25話「そして彼女は知る」

 

「「選手宣誓!」」

「僕たち!」

「私たちは!」

「「スポーツマンシップに則ってーー」」

 

 目の前のお立ち台では、体育祭実行委員であろう男女が息ぴったりで、どこの体育祭でもお馴染みの宣誓をしている。

 こういうのって合わせるの大変なんだよな。

 多分あの2人も相当練習したに違いない。


「それでは只今から第56回、陵南高校体育祭を始めますーー」

「はぁ…」

「お、どうした薫。溜息なんてついて」

「いや、別になんでもない」

 

 心配してくれる海斗には申し訳ないが、話せるわけもないのでそのまま誤魔化して自分たちの席に戻る。

 俺たち2年4組は4色の内の緑色に分類されるため、ブースも緑一色だ。

 チラッと辺りを見回すが、どうやら保護者席にもまだ彼女の姿はないようだった。


「さすがにまだ来てない、か…」

「…誰が?」

「うおっ!?…って春菜か」

「わたしで悪かったわね。これ、忘れ物」

 

 春菜はしかめっ面でぐいと巾着袋を渡してくる。

 俺たちは結局、まだ仲直り出来ずにいた。

 俺としては青ねえの問題が解決するまでは、事情を話す事も出来ないので、どうしようもないのだが。


「あ、お弁当か。ありがとう」

「…今日、見ててよね」

「は?」

「応援団、やるから。ちゃんと見ててよね」

「ああ、お前にしては似合わずーー」

「見てて」

「わ、分かった…」

 

 俺の返答に満足したのかしてないのか。

 それだけ言うと春菜は踵を返し立ち去って行った。

 どうやら端の方ではその応援団の最終確認が行われているらしく、春菜も佐藤と共にそれに参加するようだ。


「いやぁ、すごい圧だったな桃園さん」

「あ、ああ。それだけ張り切ってるってことだろ」

「…はぁ。まあ、ちゃんと見とけば良いんじゃね?さ、俺らも応援しようぜ!」

「おう、とりあえず100メートル走からだな」

 

 やれやれという表情を浮かべる海斗。

 言われなくたって分かっている。

 春菜はきっと見せようとしているんだ。

 俺がいなくたって自分はやっていけるんだってことを。

 そして俺に打ち明けて欲しいと思ってる。

 そんなこと、少し考えれば分かる。

 でも、俺にとって春菜はこの死に戻りの全てなんだ。

 そう簡単に割り切れることじゃない。

 なんだかんだ言っても彼女はやっとクラスに馴染んできた程度なんだ。

 青ねえに掛かればすぐ壊されてしまうに違いない。

 そうなればーー


『――今まで、ありがとう』


「くそっ…」

 

 どうしてもあの情景がちらついて、俺はまた足踏みをしてしまう。

 そしてそんな臆病な俺を嘲笑うかのように、空砲と共に陵南高校体育祭は始まった。




















「次は借り物競争です。出場する生徒は白いテント前まで集合してくださいーー」

「あれ、四宮君?君も借り物競争なんだね」

「ああ、白川先輩ですか。先輩もなんですね。運動得意そうですし、他の競技に出るのかと思ってましたよ」

 

 体育祭も午前中の競技は終盤に差し掛かり、ようやく俺の唯一の見せ場である借り物競争が回ってきた。

 どうやら白川先輩も同じ競技らしく、その頭には赤のバンダナが巻いてある。

 言っちゃ悪いが似合わないな、と思っていると先輩は苦笑いをしてバンダナを指差した。


「ああ、これ?会長が付けろってうるさくてね」

「あの人ならやりそうですね…」

「四宮君は赤じゃないよね?会長が残念がってたから」

「あー、俺は緑です。春菜…妹も」

「緑かぁ。まあお互い頑張ろうね。この学校の借り物競争はいつもお題が無茶振りみたいだからさ」

「えっ、それってどういうーー」

「時間です。只今から借り物競争を始めますーー」

 

 白川先輩に答えを聞く前に、合図によって俺たちはバラバラに誘導されてしまった。

 無茶振りなんて言っていたが、そんなことあったっけと遠い過去の記憶を探る。

 しかし特に思い当たることはない。

 単に忘れてしまっているだけなのだろうが、何だか嫌な予感がする。

 そして第1組がスタートした。

 皆が白色の箱からお題が書いてある紙を見て、鳩が豆鉄砲喰ったような顔をした瞬間、俺の不安は増大するのだった。


「おおっと!各選手かなり困っているようです。第1組のお題は一体なんなんでしょうかーー」

 

 右往左往しながらそれぞれのお題を達成しようとする選手たち。

 数分してようやくゴールへと駆け込む選手たちは何故か皆、恥ずかしそうにしていた。


「今全選手ゴール!第1組のお題は…一番仲が良い異性でしたー!」

「お、おいおい…」

 

 なんだそのお題は。

 それって仲の良い異性がいない奴は即死じゃないか。

 大体借り物なのになんで人間がお題になっているんだよ。

 そんな俺の心の叫びは勿論通じる事もなく、次々と生徒たちがお題の餌食になっていく。

 ああ、そういえば何となく思い出してきた。

 昔も確かこの借り物競争だけは毎年阿鼻叫喚だった気がする。


「続いて、第5組ですーー」

「マジかよ…」

「あれ、一緒の組だね四宮君」

「白川先輩、俺、ちょっと後悔してます…」

「あはは、でも僕は負けないよ?会長に勝てって言われているからね。どうせ恥ずかしいのは一緒なわけだからね」

「まあ、確かに…」

 

 そしていよいよ俺たちの番が回ってくる。

 ざっと見回すと緑色ブースのところには春菜も海斗も佐藤さんもいるようだった。

 何か困ったことがあれば彼らに頼もう。

 そう思って目線を逸らした瞬間、俺はついに見つけてしまった。


「あーー」

「用意、スタート!」

 

 空砲の音と共に反射的に前へ駆け出す。

 一瞬だったが確かに俺は見た。あれは間違いなく青ねえだった。

 やっぱり来てしまったのか。

 しかもちょうど俺の出番を狙ったかのような登場。

 そしてそんな心の準備が出来ないまま引いたお題を見て、俺の頭は思わずフリーズした。


【一番可愛いと思う異性を連れてくること】


「は、はぁ…!?」

 

 周りも同じような反応で、どうやらかなり困惑しているようだ。

 一体この学校の倫理観はどうなっているのだろうか。

 そしてそんな俺たちを尻目に、白川先輩だけは迷わず生徒会ブースの方に駆けて行く。


「くそっ…その手があったか!」

 

 白川先輩の狙いは間違いなく会長だった。

 確かに秋空会長なら間違いなくお題をパス出来るだろう。

 何より生徒会役員なら彼女を選びやすい。

 何という判断力の速さ。

 いずれにせよ、いつまでもうろうろしていたらよほど注目を浴びてしまう。

 早急に何とかしなければと、周囲を見回した俺は彼女と目が合う。


「あっ…」

「薫―!頑張ってー!」

 

 それは大声でこちらを応援する青ねえだった。

 1人で、しかも大声で応援しているせいなのか、かなり周りの注目を集めている。

 それにとびきりの美人だ。

 注目を集めるのも当然ではあった。

 ここで青ねえを連れて行けば確実にお題はパス出来る。

 でもそうなれば春菜に、俺たちの関係がバレてしまうかもしれない。

 なぜ青ねえがここにいるのか。

 俺には上手く嘘を突き通せる自信はなかった。

 どうすれば良いのか。

 迷っている時間はない。

 もう一人だけ、候補はいる。

 だがそれはそれで問題がーー


「…ああ、くそっ!」

 

 20代後半の大の大人が何をグダグダ悩んでいるのだろうか。

 俺は一呼吸置いた後、一気に駆け出した。

 そして驚く‘彼女’の手を取って、また駆け出して行くーー



























「――第5組のお題は、一番可愛いと思う異性、でしたー!」

「ちょ、ちょっと副会長!な、な、な、なんで私なんですか!?」

「ん?だからそう思ったから雅を連れて来たんだけど」

「なっ!?」

 

 白川先輩に笑顔でそう言われた大塚さんは、誰もが分かるくらい顔を真っ赤にして思い切り動揺していた。


「や、やられた…」

 

 勿論、勝負は白川先輩の圧倒的1位だった。

 そして何よりも会長ではなく、大塚さんを選ぶなんて本人にも全く予想できなかったことだろう。

 それなら俺が会長を連れて来ても全く問題ないわけで。

 その可能性も含めて潰されてたとしたら、本当に大した人だ。


「こ、これはどういうことなの!?」

「だからやられたんだよ、副会長に。まんまと嵌められたってことだ」

「そ、そうじゃなくて!な、な、なんでわたしを選んだのかって聞いてるの!!」

「ん?だからそう思ったからーーいでぇ!?」

 

 大塚さんと同じくらい顔を真っ赤にしてこちらを睨み付けてくる春菜。

 なんで白川先輩と同じ台詞なのに結果はこうも違うのか。

 ――結局、俺は青ねえを選ばなかった。

 正確に言えば選べなかった。

 今の俺にはあの青ねえの声援に応える資格なんてない。

 何よりもし青ねえの手を取っていたら、俺は何か大切なものを失ってしまう。

 そんな気がしたのだ。


「ま、まあ良いだろ?兄妹なら幾らでも言いようがあるしさ。それにーー」

「それに!?」

「前髪上げたら春菜も、普通に可愛いぞ?」

「…は、はぁ!?」

「試しに前髪上げたらすぐにパスしただろ。それが何よりのーーいっだぁ!?足踏むなって!」

「…次だから、見ててよね」

「……ああ、見てるよ」

 

 俺を睨み付けたまま、春菜は駆け足でその場を去って行く。

 これが正解だったのかは分からない。

 ただ俺は、自分の気持ちに正直に動いただけだ。


「おー、お疲れ薫!中々カッコ良かったぞ!」

「うるせぇよ、海斗」

「さ、次は午前中のトリ、応援団だからな!すぐ始まるから悠花と桃園さんが見える位置まで行こうぜ!」

「…おう!」

 

 今度は春菜の番だ。

 青ねえには悪いが、俺はちゃんと見届ける。

 彼女の頑張りを、見届ける義務があるんだ。























「あ、はは…あれ?あはは…」

 

 今まで感じた事がない感情に、思わず笑うしかない。

 確かにあの瞬間、薫と私は目が合った。

 私の応援を聞いてくれていたと思う。

 だけど、彼はそのまま妹の方へ駆けて行った。

 当たり前だ。

 もし私のところなんかに来たら、それこそ大騒ぎになるに違いない。

 薫が春菜ちゃんのところに行ったのは、至極当然なのだ。

 そんな当然のことが起きたのにも関わらず、私は感情を上手く抑えられない。

 私は拒否されることに喜びを感じているんじゃなかったっけ?

 分からない。

 自分自身が、分からない。

 

 今まで知らなかった感情が、只々私を支配していくーー

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