身、保護者等の席からではなく、生徒の席から見るのは10年ぶりだ。

 この近さなら、生徒一人一人の表情がよく見えるに違いない。

 そして俺は海斗の案内により丁度校舎の反対側に位置する席を確保していた。


「よし、ここら辺でいいだろ。緑は2番目だからな。トイレとか行くなら今の内だぞ」

「いや、大丈夫だ。しかし海斗、お前よく春菜たちの位置が分かるな」

「まあな。悠花から練習とかで大体の位置は聞いてるし、ウチの部活に結構応援団の奴、いるからさ」

「相変わらずコミュ力マックスだな、お前は」

 

 隣でグッと親指を立てる海斗。

 将来は某一流企業の営業マンとして、培ったコミュ力を遺憾無く発揮するのだが、それは本人には言わないでおこう。


「おうよ!お、そろそろ始まるみたいだぞ」

「ああ」

 

 ぐるっと保護者席や部外者用の観覧ゾーンを見回すが、どこにも青ねえの姿はなかった。

 確かにさっきの借り物競争の時はいたはずだ。

 その周辺も先程から何度も見てはいるがやはり見当たらなかった。

 もう帰ってしまったのだろうか。

 あの時確かに俺と彼女は目が合った。

 あの青ねえのことだ。

 別に俺が春菜を選んだことくらい、気にもしていないはず。

 しかしここ最近の青ねえを見ていると、何だか申し訳ない気持ちにもなる。

 なぜだろう。

 俺たちの関係はあくまでも契約はわけで、そこにそれ以上の感情はない。

 青ねえだって、あの中学生の時と同じく、俺のことを面白い玩具程度にしか見ていないはずなのに。


「どうした、薫」

「…いや、なんでもない。さ、応援合戦を見ようぜ。最初は赤だったよな」

 

 今は考えても仕方がない。

 青ねえが帰ってしまったのならば、その時はその時だ。

 今は目の前のこと、春菜の頑張りを見届けよう。

 初めて娘の運動会に参加した父親ってこんな気持ちだったのかな、と思った。























「いやぁ、赤の応援凄かったな」

「これは次はやりにくいな…」

「以上、赤の応援団でしたーー」

 

 観客からは割れんばかりの拍手。

 この応援合戦は投票形式になっており、全ての応援が終わった後、昼休憩の間に本部テントにある投票箱に、一番良かった色を書いて入れる。

 そして午後の間に集計をして、最後の点数発表の時に応援合戦の点数も追加される。

 この逆転要素も中々に好評で最後までこの体育祭を盛り上げてくれる要因の一つになっているのだ。

 この点数も意外と馬鹿に出来ないので、どの色も本気で取り組みはするのだが、赤のそれは1番目だというのにかなりのインパクトを観客に与えていた。


「いや、まさか生徒会長があんなコスプレするなんてな」

「あの人もノリノリ過ぎだろ…」

 

 真ん中のお立ち台のようなところから、会長が真っ赤なチャイナ服で出て来た瞬間、俺は赤の勝利を確信してしまった。

 あの美人で有名な秋空会長が、まさか体育祭であんな際どい格好をするとは。

 そしてその話題性に負けないくらい、内容自体もかなりの出来だった。

 一糸乱れぬダンスに掛け声。

 さすがに他の生徒は会長のようなチャイナ服ではないが、それでも真っ赤な服の集団の統率された動きにはただ圧倒されるばかりだった。

 これもおそらく会長がテコ入れしたに違いない。

 演技が終わった直後、気付いていたのだろうか、こちらを見てウインクをした会長は、本当に楽しそうな顔をしていた。

 本当になんでも全力でやるよな、あの人は。


「この雰囲気でやるのは中々厳しいな…」

「…春菜のやつ、大丈夫か」

「それでは続きまして、緑の応援団、入場ですーー」

 

 会場のアナウンスと共に俺たち緑の応援団が一斉にグラウンドへ駆け込んで来る。

 男子は学ランに緑色の鉢巻をしており、女子は全員チアリーダーのような格好をして緑色のボンボンを持っていた。


「ちょ、ちょっと格好が際どくないか…」

「俺も見るのは初めてだが、最高だな!」

「スカート短すぎだろ」

 

 興奮する海斗の気持ちはよく分かるが、俺はどちらかというと不安の方が大きかった。

 こんな格好で春菜は満足に踊れるのだろうか。

 そんな俺の不安を他所に、海斗のリサーチ通り佐藤がこちらに駆けてくる。

 その溌剌な姿に海斗は勿論、周りの男子も思わず目を離せないようだ。

 そしてその後ろからは春菜がーー


「ま、まじか…」

「おおっ!あれ桃園さんだよな!?全然雰囲気違うじゃん!」

 

 春菜が緊張した表情で俺たちの目の前に位置取る。

 周囲が騒つくのを感じる。

 それもそのはずだ。

 俺の目の前にいる彼女は普段はずっと下ろしていた前髪を上げ、長い黒髪もまとめてポニーテールにしている。

 大きな目と少し幼さは残るものの間違いなく美少女に分類されるその外見。

 真っ白な肌と決して悪くないスタイルは、露出が多いチアリーダーの服で更に強調されている。

 こんな女の子クラスメイトにいたっけ、とヒソヒソと囁く声さえ聞こえる。

 俺自身も初めて見る春菜の姿に、思わず開いた口が塞がらない。


「…ふんっ」

 

 そしてそんな俺たちを春菜は一瞥して、そのまま目を閉じる。

 まさか春菜がここまでやるとは、そしてこんな輝くなんて想像もしていなかった。

 確かに可愛いとは思っていたが、こんなにも変わるものなのか。

 おそらく隣でしたり顔をしている佐藤の助力もあるのだろう。

 それでも妹の華麗なる変身に、俺を含めクラス中が驚きを隠せないのだった。


「それでは緑の応援団の演技を始めますーー」

「ちゅーもーく!!我々はー!陵南高校最強の緑チーム!!その最強の応援団である!!」

 

 応援団の生徒たちが作る大きな円。

 その中心で頭を緑に染めて学ランを着る応援団長らしき男子の号令と共に、俺たち緑の応援合戦が始まった。

 団長の掛け声に合わせてポーズを取ったり、掛け声を出す春菜たち。

 俺はただどぎまぎしながら彼女を見守るしか出来ない。

 そんな俺を他所に、赤と負けず劣らずの一糸乱れぬ踊りが続いていく。

 走っての陣形移動が多く、全力で走っては移動しまた走ってその場で踊る。

 見ている側でも分かる過酷さだった。

 それでも春菜は笑顔を絶やさず、汗まみれの顔で息を切らしてもなお、踊る。

 見るからに辛そうな彼女を見て、俺はーー


「…がんばれ」

 

 思わずそう呟いていた。

 そしていよいよ演技もクライマックス。

 一度中央にまとまった生徒の輪が、団長の号令と共に一斉に広がりそこから間髪入れず、踊りに続く。

 その移動の最中――


「……っ!!」

「あっ!?」

 

 一瞬春菜の右足が変な方向に曲がる。

 おそらくもう体力の限界を超えているに違いない。

 そのまま足を捻って倒れそうになる春菜を、絶妙なタイミングで佐藤がカバーして支えた。

 そしてそのまま位置について踊りが始まる。

 しかし、春菜の動きは明らかに鈍くなっていた。

 必死に周りに合わせるが、表情からは笑顔は消え、時々苦痛に顔を一瞬歪ませてはすぐに取り繕う。

 どうやら右足を捻挫しているようで、それでも必死に踊る彼女を、俺はただ見守ることしか出来ない。


「あと少しだ……がんばれ!」

「薫……よし、がんばれ!悠花も桃園さんもあと少しだぞー!」

 

 応援団を応援する。

 そんな意味不明な行為を俺と海斗はそれでも続ける。

 大音量の音楽で掻き消され、届くはずのない声援をそれでも送り続ける。

 ――そして緑の応援合戦はなんとか無事に演技を終えた。


「以上、緑の応援団でしたーー」

「いいぞー!!」

 

 赤の時と同じく、いやそれ以上の割れんばかりの拍手が、彼女たちを包み込む。

 誰もが手を取り合い、お互いの健闘を讃え合っているようだった。

 そしてゆっくりと春菜が、佐藤に連れられてこっちに来る。

 その顔は苦痛に歪みながらも、とても満足げなものだった。


「おお!!2人とも本当におつかれ!めっちゃ良かったぞ!!」

「ありがと、海斗!ほら、春菜?」

「はぁはぁ…」

「……春菜」

「…どう?」

「……すごかったよ、お前」

「…でしょ!」

 

 満面の笑みを浮かべた春菜と、俺は小さくハイタッチした。



















「ちょっと、変なとこ触らないでよね!?」

「おいおい、おんぶするにはこの方法しかないだろうが」

「…なんか手つきが嫌らしい」

「あのなぁ…」

 

 応援合戦は絶賛続いていたが、捻挫した春菜の右足を診てもらうため、俺たちは保健室に向かっていた。

 佐藤が「足を捻ってるみたいだから、誰か桃園さんを保健室連れて行って」と言った瞬間、多くの男子が手を挙げた。

 それを見て危機感を感じた俺は、‘兄’という特権を使って春菜を運ぶ権利を奪い取ったのだ。

 今の春菜を見て、ときめいた男子が少なからずいたということ。

 確かに今日の春菜は反則級に可愛い。

 それだけに親心というか、悪い虫がつくのが心配というか。

 とにかくここは俺が行かなくてはと思ったのだ。

 周りの男子から非難轟々だったが、佐藤はなぜが親指を立てて「よくやった!」なんて表情をしていた。

 余計なお世話なんだよな、全く。


「……どうだった、私?」

「ああ、控え目に言って最高だったよ。感動した。途中から涙が止まらなかったよ」

「本気で言ってる?」

「いてて、つねるな!…正直、すごかった。春菜があんなに頑張れるなんて、俺思いもしなかった。本当に、すごかった」

「そっか」

「本当だぞ?…俺な、お前のことを兄として守りたかった。だけど、春菜もこの2ヶ月ずっと努力してきたんだもんな」

「うん」

「春菜は、強くなったよ。俺が思ってたより、ずっとさ」

 

 背中に感じる暖かさはとても小さくて、今にも壊れてしまいそうだ。

 でも俺は今日知った。

 春菜はそんな弱い女の子じゃない。

 ちゃんと自分の意地を通せる強さが彼女には、ある。


「……お兄ちゃんがさ、何を心配しているのか知らないけど」

「ん?」

「あんまりわたしを舐めないでよね?」

「…あはは、違いないな」

 

 俺が今までイメージしていた‘彼女’は弱かったのかもしれない。

 でも今ここにいる俺の妹は、こんなにも‘生きている’。

 もう恐れる必要はないのかもしれない。

 もう、俺はーー


「――薫?」

「……青ねえ」

「えっ」

 

 後少しで保健室、というところで俺は出会ってしまう。

 目の前の青ねえはどこか虚ろな目で俺と、その後ろにいる春菜を見ていた。


「あ、あのね薫。もうすぐお昼でしょ、私――」

「ごめん青ねえ。ちょっと妹が怪我しててさ。保健室行ってくるから、悪いけどしばらくは会えない。話ならまた後でにしてくれ」

「……あはは、そ、そうだよね。ごめんごめん。ちょっと寄っただけだから。うん。ま、またね!」

 

 青ねえは逃げるようにその場を後にする。

 何かに怯えているような青ねえの表情を、俺は生まれて初めて見た。

 言い過ぎたのだろうか。

 それでも今は春菜を保健室に運ぶのが優先だ。

 青ねえのことを考えるのは、今じゃない。


「あ…。良いの?放っておいて。あれってこないだウチに来た真夏川さんでしょ」

「大丈夫だよ……もう、大丈夫。今は春菜の怪我の方が大事だろ」

「……それなら、いいけど」

 

 不思議と青ねえに対する恐怖は無かった。

 妹の頑張りを見て、俺の心は変わったのだろうか。

 妹に教えられる、不甲斐ない兄ではあるが、今は彼女の側にいたい。そう思った。



















「はぁはぁ…!」

 

 頭がぐるぐるする。

 感情が暴走している気がする。

 なんなのこれ。

 馬鹿みたい。


「はぁはぁ…あっ!」

 

 バランスを崩してその場にこける。

 膝が熱い。血が、出てる。

 馬鹿みたい。

 馬鹿みたい馬鹿みたい。


「……はは」

 

 ぐるぐるする。

 ぐるぐる。

 なんでこんな気持ちになるのか。

 じゃあこんなとき、どうすれば良いのか、私は知らない。

 本当はとっくに知っていなければいけない感情を、私は今初めて知って、打ちのめされている。


「……あ」

 

 転けた際に落とした鞄から、お弁当が転がり落ちている。

 私が誰かに何かを作るなんて、初めてじゃ無かったっけ。

 馬鹿みたい。本当に、下らない。

 あの2人の姿が、頭から離れない。


「はは…」

 

 惨めすぎて、ただ笑うしか無かった。

 今まで私に無下にされてきた人たちも、こんな気持ちだったのだろうか。

 だとしたらこれは因果応報だ。

 得体の知れない感情に支配されそうになる。

 下らない。本当に、下らない。

 そのはずなのに、どうしてーー


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